不可侵の花 後日談




※ ツッコミ日記から再録




(前) 景絽望

「これで奴の持ち物は全部か?」
 方淵の問いに、彼らは「はい」と頷く。
 仕事で使っていた私物だけのため、卓の上の並べられた者は驚くほど少なかった。


「・・・随分あっさりしたものだなぁ。」
 そこに割り込んできた、場にそぐわないほどのんびりした声に、方淵は眉を顰める。
「景絽望。貴様 何しに・・・」
「お、あった。あった。」
 方淵の声を無視してこちらへ足を向けた彼が、目的の物を見つけたのか徐に手を伸ばした。
 ・・・蘇秦の私物が並べられた卓へと。
「オイ」
「ん? 元々私の物だから良いじゃないか。彼に貸していたんだよ、この小筆。」
 周りが固まり方淵が睨んでも、彼は悪びれずに言う。
 そうして肩を竦める彼に、方淵は怒鳴る代わりに深く溜め息をついた。
「仕方ないな。さっさと持っていけ。」
「よ、よろしいのですか?」
 官吏の1人が慌てるが、方淵の方は気にした様子もない。
「本人が自分のだと言うのだから良いだろう。小筆の1本くらいなら問題もない。」
 いつものしかめっ面のままだが、視線を交わしただけで絽望の意図には気付いたようだ。
 それでいて、あえて何も言わなかった。
 彼もまた今回のことには思うところがあったのだろう。
「ありがとう。」
 その全てを含めて絽望は礼を言った。


「・・・本当に馬鹿なことをしたねぇ。」
 青い空に小筆をかざして絽望は1人ぼやく。

 今の言葉はこの小筆の"本来の"持ち主に向けたものだ。
 叶わぬ恋に焦がれて死に逃げた・・・もしかしたら自分がそうなっていたかもしれない、
 もう1人の自分。

「これは、ただの自己満足なのかもしれないけどね。」
 自嘲気味に呟いて、絽望は庭園へと足を向けた。









「お妃様」
「? あ、絽望さん。こんなところで何をしてらっしゃるんですか?」
 お妃様は最近後宮から少しずつ出てこられるようになったけれど、まだ以前のような明る
 さは見せられない。
 彼の死は、それだけ彼女に影響を与えたのだ。蘇秦という存在は、彼女の心の傷として残
 った。
 それを羨ましいと思う自分もいて、そんな自分を馬鹿らしいと蔑む自分もいる。

 けれど今はやるべきことがあると、個人的な感情は抑え込んだ。

「―――お妃様、こちらを。」
 いつもの軽薄さを引っ込めて膝を付き、手に持っていた物を彼女へと差し出す。
 それを見て、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「小筆・・・?」
「私が彼に"貸していた"物です。これしか、残っていなくて申し訳ありませんが・・・傍に置
 いていただけませんか。」
 彼女の目が大きく見開かれる。彼女もまた、絽望の意図に気付いたらしい。
 そうして震えながら彼女がそれを手にするのを、絽望はただじっと見つめていた。

「・・・・・・ずっと、空に、祈りを捧げていました。」
 他に祈るものがなかったから。
 彼のものは何も残らないと思っていたから。

「ありがとうございます・・・・・・」
 大切そうにそれを胸に抱いて彼女は涙を流した。





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(後) 汀夕鈴

 ことりと、窓辺に小筆を置く。

 これしか残らなかった。
 これだけは残った。

 たった一つだけのそれの横に、先程摘んできた花を添えた。

「・・・・・・・・・・・・」
 声に出さずに彼の名を呼ぶ。
 他の誰が忘れても、私だけは覚えていようと思った。


「夕鈴?」
「っあ、陛下! 気付かなくてすみません!!」
 背中にかけられた声に弾かれたようにふり返る。
 きっと呼ばれたのに聞こえていなかったのだろうと、慌てて彼のところに駆け寄った。
「まだ日も暮れてませんけど、何かありーーー」
「・・・泣いていたのか?」
 徐に頬に手を添えられたかと思ったら上向かされる。
 そうして覗き込まれる距離が近すぎで慌てた。
「え、あ、いえっ これは・・・目にっ目にゴミが入って痛かったんです!」
 泣いていた理由なんて言えない。
 あの人を悼むのは私が勝手にしていることだ。
「・・・そう。」
 誤魔化したことにはとっくに気付かれているのだろう。
 飲み込んだ言葉の代わりに向けられた悲しげな顔に、胸がぎゅっと締め付けられた。
「大丈夫?」
「はい。もう涙と一緒に流れてしまいましたから。」
 私はちゃんと笑えているだろうか。

 騙されて欲しいと思う。
 私が勝手にしていることに、優しい貴方を巻き込みたくはないから。

「・・・夕鈴」
 不意にぽふっと抱きしめられる。
「へ、へへへへいかっ!?」
 脈絡がなさ過ぎて飛び上がるくらいに驚いた。
 ・・・離してはもらえなかったけれど。
「私は謝らない。」
「っ」
 その一言だけを吐息のように呟いて、彼は息をのむ私をぎゅっと強く抱きしめる。
 それが陛下の答え。ならば、私に言えることは他にない。
「・・・陛下が謝るようなことは何もありませんでした。だから、謝らなくて良いと思います。」
「君は、私を恨むか?」
「いいえ。」

 陛下を恨むなんて、そんな気持ちは全くなかった。
 あの人は自分で絶望して死を選んで、私は勝手に悼んでいるだけだ。

「・・・君は蘇秦を好きだった?」
「・・・・・・あの人は私です。」
「君はそればかりだね・・・・・・」

 その時の陛下の表情は、抱きしめられたままだったから見れなかった。









*









 あれから、同じ季節が幾度も巡った。
 本当にたくさんのことがあったと思う。
 私達は 一度は別れて再び巡り会って。そして結ばれた。

 貴方を愛して、・・・貴方に愛されて。
 ―――そして気づいてしまった。自分の過ちに。


「何を見ているの?」
 髪を浚う風に手を伸ばしていると、いつの間にか隣に陛下が立っていた。
「空を。・・・今日もいい天気だなって。」
 空を見たまま答えれば、彼も同じ方を見て「いい天気だねぇ」と笑う。
 遠くて遠くてつらかった距離、今はこんなに近い。

「―――――」
 しばらく陛下の横顔を眺めていたけれど、不意に夕鈴からぎゅうと抱きついた。
「夕鈴?」
 目をぱちぱちと瞬かせながらどうしたのと陛下が聞いてくる。
 こんなことは本当に珍しいことだからだ。
「ごめんなさい」
「何が?」
 謝っても彼は全く心当たりがなさそうだった。
 心底不思議そうに聞き返されてしまう。
「たくさんありますけど・・・ 今日は、貴方を傷つけた過去に。」

 どんなに季節が巡っても、あの日のことは忘れていない。
 特に今の季節は、あの人の最期を思い出す。

「・・・蘇秦さんを覚えていますか?]]
 声には出さなかったけれど、陛下の身体が僅かに強張った。
「あの人のことで、陛下に言っていないことがあります。」

 言わなかったことで、陛下を傷つけていたことに気がついたのは最近のこと。
 あの頃は、陛下が私のことをどう思っていたかなんて知らなかった。
 知らなかったから傷つけたことにも気付かなかった。

「あの人は私・・・あの人は"狼陛下の妃"を、私は"陛下"を好きでした。どちらも叶わぬ恋で
 した。」
 陛下の方を見上げると、彼は驚きに目を見張ってこちらを見ている。
 あの頃言えなかったことを今初めて言った。驚くのも無理はない。

 あの頃の私はバイト妃で、どんなに陛下を好きでも叶わないと思っていた。
 そんなことを陛下に言うことはできなかったから。だからあれ以上何も言えなかった。

「幻を愛して叶わぬ恋に絶望して、あの人は望んで命を絶ちました。]]
「・・・あの男を殺したのは私だ。」
「違うんです。あの人はわざと刺されました。本当は、私を殺す気なんてなかったのに。」
 全てを話すとなると自分の気持ちも言わなければならなかったから何も言えなかった。

 言わなかったことでどれだけ傷つけただろう。
 あの人を悼んで沈んでいた私を見て、どれだけ苦しめてしまっただろう。

「ごめんなさい。陛下に罪を被せてしまったことにずっと気づけなくて・・・・・・」

 あの日あの場で陛下の手にかからなくても、彼は反逆者の一族として命はなかった。
 死に場所をあの人は選んだだけで、陛下は巻き込まれただけ。

『君は、私を恨むか?』
 あの言葉にあの時返すべきだった言葉は。

「陛下を恨んだりしません。あれはあの人が選んだ道ですから。・・・私が好きなのは陛下で、
 彼に自分を重ねてしまっただけです。」

 今なら言えるのに。
 あの時は傷つける言葉しか言えなかった。

 何度謝ってもあの頃に戻ることはできないけれど。
 今はあの頃の分まで謝ることしかできない。

 けれど、ごめんなさいともう一度謝ろうとした言葉は、重ねられた唇の中に溶けていった。




2018.1.2. UP



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第2部に入って本物夫婦になったので日記にアップしたものです。
「不可侵の花」を書いた当時は、2人が両思いにならないと続きを書けないと言っていたので。
最後まで明るい話ではなかったなぁ
そして普通に紛れ込んでいる絽望さんw
 


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