鈴蘭 -後日談1-




『青慎へ』

 それから始まる長い手紙。
 伝えたいことがたくさんあったから、思いつくまま書いてしまった。
 心配しているであろう弟に、大丈夫だと伝えたくて。

 今は金香楼ではなく別の場所で働いていること。
 その人が許してくれたからこの手紙が書けていること。

 会いには行けないけれど、いつも家族を思っていること。
 青慎が官吏になることを楽しみに待っていること。
 父に、身体を大事にして欲しいと伝えて欲しいこと。

 ―――几鍔に、私は大丈夫だと伝えて欲しいことも。

 手が疲れるくらいに長い長い手紙を書いた。


 そんな夕鈴を見て、一度に書かなくても良いのにと 陛下は笑っていたけれど。
 だって今までは几鍔に話を聞く以外に方法がなかったから。だから、早く伝えたかった。















*















「おい、夕鈴はどうした!?」
 会った途端に肩を掴まれ、几鍔が怒鳴るように聞いてくる。
 …それで、彼もあの子がいなくなったことを知ったのだと気づいた。

「―――行ってしまったよ。」
「は? どこへ!?」
 遠い方を見て端的に告げる。
 声を荒らげる彼とは対照的に、何の感情も沸いてこないかのように静かな声で。
「あの人の元へさ。…きっともう戻ってこない。」
「っ!?」
 誰のことを言っているかは、几鍔にも分かったようだった。


 一度手に入れたものを、あの人が離すわけがない。

 やっぱり、連れ去って行ってしまった。
 私があの子をどれだけ大事にしているかを知っていて。…それでもあの人はあの子が欲し
 がった。
 ―――そして、私から奪っていった。


「…最初から分かってた。だから、会わせたくなかったのに。」
 どんなに請われてもずっと隠し続けていた。あの人にだけは見つかりたくなかった。
 あの晩のことさえなければ… 今も後悔は尽きない。


 私達は似ている。だから彼の心が手に取るように分かった。
 私達が持っていないものを持っているあの子に、彼もまた惹かれないはずがなかったのだ
 から。


「私なんかが勝てるわけなかったんだ…」
 らしくなく落ち込んでいる自分がいる。
 どれだけあの子に依存していたか、今になって深く自覚していた。

 いつだって、支えられていたのは自分。
 あの子は恩返しがしたいと言っていたけれど、本当は返すべきは紫蘭の方だ。


「悔やんでも今更だけどさ…」
「……蘭?」
 そんな紫蘭の様子に几鍔も一線を忘れたようだった。
 思わず漏れ出たその名前に苦笑いする。
「―――そう呼ぶのはアンタとあの子だけだったね。」


 その名で呼ぶことを許したのは2人だけだ。
 1人は過去を知る故に、1人は過去も知らないままに。


「…ここは、本当に手に入れたいものは手に入らない。」
 目の前の男に手は伸ばせないし、あの子はいなくなってしまった。
 深く息を吐いて相手の胸に頭をもたげる。
 几鍔はそれを受け止めて、よくあの子にしていたようにポンと頭を叩いてくれた。
「嫌なら止めりゃ良いじゃねーか。お前は"違う"だろ?」
 全てを知る彼は、そんな風に返してくる。


 …確かに彼の言う通りだ。

 紫蘭は普通の妓女ではない。
 父から継いだ本来の仕事は裏の情報屋であり、妓楼は隠れ蓑として利用している。
 妓女をしているのは、ここの方が情報も得やすく、そして妓楼は密談にも利用できるから
 だ。

 ただしほとんどの者はそのことを知らない故に、表向きは一介の妓女でしかない。
 そのための制約が時に歯がゆいところもあった。…あの子を守りきれなかったこともその
 一つ。

 ―――それから、当代の"紫蘭"にはもう一つの地位がある。
 それは母から受け継いだこの王都の妓女達―――そして妓楼を束ねる者としての名だ。
 逆らえば、どんな身分の男だろうと関係なく色街から追い出されてしまう。



 紫蘭は普通の妓女とは違う。

 だから、辞めようと思えば辞めることはできる。
 誰かに継いでもらえば良い。
 自分はたまたま両親から継いだだけで、血に固執する必要もない。

 けれど、今はまだその気はなかった。




「…それは嫌。対等じゃなくなるから。」
 辞めない理由はそれだけだ。
「誰と?」
「さあね…」

 あの子によく似て鈍い男にもたれたままで、紫蘭は自嘲に近い笑みを隠した。




2012.5.11. UP



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…蘭姉さん、ひょっとして几鍔が好きなのかな?
そして兄貴…!鈍い!!
兄貴と夕鈴って兄妹みたいで根本が似てると思います。
兄貴は、青慎から手紙のことを聞いてすぐに紫蘭のところにすっ飛んできたようです。

もう一つの後日談は、もう少し時間がかかります! すみませんっ(>_<)



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