会いたくて 会えなくて…




「ゆーりんに会いたい…」

 机に突っ伏していつもの愚痴が始まる。
 仕事が忙しくなるといつもこうだ。
 こんな姿は誰にも見せられないなと思いつつ、李順は遠慮なく机の上に書類を束ねた。
「これが終われば帰れます。」
「…これ 終わる頃には夕鈴寝てるよね。」
「そうですね。」
 だからそれが何だとでもいう態度で返す。
 本物の妃ならいざ知らず、今後宮にいるのはバイトの臨時花嫁。
 会わないからといって特に何の問題もない。

「…ゆーりんに会いたいなぁ。」
「はいはい。この時期忙しいのはいつものことでしょう。もうしばらく頑張って下さい。」
 李順はさっぱり聞く耳持たない。
 仕方なく起き上がって、一番上の書類を手にした。




















 満月が天高く輝く。
 全てを裁いて自分の部屋に戻る時には、すでに深夜を過ぎていた。
 影を作るほど明るいそれに気が付き、足を止めて月を見上げる。

 今日も夕鈴に会えなかった。
 このところずっと忙しくて、夕鈴といっしょに過ごせていない。
 後宮の庭で花を愛でる後姿や、誰かと話している声は聞いた。
 でも、会えてはいないのだ。

 彼女の部屋で彼女の淹れたお茶を飲み、彼女と2人で話をしたい。
 誰にも気を抜けない王宮で、彼女といる時だけは自分らしくいられた。
 この冷えきった場所で彼女の傍だけが陽だまりのようにあたたかかったから。

 会えない日が続いて、あのあたたかさを求める身体が飢えを訴える。
 会えばたちまち満ちるだろうに。


 そのまましばらく月を眺めていたが、視線を落とすと彼女がいる部屋の方を見る。

「……」
 何を思ったか、彼は不意に行き先を変えた。










 薄闇に包まれる寝室は静寂に満ちている。
 中天を過ぎた月の明かりはもうすぐ届かなくなるが、今はまだ仄かな光を残していた。

 足音を立てずに中に入り込み、一番奥の寝台へと向かう。
 そこに思う通りの姿を見つけると、寝台の端に腰を下ろした。
 僅かに軋む音がするが、深い夢に落ちる彼女は目を覚ます気配も見せない。

 白く細い首筋を晒して、無防備に眠る少女。
 すぐ傍で飢えた狼が狙っているとも知らずに すやすやと寝息を立てている。

「夕鈴…」
 小さな声は闇に溶けて彼女の耳まで届かない。

 そっと首筋に手をかける。
 片手で届くようなそれは、ほんの少し力を入れれば簡単に折れてしまいそうだ。

「君を喰らって一つになってしまえば飢えることもないのか……」



「…へいか?」
 ぼんやりと目を開けた彼女がこちらを見る。
 ハッとして手を離すと、追いかけるように彼女が手を伸ばしてきた。
「泣いているんですか…?」
「え?」
 伸びた手が頭を包み込んで引き寄せる。
「私が、傍にいます。だから、泣かないで下さい。」
「夕鈴?」
 吐息のような甘い囁き。
 でもそれは母のような姉のようなあたたかさで。
「泣かな、……」
「?」
 途切れた声を不思議に思って顔を上げると拘束はあっさり解けた。
 再び聞こえるのは安らかな寝息。
「…寝言?」

 確かに泣いた覚えはないし、今も涙など一滴も流れていない。

 でも、見透かされたかと思った。
 冷えた心の内側、乾き飢えた"私"の心に。


 できるだけそっと彼女を元の位置に横たえる。
 上掛けを肩まで上げて、自分はまた寝台の端に収まった。

「…ありがとう、夕鈴。」
 飢えは満ち、狼は奥底で眠りにつく。
 きっと今夜はよく眠れるのだろう。

 "私が傍にいます"―――

 明日目が覚めたら、彼女は覚えていないんだろうけれど。
 今は僕だけ覚えていれば良い。


 冷えた月夜の、あたたかな囁きを







2011.1.5. UP



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夕鈴の政務室通いが始まる前くらいの感覚で。
飢えて夕鈴を襲う陛下と無意識に陛下を救う夕鈴。
首に手をかけるところまではすぐに浮かんで、その後どうするかちょっと悩みました。
それで今回は寝ぼけた夕鈴に抱きしめてもらいました。
もちろん夕鈴は覚えてません。この夜の出来事は陛下だけのものです。

どうやらうちの陛下は夜になると黒くなるようですね(笑)



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