鈴蘭 -エピソード0-




「夜逃げ!? しかも借金の肩代わりをしてた!?」
 寝耳に水のとんでもない出来事に、夕鈴は叫ばずにはいられなかった。
 その剣幕に父は身を竦めて小さくなる。
「だってすごく困ってたし… まさかこんなに大きな額だとは思わなかったんだよ…」

 父曰く、同僚が多額の借金を抱えており、それ以上は借りることができなかったので父の
 名でお金を借りたとのこと。
 借りるのは足りない分だと聞いていたので、大した額ではないと思って「良い」と言って
 しまった。
 そして先日、その同僚が先日夜逃げしてしまったらしい。
 そのためその借金返済の催促が父にきたのだが、その額があり得ないほどに高かった。

「こーゆーとこは利子が有り得ないくらいに高いのよッ」
 父と夕鈴の前には強面のガタイの良い男たちが数人。見た目のままの借金取りだ。
 しかし、怒り心頭の夕鈴は彼らがいるのも構わずに父親を思い切り叱りつける。
「だからホイホイと安請け合いしちゃダメだって言ったでしょう!?」
 父はいっつも厄介事ばかり持ってくる。
 深く考えずに行動するからこんなことになるのだ。
 そしてそれをどうにかしなければならないのはいつも私。


「簡単だ。」
 男達の中で一番前にいた―――おそらく、一番偉い男が口を開き、反射的にそちらを向い
 た。
「そこの娘1人売ればすぐに返せるだろ?」
 そう言って、男は夕鈴を眺めるように上から下までじっと見る。
 値踏みするような視線が嫌で、ちらりと見ただけですぐに逸らした。
「そ、それだけは…!」
 隣の父はその言葉に狼狽えるが、男は非情に告げる。
「じゃあどうやって返す気だ? こっちも商売だ。長くは待たねぇぞ。」

 ―――彼らの言い分も分かる。
 金貸しは嫌いだけど、言ってることは間違ってない。



「3日待って。」
 夕鈴が男と目を合わせると、彼は面白いといった風に口端を上げた。
「へぇ。どうにかなるのか? 逃げようなんて考えんなよ?」
「誰も逃げやしないわよ。私だって今初めて聞いたのよ。少しぐらい考えたいわ。」
 自分より頭一つ分は大きい男をギッと睨みつける。
 内心は絶対見せない。震える指は拳を握り込んで隠した。

「―――強い女は好きだぜ。分かった、待ってやる。」
 男は機嫌良さげにニヤリと笑う。
 彼は3日後にまた来ると言い置いて、後ろの男達をつれて帰っていった。








「夕鈴…」
 おずおずと父が夕鈴の顔を覗き込む。

 決して頼りがいがあるとは言えない父。
 いつもいつも厄介事ばかり持ってきて夕鈴や青慎を困らせる。

 …でも、夕鈴はそんな父を嫌いにはなれなかった。

「ほんっと、人が好いんだから。」
 どうせ断りきれなかったんだろう。自分の父親のことだから、それくらい分かる。
 仕方ないなと肩を竦めると、父は意外なものを見たようにちょっとだけ目を見張った。
「お、怒ってない?」
「賭け事の借金ならはっ倒すけど。これは仕方ないわよね。」

 父が全て悪いわけじゃない。
 だから、父を責めるものでもない。


「ちょっと出かけてくる。」
「どこに?」
 外に向かう夕鈴を父が不思議そうに呼び止める。
 それに応えて振り返って、毅然と告げた。

「―――3日後に迎え撃つための準備よ。」

























「―――アンタに聞きたいことがあるのよ。」
 夕鈴が訪れたのは几鍔の家だった。
 部屋で寛いでいた彼のところに無遠慮に乗り込んで、開口一番そう告げる。
「あん?」
 窓際にいた几鍔はそこから動かず顔だけ向けた。
 いきなり部屋に入ってきたことには特に文句はないらしい。

「ねえ、私を売ったら本当に借金って返せるの?」
「はぁ!?」
 さすがに流せる言葉ではなかったのか、几鍔が珍しく素っ頓狂な声を上げた。
「ちょっと待て。最初から説明しろ。」








「……結論から言えば、返せる。」
 夕鈴の話を最後まで聞いて、少しの間の後で几鍔は欲しい答えを最初にくれた。
 夕鈴的にはそれだけ聞ければ良かったから帰ろうとしたけれど、立ち上がる前に呼び止め
 られる。
「ただな、他にも方法はあるだろ。」
「何よ?」

 今回は額が半端無いからバイトでは補えない。
 他に方法があるとは思えなかった。

「うちで借りれば良い。都合は付けやすいだろ。」
 ああ、そういえばこの男の家は金貸しだった。利子は普通だけど。
 けれどそれは最初から除外していた。
「借金を借金で返すの? 嫌よ。」

 ―――何より、この男に借りを作りたくはなかった。
 返せることを教えてくれただけで十分だ。

「お前、意味分かってんのか? 借金は返せるだろうが、お前は2度と家に帰れない。」
「ッ」
 思ったよりも真面目な顔で言われて夕鈴は息を飲む。
 …考えないようにしていたことを真正面から言われてしまったから。

「分かってて、それでも選ぶか?」

 言葉を受け止め1度目を閉じる。でもそれは視線から逃げるためじゃない。
 ゆっくりと目を開けて、几鍔の瞳と相対した。


「―――良いわ。私の願いは1つよ。それが叶うなら構わない。」
 夕鈴の願いは、望むことは1つだけ。
 大切な大切な… そのためならどんな苦労も厭わない。

「…ブラコン。」
 言わずとも全てを分かっている几鍔は呆れたようにそれだけ言った。
 それにクスリと笑う。
「それは褒め言葉として受け取っとくわ。」





「じゃあ、それだけ。」
 意思は伝えた、聞きたいことも聞けた。
 もうここにいる理由もなくなったから席を立つ。

「―――金香楼を選べ。」
「へ?」
 几鍔は苦い顔のまま。
 何のことを言っているか分からなくて首を傾げると、彼は深く溜め息をついて頭を掻きむ
 しる。
「あそこなら 王都で1番でかくて、中もマトモだ。」

 どうやら金香楼とは妓楼の名前らしい。
 どうして知ってるのかとか、…それを聞くのは無粋か。


「どうせならこっちに有利な条件で交渉しろ。―――教えてやる。」









・・・・+・・・・










「今度、お前のところに夕鈴という女が来る。」
 久しぶりに顔を見せた男は、突然そんなことを言い出した。


「仲良くしろとは言わない。ただ、見ててやってくれ。」
 その様子から、几鍔がその女を大切にしていることが分かる。
 普段の几鍔はそんなこと言わないし、そんなに優しい男でもない。
 からかうつもりで紫蘭はニヤリと笑った。

「…その娘はアンタの何?」
「幼馴染だ。―――危なっかしくて目が離せない、馬鹿な女だ。」
 答える彼をじっと観察する。
 真意を確かめるというよりは…珍しいものを見てしまったという気持ちで。

 言葉と態度が矛盾していることに気づいているのか この男は。
 馬鹿だなんて口先では言うくせに、心配な雰囲気を隠せずにいる。

「ふーん。苛めても構わない?」
 普段見せないそれが面白くてさらに煽ってみた。
 こんな几鍔は滅多に見れるものじゃない。
「あー 苛めても手応え無いからあんまり面白くないかもな。からかえば楽しいだろうが。」
 今度はけろっとした返事が返ってきた。

 この男の、その女への扱いがよく分かる。
 余程近しい相手なんだろう。そんな女が何故ここに来るのか分からないが。

「そんな大切な子をここへやるのかい?」
 ここがどんな場所か、目の前の男が知らないはずがない。

 ここは妓楼だ。女が身体を売る場所、外見は華やかだが過酷な牢獄。
 1度足を踏み入れたら逃げられる可能性はゼロに等しい。

「アイツは昔から言い出したら聞かない。気が済むまで止まらないからな。」
 几鍔は呆れた溜め息付きでぼやく。
 この男でも止められないとは と、少し興味を持った。
「…それで"ここ"へ、ね。過保護だね。」

 他の妓楼とは違うところ、ここには紫蘭がいる。
 余程その女が大切なんだろう。…本当に、胃が焼けるくらいに。

「馬鹿だからな。」
「アンタが?」
「何で俺だ。アイツがだ。」
 おいとツッコミを入れられるが、自分の言うことは間違ってないと思う。

 だって馬鹿じゃないか。
 そんなに大切なのに、何故ここに来ることを止めない?


「…まあ見ててあげるさ。アンタの大事な幼馴染だからね。」

 几鍔が大切にしている幼馴染。几鍔が止められないほど意志が強い女。
 一体どんな娘なのだろう。

 早く会いたかった。





















 ―――その娘は本当に変わった子だった。


 他の少女達は表情も暗く、中には泣いている者もいるというのに。
 ただ1人、彼女だけは背筋を伸ばし、瞳には強い光をたたえていた。



「だから、この子を休ませてあげて下さいって言ってるんです。」
 紫蘭が様子を見に来た時、1人の少女の背を支えて彼女は楼主にかみ付いていた。
「彼女は熱があるんです。」
「…買われた身のわりに態度がでかいな。」
 楼主の低い声に周りの少女達の方がビクリと肩を震わせる。
 けれど彼女だけは平然とそれを受け止め、なおかつ睨むように楼主を見ていた。
「私達は商品なんでしょう? 使い物にならなかったら意味がないじゃないですか。」

 彼女の言う通りだ。
 思わず楼主も言葉を詰まらせる。


「……」
 黙って成り行きを見守るつもりだったが、そろそろ紫蘭が出て行った方が良いだろう。
 ただの雇われ楼主の彼は元々そんなに強い男ではない。
 こんな風に言われることもないから、相手になるのは難しいだろう。
 ボロが出る前に助け船を出してやるべきかと思った。


 ……そんな風に思いながら、でも、きっと本当の理由は違っていた。



(…元気な娘だ。そして面白い。)
 純粋に彼女に興味を持った。
 彼女が、几鍔が言っていた女なのだろうというのも分かっていたけれど。
 けれどきっと、それがなくても紫蘭は彼女に興味を持った。






「―――お館様。その娘、私にくれないかい。」
 凛と響いた声に楼主がふり返る。
 少女達からは見えなかっただろうが、彼は紫蘭を見るとホッとしたような顔を見せた。
「紫蘭。何故この娘だ?」
「その威勢の良さが気に入ったのさ。」


 見守るだけで良いと几鍔は言った。だから紫蘭もそのつもりでいた。
 だが、彼女の彼女らしい部分を消してしまいたくはないと思ったのだ。
 その為なら、自分の傍に置いておいた方が良い。


 突然現れた紫蘭に、彼女はぽかんとしている。
 その彼女の前まで行って、形の良い顎を指先で掬って上向かせた。

 取り立てて美人ではないが可愛い方ではある。
 それに、この子は磨けば光る素材だ。育てるのも面白いと思った。


「あ、あの…ッ」
「―――私は紫蘭。」
 戸惑う彼女に艶やかに笑む。


「今日からアンタは私の妹だ。誰もが惚れる、最高の妓女にしてやるよ。」







2012.5.11. UP



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前半は、夕鈴と兄貴の会話まで。
夕鈴は夕鈴で、兄貴が兄貴な、そんな話です。

後半は紫蘭視点で、兄貴と夕鈴をそれぞれ。
姉さんが微妙に妬いてますが、兄貴のあれは父性です(笑)

長々とスミマセンでした〜




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