鈴蘭 -後日談2-




「夕鈴殿。」

 ある日、陛下の側近の李順さんから話があると呼び出された。
 陛下抜きで話をしたいのだという。

 改まって何だろうと不思議に思いつつ、断る理由もないので夕鈴はそれに応じた。




 後宮に近い庭園の四阿で向かい合って座り、用意してもらったお茶を飲む。その間はしば
 し無言。

(本当に何なのかしら…)
 大きな失敗もした覚えはないし、思い当たる節は特にない。
 …まあ、失敗するほど何もしていないというのが正しいのだけど。


「一つ、貴女にお聞きしたいことがあるんですが…」
 ことりと茶杯を置いた彼が顔を上げる。
 何を言われるのか… 真剣な眼差しにどきりと心臓が鳴った。

「―――陛下とはどこまでいかれてますか?」
「!!?」
 飲みかけていたお茶を思い切り吹き出す。
 次いでゲホゲホとむせてしまった。

「突然すみません。ですがこれは非常に繊細な問題ですので。」
「その割にぶっちゃけてた気がしますが…」

 涙目になったのを、とりあえず深呼吸で落ち着ける。
 どういう意図で聞かれたのか、少し考えて。


「…金香楼でのことをカウントしないのなら、どこにもいってません。」
 夕鈴は正直に答えた。


 臨時花嫁として後宮に来てから数ヶ月が経つが、陛下とは一度も肌を重ねていない。
 それどころか彼は泊まりさえしていなかった。
 陛下が訪れる頻度は少なくないけれど、たいていお茶を飲んでおしゃべりして、ある程度
 時間が経ったら自分の部屋に帰っていく。
 その繰り返し。それ以上のことは何もない。


 ―――掟破りの男に襲われて、抱きしめてくれたあの夜から、陛下は私に触れていない。
 触れないのはあれが理由なのか、それともここが妓楼ではないからなのか。

 …分からないけれど、唯一分かるのは、陛下は私を抱かないということ。



「それなら良いです。世継ぎ問題にでも発展してもらっては困りますから。」
 夕鈴の答えは彼には満足するものだったらしい。
 ふと笑みを見せられて、…逆に夕鈴の心は冷えた。


 釘を刺された気がした。
 己の立場をわきまえろと。

 ―――分かってる。私は妓女。
 いつかここを去る臨時の花嫁だ。

 この人は、それを望んでいるのだろう。




「李順さん、大丈夫です。」
 私は陛下の言葉を真に受けてはいない。

 会う度に増える花と、囁かれる甘い言葉。

 あの人は本気だと言った。
 けれど、たとえあれが本気だとしても、一過性のものだと思う。


 あの人は聡い人だ。
 自分がどうするべきかをちゃんと知っているはずだから。
 ―――最後には、正しい道を選ぶ人だと思うから。


「私達はプロです。そのようなことにはなりません。―――だから"私"を雇われたのでは
 ないのですか?」
 にこりと笑顔で告げる。軋む気持ちを裏に隠して。
「ですから、夜のお相手も陛下が望むなら致しますけど。」

 …本当は、仕事にはそちらも含まれるのだと思っていた。
 普通の娘ではなく妓女を選んだのはそういう理由なのだと。

 けれど陛下は触れないし、李順さんはそれをあまり良く思っていないようだ。
 だったらどうして"私"を選んだのか。それがよく分からない。

「…そちらの心配はなさらなくて結構です。」
 笑顔の夕鈴に対して、彼は苦い顔をした。


「貴方は、ここにいてくださるだけで良いんです。」

 ―――周りがそれを望むなら、私はそれを受け入れるしかない。
 それもプロとしての役割だ。

 だったらと、もう何も言わずにいた。







 後宮へ帰る彼女の背中を見送りながら、李順は彼女の先程の言葉を思い出していた。

(アンバランスな方ですね…)
 陛下の言葉に素直に赤くなりながら、ああいうことをあっさりと言ってくる。
 不思議な少女だと思った。


 本当は妓女でなくても良かったのだ。
 陛下が彼女が良いと言っただけ。
 自分で見極め、信頼しても良いと認めたと。

 ―――それだけではないのも薄々は感じている。
 陛下の執着が普通でないということも。

 だから彼女の方に釘を刺したのだが。
 こちらは逆に物わかりが良すぎて怖い。


「この策は早まったかもしれませんね…」
 李順は深く溜息をついた。




2012.5.28. UP



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ギャグに見せかけたシリアスみたいな。
何だか話が長くなってきたので一度切ってしまいました。
しかも陛下出てないという。まあ、次が陛下メインなので。

というわけで、この話を前置きとして、黎夕編を完結編として書いてます。
ので、もうしばらくお待ちくださいませ〜



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