夫婦喧嘩と貴族様のお使い 2




「指定された飯店はここだな。」
 氾家兄妹を外に残し、方淵は一人で店内に足を踏み入れる。
 お昼時は過ぎていたため人は少なかったが、それでも中は人々の話し声で賑わっていた。

「―――――…」
 いらっしゃいませと駆け寄ってくる少女に「連れが先に来ている」と告げ、ぐるりと店内
 を見渡す。
 目的の人物の後ろ頭を見つけると、彼―――徐克右は数人の男達と卓を囲んで談笑をして
 いた。


「遅くなってすまない。」
 肩をポンと叩いて声をかけると、相手は振り向いて一瞬沈黙したものの、すぐに人好きの
 する笑みへと変える。
「いや、そんなに待ってないから大丈夫。」
 克右はそう言って立ち上がり、周りに別れを告げて別の卓に方淵を誘った。






「…まさか、貴方が出て来られるとは思いませんでしたよ。」
 少しばかり声を落とせば、周りにかき消されて会話は他には聞こえなくなる。
 上手い場所だなと思いながら、方淵は巻物を取り出して卓上に置いた。
「李順殿が行けないと言うのだから仕方ない。」
「……ああ、まあそうですね。」
 眉を下げて困った顔で頭をかきながら、克右はそれ以降の言葉を濁す。
 そして何かを誤魔化すように巻物を手にとって軽く開いた。
「ああ、これです。助かりました。」
 さらっと流し読んで、それが目的のものだと確認した克右が頭を下げて礼を言う。
「しかし、大変ですね。」
「他の者に任せられないなら行くしかない。」
「…………そうですね。」
 同情の視線を寄越された本当の理由に方淵が気づくことはなかった。


(実はこっちがついでなんて言えないよなぁ…)
















「賑やかですわね。」
「本当にね。」
 道の両側にずらりと並んだ露店はどこも盛況だ。
 下町は今日も活気に満ち溢れている。
「陛下の御世が安定している証拠だ。」
 方淵もどこか誇らしげだ。
 変わらず陛下が一番!な彼の様子に水月はこっそり笑った。


「―――あら、大根値上がり?」
 喧噪の中、聞き慣れた声が彼らの耳に聞こえたのは野菜売りの前だった。

「おお、夕鈴ちゃん。根野菜はどれもかな。これでも抑えてるんだ。」
「今夜はお鍋にしたかったのに… うーん、困ったわ。」
 財布の中身を確認しながら、彼女はしばらく考え込む。
 それから大根を手に取り見比べ、他の野菜もいくつか見た後で何か思いついたような顔を
 した。
「じゃあ、この人参とほうれん草も買うから、合わせてこの値段でどう?」
 夕鈴が指を立て、店の親父は困った顔で顎を撫でさする。
「せめてもうちょっと、」
「じゃあ他の店に行くから良いわ。」
「う…っ お得意様の夕鈴ちゃんに逃げられるのはイタイな。―――じゃあ里芋をこんだけ
 付けてこれは?」
 今度は親父が指で示し、主婦夕鈴は里芋と親父の顔を交互に見ながら損か得かを瞬時に計
 算する。
 そして、今夜の献立を多少変える必要があるが、無駄にはならないと思い至った。
「うーん… よし、買うわ!」
「まいどありー」
 交渉は無事成立し、親父はいそいそと食材を包み始める。
 その量は夕鈴の買い物かごに入りきりそうもなく、親父もそれにはすぐに気づいた。
「一人で持って帰るには重いだろ? 後で家まで届けるよ。」
「ほんと? ありがとう! だからおじさん好き!!」
「なーに、夕鈴ちゃんのためならこれくらいいつでもやってやるさ。」




「まあ! あれが値切りというものですのね!」
 初めて見ましたと、紅珠がきらきらと目を輝かせる。
 目の前の光景に唖然としていた方淵はその声で我に返り、王后らしからぬそれに眉をギッ
 とつり上げた。
「おっ…!」
 叫びかけた方淵の口を水月が後ろから素早く塞ぐ。
 予想通りの反応だと思いながら、最悪の事態を事前に回避できたことに心から安堵する。
「さすがにここでその御名を呼ぶのはまずいよ。」
 その間ももごもごと暴れているが、落ち着くまでは離せない。

「ん?」
 その時、こちらの様子に気づいた彼女が振り返った。

「あら、紅珠。…と、方淵殿に水月さんまで。」
「夕鈴様!」
 花をふりまいて走り寄る紅珠の頭を撫でて出迎え、後ろの二人にもにこやかに声をかける。
 不機嫌だった陛下とは対照的に、彼女の方は何事もなかったかのように普通だ。
 …怒りの矛先は陛下だけだからかもしれないが。

「お元気そうで何よりですわ。」
「ええ、私は元気よ。紅珠も変わりない?」
「はい! 夕鈴様にお会いできてますます元気になりましたわ!」
 美少女が二人で朗らかに談笑する様は端から見れば麗しいのだが。
 明らかに庶民ではないオーラのおかげで大変目立っていることに当人達だけが気づかない。

「紅珠、…と、夕鈴様。一旦どこかの店に入りませんか?」
「「??」」
 呼ばれて振り向いた二人が何故という顔になった。
 本気で自覚がないらしい。
「目立ちすぎだ!」
「……君の声もね。」
 水月の手から解放された方淵が声を上げ、水月が溜息をつく。
 ああ、とようやく気づいた夕鈴が少し考えてから往来の先を指さした。

「じゃあ、近くに知り合いの店があるので そこに行きましょう。」






「止めてください!」
 少女の震えた声に全員の視線がそちらに移る。
 果物が並ぶ露店の前に柄の男が数人、彼らに囲まれた少女が声の主のようだった。
「ちょっと付き合って欲しいって言ってるだけじゃないか。」
「お店があるんですっ」
 震えながらも気丈に答えるが、男達はニヤニヤと笑うだけだ。
「ばーさんがいるだろ。」
「おばあちゃんは目が見えないから一人にしておけません!」
「そんなに時間はかからないって。」
 男が少女の腕を掴むと少女の表情が変わる。
 必死に抵抗をしてみるけれど、男女の力の差は歴然だ。
「イヤッ 誰か…!」



「全く…傍迷惑な奴らがいたものね。」
「え?」
 溜息を零しながら紅珠に買い物籠を預けると、夕鈴は周りが止める間もなくそちらへと向
 かっていった。




「―――その手を離しなさい。」
 静かだけれどよく通る声に、少女も男達も動きを止める。
 けれど、そこにいたのがたった一人の女だと知ると彼らは馬鹿にしたように鼻で笑った。
「何だ、女。邪魔するな。」
「聞こえなかった? その手を離しなさいと言ったのよ。」
 男達に睨まれようとも夕鈴は動じない。
 逆に睨み返して一瞬男達を黙らせる。

「…ッ て、テメーには関係ないだろ!」
 それでも一人が言い返せば、我に返った他の男もそうだそうだと言い始めた。

「―――言葉は通じないみたいね。」
 まあ分かっていたけどと呟いて、夕鈴は一歩後ろに下がる。
 手元には赤いりんごの山。
「…お代は後で払いますね。」
 おばあさんに謝ってから、手頃な一つを掴むと思いっきり投げつけた。

「ぃだっ!?」
 りんごは見事に男の顔面に命中し、彼らが怯んだ隙に少女の手を引いて自分の後ろに隠す。

「テメッ 何すんだ!」
 少女を逃がしてしまったこと、そして女にしてやられたことで彼らの怒りは一気に膨れあ
 がった。
 今にも掴みかかりそうな勢いの男達に対しても夕鈴はいつも通り。
「言葉が通じない馬鹿には実力行使しかないでしょう?」
「なっ!」



「アニキ! こっちです!!」

 その声が聞こえた途端に夕鈴は舌打った。
 気を利かせた誰かがお節介にも呼んでくれたらしい。


「―――うちのシマで問題起こしてるのはどこのどいつだ?」
『!!!』
 ほんの一睨みだった。
 隻眼の鋭い視線に射貫かれた男達は一斉に青ざめて固まる。
「…ここらじゃ見ねー顔だな。」

「す、すみませんでしたー!!」
 彼が名乗れと言う前に、彼らは野次馬の人垣を押しのけて逃げていった。



「大丈夫だった?」
「は、はい… ありがとうございました。」
 少女にお礼を言われ、夕鈴は気にしないでと答える。
 夕鈴にとっては当たり前のことだからだ。
「あ、そうだわ。りんごの代金を払わないと」
 籠は紅珠に預けたままで、財布もその中だ。
 取りに行こうとふり返ったところで、目の前にはいつも以上に目を吊り上げた方淵が立っ
 ていた。

「貴女はご自分の立場というものを理解していないのか!!」
 耳の奥がキーンと痛くなるような大音量。
 思わず塞ぐとますます睨まれた。

「―――本当にな。」
 その後ろからは呆れた声をかけられる。
「…じゃあ黙って見過ごせっていうの? 几鍔。」
 アンタまでそう言うのかと夕鈴は方淵の後ろを睨んだ。

 間違ったことをした覚えはない。
 困った人がいたら助けるのは当然のことだ。

「誰もそうは言ってねーだろ。こういう時はすぐ呼べ。今日は旦那もいねーんだろうが。」
「っ あの人は関係ないしっ そもそもあの人なんて知らないわ。」
 フイッとそっぽを向く。今あの人のことを言われたくない。
 まだ怒りは消えていないし、今の自分は里帰りという名の家出中だ。


「……それはちょっとあの方が不憫だと思います。」
 ゆったりと追いついた水月が苦笑いをしながら会話に入ってきた。
「何をそこまでお怒りなのかは分かりませんが。」

「…悪いのはあの人の方だわ。」

 悪いのは、何度言っても改善しないあの人。
 同じことで何度も私を怒らせて、それでもすぐに間違うから。


「そうですわね。あの方も少しは反省なさればよろしいんですわ。」
 紅珠だけは夕鈴に同調してくれた。
 やはりこういう時、女性の気持ちは女性にしか分からないんだと思う。
「反省なら十分しておられるようだよ。…ですから、そろそろ許して差し上げてはいかが
 でしょうか。」
 紅珠を宥めながら、水月が夕鈴に手紙を差し出す。
 それを受け取ってみると、表には何も書かれていなかった。
「? これ、何ですか?」
「旦那様からの手紙です。貴女のご不在がかなり堪えておられるようですよ。」


 …そのまま、突き返そうかと思った。

 でも、前にいる紅珠も方淵も水月さんもいつもと違う下町風の衣装を着ている。
 つまり、これを渡すためにわざわざ来てもらったのだと気付いてしまって。



「………」
 何も言わずにその場で手紙を開いた。
 誰も覗き込むことはなく、ただじっと夕鈴を見つめている。
 そんないくつもの視線を感じながら、見慣れた流麗な字で書かれた手紙をゆっくりと読み
 進めた。


 ―――そして、


(…本当に あの人は―――…)


「…分かりました。」
 手紙をきちんと元通りに畳んで懐にしまう。
「皆さんと戻ります。」
 水月さんがにっこりと微笑み、紅珠は夕鈴が決めたことならと仕方なさそうな顔をして。
 そして方淵は「手間をかけさせるな」と憎まれ口を叩いて踵を返して。

「旦那を凹ませるのも大概にしてやれ。」
 几鍔はそんな風に言って、頭を軽く叩くと子分達と一緒に戻っていった。



「…あ。」
 そういえばと思って三人を呼び止める。
 帰る前にあの食材をどうにかしないといけないことに気付いたのだ。

「うちで軽いものでも食べて行かれませんか? 皆さんには珍しい庶民料理を振る舞います
 よ。」



 ―――こうして大貴族の子息子女の下町お忍び任務は、夕鈴手作りの庶民料理をもって終
 了となった。













*












「…おかえり。」
 両手を広げて待つ彼の人の腕の中に飛び込む。

「全く。本当に仕方のない人だわ。」
 すかさず抱きしめられて、その中で夕鈴がぽつりと呟けば、彼から小さな「ゴメン」の言
 葉が降ってきた。


『君がいなくては昼も夜も明けない。』

 そんな文面から始まる手紙。
 長くも短くもないそこには、謝罪ではなく夕鈴への愛がただひたすら綴られていた。

『朝の光の中、夜の闇の中――― 全てに君を探す。』



「あんな恥ずかしい台詞をよくあんなにつらつらと書けますよね…」
「事実だよ。僕は君がいないとダメなんだ。」
 こんな弱々しい彼の声なんて、きっと他の誰も聞けない。
 それに胸を締め付けられながら、宥めるように彼の背をぽんぽんと叩く。

「君を失うことが怖い。君には窮屈かもしれないけれど、そんな僕の気持ちも分かってほ
 しい。」

 ちょっと息苦しいくらいの抱擁。
 でも、これが彼の不安の表れなら、今は少しくらい我慢しよう。

「…分かりました。でも、貴方の役に立ちたいという私の気持ちも分かってくださいね。」
「うん。」


るる様からの頂き物☆



 ―――でもきっと、この人はまた間違うんだろう。

 そしてきっと、私もまた怒るんだろう。


 それを何度も何度も繰り返して、そしていつか彼が気付いてくれたらと思う。

 私は貴方のそばにいるから。
 私は貴方の味方だから。


 だから、もっと 私を信じて下さいね。




2013.9.15. UP



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お題:夕鈴がまた家出。原因は一方的に陛下で、家出先は当然下町

元々別の時のネタで頂いてたのを、キリリクで再度リクエストしていただいた形です。
ネタをたくさんくださったのですがさすがに全部は盛り込めなかった…orz

家出日数も短めになりました。さすがに正妃がそんなに長くは空けれないなと…
一応夕鈴も正妃としての自覚はあるので、陛下以外には(ここ重要)迷惑がかからないように配慮してます。
李順さんが黙認してるのもそういうわけです。

そして、ちらっと出ましたが、実は夕鈴には優秀な副官がいる設定です。
方淵でも水月さんでも絽望さん(笑)でもないです。
オリキャラになるので出さない…というか、とある話で出すまではまだ秘密なのですー

幻想民族様、今回も遅くなって申し訳ありませんでした〜(汗)
何だかいつも間が開いてるような気がして本当に申し訳なく……
たくさんのネタをありがとうございました☆


9/30 追記)
るる様から夫婦のいちゃいちゃイラスト頂きました♪
自由にして良いとのことだったので挿絵にしちゃいましたー (^▽^)b

 


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