僕だけの歌姫
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 わぁ

 そんな声が聞こえてきそうな表情で、隣の夕鈴は前方の光景に見入っていた。
 素の彼女なら、身を乗り出してはしゃいでいたかもしれない。

 ―――それを我慢しているのは、今がお妃演技中で、周りに人がたくさんいるせいだ。


 今日は、巷で有名な歌姫がいるという噂の楽団を後宮に呼んでいた。
 もちろん ただ一人の寵妃を喜ばせるために。

 最初、それを聞いた当の妃はいつものように「無駄遣いだ」と怒った。
 春の宴に参加させてあげられなかったお詫びだと言っても聞いてくれない。費用なんて気
 にしなくて良いと言っても首を振る。
 説得のしようがなく困り果てていたところ、李順の「小さな楽団でそれほど費用もかから
 ない」という言葉でようやく納得してもらえたのだ。
 相変わらず彼女を喜ばせるのは難しいなぁとその時は思ったものだが、今のこの反応を見
 る限り、喜んでもらえているようでホッとした。

 ―――実のところ、この楽団には他国の間者の疑いがかかっていた。実際はそれを確かめ
 るために呼んだのだ。
 しかし、それも他の楽団のやっかみによる虚実だったとの報告結果が出ている。
 よって今は純粋に、この楽団の演奏と歌を夕鈴に贈ることができたのだった。




 月明かり、星明かり
 夜の風が運ぶ、花の香り

 貴方だけ、私だけ、
 愛の言葉を囁き合うの―――


 美しき恋の歌を、例の歌姫が朗々と歌いあげる。
 まるで目の前に愛しい恋人がいるかのように華やかな微笑みを浮かべ、天にも届きそうな
 歌声が響く。

「きれい…」
 彼女の口から思わず漏れた呟きは、けれど歌を邪魔しないようにそっと零される。
 周囲の者達も皆同じように聴き入っていた。

 麗しき歌姫の、美しき歌声。
 そして歌うは心揺さぶる恋の歌。

 彼女の歌声はその場にいる誰をも虜にする。

 ―――そんな中、黎翔だけは別の一人を見つめていた。
 ただ一人の愛しき妃を、これ以上にない甘い瞳と微笑みで。


 素直に感情を表現できる夕鈴を眩しく思う。
 そして、その興奮を一生懸命我慢しているのがとっても可愛い。



「気に入ったか?」
 囁くように耳元で夕鈴に問えば、キラキラした瞳を向けられた。
 興奮気味の彼女はまだこの距離の近さに気づいていない。
「ええ! とっても素敵な歌声ですわね。歌も素晴らしいです。」
「君がそんなに喜んでくれるのなら、呼んだ甲斐があるというものだ。」
 さらりと髪を撫で頬に滑らせる。そしてもう片方の手は腰に。
 完全に腕の檻の中、それにようやく気づいた夕鈴が息を詰めて固まった。

「あ あの、陛下…」
「何だ?」
 夕鈴が言いたいことを分かっていながらはぐらかし、後ろに控える李順には歌姫に褒美を
 とらせる旨を伝える。
 その間に、かろうじて扇を間に挟むことに成功した彼女から少しだけ力が抜けたのを感じ
 た。

「陛下……」
 もう一度呼ばれて、今度は視線で返す。
 離してくださいとでも言われるんだろうなと思って。
「あの、ありがとう ございます…」
 けれど、彼女から出てきたのは感謝の言葉。
 予想外だったこれには黎翔も返す言葉を一瞬忘れた。

 扇でそっと顔を隠し、頬を赤く染めるその姿は演技ではない。
 そんな夕鈴を見つめていると、自然と頬が緩んでいた。



 ああもう、可愛いなぁ。


 このままどこかに連れ去ってしまいたい。









 そして、部屋に戻り二人きりになってもなお、夕鈴の興奮は冷めていないようだった。

「本気で喜んでたね。」
 早々に人払いをした黎翔は、定位置の長椅子に腰掛けてクスクスと笑う。
「だって、本当に素晴らしかったんです!」
 それに対して夕鈴は、握り拳まで作ってあの歌姫の素晴らしさについて語ってくれた。
「特に、月夜の恋人達の歌! 情景が浮かぶようでした!!」
「そっかぁ。」
 嬉々として話し続ける彼女が微笑ましく、相槌を打ちながら話に耳を傾ける。

 …正直、僕は夕鈴しか見てなかったけど。
 ただ一人の妃にのみ寵愛を注ぐ狼陛下なのだから問題はないだろう。


「ね、夕鈴。」
 楽しそうな彼女に一つの提案を試みる。
 それは、ふと湧いた好奇心みたいなものだ。
「そんなにあの歌が気に入ったのなら――― 君が歌ってみてよ。」
「はい?」
「夕鈴の声であの歌を聞いてみたいな。」
 歌にはさして興味はないけれど、歌うのが夕鈴なら別だ。
 お願いの意味も込めてにっこりと笑ってみせた。

「う、歌えるわけないじゃないですか!」
 けれど返ってきたのは却下する言葉の方。
 さぁと青ざめた夕鈴は、無理だと言ってぶんぶんと首を振る。
「えー」
「あの歌声と比べられるなんて嫌ですから! そもそも歌とか苦手なんです!」
 不満げに口を尖らせてみても、即却下の全力否定。
 しばらくじっと見つめてみたけどダメだった。


「……残念。」
 最終的には黎翔が諦めることで落ち着く。
 さすがに苦手だというのを無理強いするのも可哀想かと思ったのだ。
 …諦めたときにあからさまにホッとされてしまったし。きっと本当に苦手なのだろう。

 その後は再び、夕鈴が歌姫について語るのを聞いていた。

















 ―――そんな会話をしたのが2日前。
 僅かに空いた休憩時間に夕鈴に会いに後宮へ行くと、どこからか軽やかな声が聞こえてき
 た。

「……夕鈴?」
 間違いない。彼女の声を聞き間違えるはずがない。
 けれど、誰かと話しているわけではなさそうだ。

 聞いたことがあるような…と、思ったところで気づく。―――これは歌だ。
 夕鈴のキラキラした瞳を思い出す。
 彼女が気に入ったと言っていた、あの歌だった。


 月明かり、星明かり
 夜の風が運ぶ、花の香り

 貴方だけ、私だけ、
 愛の言葉を囁き合うの

 二人きり、甘やかに
 貴方と熱を分かち合う

 愛してる、貴方だけ
 今宵も二人きり、月と星が見てる夜に、、、



 楽しそうに、伸びやかに。
 まるで光が降るように、明るく楽しげに。

 甘くしとやかに歌うはずのそれを、彼女が歌うとこんなにも明るい歌になるのかと。
 同じ歌が全く違う歌に聞こえた。
 けれど、それはどこまでも彼女らしさに溢れていて―――

 たまらなくなった黎翔は彼女が佇む庭園へ足を踏み入れる。
 歌に夢中の彼女はまだこちらには気づいていない。



「―――…」
 呼んだ名前は声にならず空気に溶けた。
 だけど、今は声が届かなくても構わない。―――僕から君に触れに行くから。

 後ろから手を伸ばして彼女を腕の中へと囲い込む。
「!? な、なに…!?」
 すると軽やかな歌は途切れ、声は戸惑いに変わってしまった。
 突然のことにビックリした夕鈴は一拍遅れてもがきだす。が、もちろん離したりしない。

「夕鈴…」
 少しの笑い声も含ませて、彼女にだけ聞こえるくらいの小さな声で囁く。
「えっ 陛下ッ!?」
 それで自分を拘束したのが誰だか知った夕鈴は、ぴたりと抵抗を止めた。

「うん。他に誰がいるの?」

 僕以外の誰がこんなことをするのかな?
 というか、他の奴だったら大変なことになるよ?

「な、なな何で陛下がここに……ッ」
 彼女には僕がここにいるのが理解できていないようだった。
 確かに、今日この時間に会いに行くなんて言ってなかったからね。

 ―――でもね、夕鈴。僕も君に言いたいことがあるよ。


「ゆーりんのうそつき…」
 腕に少しだけ力を込めて抱き込んでから、肩に頭を埋めて低く呟く。
 それが拗ねるような、ちょっと責めるような口調になってしまったのは仕方がない。それ
 も全部夕鈴のせいだ。
「なっ 何ですか それ!?」
 身に覚えがないという夕鈴は、黎翔の言葉が心外だと怒る。
 ひょっとして自覚がないのかなと思うけれど、そんなはずはない。

「歌、苦手だって言ってたのに…」
 偶然聞いたそれに、黎翔は驚かされた。

(めちゃくちゃ上手だし。てか、可愛すぎるし。)

 僕のお嫁さんは、あの歌姫にも引けをとらないって自慢したいくらいだよ。


 あの歌姫のように、幾重にも重ねた薄衣を身に纏う夕鈴の姿を思い浮かべる。
 彼女に似合うのはやはり紅だろうか。
 濃淡のグラデーションを描く紅に彼女の白い肌は映えるだろう。
 細い手首には三連の金の輪、足首には鈴の飾り。どちらも彼女に合わせて可憐な音を奏で
 るのだろう。
 髪に飾るは大輪の八重牡丹、首元耳元を飾る金銀玉は惜しげもなく。

 ―――着飾った彼女は、きっと、とても美しいだろう。


 ああ でも、他の奴らに聞かせるのは勿体ないな。
 それにこんな可愛い夕鈴を他の誰かになんて見せたくない。
 それでまた夕鈴に懸想する輩が現れたら厄介だからね。

 そんな風に結局は、独占欲の方が勝ってしまった。



「夕鈴、四阿まで散歩に行こうか。」
 着飾った夕鈴は大事に心の奥に収めて、現実の夕鈴をおもむろに抱き上げる。
「え?」
 きょとんとする彼女も可愛いなぁなんて惚気ながら、上機嫌に黎翔は笑う。
「そこで続きを歌ってね。」
「はい!?」
 もちろん反対意見は受け付けない。
 嫌だと暴れ出す夕鈴を、問答無用で目的地に連れ去った。




 こんなに上手なのに内緒にするなんてずるいよ。
 他の誰かならともかく、僕にも秘密だなんて。

 でも僕以外には見せたくないから、誰にも教えない。
 これは僕だけが知ってる秘密にする。

 誰にも見せないよ。
 だから、僕にだけ歌って。

 ねぇ、僕だけの歌姫?




2012.12.22. UP



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お題:夕鈴に歌を歌わせたら意外と上手かった(声量あるから)。

隠しリクは「とにかく夕鈴がかわいすぎて困ってる陛下」です☆
恥ずかしがり屋の夕鈴は、人前では絶対歌わないだろうなぁと思いまして。
なので観客は陛下だけにしました。ってか、陛下メロメロですね。
おかげで今回は小犬が出ずっぱり。思考は狼混じって若干腹黒ですが(笑)

夕鈴の歌というと、「鈴蘭」を思い出します。(※ 秘密部屋参照)
新たに考えつかなかったので、歌詞はそこから引っ張ってきました〜
夕鈴は努力の人ですから、やろうと思えば楽器もそれなりにできそうなんですが。
足りないのはたぶん気品(苦笑) 
何をやらせても優雅じゃなくて元気な音になりそうな気がします。
そんな夕鈴が可愛いと思います。ええ、メロメロなのは私もですよ!!

nikuri様、ほのぼのリクエストをありがとうございました〜
陛下が独占欲出しちゃったので、みんなの前では歌えてませんが…
夕鈴が歌上手なのは私も肯定派です! あれだけ叫んでも声枯れないしww
意見・苦情・返品その他は随時お待ちしております故、遠慮無くどうぞ。





・オマケの絽望さん・

「陛下も酷なことをなさるなぁ…」
「何の話だ。」
 絽望の呟きを拾った方淵が律儀にも聞き返す。
 無視できない辺りが彼らしい。
「この歌が聞こえるかい?」
「ああ。妃が歌っているのだろう。」
「まるで光が降るような、美しい歌声だと思わないか。」
 それには嫌そうな顔が返ってきた。
 否定はできないが認めるのは癪だと思っているようだ。
「陛下はそれを私達に聞かせながら、その姿は決して見せようとなさらないんだ。」
 そんな方淵の態度もさほど気に留めずに絽望は続ける。
 ただ自分が言いたいだけだから、相手の反応はどうでも良かった。
「こんな美しい声で歌われるお妃様なんだ。歌う姿もさぞ麗しいのだろう。」
 巷で評判の歌姫の姿を思い浮かべると、その顔がお妃様へと変わる。
 ああ、あの姿で微笑まれたら、自分は即座にオチてしまうだろう。
「なのに、陛下はそれを見せてくださらない。だから私はそれを想像するしかできないんだ。ああ、なんて拷問だ……」
 その姿を見ることが出きるのは陛下だけ。
 お妃様は陛下のものなのだから当然だとは思うが、それでも羨ましいことには変わりない。
「……安心しろ。そう思うのは貴様だけだ。」
 方淵は最後まで嫌そうだった。


陛下は絶対確信犯。なんて焦らしプレイ。
夕鈴以外には鬼畜な陛下www


 


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