古い書庫にはご用心
      ※ 590000Hitリクエスト。キリ番ゲッター琴様に捧げます。




「おや、お妃様。何故こちらへ?」
 古い文献が並んだその書庫で夕鈴が出会したのは、かなり珍しい相手だった。


「李順殿。―――いえ、書棚の中に古いものがいくつか混じっていたので。」
 普段誰も足を踏み入れないような古い書庫とはいえ、いつ誰が来るか分からないので互い
 に演技で応対する。
 オーラ的には「こんなところで何してる小娘!」「すみません―――ッ」というやり取り
 が行われているが、表面上は眉一つ動かしていない。
 ここで演技を疎かにすると後のお小言が怖いから夕鈴も必死だ。

「…これはどちらでしょう?」
「ああ、それならこちらですね。」
 書簡の表をちらりと見ただけで分かったらしい李順に促され、夕鈴は彼と一緒に奥へ進ん
 だ。




 さりげなく聞いたところによると、李順さんは調べものをするのに古い資料が必要でここ
 へ来たらしい。
 ただ、それが何かまでは答えてもらえず、それ以上聞くのもバイトの範囲外だと言われそ
 うだったので止めた。
 バイトは求められたことだけをこなしていればいい。それは何度も李順さんから言われて
 いることだ。

 手伝いはできなさそうだと判断して、夕鈴はとにかく自分の用事を済ませることにした。




 二人の間に会話はなく、時折コトリと物を置く音がするだけ。
 長くも短くもない、ただただ静かな時が過ぎていった。










*


「中は確かめなくて良いのか?」
 慣れた手つきでさっさと扉に手をかける相手に、もう一人が声をかける。
 扉を持つ男は書庫を見回り鍵をかけるのが仕事で、尋ねた男はたまたま会ったので付いて
 来た。
 この後は何人かと一緒に飲みに行く予定だ。
「こんな古い書庫、どうせ誰もいないだろ。」
 何の物音もしないしと、毎日同じことを繰り返す彼は面倒そうな顔だ。
「そりゃ最初の頃は奥まで見てたけどさ。一度も誰かがいたこととかないし。」
「じゃあ良いか。」
 男がそう言うのならと聞いた方も納得した。

「…結構力が要るな、これ。」
 二人でそれぞれ取っ手を持って重い扉を引いて閉め始めるが、古い故に建て付けも悪く
 なかなか閉まらない。
「だろ? もう毎日大変なんだよ。」
 早く帰りたいと男がぼやいて、急ごうと手伝いの男も力を入れた。


*








 誰かが何かを話しているというのは夕鈴も李順も気づいていた。
 しかし、奥の方にいたから何を話しているかまでは分からなかったのだ。

 ―――様子がおかしいと気づいたのは、ギギッと軋むような音が聞こえたとき。


「え?」
「……?」
 それが扉の音だとようやく気がついて二人は顔を上げる。
「まさか… ―――ッ!」
 ハッとして夕鈴が書棚の陰から顔を出したときには、もう扉は隙間無く閉まった後。

「え、ちょっと…!」
 最悪の事態を想像して夕鈴は青くなる。
 そうしてその通り、「待って」という声は鍵を閉める音にかき消されて届かなかった。








「―――やはり閉まってますね。」
 数度確かめても変わらない事実に李順がため息をつく。
 ものすごく落ち着いている彼が不思議で夕鈴は一人慌てた。
「ど、どうしましょう…!?」

 非常にまずい、緊迫した状況だというのは夕鈴にも分かる。
 だからといってどうすれば良いのかはさっぱり分からないけれど。

「…仕方ありません。誰かが気づくまで待つしかありませんね。」
 縋るような目を向ける夕鈴をちらりと見遣り、彼は扉から手を離す。そして他に手はない
 と付け加えた。
「えっ!?」
 外に人がいる雰囲気もないし、見回り後なら次に人が来るのがいつかも分からない。その
 状況で待つしかないなんて。
「陛下が気づいてくだされば、今夜中には出られるでしょう。」
 ますます顔色を悪くする夕鈴を前に、彼の顔は全く変わらない。
 本当にどうしてこんなに冷静でいられるのか謎だ。

(…ってゆーか、気づかれなかったら朝までこのままなの!?)
 あまりに絶望的な状況に正直泣きたかった。







 元々夕刻近かったこともあり、すぐに日は落ちてしまう。
 明かりがつけられない書庫は薄暗く、唯一の救いは高窓から差し込む月明かりだけだ。

 最初は書庫の片付けをして気を紛らわせていたけれど、見えなくなってきたので切り上げ
 ざるを得なかった。
 李順さんも奥から戻ってくると、手近にある椅子に腰掛ける。
 彼の手の中にあるいくつかの書簡は明日の朝にでも見るつもりなのだろう。

 それを横目で見ながら、夕鈴はそわそわと落ち着かず近くをうろうろしていた。


(な、なんか出そう…)
 闇が濃くなっていく書庫の先を見つめて慌てて目を逸らす。
 暗いし雰囲気が"それ"っぽくてちょっと怖い。
 外の木々を揺らす風の音にすらビクッと身体が跳ねそうだった。

「…夕鈴殿。」
 だから、突然李順さんに呼ばれたときも必要以上に反応してしまったのだ。
 ハイと言った声も完全に裏返っていて、李順さんの眉が一瞬寄せられたのを夕鈴は見逃さ
 なかった。
「そこに座りなさい。」
 彼の前の椅子を指してそう言われ、おそるおそる向かいの椅子に座る。
 これから怒られるのだろうか。実際 心当たりは多分にあったから。


「―――ちょうど良いのでお妃教育のおさらいでもしましょう。」
「ゲッ」
「何か言いましたか?」
 言われたことは予想外で、無意識に呻くと睨まれる。
 月明かりにメガネが反射してキラリと光るのが恐ろしかった。
 たとえ何かが出そうな古い書庫でもこれ以上に怖いものはない。

「いえっ お願いします!」
 よって他に言えることはなく、背筋をピンと伸ばしてそう返事をするしかなかった。




















「へーかぁ」
 一人仕事をしていた黎翔の元へ浩大がやってくる。
 相変わらず器用に窓枠に腰掛けて、軽い調子で声をかけてきた。

「お妃ちゃん見てないッスか?」
「いや、見ていないが… どうかしたのか?」
 筆を手にしたまま黎翔は顔を上げる。
 そもそも、机上に山のように積まれたこの書簡を片づけなければ夕鈴に会いに行くことは
 できない。
 そのため彼女とは、昼間政務室で別れたきりだ。

「侍女達がさ、お妃ちゃんが戻らないって探してた。」
 浩大は別件の用事を命じていたので、今日は夕鈴から離れていた。
 そのために今日は彼女を王宮の方に呼んだのもあるのだが。
「私と別れた後は書庫の整理をしていたはずだ。」
「点検してもう閉めたって。」
「―――――…」
 そこで浩大がわざわざ報告に来た理由が分かった。
 途端に場の空気が変わる。

「―――今すぐ動けるのは何人だ?」
 書類を放り出して立ち上がり、"狼陛下"が顔を出す。
「うーん、3、4人ですネ。」
 浩大はくるっと頭を巡らせて、思い当たる顔を並べた。
 あと少し時間があればあと何人かは使えると思うが、狼陛下はきっと待てない。
「探し出せ。」
「りょーかい。」

「それから李順はどこだ?」
 李順にはこれ以降の仕事の調整を命じなければならない。
 しかし、いつも小うるさいその側近の姿がなかった。

「…そういえば見てないッスね。」
 近くにはいなかったよとは浩大の言葉。

「……何?」
 そこで初めて、黎翔は側近の不在に気がついた。

















「夕鈴殿…」
 何度目かの大きなため息に夕鈴の肩がビクッと震える。
「貴女は何故こんな簡単な詩を間違えるんですか。」
「うっ すみません…」
 厳しい指摘に反論できる要素はなく、夕鈴は小さくなるしかなかった。

 今日の課題として出されたのは、有名な詩人(らしい人)の詩の暗唱だ。
 暗くて字が見えないのでちらりと盗み見ることもできない。

 ちなみに李順さんは完璧に覚えていて、間違いは瞬時に見抜かれダメ出しされた。相変わ
 らず侮れない。
 もういっそ李順さんがお妃様でも良いんじゃないかという教養具合だ。
 …想像してみたら怖かったから、頭からすぐに打ち消したけど。

「では、もう一度。」
「……はい。」
 朝までこれが続くのかと思ったら気が滅入る。
 ほんとに誰でも良いから気づいて欲しい。



「あ、みーつけた!」
 救いの手は意外な方向からやって来た。
 高窓から明るい声が降ってきて、二人で顔をそちらに向ける。
「こんな古い書庫にいるなんて予想外だったよ。」
 月明かりを隠した影がひらひらと手を振っていた。

「浩大!」
「意外に遅かったですね。」
 夕鈴に続けて李順さんが声をかけると、浩大はオヤ?という顔をする。
「李順さんも一緒か。どーりでいないはずだよね。」
 どうやら浩大は李順さんのことも探していたらしい。
 同時に仕事が片付いたと安心したようだった。


「ちょっと待ってて。もうすぐ陛下が迎えに来るから。」
 分かったと頷きそうになって、はたと止まる。
 …今 浩大は何と言った?
「そんな、わざわざ陛下がいらっしゃらなくても浩大が開ければ良いんじゃないの?」
 こんな人気がない書庫まで陛下に来てもらうのは気が引ける。鍵さえ開けてもらえればす
 ぐに戻れるのに。
 夕鈴がそう言うと、浩大は困った顔を返してきた。
「それがさぁ… もう結構な騒ぎになっちゃってて。」
「へ?」
「あれほど過剰演技はなさらないようにと申し上げていたのに…」
 きょとんとする夕鈴に対して李順さんは苦い顔。
 それをまあまあと浩大が宥める。
「心配したんだよー お妃ちゃんは何度も危険な目に遭ってるわけだし。」
 最初から事件の可能性を念頭に置いて動いていたのだと説明された。
 それで次第に人を増やしてしまったのだという。ただの事故なのに申し訳ない。

「―――故意の可能性は?」
 浩大は李順さんに目を向ける。
 ハッとして夕鈴もそちらを弾き見ると、李順さんはメガネを押し上げながら否定した。
「ありませんね。状況的にもただの事故です。」
「そりゃ良かった。」
 血が流れるところだったと浩大が物騒なことをさらっと呟いて、李順さんは深く長ーい息
 を吐く。
 その辺りは夕鈴には意味がよく分からなかったけれど、聞ける雰囲気じゃなかったから諦
 めた。

「…仕方ありません。陛下に伝言をお願いします。―――なるべく多く、人を引き連れて
 きてくださるように、と。」












 しばらく待っていると、たくさんの足音が聞こえてきた。
 李順さんの伝言通りに陛下が人を連れて来たようだ。

「では、夕鈴殿。言った通りにしてください。」
 策と手順はすでに聞いている。あとは、夕鈴と陛下の演技次第だ。
 はいと 夕鈴が頷くと、彼は棚の奥へと入っていった。



 荒々しいいくつもの足音が扉の前で止まる。
 ガチャガチャと音がして、次いで鍵が外れる音も聞こえた。

 それを耳にしながら、夕鈴はもう一度頭の中で反芻する。
 やることはいつもと大して変わらないから失敗することはないだろうけど、それでもやっ
 ぱり緊張するもの。
 だって、ここでヘマしたら李順さんに何と言われるか。鬼上司の叱責は何より怖い。




「夕鈴!」
 再び重い音を立てて扉が動き、開かれたと同時に飛び込んできたのは陛下だった。
「陛下ッ」
 明かりに照らされた室内で夕鈴の姿を見つけると、彼は大股で夕鈴のところまでやってく
 る。
 そうして夕鈴の肩を引き寄せると強く抱きしめた。

「怖かっただろう。遅くなってすまなかった。」
「…ッ」
 いつも以上に密着する身体と耳元にかかる声もいつもより近い。
 心の中ではぎゃあ!と叫んでしまうが、これも演技のためだと表では必死で我慢する。

(今は演技中…ッ 失敗すると李順さんが怖い…!)
 ぐるぐる回る頭の中でそう言い聞かせた。

「へいか…」
 緊張で震えた声はちょうど良くか弱い妃の演出となる。
 さらにそうっと背に手を回して、陛下の服をぎゅっと握り込んだ。
「ああ、私はここにいる。もう大丈夫だ。」
 囁く声は更に甘く、抱きしめる力は更に強く。
 そんな二人を見て、その場にいる全員がようやくホッとしたのだった。







 そうして誰もが二人に集中している間に 李順はこっそり後ろに回って人に混じる。
 たった今そこに辿り着いたように装って、彼らと共に演技中の仮夫婦を見遣った。

「―――ご無事だったようですね。」
 もう一押し、念のために何食わぬ顔で隣の男に話しかける。
「これは李順殿。…どうやらそのようですね。本当に良かった。」
 相手は李順の存在に違和感を持つこともなく、こうして李順は綺麗に周りに溶け込んだ。






 ―――書庫に閉じこめられたのは妃一人だけ。
 そこに王の側近の名は一度も上がることなく、誰もそれを知らぬまま。

 全てはそのように処理された。




 …ちなみに、点検を怠った男は職務怠慢で減給処分となった。

 陛下のご寵妃が巻き込まれ 大事件に発展しかけた割に罰が軽かったのは、その閉じ込め
 られた妃自身の口添えだったとか。
 そのことにより、お優しい妃の株はまた上昇したとか。


 そんな余談を含んで 月夜の事故は終わりを迎えたのだった。




2013.2.11. UP



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お題:もしも、夕鈴と李順さんが夜の物置に閉じ込められて朝、管理者が開けるまで出れなかったら…

今回はちまちまと視点を入れ替えてみました。
漫画ならともかく、小説でこれやるとちょっと煩いかな…(汗)

内容的には、李順さんなので題材の割にほのぼの(笑)
李順さんは表向き厳しいけれど、実は夕鈴に優しいイメージ。
ある意味陛下より彼女の身を案じてる気がするのですが。
いやほら、狼の毒牙にかからないようにって(笑)
1巻の李順さんのあれは本音だと思うので、今も逃がしてあげるべきだと思ってるのではないでしょうか。

琴様、キリリクありがとうございました!!
物置が書庫になったり、途中で発見されたりしてますが… スミマセン。
苦情などは随時お受けしておりますのでご遠慮なく言ってくださいませ〜



・オマケ・

「本当に何もなかった?」
「あるはずがありません。」
「お妃教育のおさらいって言ったじゃないですか。」
 黎翔の疑問に対して、二人揃って即否定を返す。
「こんな小娘相手に疑われるとは心外です。」
「ひどっ!」

 それに反論を返そうとして、「あ。」と思い出した夕鈴は怒りを引っ込める。
 これだけは言っておかなければ、ということを思い出したのだ。

「李順さん、あの時はありがとうございました。」
 きちんと頭を下げて礼を言う夕鈴を、言われた方は不思議がる。
「お礼を言われるようなことをした覚えはありませんが。」
 しらっととぼける彼に夕鈴はくすりと笑った。
「あれは怖がっていた私の気を逸らしてくださったんでしょう?」

 李順さんとやりとりをしているうちに怖さはどこかに行ってしまっていた。
 別の恐ろしさはあったけれど、少なくとも夕鈴の気を逸らすことには成功したのだから。

「…おかげで課題が山ほど見つかりました。」
「うっ 頑張ります…」
 今日ばかりは素直に受け入れるしかない。
 とりあえずしばらく課題は詩の暗唱になるのだろうと思いながら。

「むー。二人だけでわかっちゃっててズルい!」
 そんなやりとりを見て、小犬は不満そうな声を上げた。

 


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