華やかなる宴の舞台裏 2




 宴当日は、雲もなく大きく真白い月が天高く輝く夜。
 まさに観月にふさわしい美しい空の下、月の光を霞めぬ程度の灯りに照らされた場には参
 加者が次々と集まりだしていた。


「―――楽しみだ。」
 自分の席に座し、経倬は意地の悪い笑みを浮かべる。
 この後起こる出来事のことを考えると愉快でたまらない。

「私の作戦は完璧だからな。」

 もちろん、考えたのは部下だが。
 あの女が恥をかく姿を思い浮かべるだけで胸がすく思いだ。


「いい気になっているのも今のうちだ。」
 一人笑う経倬を隣の男が訝しげに見ていたが、それに気づくような彼でもなかった。





+





「お妃様、陛下の側近の李順様がお越しになりました。」
「え?」
 控え室の夕鈴が女官からそう告げられたのは準備が整った頃のこと。
 そんな予定あったかしらと思いながら、宴の前に注意事項でも言われるのだろうと入って
 もらうようにと返事する。

 それからすぐに 彼は何かを手にして入ってきた。



「お妃様、こちらは陛下からの贈り物です。どうぞお履き替えください。」
「え? はい。ありがとうございます。」
 彼が持っていたのは一揃えの沓。
 けれど、沓は衣装に合わせたものがちゃんと用意されていたし、今もそれを履いているの
 に何故?
 意味は分からなかったが、李順さんの言うことなのでとりあえず素直に礼を返す。

「―――足を、」
「あ、はい。」
 ついいつもの調子で言われるがままに従って、驚いたのはその後。

「っ!!?」
 李順さん!?と叫びそうになって慌てて口を噤む。

 椅子に座る夕鈴の目の前で膝をついた彼が自ら脱がせ、素早く持ってきた方を履かせたの
 だ。
 内心驚愕しながらも、周りには人がいるのでそこは鉄のお妃スマイルで乗り切った。


「…成る程。」
「え?」
 元々履いていた沓を見て李順さんが何やら納得したように呟くので聞き返す。
 けれど、分かっていたとはいえ、やっぱり答えてはもらえなかった。

「今宵は何があっても笑顔で切り抜けてください。」
「は、はいっ!」
 背筋を伸ばして返事をすると、李順さんは沓を持ったまま出て行ってしまった。


「……一体 何事?」
 今日の宴は無事に済むのだろうかと、途端に夕鈴は不安になる。
 けれど夕鈴の疑問と不安に答えてくれる人物は、残念ながらこの場にいなかった。





+





「妃はここにたどり着かない。」
 誰にも聞こえないように呟いて、経倬はニヤリと笑う。

 王が座す席の隣には空っぽの席が一つ。
 彼女の登場はまだ先だが、おそらく時間になってもそのままだ。

 ……そうなるように仕組んだのだから。


「陛下の怒りを買うがいい。」

 沓には滑りやすい細工を施し、妃が使う通路には水をぶちまけるよう指示をした。
 そこから引き返して別の道を行っても間に合わない。
 かといって無理に通ろうとすれば転んでしまって衣装を替えるために引き返さざるを得な
 い。

 そして、来ない妃にざわめく場で一言言ってやればいい。
 あの妃は我が王にふさわしくない、と。きっと誰もが賛同するだろう。

「…いい気味だ。」
 とても良い気分で酒を煽った。





+





「お妃様。」
「はい?」
 呼び止められて振り返ると、そこには政務室でよく話す官吏の一人が立っていた。
 どうしてこんなところに…と思ったが、それを聞く前に彼は身を引いて自分が立つ通路を
 明け渡す。
「そちらの道は今使えませんので、こちらへ。少し遠回りになりますが時間には間に合い
 ます。」

 使えないとはどういうことなのだろう?
 疑問は浮かぶが、時間に間に合わないのは困るので彼の申し出はありがたい。

「ありがとうございます。」
「いえ…」
 にこりと微笑んでお礼を言えば、照れたのか 頬を赤く染めた彼から目を逸らされた。









「…お妃様 来ないな。」
「そうだな。」
 経倬の指示通りに通路の影に隠れていた部下二人は、いい加減おかしいと首を傾げる。
 普通に考えても、この時間にここを通り過ぎていなければ宴には間に合わない。

 彼らの足下には出番を待つ水桶が二つ。
 予定では、通路の角に妃の姿が見えたら倒して逃げる手筈なのだが。


「おい!」
 と、そこへ、大変だと仲間の一人が息を切らしながら走ってきた。

「お妃様は別の通路を行かれたそうだ!」
「「何!?」」

 どおりでどんなに待っても来ないはずだ。

 ―――どうやら第一の作戦は失敗のようだった。





+





「陛下、お待たせ致しました。」
 鈴のような妃の声が場に響き、その瞬間に凍えるような空気が和らぐ。
 ふわりと風が花の香りを運んで妃の簪がしゃらんと鳴った。

「ああ、待ちわびたぞ。」
 彼女へと手を差し伸べながら、彼が向けるのはただ一人にだけのための甘い微笑み。
 間近で見てしまった妃はそれに頬を赤らめる。

 相変わらず仲睦まじい夫婦の様子に一部は苦々しい表情をするが、ほとんどは絵のように
 美しい光景に感嘆の息を漏らしていた。

 手を取り促されるままに妃が陛下の隣に腰を下ろすと、再び元のざわめきを取り戻す。
 そうして宴は滞りなく進められていった。





+





「なっ 何故だ!?」
 その光景を目にして驚いたのは経倬だ。

 妃はここに辿り着けないはず。
 なのに何故、時間通りに何もなかったのように現れるのか。

「経倬様、実は…」
 そっと背後から部下が耳打ちしてきたことで、彼は作戦の失敗を知る。
 故意かたまたまか、妃は予定の通路を使わなかったらしい。

 しかし、故意だとしても誰が仕組んだものかまではバレていないようだ。


「…ふん。まあ良い。だったら大勢の前で恥をかくだけだ。」
 策は幾重にも張り巡らせるものだ。
 たった一つ回避した程度で安心するなと、負け惜しみのように経倬は呟いた。





+





 月を題に幾人かが歌を詠む。
 それを誰かが素晴らしいと褒め、誰かはこちらの方がと一部を読みかえる。

 酒の席での余興だと、それらは談笑と共に交わされる。


「失礼します。」
 その時、国王夫妻の前に一人の官吏が進み出た。

「お妃様、月を前に琴で一曲いかがですか?」
 献上品だと告げる彼の前には美しい細工の琴が置かれている。
 確かに、今の彼女の装いには相応しい代物だ。

 ―――実は調律しても音が外れるように細工してあることを知っているのは幾人か。


「え、と……」
 妃は困ったように陛下の腕の中から陛下の顔を見上げた。
「よろしいのでしょうか?」
 何事にも控えめな彼女は、どうすれば良いのかと問う。

「陛下も、お妃様の琴をお聞きになりたくはありませんか?」
 もう一押しだと官吏は笑みを浮かべたまま すすっと琴を少し押し出した。





+





「さあ、皆の前で恥をかくと良い。」
 自分は全く関与していないという風情で傍観する姿勢をとりながら、経倬はおかしくて仕
 方がないと腹の奥でくくっと笑う。

 貴族の娘なら琴の教養は当然のことだ。
 ここで陛下が是と答えれば、妃は披露することになるはず。

 そこで妃はまずまずの演奏を見せるだろうが、最後まで弾くことはできない。
 弾けば弾くほど外れていく音にあの女はどんな反応を見せるだろうか。

 見苦しく琴のせいにして責めるだろうか。
 そうなれば好都合。化けの皮が剥がれたと言ってやろう。

「さあ…!」
 早く 醜態を曝せ!!





+





「―――お妃様には琴よりも歌がお似合いでしょう。」
 是非にと勧める官吏の声を遮って、柔らかな声が横から入り込んだ。
「…氾水月殿。この琴では不満だと申されるのか。」
 プライドを傷つけられたと言わんばかりの相手を水月は笑顔でかわす。
「いえ、貴方のそれは素晴らしい琴だと思いますよ。ですが、せっかくならば私はお妃様
 の歌声を聞きたいと思いまして。」
 彼の笑みは妃へも向けられる。
「こ、光栄ですわ…」
 それに強張った笑みを返す彼女の顎を掬って、陛下は己の方へと向けさせた。
 …彼女の笑みは自分のものだと言わんばかりに。

「っ!?」
「君の歌声なら私も聞きたい。」
 息を詰めて耳まで真っ赤になる妃に、陛下は艶やかに笑む。
「私のために歌ってくれるか?」
「は、はい…!」
 彼女の返事を聞いた陛下は満足したように笑みを深めた。



「―――氾水月。」
 横目で名を呼ばれ、その意を汲んだ水月は頭を下げてから席を立つ。
「では、音は我々が引き受けましょう。」
「は!?」
 ついでに隣に座っていた方淵の腕を掴んで彼も一緒に立たせた。
 事態を飲み込めていない彼のことはお構いなしに、水月は国王夫妻の御前まで引っ張って
 いく。


「何故私がッ」
「君、笛は得意だろう?」
 怒りを隠さず今にも戻りそうな方淵を水月は笑顔で押し留める。
 政務室の仲間の一人が持ってきた横笛を方淵に渡して、自身は琵琶を手に取った。

「…柳家の評判を落としたくはないだろう?」
 さりげなく耳を寄せた水月が誰にも聞こえない程度で囁き彼に視線で促す。
 それを方淵が追うと、そこには苦虫を噛み潰したような顔をした我が兄がいた。

「…あの馬鹿がっ」
 浅はかな考えをすぐに察した方淵は憤りも露わに吐き捨てる。
 事が露見すれば痛い目に遭うのは柳家だ。あの男はまだ懲りていなかったらしい。
「教えてくれた政務室の面々に感謝だね。」
 くすりと笑って水月が調弦を行う隣に方淵も渋々腰を下ろす。

 正面では陛下に促された妃が躊躇いながら立ち上がったところだった。


「曲目は何がよろしいですか?」
「では、"月恋歌"を…」
「承知致しました。」
 妃の選曲に周りはほぉと感心した声を上げる。

 月に恋する乙女の歌。
 誰もが知る曲で、多くの貴族女性が好む歌だ。それは彼女も例外ではなかったらしい。

「さすがお妃様だ。良い選曲だね。」
「フンッ」
 水月は素直に感想を言い、方淵は素直にならずにそっぽを向いた。

「ああ、君もその琴で参加しないかい?」
 脇に避けようとした男を知らないふりで誘ってみる。
「…いえ、私は遠慮します。」
 恥をかくのは自分だとよく知る彼は静かに答えて下がってしまった。

「…まあ、当然か。」
「遊んでないでさっさと終わらせるぞ。」




 月夜に朗々と響く妃の美しい歌声。
 初めて合わせたとは思えないほど息の合った笛と琵琶。


 なかなかの演出だと周りの評判は上々。
 陛下も気に入ったようで、演奏後には氾水月と柳方淵両名に褒美を与えていた。

 そして愛しい妃にも褒美と称して膝に座らせた上に頬に口付けを贈る。
 陛下はそのまま宴を続けるつもりだったようだが、そこはさすがに妃の懇願によって止め
 られたようで、渋々隣に下ろしていた。





+





「くっ 方淵の株まで上げてしまった!」
 再度の失敗に経倬は歯噛みする。
 しかも、そればかりか手柄を氾家と弟に持って行かれてしまった。
 このままでは自分の見せ場がないまま宴が終わってしまう。

「だが… まだ手はある。」
 今度こそ妃に恥を!と 部下に目線で合図を送った。





+





「陛下、お妃様。こちらをどうぞ。」
 一目でお酒と分かる器を持った官吏が国王夫妻の前にやってくる。

 中は甘さで誤魔化してあるが度数が高い酒だ。
 妃はかなり酒に弱いと聞いている。どんな醜態を曝してくれるか。

「…何だ?」
「まあ、ありがとうございます。」
 陛下は警戒してか顔を僅かに顰めるが、妃は素直に礼を述べる。
「ぜひ 飲んでいただきたく…―――!」
 さらに一歩踏み出した彼の身体がぐらりと後ろへ傾いた。

「え?」
 咄嗟に手を出しかけた妃の腰を引いて陛下は彼女を抱き上げる。

 ―――よって、犠牲者は一人。


「〜〜〜ッ」
 ゴチンと小気味の良い音が聞こえたと同時に、ひっくり返った器の中身が彼の顔に思いっ
 きりかかる。
 彼の足下には胡桃の実が数個コロコロと転がっていた。

「だ、大丈夫ですか!?」
 目の前で盛大に転んだ官吏に妃が驚いて声をかけるが、目を回してしまった彼からの返事
 は返らない。
「申し訳ございません。」
 そこへすっと数人の官吏が進み出て、一人が国王夫妻に謝罪、他は転んだ官吏をさっさと
 運び出す。
 その後に来た数人は手際よく床を拭き終わり、何事もなかったかのようにいなくなった。


「お二人にかかってはいませんでしょうか?」
「私達は問題ない。」
「それはようございました。」
 陛下が答えると彼は安堵したように胸を撫で下ろす。

 陛下が咄嗟に抱き上げたことと、間に料理を乗せた卓があったことも幸いしたようだ。
 "後ろに転ぶように"計算していたとはいえ、万が一というのもあった。

「あ、でも、せっかく勧めてくださったのに…」
 何も知らない彼女が純粋に申し訳なさそうな表情になると、官吏は別の飲み物を持ってこ
 させる。
「こちらでお許しください。」
「これは?」
「南原産の果実を使った果実水です。」
 一瞬警戒した様子を見せた陛下も、官吏と目を合わせると ふむと頷いて妃の杯に注がせ
 た。


「どうだ?」
「…甘くて美味しいです。」
 一口飲んだ彼女はふんわりと表情を綻ばせる。
 その愛らしさを目の当たりにして官吏が思わず頬を染めると、周囲の空気が一瞬にして冷
 えた。

「―――では、私も少しもらおう。」
 言うやいなや妃の手を包み込むようにして杯を寄せ、残った分を一気に飲み干す。
「!?」
 それから杯から零れた滴を舌で追い、彼女の指をぺろりと舐める。
「…成る程、確かに美味だな。」
「〜〜〜!?」
 真っ赤になる妃に向かって、陛下はその果実水にも負けない甘さで笑んだ。





 観月の宴はこうして成功のまま幕を閉じ、


 国王夫妻の仲の良さはいつも通りだと印象づけられた。













 ―――そして、その裏では、


「くっそー! 今に見てろよ!!」

 悔しがって地団駄を踏む柳経倬の姿と、


「やったな!」
「おう!」

 成功を称え合う政務室メンバーの姿があったとか。




2013.7.15. UP



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お題:経倬様を讃える会VS政務室メンバー

ゆるいギャグです。
「雰囲気的には、陰謀を叩き潰す水面下の攻防と言うより、経倬様側のしょーもない作戦を、
 政務室側が蠅叩きでぺちぺち叩き落としてるような緩〜い戦いが良いです。」
とのことだったので♪

合間合間に経倬様の独白を入れたら妙に長くなりましたww
隣の官吏は不気味に思って途中でいなくなってますwww

方淵と水月さんは単なる趣味です。仲良しな二人が書きたかっただけです。
そして陛下の頬キス&間接キスは我が家の陛下通常仕様です。セクハラです(キパッ)

佐智様、素敵リクありがとうございましたv
経倬様の人気に嫉妬するくらいです(笑)
何だか煩い話になってしまいましたが、すべての責任は経倬様へ。←
苦情その他は受け付けております故、いつでもどうぞ☆
それから、いつもたくさんの感想ありがとうございます〜v

 


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