喧嘩するほど仲が良い?




(また来てるのか)

(当たり前でしょう)

 そんな声が聞こえそうな、緊迫した政務室。
 陛下唯一の寵妃 汀夕鈴と、陛下の臨時補佐官 柳方淵は、今日も睨み合いという名の戦い
 を繰り広げていた。
 2人の間にはバチバチと火花が散り、周囲は口も出せず見守るしかない。
 しかも、この中で唯一2人を止めることができる陛下は執務に害がなければ放っておくの
 で、実質誰も止める者はいなかった。








「あー 今日も疲れたー…」
 1日の執務が終わり、全員が退出すると夕鈴はようやく肩の力を抜く。
 それを見た黎翔が「お疲れ」と笑った。

「先に戻ってていーよ。僕も後から行くから。」
「ありがとうございます…」
 侍女は外に待たせてある。
 のろのろと立ち上がると夕鈴は部屋を出て行った。



「毎回よく飽きませんね。」
 彼女の背中を見送り、李順は呆れた様子で眼鏡を押し上げる。
 特に何か言い争うわけでもないが、目を逸らしたら負けと言わんばかりにずっと睨み合っ
 ているのだ。
 ああいう時は兎というより猫の威嚇のようだと思う。
「あの2人がいると勝手に緊張感が増すから僕は楽だよ。」
「単に面白がってるだけでしょう。」
 すっぱり切り捨てるかのように言われた。
 図星を指された黎翔は曖昧に笑って誤魔化すしかない。
「私としては、陛下の仕事がはかどればそれで良いんですが。…中には変に勘繰る輩もい
 ますからね。」
「へえ? どんな?」
 途端に雰囲気を変えて、彼は狼の瞳を光らせる。
 今更怯えるほど慣れていないわけではないが、李順は慎重に言葉を選んだ。
「…喧嘩するほど仲が良いとは言いますが。それであれはカムフラージュで、あの2人は
 親密な仲だという噂があるんですよ。」
「それは面白いな。」
 有り得ないと薄く笑うと、李順もそれに賛同する。
 方淵はともかく、夕鈴は嘘や隠し事ができるような器用な性格はしていない。
「あの2人が聞いたら即刻否定されるでしょうね。まあ、おそらくは妃と柳方淵の両方を
 邪魔だと思う者が流したのでしょう。」
 妃と臣下の密通は大罪だ。
 事実を適当にでっち上げてしまえば 一気に両方を消すことができる。
 そんな単純な考えからなのだろう。
 …浅はか過ぎて逆に笑える。
「噂の出所を掴んで潰せ。火種は小さいうちに消した方が良い。」
 場合によってはこちらにも都合が良いというのもあった。
 煩い蝿を追い落とすことができる。
「御意。」









 早速動くと言う李順と別れて 自分は後宮に向かう。
 今頃夕鈴はお茶の準備をして待っていてくれるのだろう。
 そう思うと自然と足も速くなった。

 この件を早急に処理したかったのは、夕鈴の耳に入る前に消してしまいたかったからだ。

 李順は知らないことだが、若い官吏を夕鈴が怒鳴りつけたあの件は方淵にも変化をもたら
 した。
 誤解が解けた上でのライバル同士の喧嘩というのか、今は互いに認め合ってはいるのだ。

『嫌いじゃないんですよね―――』

 何気ない夕鈴の言葉にどきりとした。
 彼女は気を許した人間には無防備になるから。
 …いつ相手の気が変わるか分からないのに。




「ケンカ友達って何気に恋人より仲良く見えるよなー」
 角を曲がろうとしたところで若い官吏の話し声が聞こえた。
 仕事は終わっている時間だし、立ち話ぐらいしていたところで何も言わないが。
 何故か足がそこで止まってしまう。
 早く夕鈴に会いたいのに、何故か足が進もうとしない。
 彼らはそこに誰がいるかも気づかず話を続けた。
「分かる分かる。恋人の私といる時より幼馴染とケンカしてる時の方が親密に見える時が
 あるんだ。」
「本人は否定するけど、過去に何かあったのかと勘繰るよな。」
「それが理由で大喧嘩とかシャレにならないし、妬いても意味がないって分かってるんだ
 けど。でもやっぱり妬いてしまうんだよね。」
 そこで名前を呼ばれたのか、返事を返した2人の声は次第に遠ざかる。
 誰かがそこにいることに、彼らは最後まで気づかなかった。


「仲良く…」
 1人残された黎翔は無意識にぽつりと呟く。

 見ていると 面白くて微笑ましくはある。
 周りが僕以外に怯えているのは新鮮だったし、睨み合う2人は見ていて飽きなかった。
 だけど、そんな風に考えたことはなかった。

「恋人より…?」

 "僕"とよりも?
 噂と聞いて 李順も自分もすぐに誰かの意図的な噂だと思った。
 けれどもしそうじゃなくて、本当にそう見えたのだとしたら?


 なんだか落ち着かない。
 変な気分だ。


「…早く夕鈴に会いに行こう。」
 会えばきっと、このモヤモヤも消してくれるはず。
 そう思って ようやく動いた足で後宮へと急いだ。













 いつまで経っても慣れない様子の反応に癒され、人払いの後でお茶を入れてもらって心も
 落ち着く。
 で、世間話をしていたはずが何故かそんな話になった。

「柳方淵をどう思うかですか?」
 きょとんとして夕鈴はこちらを見ている。
 2人の間に何もないことは見ていれば分かった。
 それでも、さっきの官吏達の話が頭から離れない。
「ムカつきます。でも実力は認めてます。」
 そうして迷いなく彼女は答えた。
 噂なんて微塵も感じさせないほどにきっぱりと。
 彼女の答えはやっぱり2人の間に色恋なんて似合わないと思わせて、それに少しホッとし
 た。

「…あ、方淵といえば、さっきまた陰口を言っている官吏がいたので 一言言っておきまし
 た。」
 ふと思い出したのか、夕鈴がお茶を飲む手を止める。
「彼らはどんなことを言っていたの?」
「柳方淵が何を言ってもお咎めを受けないのは家の力があるからだとか。そんな下らない
 ことです。」
 李順に怒られるからさすがに説教はしなかったと彼女は言って笑った。
「だからあの人が臨時補佐官なのは実力だって。」

 夕鈴は方淵の実力を認めている。
 向こうが気にいらないと睨んでくるから その喧嘩を買っているだけ。

 ―――何もないとは分かっている。意味がないと分かっているけど。

 …さっきの若い官吏達の気持ちが分かる気がした。


「夕鈴は、周りが言うほど方淵を嫌ってないよね。」
「嫌いじゃないですよ。ムカつくだけです。」
 でも嫌いじゃないんだ。
 何気ない言葉の一つ一つに反応してしまう自分が悲しい。

「…君が他の男を褒めるのはあんまり面白くないな。」
「今のが褒めてるように聞こえますか…?」
 呆れた顔というより変な顔をされてしまった。
「官吏から彼を庇ったんだろう?」
 つい棘のある言い方をして、しまったと思うけれど。
「? 庇ったのは柳方淵じゃないですよ。」
 夕鈴は首を傾げる。
 じゃあ誰を?
「陛下は家柄なんかで人を贔屓したりする人じゃないって言いたかったんです。悔しいけ
 どあの男の実力は確かですから。」

 彼女は嘘や隠し事ができない。
 彼女の言葉は言った通りそのままだ。

 ささくれ立った気持ちが一気に引いた。
 妬いても意味がないという言葉は、本当にその通りだと思った。


「やっぱり夕鈴はいいなー」
「?」
 突然笑い出した陛下が夕鈴には分からない。
 でも、分かってもらわなくても良いから言わなかった。


 喧嘩するほど仲が良い。
 …そういえば、夫婦喧嘩も夫婦の醍醐味だよね。


 夕鈴がその企みに気づくのはまだ先の話。







2011.1.4. UP



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方淵と夕鈴に陛下が妬けばいいな〜と思って。
本編では余裕なんですもの陛下。
ちょっと悔しいので、今回焦ってもらいました。
そして噂は実際企みだったのか素直な意見だったのか。謎のまま。

ちなみに最後の夫婦喧嘩も〜は、1月号のラストからです。
まあ あれは旅の醍醐味ですが。
あの朝のやりとりが好きです。陛下のセリフ際どすぎる…!(笑)
実際何もないのにあんな風に言われたら周りが誤解すると分かってて。
絶対それ狙ってる辺りが陛下らしいというか。
夕鈴の反応も楽しんでそうですけどね。このドS陛下が!!




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