きちんとこなされる執務。
いつも眠そうにしている姿はもうない。
けれどその彼の瞳はいつも虚ろなままで・・・
それが彼女には気にかかってならなかった。



話し声がする。楽しそうに語る声。
1人は武王。それはすぐにわかった。

でも、あと1人は・・・・・・?

こんな夜更けに一体誰と話しているのだろう。
不思議に思って邑姜は角から声のする方を覗いた。

「―――?」
他に誰もいない。
彼は1人で空に向かって話していた。そう、何もない空間に向かって。
楽しそうな表情で。優しい瞳で。
まるでそこに誰かがいるように、恋人と語らっているかのように―――・・・

・・・武王・・・・・・?

不安がよぎる。
光を持たない彼の瞳とそこに心がないような様子と重なって。

「―――天化。」

え・・・・・・?

彼が虚空を見つめて言った言葉は確かにそう聞こえた。
ひょっとして武王と話しているのはその人?

彼のことはあまり知らない。
たまに武王の口から思い出を聞く時に出てくる名前。それだけだったから。
彼を知る術は本当にそれだけ。
だから・・・
この時までその人の存在が彼にとってそれほど大切な存在だったということに気がつかなかった。
でも自分には彼の姿は見えない。
彼が見ているのは幻? 霊?
けれどどちらにしても彼の存在があの人の心を支配している。

「―――っ・・・・・・」
胸の奥が痛い。
暗くて重い何かが心の中に落ちて広がるような感覚がする。
それは胸をおさえても収まるはずはなく・・・・・・
「・・・・・・・・・」
その場を静かに離れる。
何故かその時は声をかけることさえ恐くてできなかった。



あいつを離したくない。
でも不安なんだ。
俺は今間違った事をしているのか・・・?

それを聞いた天化は笑った。
「どうしてそう思うさ? 俺っちがここにいる事まだ信じてないさ?」
「・・・そういうわけじゃない・・・・・・」

ただ恐いんだ。
もし再びお前を失う事があった時、自分がどうなるか解らないから。
俺はこのままで本当にいいんだろうか―――



「こんな夜更けにこんな所で何をしていらっしゃるのですか?」
いつもの所にいた彼に話しかける。
ずっと迷っていたけれどこれ以上は見てられなかった。
「・・・邑姜。何って別に・・・・・・」
「1人で夜の散歩ですか?」
1人?
邑姜には天化の姿が見えていないのか?
いや、見えているのは俺だけ・・・?

「――――?」
妙な違和感がして姫発は天化がいる方を見る。
「武王? どうかしましたか?」
「・・・いない・・・・・・」
「え?」
さっきまでここにいたはずなのに。
姿だけではなく今は気配さえも感じない。
「っ天化!?」

どこだ!? どこに行った!?

急に走り出す。
「武王!?」



いない、どこにも。
部屋にも、廊下にも、外にさえも。

天化! どこにいる!?
俺を置いていくな、1人にしないでくれ!!

夢から覚めた朝。あいつがいないと思い知らされる時の気持ち。

あんな思いはしたくないと言ったじゃねーか!
どこだよ! 天化!!



王宮裏手の巨木。
春には桜が満開に咲き乱れるそれは今は緑が生い茂っているのみ。
その木の下に気づかないうちに来てしまった。
肩で息をしながらその木を見る。

ここにもいない・・・・・・

「武王!」
邑姜が追いつき、少し離れた所で立ち止まる。
「・・・どうしてどこにもいない? さっきまでここにいたのに・・・・・・」
姫発は彼女がいることに気づいていないようだった。
頭の中は天化のことで精一杯で。
「天化・・・・・・」

カチン

「武王! その方はそんな人なのですか!?」
「・・・邑姜?」
彼女の存在にやっと気がついて振り向く。
「あなたが苦しむような事をする人なのですか!?」
「!!」
パンと頭の中で弾ける音がした。

―――そうだ。天化はこんな事しない。
ここにいるはずがない。
・・・そうだよな・・・・・・・・・
あれは俺自身が作った幻想―――・・・

「すまねぇ邑姜。」
そう言って苦笑いを浮かべる。
「ここまで追いかけて来てくれてありがとな。」
「・・・私はそうしなければいけないと思ったことをしただけです。」
いつもの淡々とした口調で返す彼女に姫発は笑みで返した。
「何にしろ感謝するぜ。」
少し彼女の頬が赤くなったのに姫発は気づかない。

「良かったさね、王サマ。」
「!?」
木の下に月光に透けた天化の姿が現れた。
今度は邑姜にも彼が見えているらしく彼女も驚いた表情をしている。
「・・・なん、で?」
あれは幻だったはず。
「あんまり王サマの様子が心配だったから来たさ。でももう大丈夫みたいさね。」
1度姫発に笑いかけてから今度は邑姜の方を見た。
「・・・王サマのことよろしく頼むさ。」
「―――あなたには負けません。」
彼女の言葉に天化は嬉しそうに笑う。
「あんたになら王サマを任せられそうさ。」
天化はもう1度姫発を見て、そこで彼の姿は消えた。


今のは月の光が見せた幻?  それとも―――・・・



―終―



<コメント>
やっぱりこんな終わり方なのねー(泣)。
全ては邑姜ちゃんの「あなたには負けません」のセリフのために(爆)。
そしてあのままじゃかわいそうな天化君のために。
発が見た幻だけじゃねぇ・・・発自身も救われんし。
ああ、やっぱり私って甘い・・・



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