『陛下』
 大輪の花が咲く。

 できるなら誰にも見せたくなかった、私だけの花。

『お待たせ致しました。』
 花が綻ぶように微笑む。

 知っているのは私だけで良かった。

 けれど花の美しさは隠せない。
 そして毎夜、私を惑わす。







    夢惑い






「もっと優雅に!」
「はい!」
 李順の叱責が飛び、元気な返事と共に夕鈴の背筋がピッと伸びる。
「ではもう一度。」

 本日のお妃教育は立ち上がり方と座り方らしい。
 さっきから何度も立ったり座ったりしていて、腰が痛くならないのか心配だ。

「そろそろ休憩しないの?」
 少し離れた場所で見守っていた黎翔が声をかける。
 李順も暇ではないので短時間で詰め込んでいるとはいえ、始まってからまだ一度も休憩
 していない。
 座ったままで見上げる夕鈴の窺うような視線を受けて、李順は小さく息を吐いた。
「…そうですね。」
 彼の言葉に夕鈴の顔がパッと華やぐが、すぐにただしと付け加えられる。
「今までのおさらいです。ここから陛下のところまで、立って歩き、挨拶をして座るまで
 を完璧にやってご覧なさい。」
「え!?」
「―――できないとでも?」
 睨まれた彼女は慌てて首を振った。
「い、いえっ やります!」
「よろしい。」

 李順が一歩下がる。
 彼女を見る目はまさにテストと言わんばかりに厳しい。
 部屋の真ん中に据えられた椅子に座った夕鈴は、頭の中で反芻しているのか、何やらも
 のすごく必死な顔をしていた。
「行きます!」
 声は気合十分。十分過ぎてまるで鬼の首でも取るかのようだ。
 それに思わず笑いそうになる。

「ゆーりん。」
 やわらかい声音で彼女を呼ぶ。
「はい!?」
 反射的に顔を上げた彼女に向けるのは、安心させる方の顔。
「僕はどんな君でも好きだけど、笑ってる顔が一番可愛いよ。」
「!!?」
「だからね、そんなに緊張しないで。」
「は、はい…」
 甘やかすなという李順の視線を受け流して、夕鈴ににこりと笑ってみせる。
 すると彼女も緊張が解けたのか、肩の力が抜けた。



 一度深呼吸をして、彼女は姿勢を正す。
 いつものようにサッと立ち上がるのではなく、流れるようにゆっくりと。
 歩くときの歩幅は短め、頭を揺らさす、裾を乱さず…

「陛下、お待たせ致しました。」
 にっこりと微笑んで静かに腰を下ろす。

「…まあ良いでしょう。」
 李順が言うと、途端にへにゃりと力が抜けた。



「陛下?」
「…え?」
 気がつけば夕鈴がいぶかしげな様子で顔を覗き込んでいた。
 その後ろに立つ李順も不思議そうな顔をしている。
 どうやら一瞬意識が飛んでいたらしい。
「どうかされましたか?」
「いや… 何でもないよ。」

 言えるわけがない。
 笑った彼女が離宮の"彼女"とダブって言葉を失っただなんて。

「あ! も、もしかして、私があまりに変だったから呆れて…!?」
 勝手に勘違いして青くなる夕鈴に苦笑いしてしまう。

 どうしてそっちに取っちゃうかな。
 知られるのも困るけど、彼女の発想にはいつも驚かされる。

「違うよ。夕鈴のせいでも何でもないから気にしないで。」

 これがいつも通りの夕鈴だ。
 それにホッとして、安心させるように笑った。








********









『陛下…』
 とろけるような甘い声、大輪の花のような微笑み。
 しな垂れかかる身体は柔らかく、花の香りが理性を奪う。

『―――陛下、』
 首に回された腕、クスクスと笑う声が耳に残る。
 誘われるがまま名前を呼んで彼女の腰を引き寄せて、、

「…違う。」
 思った途端に 肩を掴んで引き離した。


『陛下…』
 微笑んだままの彼女はどんな男も惑わせるほど扇情的だ。

 けれど、

「これは"君"じゃない。」
 言葉と共に彼女の姿は掻き消えた。







 目が覚めても 朝はまだ遠い。
 寝台から起き上がると、黎翔は薄暗い闇の中で自分の手のひらを見下ろした。

 夢から覚めても残るのは柔らかな感触と花の香り。
 離宮から戻ってかなり経つのにまだ消えない。

 あの姿は夢ではない。
 けれど、夢の彼女は彼女ではなかった。
 あれは仄暗い願望が見せる幻想だ。

 夢ならば、抱いても構わないかもしれない。
 けれど、夢でも手に入れてしまえば、本物に手を出さない自信がない。


「まだ、見せるわけにはいかない…」
 奥に潜む狼の黒い感情を、知られるにはまだ早い。
 知ってしまえば彼女は逃げてしまうから。

「いつまで待てるかは――― 分からないが……」

 彼の独白は、今夜も闇に溶けて消えた。













2011.1.12. UP



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真実には〜でカットしたモノローグを。
あっちがどうにもギャグにしかならなかったので分けました。

ちょっと暗めの陛下視点。
昼間の夕鈴は対比のために入れてみました。
陛下は毎夜悩まされてると良いよ!!
そんで、夢と現実がごっちゃになってキレてしまえば良い。
そんな危険思考な発想から話が生まれました。



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