勿忘草の花言葉 -8-




 例の事件から数日。
 あの女に手を下せなかったことで消化不良だった心も落ち着きを取り戻した頃。


 その日からずっと、黎翔はそれとは別のことでも引っかかりを覚えていた。
 …もちろん、彼の全ての感情は夕鈴絡みなのだが。

 その夕鈴の様子が、あの日からおかしい。





(…ん?)

 夜の逢瀬は毎日の日課。
 特に彼女が記憶を失くしてからは1日たりとも欠かしたことはない。

「夕鈴。」
 黎翔は何かに違和感を覚えつつ彼女を横に座らせる。
 すると、夕鈴は手を伸ばす前にすすすっと自然を装って離れていった。
 そうして1人分開いた微妙な距離間に、ああ と気がつく。
 あの日からずっと感じていたそれの正体をようやく確信した。


「わっ ヘ、陛下!?」
 無言で隙なく距離を縮めて彼女の腰をさらう。
 近い位置で彼女の顔を覗き込むと、途端に離れようと体を反らした。

「……避けてる。」
「ッ」
 そう、違和感を感じたのはこれだ。
 記憶を失くしてからは彼女の方から寄り添ってくれていたはずなのだが、今は何故か逃げ
 ようとしている。
 後ろめたいのか何なのか分からないが、非常に面白くない。

(…一体何に遠慮してるのやら。)

「避けてなんかいませんっ」
 顔を逸らしたまま、真っ赤になって彼女が叫ぶ。

(あれ?)
 その時覚えたのは違和感ではなく既視感。
 あの侍女のことで遠慮していると思っていたのだが、それとは少し違う気がした。

「だから離れてください!」
 泣きそうな顔で腕を突っ張って抵抗する。

 懐かしいような、この反応…


「……夕鈴。もしかして、記憶戻ってる?」
「!!」
 相変わらず彼女は嘘がつけない。
 明らかに動揺が表情に現れた彼女は、しばらく唸ってから、こくりと正直に頷いた。






「―――いつ?」
 逃げないように引き寄せたままの腕の中で彼女は居心地悪そうにしている。
 それでも抵抗しなくなったのは、隠し事をしていたことでバツが悪いからなのか。
「…助けに来てくれた時、です。」
 それは思っていたより早かった。
「どーして言わなかったの?」
 すぐに言ってくれれば良かったのに、と少し拗ねたように言う。
 あの時、期待して外れて落ち込んだ。
 教えてくれれば落ち込まずに済んだのにと、つい思ってしまう。
「恥ずかしくて… だって全部覚えてるんですよ!? 消してしまいたいっ」

(…君は、消したいんだ。)
 胸の奥深くで小さく軋む音がする。

(いつも君は僕を知らずに傷つけるね…)
 それを彼女に気づかせるようなことはないけれど。

「消さないでよ。」
 抗うように小さく願う。
 あれを僕だけの夢にはしてしまいたくなかった。
「演技を本気にして愛されているとか思ってた私を!?」
 それにも彼女は恥ずかしすぎます!と、黎翔の言葉を否定して叫ぶ。

 黎翔には夢でも、夕鈴には恥でしかないらしい。
 つまり、演技だから真に受けたことが恥ずかしいのか。

「……だったら、全部本気だと言ったら?」
「そんなわけないじゃないですか!」
「って、どうして君が否定するんだ…」
 即刻否定されてガクリと肩を落とす。
 そういう反応が返ってくるとは思わなかった。相変わらず夕鈴は予想外だ。
「だって…」
 腕の中でもじもじしながら彼女はううっと唸る。


 伝える言葉はいつだって本気だ。
 多少過剰な表現をすることはあっても、一度も嘘を言ったことはない。

 けれど知っている。それは彼女が望む言葉じゃない。



「―――良いよ。信じる信じないは夕鈴の自由だ。」
 ふうと息を吐いて、先に折れたのは黎翔の方だった。


 頑なな心を無理矢理解こうとしても無理なのは分かっている。
 それが"夕鈴"だから。

 無意識に僕を傷つけ、無意識に僕を捉えて離さない。
 あんな風に僕を慕ってくれる彼女も夢のようだったけれど、怖がりながらも近づこうとし
 てくれる君が本当の君だから。

 仕方ないから、今はまだ待つことにするよ。


 兎を捕らえようとする牙と爪を引っ込めて、人畜無害な小犬を装う。
 今はまだ、君が望むままに。

 ――――いつかは覚悟してもらわないといけないけれど。



「夕鈴、僕頑張るね!」
 ころっと無邪気な小犬になって、ニコニコと笑う。
 夕鈴から肩の力が抜けたのが分かった。
「え、あ、はい。頑張ってください。って、何をですか??」
 突然言っても当然夕鈴には意味が分からない。
 今はまだ、それで良い。

「んー もうすぐ分かる…かも、ね。」
「??」











 ちりん、

 風の向こうで鈴が鳴る。


 どうか忘れないで、あの夢のような日を。
 僕と君はあの時夫婦だった。

 あれがいつかの未来なら良い。


 そう願うから。

 だから君も忘れないでいて――――…




:::END:::





---------------------------------------------------------------------


はい、完結です。勢いで書き上げました。

実は記憶が戻っていたという。7話開始の時点で戻ってましたー。
だから内面描写も記憶がないことは一切書いてなかったり… 誰も気づかない自己満足な細かい拘り。←

この話では記憶がないことを良いことに、いちゃいちゃさせてました。
たまには陛下にもいい思いをしていただかなくてはね。
いや、手の届くところに来ちゃってるのに手を出せないから余計にツライかもしれないけれど(笑)
んー 陛下が好きなことを隠さない夕鈴というのも珍しいかなーと。
最後は元通りですけどね。いつものパターンです。

今回のこれで思いました。…見切り発車は危険です。
思ったよりも時間がかかってしまいました。お待たせしてしまった方々には申し訳なく…
次回長いのを書く時には書き上げてから上げたいと思います…

よし、連載が終わったので、心置きなくキリリクを楽しみます〜vv

2011.6.5. UP



BACK