8日目:内緒の恋人




「陛下!」

 なかなか政務室に戻ってこられない陛下を呼びに行くと、案の定陛下はまだ自室の長椅子
 に座っておられた。
 夕食が終わったらすぐに来てもらうように何度も言っていたにもかかわらずだ。
 しかしそれは初めてでもないことなので、李順も慣れたものでいつものように呼びに来た
 のだ。


「…なんだ?」
 少し不機嫌そうな声で、陛下は嫌がらせのごとく殊更ゆったりとした動作で顔を上げる。
 こちらは急いでいるのに何故そんなに落ち着いておられるのか。
「なんだではありません。今夜は工部の要望の件について話があるとお伝えしていたはず
 です。」
 この方の自由奔放さには慣れているので今更怒る気にはならない。
 面倒な案件というのも理解している。
 ただ、だからこそ早く終わらせたいと李順としては思っているわけなのだが。

「陛下、急ぎお戻りくださ―――」
 言葉を続けようとした李順に、静かにしろと陛下は目で言う。
 "狼陛下"に反射的に従ってしまうと、ふと彼は目元を和らげた。
「そう急かすな。…やっと眠ってくれたんだ。」

 何のことだろうと思ってそこで初めて気が付く。
 ―――陛下の肩に凭れかかって目を閉じている"彼女"の存在に。

「煩くして夕鈴が起きてしまったらどうする。」
 視線を落として彼女を見る陛下の顔には甘い笑みが浮かんでいた。
 声もどこまでも柔らかく、そこに"狼陛下"は存在しない。
 そうして壊れ物にでも触れるかのように、人差し指でそっと頬を撫でる。

「…近すぎませんか。」
 そんな甘い光景を前に、口から自然に漏れたのは率直な感想だった。

 彼女は隣に座って凭れかかっているわけではない。
 陛下の膝に横抱きに座った上で、陛下の腕の中で眠っているのだ。

「そうか? 普段からこんなものだろう。」
 それに対して陛下はしれっとした顔で言う。

(絶対違う…)

 彼女が寝ているから好き勝手しているのだろう。
 そうでなければ彼女は許さないだろうし、李順も黙ってはいられない。

 彼女は"臨時"だ、あくまで。
 決して本物ではない。


「…そもそも、私が臨時花嫁に気を遣う理由はありませんが。」
 だから仕事に戻って下さいと言外に伝える。

「私が夕鈴を大切にしたいだけだ。」
 陛下はそう答えて笑った。

 すれ違った会話はどこまでも噛み合わない。


「―――陛下。」
「…分かった。夕鈴を寝かせてからそっちへ行く。」
 仕方ないと息を吐いて、陛下は彼女を抱き上げた。
 そして奥の自分の寝台に彼女を連れて行く。

 その背中を見送って、溜め息をつきたいのはこちらだと、李順は陛下に負けないとばかり
 に深い溜め息をついた。




2011.11.1. UP



---------------------------------------------------------------------


視点は李順さんですが(笑)
李順さんには内緒なので、おそらくこんな感じになるかと。

ちなみに「内緒の恋人」は50000企画のネタです☆



BACK