女王陛下の花婿様 4




 油断したと思った。
 こんなことなら、黎翔か李順かを連れてくるべきだった。
 …今更後悔しても遅いのだけれど。

 そもそもの間違いは、一人で行動してしまったことだ。

 ―――誰かに頼むのが面倒だったから自分で書庫に足を運んだ。
 そこに一人の官吏がやってきて、突然… 押し倒されたのだ。


「……何か御用?」
 とりあえず、固い床に押しつけられた背中が痛い。
 多少イライラしながら、夕鈴は押さえつけて自分の上に乗り上げている男を睨み付ける。
「私にこんなことをして、どうなるか理解してるのかしら?」
 畳みかけると彼の表情が苦痛に歪んだ。

「何故… 何故私ではいけないのですか!?」
 絞り出された声は悲痛な響きに聞こえた。
 掴まれた両手首が痛くて軽く呻くが、男の力は強くなるばかり。
「何故ですか…ッ 私の方が貴女を長く見つめていたのに…!」
「あなた…」
 自分に向けられた熱い視線を強く感じて、ようやく夕鈴は彼の気持ちを知った。

 どうやら彼は女王陛下を本気で慕っているらしい。
 それが他の男に取られ、追いつめられて暴挙に出たということだろうか。

 演技でしかない"女王"に想いを向ける。
 存在しない…幻でしかないものに。
 そして騙しているのは自分だ。そう思うと少し胸が痛かった。

 ―――けれど、同情したのはそこまで。

「あんな下賤の輩より私の方が貴方に相応しいのに!」
 彼に向けられたその言葉だけは聞き捨てならなかった。


「黙りなさい。」
 強い口調で彼の言葉を遮る。
 それに気圧された相手をぎっと睨んだ。
「黎翔よりも貴方の方が私に相応しいですって? 冗談じゃないわ。」

 この目の前の男と彼は比べるまでもない。
 他の誰でもそれは同じだ。

「貴方が私の何を知っているというの? 王じゃない私には見向きもしないくせに!」
 王じゃなかったらその存在に気づきもしない。
 そんな相手が彼以上に夕鈴の心に触れるはずがなかった。


 ―――彼だけだったから。

 李順でさえも私に王を求めた。誰も"夕鈴"を見なくなった。
 その中で、黎翔だけが私の話を聞いてくれた。王ではない私の言葉を全て受け止めてくれ
 た。
 黎翔は… 彼だけは、私の言葉を一つも否定しなかった。

 彼には仕事にしか過ぎなくても、私にとっては十分嬉しいことだった。
 王になって初めて、自分を見てくれた気がしたから。


「煩い!」
「…ッ」
 逆上した男から胸元を掴まれて息が詰まる。
 怒りに満ちた瞳は血走っていて一瞬身が竦んだ。

「他の男になど渡すものか! 誰があんな男に……ッッ」
 高い音を立てて絹が引き裂かれ、普段は隠した白い鎖骨が露わになる。
「何す… っ!」
 両手首は頭上で纏められ片手で押さえつけられる。
 蹴り上げようにも暴れる前に脚の間に入られて動きを封じられた。

「貴女は私のものだ。そうでしょう?」
 所詮女の身では男の力には敵わない。
 恐怖で身を震わせると、男が勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「貴女でもそんな顔をなさるのですね。―――可愛らしい。」
「―――――ッ」
 頬を撫でられた瞬間に全身に悪寒が走る。
 この場で演技なんて続けられない。…そこに残ったのは素の自分。

「いやっ ゃだ…!」
 気持ち悪くて怖くて嫌だった。
 見つめられるだけで吐き気がする。

 "他の男"になんか、触れられたくない。
 "彼"以外は嫌だ。


「黎翔―――ッ!!」
 あらん限りの声で、"たった一人"の名前を叫んだ。


「陛下!」
 自分を呼ぶ声が聞こえたのと扉が蹴り破られたのは同時。
 その一瞬後には押しかかられていた身体が軽くなった。

「ご無事ですか!?」
 遠くで派手に何かが崩れ落ちる音が聞こえる中、抱き起こされた身体が温かいものに包ま
 れる。
 強く強く抱きしめられて、それが彼の腕の中だと知った途端に全身から力が抜けた。

「……大丈夫よ、黎翔。貴方が来てくれたから。」
 たった今までの不快感はもう無い。全部彼が上書きしてくれた。


「陛下、お怪我は?」
 続いて彼の後ろから聞こえた声に顔を上げると、そこには李順が立っていた。
 そのさらに後ろには数人の兵の姿も見える。彼らは李順の命を受けてすぐに男の捕縛に向
 かった。

「…怪我はないわ。髪が少し乱れたわね。」
 簪が足下に転がって落ちている。
 細工も一部壊れていたから結構悲惨な状態なのだろう。

「李順、侍女を呼――― …黎翔?」
 会話の途中で突然離れた黎翔を怪訝な目で見上げる。
 彼は自分の上着を脱いで夕鈴に着せると、無言で彼女に背を向けた。



「退け。」
 すらりと腰の剣を抜き、警備の兵達を押し退けて男の前に立つ。
 彼の気迫に押されて兵達は何も言えずに場所を譲った。

「彼女に何をした…」
 氷よりも冷たい声に男が震え上がると、剣先を男の喉元に突きつける。
「牢に送らなくとも 私がこの場で殺す。」
「ヒィ……!」
 男だけではなく、周りの兵達も青くなる。
 誰一人彼を止められる者はいなかった。

 声も出せずガタガタ震えるしかない男の頭上に、黎翔が剣を振り上げ翳す。
 許しを請う時間さえ与える気はなく、そこには一切の躊躇いがない。

 手を出せばこちらが切り捨てられそうな雰囲気を前にして、誰も彼を止められなかった。
 音さえ消えた気がして、誰もが固唾を飲んで見守るしかない。

「剣を引きなさい 黎翔。」
 そんな重苦しい空気の中で、凛とした声が突如静寂を打ち破った。
「その男を殺してはダメよ。」
 李順の手を借りて立ち上がった彼女は、自分の足でしっかり歩くと黎翔の隣に立つ。
 そうして彼女が黎翔を睨むと、彼は少々不満げな様子を残したまま剣を下ろした。


「陛下…」
 助かったと思った男が、自分を助けた女王を輝いた瞳で見上げる。
 けれど、その男に対して彼女は、慈悲の欠片もない微笑みを向けた。

「ただ殺すだけなんて生温いわ。」
「!?」
 黎翔に負けず劣らずの声の冷たさに男は声無き悲鳴を上げる。
「この私の肌に許可なく触れたのだから、そんな楽に終わらせるはずないじゃない。」
 ねぇ?と目を細める少女は"氷の女王"そのもの。
 完全に髪を下ろして男物の上着に包まれている姿は幼く見せているはずなのに、それを上
 回る冷たいオーラが女王の風格を知らしめていた。

「――― 一族もろとも消し炭にしてあげる。」
「〜〜〜っっ!!?」
 かつて大の男をも震え上がらせたという氷の笑みは、貴族のおぼっちゃまには少々刺激が
 強すぎたらしい。
 引きつけを起こしたと思ったら、泡を吹いて気を失ってしまった。



 そうして男はしばらく反省させるために、冷たい牢の中へと連れて行かれた。










「たかだかあの程度で極刑なんてあるはずないのに。」
 せいぜい部署異動と降格処分だと夕鈴はカラカラと笑う。
 夕鈴の服も髪も侍女の手で元のように整えられ、まるで何事もなかったかのように二人は
 四阿で寛いでいた。
「あんな臆病者に女王の花婿が務まるわけないわ。」
 男は現在も牢の中で反省中だ。もう少ししたら彼の父親が迎えに来るだろうから、その時
 に夕鈴はそこに行くつもりだった。
 それまで休んでいなさいと 珍しく李順が優しいことを言うものだから、疑ったら何故か
 怒られた。
 そんなこんなで夕鈴は黎翔だけを傍に置いてお茶をすることにしたのだ。


 今回の件はおそらく内々に処理されるだろう。
 彼に反逆の意志があったわけでもなく、女王への振る舞いはただ恋心が暴走しただけなの
 だから。
 男の家には話をするつもりだが、公にするには互いに外聞の良い話ではない。
 ここは穏便に済ませた方がこちら側にも都合が良かった。
 事の次第を聞いた李順なんかは「陛下に本気で懸想する男がいるとは…」なんて、失礼極
 まりないことを言っていたけれど。

 全ては何事もなかったかのように元通り。
 だから、それで良い。


「あの演技、上手だったでしょう? 黎翔の真似をしてみたのよ。」
 温かいお茶を手に夕鈴は楽しげに言う。
 そうして彼に 自分さえも気圧されたあの狼の演技を自分なりにやってみたのだと教えた。
「ええ、私も驚きました。」
 黎翔も隣で茶杯を口に運ぶ。
 あの場で見せた怒りも今はすっかり消えて、穏やかな表情を見せていた。


「あー あの男に土下座させるのを忘れてたわ。」
 ふと思い出して夕鈴は眉を寄せる。
「黎翔への暴言を謝らせたかったのに。」

 自分への言動は別にどうでも良かった。
 黎翔が抱きしめてくれた時に、嫌な気持ちは全部吹っ飛んでしまったから。

 でも、あの男の黎翔を侮辱した言葉だけは許せない。
 是非とも彼の目の前で謝ってもらわなければ夕鈴の気が済まなかった。

「ああ、どうせ後で会いに行くから、その時に土下座させるわね。」
 うん、それが良いと勝手に納得していると、彼の手がそっと髪に触れる。
 どうかしたのかと振り向くと、予想以上に甘い表情とかち合った。

「……貴女のその気持ちだけで十分です。」
「〜〜〜〜ッッッ!!」

 元が綺麗な顔立ちだけに、その破壊力は半端無い。
 人払いをしていて本当に良かった。これ相手に演技なんて絶対無理だ。


「黎翔の女たらし…!!」
 それは何故か怒りへとすり替わって、気がつけば涙目になって彼を睨んでいた。
「??」
 意味が分からず困惑する彼の手から抜け出して四阿の端に逃げる。

「陛下、お待ちください。今のは一体…」
「絶対に負けないわよ! 私だってもっと演技が上手くなるんだから!」

 黎翔が追いかけると夕鈴が逃げる。
 丸い四阿の端と端で、卓を挟んで二人はぐるぐると回り続ける。


「…何をなさってるんですか。」
 その妙な攻防戦は、二人を呼びに来た李順が呆れた声で止めるまで続いた。


















*



















-epilogue-

 そして、、、


「もうすぐ私達が結婚して一月ですね。」
 しみじみと黎翔が呟いたのは、夜恒例のお茶休憩のことだった。
 何の脈絡もなく突然言われた夕鈴の方は、思わずげほっとお茶を吹く。

「な、何なの急に…!?」
「陛下は僕に飽きちゃった?」
 突然ころっと態度を変えて、じっと上目遣いで聞いてくる。
 何故か垂れた耳と尻尾の幻が見えた。

(いきなり小犬で聞くなんて反則よ…!)

 二人きりの時は敬語を使わなくて良いと言ったのは夕鈴だ。
 それが今から十日ほど前のこと。夕鈴のお茶を黎翔が飲むのも当たり前になった頃だった。

 それから彼は狼と小犬を巧みに使い分けるようになった。
 …しかしそれが曲者で、おかげで言うことを聞かされる羽目になる機会が増えた。
 それを本人は無意識だと言い張るが、絶対嘘だと夕鈴は思っている。


「もうすぐお別れしなきゃダメ?」
「〜〜〜黎翔の意地悪。分かってるくせに。」
 絶対わざとだと分かっていながらも、夕鈴は赤くなってしまった顔で黎翔を睨んだ。

 契約の期間は夕鈴の一存で決まる。
 夕鈴自身が最初にそう言ってしまったのだから。

「……今から新しい男を探すのも面倒だわ。」
 そのまま言ってしまうのは悔しかったから、そんな風に言ってそっぽを向く。

 が、突然腰をぐいっと引っ張られた。

「―――他の男になど触らせません。貴方は私のものだ。」
 再び小犬から狼に切り替わった黎翔が甘く囁く。
 身動きが取れない腕の中で、秀麗な顔が至近距離で夕鈴を見つめていた。
 はっきり言って心臓に悪い。下手すると止まる。
 でも言われっぱなしではいたくない。

「〜〜〜ッ 違うわよ!」
 負けたくないと彼に対して妙な対抗意識を抱いた夕鈴は なけなしのプライドをかき集め
 てそう叫んだ。
「違う…の?」
 予想外の返しに表情を曇らせた彼に、もう一度「違う」と言い返す。
「貴方が私のものなのよ! 間違えないでっ!」
 勢いで言ったその言葉がどういう意味を持つかなんて夕鈴は気づかない。
 そういうつもりで言ったわけでもない。けれど。

「―――はい。」
 一転して嬉しそうな顔になった彼に、また夕鈴の心臓は止まりかけた。





 ―――そうしてその場で、女王陛下の花婿様の契約続行が決定した。




2013.1.14. UP



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お題:陛下と夕鈴の立場逆転パラレル

とある方からも要望あったんで、ある程度ネタはあったんです。
そのネタを今回完成させましたー
夕鈴が"氷の女王"って(笑)とも思いますが、真面目な子なのでやり遂げると思います。
お妃演技もちゃんとやってますしね。

隠しリクでは「護衛兼臨時花婿」だったんですが…
あんまり護衛っぽいところは見せられませんでしたね〜(^_^;)
まあ、表立って女王に何かできる輩はいそうにないですけど。
裏では黎翔を囮に怪しい動きをする輩を一掃しているという小ネタもあったんですよね。
それを夕鈴には教えてなかったりとか。ってゆー黎翔と李順の会話とか。
長かったり流れに入れられなくてその辺はカットしました。

雪様、長くなってしまいましたが、こんな感じでいかがでしょう?
ネタが降ってきすぎて大変なことになりました。楽しかったです!!
次のリクエストもお待ちしてますね〜
今回の話に関する、苦情・お問い合わせは年中無休で受付中です。


※拍手にて下町編ネタ+人物設定を公開中。話にするかは未定です。(時間がないので)

 


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