夢に咲く花 2




「もう戻られますか?」
 昼間の約束通りに会いに来て、彼女と他愛もない話をしていた。
 2人が座る長椅子の前の卓には水仙の花。律儀な彼女は本当に用意してくれていた。

 話の区切りがついた頃、彼女がそう声をかけたのは、いつも黎翔が部屋に戻る時間だった
 からだ。
 普段ならうんと頷き立ち上がるところを、けれど今日はそうしなかった。

「…いや、今夜はここに泊まる。」
「へ…?」
 黎翔の言葉に彼女は戸惑った表情をする。
 それも当然の反応だ。―――今まで、ここに泊まったことなどなかったのだから。

「へい… っ!?」
 軽い彼女をひょいと抱き上げる。
 そうして足を奥の部屋へと向けた。

「え、あのッ 泊まるって…っ」
「無論、君と共に寝るという意味だが?」
「!!?」


 彼女が目を白黒させているうちに、目的の場所に難なくたどり着く。
 そうして兎が抵抗し出す前にさっさと寝台に下ろして縫い止めた。


「っ 陛下…!?」
 意図に気づいた彼女の表情が変わっていく。
 それにも構わず、帯に手をかけするりと解いた。

「やっ…」
 抵抗は弱く黎翔の手を阻めない。
 薄い夜着を一気に開いて、彼女の肌を目の前に晒した。


「……いつからだ?」
 彼女を見下ろし低く問う。

 白い肌に散る無数の紅い痕。やはり見間違いではなかった。
 昼間、昨夜の噛み痕を見つけてからの疑問は、たった今証明されてしまった。


 ―――つまり、あれは夢ではなかった。



「…何故?」

 何故私が君を抱かなかったか。…抱けずにいたのか。
 何故、君は抵抗しなかったのか。



「―――陛下が、お疲れのご様子だったので。」
 黎翔の疑問の答えとして、彼女は予想外の言葉を口にした。
「ぐっすり眠っていただけたらなと思ったんです。」

 確かに、寝覚めはすっきりしていた。
 いつも以上に頭も冴えた。

「蘭姉さんに手紙で相談して、教えてもらったんです。それで、よく眠れるお茶と人肌が
 あれば良いって…」






『初めての味だね。』
 自分の言葉を不意に思い出す。

 確かあれが最初に"夢"を見た夜。
 あの時、彼女は何と言っていた?

『頂き物なんです。疲れがとれるそうですよ。』







「…あれか。」
 その後も何度か飲んだ記憶があって、それと"夢"が一致する。
 そして今まで気づかなかった自分に驚いた。

(しかし、この私に一服盛るとは…)
 何とも恐ろしい娘だ。
 彼女が刺客なら、確実に私を殺せる。

「素肌が良いって聞いたので…それで、あの……」
 しどろもどろに答える彼女の話を要約すると、つまり紫蘭のアドバイスをそのまま実行し
 ただけとのこと。
 素直な彼女らしい。
 …紫蘭がどういう意図でそう言ったのかは甚だ疑問であるが。
「……まさか、ああいうことになるとは思ってませんでしたけど。」
 ほんのり顔を赤らめる彼女とは対照的に、自分の頭はさっと冷えた。


 ―――自分が彼女に触れずにいたのは、、


「でも、あれで陛下が元気になられたようだったので… それならと思って、何度か同じこ
 とを」
 黎翔が手首を掴む手に力を入れたことで彼女は言葉を途切れさせる。
 痛いとは言わずに、ただ驚いた様子で。大きな目をさらに見開いて黎翔を見上げていた。

「―――それが"妃"としての仕事だと思ったのか?」
「え?」
 苦しくて息ができない。
 きっと今の自分は、ひどい顔をしていると思う。
 けれど今の自分には、繕う余裕もなかった。
「へい、か…?」
「仕事だから、君は受け入れたのか?」
 戸惑う彼女に畳みかけるように問う。

 "夢"だと思っていたとき、いつも彼女は抵抗せずに受け入れていた。
 その理由が他に考えられない。

 …それが、苦しい。

「そんな割り切った関係なら要らない。だから君を抱かなかったのに。」

 最初に間違ってしまったのは自分だ。そこに言い訳はしない。
 だが、彼女が受け入れた理由がそれならばと思うと胸がぎしぎしと軋む。


「君が仕事だと割り切っているのなら、私は―――」
「違います!」
 強く反論されて驚いた。
 口を閉ざした黎翔を見上げる瞳は確固たる意志を持ち、どこまでも澄んでいて強い。

「嫌だったら最初の時に止めてます。李順さんもそれは仕事ではないと言いましたし。」
 つまり、仕事で受け入れたわけではないということだろうか。
 都合良く解釈してしまうとそうなってしまうのだが。
「ただ、私は陛下が元気になられるのならと…」
「……」
 彼女の言葉は意味がはかりかねる。
 知りたいのは、彼女がどういう気持ちで受け入れたのか。

「……君は善意で抱かれるのか?」
「!? そんなわけないじゃないですか!」
 弱気で聞いた問いかけに、彼女は思いきり言葉で噛みついた。
「陛下だから大丈夫だったんです! 他の誰にもこんなことできません!!」
 勢いづいて続いた言葉に、今度こそ黎翔は言葉を失った。


(……今この状況でそれを言うのか。)
 自分で何を言ったのか、分かっているのかこの娘は。


「―――それは私を誘ってるのか?」
「え!?」
 強く押さえつけていた手の力は緩み、撫でるように柔らかく白い腕を辿る。
 もう一方は指を組んでぎゅっと握りしめた。
「愛しい相手にそんなことを言われたら、男は黙っていられない。」
「!! え、いや、そういうつもりは…!」

 ああ、やっぱりなとは思う。
 けれど落胆はしなかった。

 まだ私はそれを伝えることを許されると分かったから。



「―――夕鈴、改めて言う。私のものになってくれないか。」
 組んだ指を持ち上げて、そこにキスを落とす。
 瞬間的に赤くなった彼女は、けれどすぐに冷静さを取り戻した。

「…それは本物になれと? それ、本気で言ってますか?」
「私はいつでも本気だ。前にもそう言わなかったか?」
 彼女の表情が歪む。けれどそれは、嫌悪ではなく悲しみに近かった。

「…私は、私だけを愛してくれる人が良いです。」
 何故そこでその表情で、それを持ち出してくるのかは分からない。
 それは自分には全く関係のないことだと思ったから。
「ならば問題ない。私には君だけだ。」
「…でも、陛下はいずれ正妃を迎えられるのでしょう?」
 すぐにはその言葉を理解できなかった。

「……え?」
「え?」
 聞き返すと彼女の方からさらに聞き返される。
 ―――彼女の中にある誤解が、今やっと見えた気がした。

「ちょっと待て、夕鈴。どうして私が君以外を娶らねばならない?」
「それが普通ですよね?」
 ひょっとして今までの言葉は本当に本気にとられてなかったんだろうか。
 そこで漏れたのは深い溜め息。
 びくりとする夕鈴の肩を撫で、次いで頬に滑らせ包み込んだ。

「私は君以外要らない。君が唯一だ。」

 こんな甘い声を彼女以外誰も知らない。他の誰にもこんなに優しく微笑まない。
 何故それに気づかないのだろう。

「…それを許されると思ってらっしゃるんですか?」
 私は妓女ですと彼女は繰り返す。
 だから、それがどうかしたのかと不適に笑って返してやった。
「私は王だ。許されるも何もないだろう。」


 私を誰だと思っている。
 誰が、この私に「許さない」などと言える?

 狼陛下に後ろ盾など必要ない。
 嫁の実家に気をつかうなんて真っ平だ。

 私に必要なのは、ただ"彼女"であるというだけだ。


「他に理由は?」
 他に理由があるのならば、今ここで全て聞こう。
 そしてその全てを否定してみせれば良い。
 そうすれば、君は私を受け入れざるを得なくなる。

「……借金がある嫁なんてダメでしょう。」
「私が払」
「ダメです。」
 言い終わる前に即却下された。
 どんなときも変わらない彼女らしさにくすりと笑う。
「だったら待つ。」
 彼女のためならいつまでも待てる自信があった。


 手首の内側に口付け、紅い痕を残す。
 これは私のものだという所有の証。

 その痕を丹念に舐め口で食む。
 引こうとするのを逃さずに、逆に引き寄せニヤリと笑う。
「…早くしないと食われるぞ?」
「っ」
 途端に彼女の顔からポンと湯気が出た。
 それに気を良くして、もう一つ。また一つ。

 白い肌に新たな花が咲く。
 咲く度にぴくりと震えるだけで止められることはない。


「止めないということは――― 君の気持ちはここにあると思って良いんだな?」
 さっきから一度も彼女の気持ちを理由には持ち出されていない。
 そこを言われれば、諦め…ることはできないが、今だけ引くことはできる。

「………」
「沈黙は肯定だ。」
 はっきり言ってやると彼女はぐっと詰まった後に、―――小さく小さく頷いた。


「―――!」
 その時の、心の震えをどう表現したら良いだろう。
 けれど言葉で伝えるより何より先に、唇を塞いでしまった。




「んっ ぁ んん…っ」
 夢中で求める自分に必死で応えようとする彼女がいじらしい。
 彼女のものであれば全て欲しいと、さらに奪えばさすがに苦しくなったのか、胸を強く叩
 かれた。


「た…ッ、食べられるかと…っ」
 ようやく解放され、息も切れ切れに涙目で訴える夕鈴に黎翔は笑う。
 彼女は今まで手加減していたことに気づいただろうか。
「もちろん食べる気だ。」
「…ッッ」
 真っ赤になって狼狽える夕鈴が可愛くて、熱を持った頬を軽く啄む。
 そうして気を抜いたところで、今度は耳朶を食んで。
「―――覚悟した方が良い。」
 強い言葉で宣告すると 彼女は身体を強ばらせた。


 初めてではないのに、初めての夜のようだとこっそり笑む。
 ここから始めるというのなら、今日が本当の初夜なのかもしれないが。

 ―――ああ、そうだ。今夜が2人の初夜なのか。






「愛している。」

 何度伝えても足りない。
 もっと良い言葉はないだろうかと思う。


「夕鈴、」


 この想いをもっと上手く伝えられないだろうか。
 溢れる想いを余すことなく伝える術はないだろうか。


 君の全てが愛おしい。



 ようやく君を手に入れた―――













*
















「お妃様。」
 部屋の外から控えめに声がする。
「…お妃様?」
 次いで訝しげな声と、部屋を隔てる垂れ布がシャランと音を立てて落ちる音。
 誰かが中に入ってきた。


「…ああ、もう朝か。」
「!?」
 侍女が夕鈴を起こしに来たのだと気がついて、気怠い身を半分起こす。
 そうして目が合うと、相手は真っ青になってその場に平伏した。
「も、申し訳ありません! 陛下がいらっしゃるとは思いもせず……」
 気の毒に、彼女の声は震えている。
 とんでもないことをしてしまったのだと思っているらしかった。
「良い。ただ、もう少し寝かせてやってくれないか。昨夜は少しばかり寝たのが遅かった
 からな。」
 上に何も纏っていない黎翔と、加えてその言葉。
 2人の間に何があったのかは一目瞭然だ。
 さらに寛大な態度と機嫌が良いことを含めれば、ここで彼女がとるべき行動はたった一つ
 だけ。

「はっ はい!!」
 つまりまだ2人きりの時間を過ごさせろという黎翔の意志を酌み、急いで返事をした彼女
 は慌てて寝室を出ていった。





 これで彼女の睡眠時間は確保された。
 同時にこのことは王宮中に広まってしまうだろう。

 黎翔は別に構わない。むしろ願ったりだ。


「さて、この状況を君はどう思うのかな?」

 一体どんな反応をしてくれるのか。
 ぐっすり寝入る花嫁の髪を撫でながら、黎翔は楽しげに笑った。




2012.6.3. UP



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書けば書くほど長くなり、気を抜くとエロを書きそうになり。
どうにかこうにか軌道修正をして完成しました。
後半夕鈴ずっと真っ裸なんですけど。風邪引きますよ(笑)←そこじゃないだろ

陛下は言わない気なんだろうなぁ。
本当は、臨時花嫁として迎え入れた時点で借金返済済みなんて。
彼女が納得するまで好きなようにさせるんでしょうね。

鈴蘭については書ききった感があるので、とりあえずここで完結です。
何が書きたかったんだろうと思うと、違う出会い方をしてもこの2人は惹かれ合うんだろうなということなのかと。
まあ、単にエロじゃない裏話を書きたかったのかもしれませんが。←
趣味に突っ走りすぎた話でした。
そういう意味でも裏で良かったのかなぁと思います。

ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
下は蛇足的なさらにその後です。




・オマケ・
「全く貴方という方は……」
 くどくどと小言を言う李順の前で、夕鈴は小さくなってひたすら謝っている。
 僕としてはお小言よりも彼女の手の傷の治療を先にしてもらいたいのだが。

「李順。夕鈴も反省してるみたいだし、もう良いだろう。夕鈴の怪我も心配だ。」
 横から助け船を出すと、李順は渋々といったように言葉を切った。
「―――分かりました。夕鈴殿、2度と、木に登るような真似はなさらないでくださいよ!?」
「はいっ すみませんでした!!」
 最後に大きく頭を下げて、彼女は待機していた侍女のところへ急いで向かった。




「……あんな方でしたか?」
 もう少し大人しかったイメージがあると李順は溜息をつく。
「こっちが本来の彼女らしいよ。」

 それは最近知ったことだ。
 少しずつ彼女は自分らしさを見せてくれるようになった。
 元気なのは元から知っていたけれど、思ったよりも行動力があるのだと知った。

 王宮での振る舞いについては紫蘭に叩き込まれたらしい。
 今まで見せていたのはその部分。今の彼女が本当の姿。


「―――可愛いよね。」
 そう言ってにっこりと微笑むと、李順は嫌そうな顔で再び息を吐いた。



陛下はどんな夕鈴でも良いんですねvv
というオマケでした(笑)



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