楽を奏でるのは好きだった。 まるで空気を吸うように、自分にはそれができた。 手に良く馴染んだ横笛で思うままに音を奏でる。 今の空、今の気分に合う音色。 特に何も考えずに音を風に流せばどこかに飛んでいくようだった。 「あ、やっぱり。」 ふわりと花の香りがして、目の前に突然影が差す。 笛の音を止めて顔を上げると、思い浮かんだ通りの人がそこに立っていた。 「お妃様…」 「水月さんだったんですね。」 にっこり笑って彼女は水月の隣に腰を下ろす。 「こんな綺麗な音を出せるのは他にいないと思ったんです。」 お妃様は水月の"音"を知っている。 彼女が紅珠の屋敷に滞在中にいくつかの楽器を演奏したことがあったからだ。 感想はよく分からないものだったけれど、気に入っていただけたのは確か。 今も隣で嬉しそうにされている。 「…私を探すように言われたのでは?」 もうすぐ午後の執務の時間だ。 度々このまま姿を消したりもしたので、そう思ったのだけれど。 けれど意外に彼女は首を横に振った。 「いえ。私はただ音色に惹かれてきただけです。」 水月に意見ができるのは方淵を除いては彼女しかいない。 誰もが家の名を怖がって、何も言えないから。 「だって、水月さんの音好きなんです。」 そう言って屈託無い笑顔を見せるお妃様は本当に不思議な人だ。 方淵にも私にも、誰とも変わらないように接してこられる。 誰もが家名を気にするのに、彼女にはそれがない。 「陛下の前では、無理…ですよね。」 窺うようにそろりと尋ねられたので、はい と正直に言う。 前にも同じようなことを言われて、その時もやっぱり断った。 「貴女にならいくらでもお聴かせしますよ。」 「…怖い、ですか。」 「こればかりはなかなか。貴女や柳方淵のようにはなれません。」 私は陛下が恐ろしい。 普通に話せる柳方淵やお妃様が不思議でならない。 しかもお妃様は陛下を心から慕われている。…あの狼陛下を。 ふと、あの方の鋭い瞳を思い出した。 「―――政務室に戻りましょうか。」 「え、もう良いんですか?」 立ち上がった水月に驚いた顔をしてお妃様が尋ねてくる。 …そろそろ行かないといろいろな意味で困った事態になる気がした。 あの瞳で睨まれることは2度とは経験したくない。 「貴女を独り占めしたとなれば、貴女しか見えていらっしゃらない陛下のお怒りを買って しまいそうですから。」 「…ッ」 途端にポンッと赤くなるお妃様に小さく笑った。 不思議な人、そして面白い人。 今まで周りにいなかった。 ―――お妃様から見る世界はきっと私達とは違うのだろう。 願わくは、貴女は変わらずそのままでいてくださればと。 楽の音色と同じように、いつまでも澄んだままで―――… 2011.11.1. UP --------------------------------------------------------------------- ネタバレてはいませんのでご注意を。 5巻ラストで出仕するようになったというネタのみの妄想です。 これが出仕後の水月さんだと誤解される危険ありかな?と(笑) 5巻からの登場なのでまだあんまり掴めてません… 春の宴が終わる頃にはもう少し書きやすくなってるかな?