後宮の優雅な暇潰し




 普通、身分の高い女性は身の回りのことを自分ではやらない。
 人をどれだけ巧く使えるかも本人の技量に含まれるからだ。

 庶民の夕鈴はやろうと思えば何でもできる。
 しかし今はバイトといえども周りから見れば妃。狼陛下唯一の寵妃だ。
 陛下とのお茶の時間は、陛下の希望で夕鈴が淹れているが、本来ならそれも誰か他の人の
 仕事。
 朝から髪を結う時でさえ、誰かを呼ばなくてはならなかった。
 根っから庶民の夕鈴からすれば、面倒な上に気も引けるが仕方がない。
 彼女達も自分も仕事だからと割り切るしかなかった。




「お妃様の髪ってお綺麗ですよね。」
 今日も朝から仕度を手伝ってもらっていた。
 その中で髪を丁寧に梳いていた侍女がうっとりとした目でそう呟く。
「そ、そうかしら? 私は貴女達みたいな黒髪に憧れるけれど。」
 長いそれを夕鈴も一房手に取ってみた。
 艶やかな黒には程遠い色素の薄い髪、周りを見る度に地味にへこむ。
「日に焼けたみたいな色だわ…」
「光に透けると金色に輝いて見えて私は好きですわ。」
「ありがとう。」
 鏡に映る侍女は本当に楽しそうにしている。
 お世辞ではないのだろうと思うと少しくすぐったい気もした。
 そんな彼女がふと鏡の中の夕鈴と目を合わせる。
「…お妃様、髪形を少し変えても構いませんか?」
「え?」

『あり余る時間をいかに優雅に使うかもお妃の技量―――』
 いつだったか、李順に言われた言葉が不意に蘇った。
 どうせ今日は政務室に行く用事もないし、他の誰かに見せるわけでもないからたまには良
 いだろう。

「…どうぞ。」
「ありがとうございます!」
 途端に彼女はウキウキと張り切って梳く手にも力を込める。
 夕鈴の髪は長く柔らかいので、思う存分弄ってみたかったのかもしれない。
「まあ、でしたら先日陛下にいただいた髪飾りを持って来ますわ。」
「え、ちょ、」
 傍にいた別の侍女がそう言って、夕鈴が止める間もなく部屋を出て行った。
(…まあ 髪飾りくらいなら良いか……)
「あの髪飾りなら、香油を用意した方が良いかしら…?」
 髪を梳きながら何やら思案顔の彼女も独り言を言っている。

(あ、なんか嫌な予感…)
 心の中で前言撤回しようとしたところで、戻って来る足音がした。

「お妃様! 髪飾りに合うお召し物をお持ちしましたわ。」
「え…?」
 一人で出て行ったはずの彼女は数人の侍女と一緒に戻ってきた。
 それぞれの手には衣や簪などを持っている。

 なんだかとんでもないことになってきたような気がする。
 そういえば、世話したりないとか言われていたような…!?

 しかし、いつになく楽しそうな彼女達を見ていると何も言えない。

(たまに、なら…)

 自分にそう言い聞かせ、されるがままにすることにした。
「まずは湯殿に行きましょう!」
「え、今から!?」
 夜ではなくこんな朝っぱらからお風呂を使うなんて、庶民感覚では考えられない。
 しかし、侍女達は何故か俄然張り切っている。
「お任せくださいませ。私共が隅々まで磨いて差し上げますから!」

(…早まったかもしれない……)
 今更ながら、後先考えない自分の発言に後悔した。










 日も暮れかけた夕刻の頃。
 いつもより早く仕事を終えた国王陛下、珀 黎翔が妃の部屋を訪れた時、まず気がついた
 のは花の香りだった。
 確かに彼女は花を好むが、どれだけ飾ればここまで香るのだろうか。
 不思議に思いながら彼女が待つ部屋に入る。

「夕鈴」
「お帰りなさいませ!」
 いつもの出迎えの言葉、それに笑みで返そうとして、
「――――…」
 そのままその場で固まった。

 長い髪は全て結い上げられ、金細工を散りばめた髪飾りが揺れている。
 幾重にも重ねられた色鮮やかな赤い衣に薄紫の領巾、耳や首元にも金細工の飾りが煌く。
 口元には赤い紅が引かれ、肌はいつも以上に白く見える。
 そしてどうやら花の香りは彼女から放たれているようだった。


「や、やっぱりおかしいですか!?」
 あまりに何も言われないので、彼女は見当違いの解釈をして慌てている。
 誤解を解くためにも固まってる場合ではないと前に進んだ。

「…いや、あまりの美しさに見惚れてしまった。」
 彼女の頬に触れて甘い声で囁けば、周りの侍女達は満足そうな顔をする。
 まるでこの反応を見たかった、とでもいうように。
 …当の妃は真っ赤になって固まっているが。
「いつも愛らしいが、今日は一段と美しい。」
「あ、ありがとうございます…」
 陛下が合図をして人払いをすると、彼女達は満足気に下がっていった。





「それでどうしたの? これ。」
「えーと、話せば長いことながら…」
 夕鈴は朝から今までのことを詳細に聞かせてみせた。

 朝から花びらの湯舟に入れられ、香油で全身マッサージを受けたこと。
 爪の先までピカピカに磨かれ、着せ替え人形のように何度も着替えさせられたこと。
 気がつけば妃付きの侍女達全員で夕鈴をあの手この手で飾らせていたことまで。

「それで一日中?」
 全てを聞き終えた陛下が苦笑いして、ぐったりした様子の彼女を労わる。
「はい。陛下がお戻りになる前には着替えようと思ったんですけど。なんだかんだで侍女
 に止められてしまって。」
「…どうして着替えるの?」
 彼が少し不機嫌そうな顔になったことに夕鈴は気がつかない。
「え、だって恥ずかしいじゃないですか! 特別なこともないのにこんな派手な格好して。
 李順さんにバレたら無駄遣いだと怒られそうな気がします。」
 彼女の返答はとても彼女らしい現実的なものだった。
 彼の心配は今日も杞憂に終わったようだ。

「君が妃らしく振舞うことを怒りはしない。―――私の目を楽しませるのも君の仕事だ。」
 いつの間にか席を立っていた陛下に首筋をなぞられて、夕鈴の皮膚は粟立つ。
 鋭い瞳と甘く低い声は狼陛下のもの。
 心臓がどくりと脈打ち、全身で今すぐ逃げ出したいと思った。
「侍女達も気の利いたことをしてくれる。」
 いつの間に狼陛下に変わったのだろう。
 さっきまでは"素"の陛下が心配してくれていたのに。

「今日は逃げないのか?」
 近過ぎる距離に固まっていると、面白がる風に陛下が笑った。
 やっぱりからかっていただけらしい。
「……重くて動けないんですッ」
 ジャラジャラ着飾った頭が重いのだと叫ぶ。
「…。」
 沈黙した後に、陛下が思わずといった風に吹き出した。
「笑わないで下さい! やっぱり私には不釣合いなんですよ!」
「わわ、待って。」
 乱暴に髪飾りを外そうとする手を止める。
 そうして彼女が安心する方の貌で笑った。
「似合ってるよ。だからもっとじっくり見たいな。今日はそのまま夕飯食べようよ。」
「頭が重くて食べにくいですよ!」
「えー」
「無茶言わないで下さい!」
 抗議されても本当にできないのだから仕方がない。
 夕鈴が本気で言っているのだと気づくと、陛下も強くは言わないことにしたらしい。
「じゃあまたそういう格好してくれる? それなら今日は諦める。」
 条件に少し迷った。
 けれど、このまま夕飯を食べるよりはマシだと思う。
「…分かりました。着ますから、今日はもう着替えさせてください。」
「ホント? うん!」
 夕鈴が着飾るのが何でそんなに嬉しいのかよく分からないけれど。
 綺麗な方が男の人はやっぱり嬉しいものなのかしらと勝手に解釈した。
「じゃあ着替えますから。」
「うん。」


 奥の部屋に移る彼女の背中を見つめながら、彼女に着せたい服なんかを今度こっそり準備
 しておこうと陛下が考えていたなんて、鈍い彼女が気づくはずもなかった。













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・オマケ・
陛下お手伝いver.(別名:セクハラ陛下/笑)

 鏡の前に座って、派手な装いの自分に改めて驚く。
 こんな格好で陛下の前にいたなんて、と思うと恥ずかしかった。
 さっさと着替えて戻ろう。

「う… 複雑すぎて絡まる……」
 首飾りや耳飾りは比較的すんなり外すことができたが、髪飾りはそうはいかなかった。
 最初の2つくらいは良かった。
 けれど、どんな編み込まれ方をしたのか分からないが、次がなかなか外れない。
「誰か呼んだ方が良いかしら…」
 無理に引っ張れば痛いし、余計に絡まる気もする。
 そして後ろは全く見えない。

「手伝おうか?」
「きゃ!? …って、陛下いつの間に……」
 集中していたからか、彼が部屋に入ってきたのにも気づかなかった。
「上の方絡まってるよ。」
「え!?」
 夕鈴が慌てて引っ張ろうとするのを制して、陛下は簪を器用にくるくる動かして髪からほ
 どく。
「やっぱり人を呼びましょうか…」
「良いよ。これくらいなら僕がしてあげる。」
 国王に侍女のようなことをやらせるなんて…と思ったが、陛下はすぐに次の髪飾りも楽し
 げに弄っていた。
「やらせて。これ面白そう。」
 新しいおもちゃを見つけた子どものような顔に夕鈴が拒めるわけもなく。
「…じゃあ、お願いします。」
 それに陛下がうんと嬉しそうに答えた。


 静かな部屋に髪飾りを置く音だけが響く。
 長い指が一つ一つ丁寧に外していく様を夕鈴はただ眺めていた。

(きれいな指……)

 長く細く、そして骨張った手は男の人のもの。
 するりと髪がほどけて落ちると、鏡の前にまたひとつ飾りが増える。
 顔のすぐ横をその手が掠めて、今度はうなじに触れた。
「!」
 ひんやりとした手に心臓がはねそうになる。
 鏡の中の彼は何食わぬ顔で次の飾りを外していた。

 偶然なのだろうけれど、いちいち敏感な場所に触れられている気がする。
 動揺しているのは自分だけでそれが悔しいのだけど。



「―――これで終わり。」
 最後の飾りが外れて、夕鈴の長い髪が腰に落ちる。
 これでようやく解放されると、夕鈴はほっとして息を吐いた。
 これ以上は心臓が保たない。

「あ、ありがとうございました。あとは自分でできますので…」
 立ち上がってくるりと振り返る。
 服もいつもより複雑だが、さすがにそれは頼めない。
 鏡を見ればどうにかなるだろう。
「脱げるの? これ。」
「帯さえ取れれば何とかなりますから。」
 …たぶん。そこは言わないけれど。
 だから外で待っていてくれと、押し出そうとしたらふと影が落ちた。
「!!?」
 彼の顔がすぐ横にある。腰に手を回されているのだと気づいた。
「へ、へい…」
「君は身を任せていれば良い。」
「〜〜〜っ!?」
 立っていられなくなりそうになるほど甘い声。
 そんなものを耳元で聞かされて冷静ではいられない。
 ぐるぐると目を回しているうちに、彼の手が帯に伸びた。
「―――脱がせるのは夫の仕事だろう?」

「ッ お手伝いは頭だけでいいですから―――!!」


 この後陛下は大笑いして、それから夕鈴に怒られて追い出された。










2011.1.3. UP



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着飾って遊ばれる夕鈴が書きたかっただけです。
「とある〜」を書いてて浮かんだネタです。
あと、3巻ラストの特別編の侍女達の証言も。
本編でもやられちゃいましたが、こっちはあそこまで飾ってないイメージです。
なので陛下もわりと余裕。

つーか 流されすぎですよ、夕鈴。
でも彼女は押しに弱いタイプだと思います。
ただ、陛下は押したら逃げられたことがあるので、今のところ我慢してる感じですよねー(笑)

陛下お手伝いver.は…出来心です。
ちょっとえろい感じにしたかった(笑)
いや、そんなにえろくはならなかったですけど。



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