初恋の行方 -凛翔編-




[ 5.20才『初恋の行方』 ]


 可愛くて愛しくて、大切な大切な妹が、もうすぐ結婚する。
 初恋をついに実らせて、、、

 ―――それと同時に、凛翔の初恋も終わりを迎えた。


「おめでとう、鈴花。」
「ふふ。ありがとう 兄様。」
 かちんと瑠璃色のグラスを合わせる。
 人払いは済ませた後なので、ここには2人以外に誰もいない。
「ついに李順の不正を暴くことはできなかったな。」
「もう。有りもしない罪は作れないわ。」
「…そうだな。」
 鈴花が膨れて凛翔が笑う。

 笑えている。
 胸の痛みも感じない。

 2人きりでいて緊張しなくなったのはいつからだろう。
 かつてあれほど悩んでいた妹への想いはすでに昇華していた。


『まだまだ、なんです…』
 ―――ふと過ぎるのは、泣くのを耐えるような顔。
 鈴花が降嫁しここから出て行くなら、彼女はこれからどうするのだろうか。


「…、それでね。香月は残るの。」
「っ…!!」
 まるで心を読まれているかのようなタイミングだった。
 思わず吹き出しそうになった酒をなんとか飲み込む。
 喉が熱くて痛いが、動揺を悟られたくなくて意地で押し込めた。
「これを機会に結婚を勧めたのだけど、働く方が良いのですって。」
 そんな凛翔の様子には気づかず鈴花は話を続ける。
「仕事に生きるのだと言っていたわ。」

 そうか、彼女は残るのか。
 …彼女はまだ、誰のものにもならないのか。

 安堵する自分がいる。…何も伝えていないくせに。
 そんな卑怯な自分に吐き気がする。

「そういうわけで、兄様付きにしておいたから。」
「は!?」
 まるで今日の天気でも言うかのようにあっさりと、とんでもない爆弾を投下された。
 今度こそ思い切り器の中身を吹き出してしまった凛翔は、口元を拭く余裕もなく鈴花の方
 を弾き見る。
「ちょっと待て 鈴花。普通、そこは母上じゃないのか?」
「お母様のところは足りてるわ。」
 いや、そうだろうけれど…と、それ以上の反論の言葉は封じるしかない。
 納得はできないが。

 …だからそこでどうして「私付き」になるんだ。
 鈴花は私の気持ちなど知らないだろうし。父か母か…他の誰かの差し金か。

「とにかく、香月のことをよろしくね。」
 無邪気な妹は、こちらの気持ちもお構いなしに笑顔で言う。
 …何とも答えられなかった。



 香月との関係は微妙だ。

 私が、鈴花を好きだったことを知っている。
 鈴花の代わりかと聞かれたこともある。

 …それでいて、曖昧な態度の自分のそばにいてくれた。
 それに甘えていたのは自分だ。
 何も言わずに変わらない関係に安堵して放置した。

 そのツケが今回ってきている。
 彼女は今も誤解したまま、凛翔の気持ちなんて知りもしない。

 そんな彼女がすぐ近くに来る。
 簡単に手が届く場所に。


 ―――私は、どうしたらいい?








*








「で、どう思う?」
「…それを俺に言うのか? 俺も一応香月の兄なんだけど。」
 凛翔の腹心の部下という名の、兄貴分兼親友兼悪友の星風は呆れ顔で凛翔を見やる。
 神妙な顔をして相談があると言うから聞いてみれば、予想の斜め上を突き抜けた相談だっ
 た。正直人選を間違っていると思う。
「忌憚のない意見が欲しかったんだ。」
 相変わらず人の話を聞かない相手は至極真面目な顔だ。
 いや、他には相談しにくい話題だというのは分かるし、同年代でこういう話ができるのが
 星風しかいないのも分かるのだが。
「あのさ… 俺が苦労すると分かってる場所に可愛い妹を差し出すと思うか?」
「やはりそうか…」
 正直に言えば、相手は目に見えて凹む。
 それを横目で身ながら星風は溜め息を付いた。
「…今のは兄としての意見だ。お前の友としてなら、俺はお前にも幸せになってもらいた
 いよ。」
 いつものからかい口調を引っ込めて、星風はすぐ横で俯く頭をぽんと叩く。
 香月の兄としての言葉も凛翔の友としての言葉もどちらも星風の本心だ。
「香月がもし、お前と同じことを願うなら俺は反対しないさ。」
「……そこが1番問題なんだが。」
 味方を得て喜ぶかと思えば、凛翔は苦い顔で深く深く息を吐いた。
 事情を知る星風も苦笑いするしかない。
「そうだな。アイツはこれっぽっちも気づいてないからなぁ。」
「誤解を解いていない私も悪いんだが… どうして気づかないんだろうな?」
「お前は割とストレートに行動する方なんだけどな。それが意外すぎて伝わってないのか
 もなぁ。」

 半年前、後宮にいた2つの花は元々の恋人へ下賜という名で戻された。
 それ以降後宮は空のまま。…その意味を妹は知らない。

「どうしろと。」
「俺に聞くなよ。」
「…そうだな……」
 思いきり肩を落とす凛翔を、星風は肩を叩いて慰めてやった。








*









「話くらいは聞いてやるぞ。」
 酒を片手にやって来て意地悪く笑う父に、思いきり変な顔をしてしまった自分は悪くない
 と思う。
 浩大辺りから報告がいったのだろうとはいえ、こちらの心の準備もないままに突然来られ
 ても困るのだが。
 そんなこちらの都合など全く気にせず、父はさっさと長椅子に座って酒瓶を開け始める。
 凛翔も諦めてそちらへと足を向けた。

「急に何なんですか 一体…」
「まあ、気にするな。」
 どこまでも軽い返事に、杯を受け取りながら凛翔は深い溜め息を付く。

 母はどうしたのかと聞いたら、今夜は鈴花と過ごすらしい。
 降嫁してしまえば今までのようには会えなくなるからと、父も承諾したらしかった。

 ここで「ああ、単に1人寝が寂しかっただけか…」とは賢明にも言わない。今更だからだ。
 それに自分も誰かに話したかったから、父の誘いに乗ることにした。



「……拷問です。」
 そう呟いて杯の中身を一気に飲み干す。
 酒精が喉を焼く感覚はあるが一向に酔える気はしなかった。
「好きな女性が目の前にいて、手を出さない自信がありません。」

 香月が自分付きになる。…手の届く場所に来てしまう。
 自分がどうするかくらい分かるからこそ危険だと思っている。

「出してしまえば良いんじゃないか?」
 父は簡単に言うが、できればこんなに悩んでいない。
「彼女の気持ちも確かめずに?」
「…言ってなかったのか。」
「香月は私がまだ鈴花が好きだと誤解したままですから。」

 異性として意識されていないのは痛いほど分かっている。
 …だからこそ近くにいてくれる面もあるのだが。

「誤解を解いたとしても彼女が応えてくれるとは思いません… 仕事に生きると言って残っ
 たと聞きました。」
「―――言葉の通りではないのかもしれない。と、考えたことは?」
「え?」
 思ってもみなかった考えに、凛翔は弾かれたように顔を上げる。
「この王宮に好きな男がいて、ここを出たら2度と会えなくなるからと留まっているとし
 たら?」
「相手の男を殺しそうです。」
「…そこは私似か。」
 即答したら苦笑いされた。
「まずは自分の気持ちを伝えることだ。言わずに行為を押しつけるのは公平ではないから
 な。」
 父の言葉を心の中で反芻し、自分の行動を思い返してみる。

 偶然を装って贈り物を渡したことは何度もある。彼女に近づく男を牽制したこともある。
 だがそこで己の気持ちをはっきりと伝えたことはなかった。
 …気づかれなくても当然かと反省するしかない。

「…ですが、本心ではない答えを強要することにならないでしょうか。」
 フられて気まずくなるのは構わない。―――というか、諦める気はないから振り向かせる
 努力をすればいい。
 けれど、立場上逆らえずに「是」を強要してしまわないかが心配だ。きっと自分はそれに
 気づかず浮かれてしまう。
 そう言ったら今度は声に出して笑われた。
「あの娘がそんな遠慮をすると思うか?」
「―――思いませんね。」

 そうだ、相手は香月だ。
 幼い頃から、否、彼女が産まれたときからそばにいる。今更身分だ何だで遠慮するような
 仲でもない。

「分かりました。明日から始めます。」
「その意気だ。」

 いい加減焦れったいと周りに思われ、その代表として父から発破をかけられたことを、
 そのときの凛翔は気付いていなかった。



















 思い立ったら即行動に移すのはたぶん血だ。
 迷いが消えた凛翔は、早速翌日から香月を攻めることにした。
 相手はこちらの気持ちに全く気づいていないのだから、長期戦は覚悟している。


(あれは… 香月…?)
 彼女の姿を探していたときに、李順の執務室の近くで香月を見つけた。
 どうやら鈴花が李順のところに行くのについてきたらしい。

 別にそれはいい。よくあることだ。
 問題は、知らない男が彼女の―――香月のそばにいること。


「私ではいけませんか? 私では、貴女の隣に立てませんか?」
 相手の声が聞こえてきたところで思わず足を止めた。
 世間話だけでも腹立たしいというのに、まさか求婚されているところに出会すとは。

 最近香月に求婚する者が増えているとは聞いている。まあ、こんな往来でというのは珍し
 いが。
 男がなりふり構っていられなかったのか、それとも香月がそこを離れないと言ったからか。

「私、は……」
 戸惑うように、迷うように、香月の柔らかな声が答えを出そうと口を開く。


 彼女はどう返事をするのだろう?

 ―――…なんて、悠長に待つ気はない。



「香月!」
「り…太子様?」
 求婚している男の目の前で、驚き振り返った彼女の腰を浚う。
 恋敵相手に遠慮するつもりはなかった。
「君に伝えたいことがある。」
 そのまま小柄な身体を抱き上げて、くるりと男に背を向ける。
 ついでにその男を睨めば青くなっていた。
 この程度の…こんな小者に香月を奪われるわけにはいかない。
「え、あの、まっ、待って下さい! へ…返事を」
 男を黙らせた代わりに香月が声を上げた。
「何の?」
 抱き上げたから少し上にいる彼女をじっと見ると、相手は怯んだように息を飲む。
 そんなに怖い顔をした覚えはないのだが。
 それでもそれで完全に黙ってしまうような香月ではない。
「求婚の、お断りを…」
 承諾すると言っても連れて行くつもりだったが、断るという返事に自然に笑みが零れる。
 別れさせる手間が省けたな、等と黒いことを考えながら。
「だそうだ。聞いていたか?」
「は、ははははい!」
 男の顔色はもう青を通り越していて死にそうだった。

「ならば問題ないな。」
 それだけ言うと今度こそ彼女を連れていく。
 相手は追いすがることもなく、呆けたまま凛翔達がいなくなるまでそこに座り込んでいた。









*








(な、何が起こっているの??)

「え? あの??」
 意味が分からないまま太子様に連れられてきて、すとんと下ろされたのは池の畔の四阿。
 自分を見下ろす彼の表情は複雑そうでよく分からなくて。
「太子、さま?」
 何か言って欲しいのに、何も言ってくれなくて。
 香月もどうすればいいのか分からない。

「―――香月、」
 ふと表情を和らげた彼が自分を呼ぶ声は、とても優しくて…どこか甘かった。

 どきりと胸が高鳴るのも顔が赤くなるのも仕方がないと思う。
 太子様は本当に綺麗な方で、素敵な方で、世の姫君達の理想を形にしたような方なのだ。
 それを前にして平然としていられるのは鈴花様くらいだ。

「香月」
 そんな方が、香月の前で躊躇いもなく膝をつくからとんでもなく驚いた。
「っ太子様!? な、何をなさって…」
「君にまだ言っていなかったことがある。」
 反射的に逃げそうになった香月の手を握って、彼は静かな声で言葉を紡ぐ。
 包み込まれるような優しさなのに握られる力は強く、香月が引こうとしても離れない。
 諦めて座り直せば、彼は少しほっとした顔を見せてからこちらを真っ直ぐ見つめてきた。

「私が好きなのは鈴花じゃない。―――…香月、君だ。」
「……え?」
 思いきり聞き間違いかと思った。
「碧香月。私は君が好きなんだ。」
 それが伝わったのか、再度告げられた言葉も同じ意味で。
「え………?」
「信じないか?」
「いえっ」
 冗談を言うような人でないと知っているから首を振る。
 なにより、真っ直ぐとこちらを見てくる瞳が真実だと伝えていた。

 ただ、予想もしていなかったことだったから驚いているだけだ。
 太子様は今も鈴花様が好きなのだと思っていたから。


「……いつから、ですか?」
 はっきり言って思い当たる節がない。
 太子様はずっと変わらなかった。
 鈴花様を誰よりも大切にしていて、香月には妹のように接していて。
「いつからとはっきりとは言えないが… 初めて意識したのは早く大人になりたいと君が
 言った日だ。」
「それって…」
「かれこれ数年経つな。」
 予想外過ぎて呆気にとられてしまった。

 太子様が覚えていることも驚いたが、あの日のことは香月も覚えている。

 だってあの時、鈴花様を想って苦しそうにしてたじゃないですか。
 あれからだなんて絶対嘘だ。

「嘘…… だって、変わらなかったじゃないですか…」
「君が気づかなかっただけだ。」
「それに、代わりだって、言って……」
「代わりだなんて言っていない。君がそう思うならそれでも良いと言っただけだ。」
 どんなに疑問を並べ立てても、すぐに返事が返ってきてしまう。
 しかも、そう言われるとそうだったと思わせるものばかり。

「…香月、知ってるか?」
 彼が結い上げた髪に触れるとちりんと小さな鈴の音がする。
 太子様が視察へ地方に行く度にお土産としてもらう簪のひとつだ。
「―――男が女に身につけるものを贈るのは、独占欲の現れだってこと。」
「!」
 耳に触れ、唇に触れ、彼は熱を持った瞳でこちらを見つめてくる。
 簪も耳飾りも口紅も、太子様に贈られたものばかり。
 どれも気に入ったから使っていたつもりだったけれど、知らない間に香月の周りは彼の色
 に染められていた。

 …贈り物だけじゃない。
 2人で行った夏祭りも遠乗りも、私だけの特別はたくさんあった。

 どうして今まで気付かなかったのかしら。
 彼はこんなにも真っ直ぐに愛してくれていたのに。


「返事を聞かせてくれないか?」

 逃がす気なんてないくせに、逃げ道があるかのような聞き方をするなんてずるいと思う。

 答えの前に深く息を吐く。
 今から言うのは、とてもとても緊張すること。



「…私、は―――――」



 そして私の初恋の行方は、、、




:::END:::







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凛翔の初恋の行方、完結です。
夕鈴の「ほら、大丈夫だったでしょう?」という いい笑顔が見える気がしますw

他の話でも香月→凛翔はちらっと出したことあったので、このオチはばれてたかもですが。
スパン長いわ。どんだけ気が長いの凛翔。と思って書いてましたw
まあ、その間にいろいろやらかしてるっぽいですけどね。
自分色に染めてるし、牽制もしまくってたみたいだし?(笑)

本編はこれで完結ですが。
いくつか小ネタがあるので、オマケとして後日追加します。
…い、今から書き上げるので時間が空くとは思いますが(汗)

2018.1.6. UP

   ←連絡用(TOPに置いてるものと同じ)

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