別れと出会い
      ※ ちなみに2人が結婚してる前提の未来話です。碧夫妻メインで、陛下の出番ないですけど。




 ―――産まれた子どもは産声を上げなかった。


 おかしいと思っていた。
 数日前からお腹を蹴ることがなくなった我が子。
 もう少しで産まれてくるはずだった。それなのに…

 まさか、へその緒が首に巻き付いていたなんて……



「…華南」

 夫は私を責めなかった。
 ただ名前だけを呼んで私を抱きしめた。

 その途端、涙が溢れて、止まらなくなって。
 子どもみたいに泣く私に彼はそれ以上何も言わず、腕の力を少しばかり強めた。


「ねえ、あなた……」
 どれくらい泣いたかはもう分からない。
 逞しい腕に身を預け、ほんの少し落ち着いた私は愛しい夫を呼ぶ。
 彼は私の顔を覗き込むと、そっと涙を拭ってくれた。
「どうした?」
「あの子を、腕に抱きたいわ…」
 ぎくりと彼の肩が揺れる。

 悲しいのは私だけじゃない。
 貴方も子ども達も新しい家族に会うのを楽しみにしていた。

「華南。あの子は……」
「分かってる。でも、抱きしめたいの。」
 渋る彼に再度請う。
「……分かった。」
 瞼に軽い口付けを落として、彼は部屋を出ていった。





「――― 一晩だけ、二人きりにさせて。」

 そうしたら、離れる覚悟ができるから。
 そうしたら、元気な私に戻るから。

 だから、今夜だけは、この子だけの母親でいさせて。

 私の願いを優しい夫は叶えてくれた。
 夜に一度様子を見に来ると、一つだけ約束を残して。





「ごめんなさいね…」
 白い布にくるまれた赤子はぴくりとも動かない。
 声を上げることもなく、その目を開くこともない。
「ごめんなさい……」
 再び溢れた涙が赤子の頬にぽたりと落ちる。
 指で拭っても拭っても濡れてしまう。
 終いにはぼやけて何も見えなくなってしまった。

 みんな新しい家族に会えるのを楽しみにしていた。
 私も、貴方に会うのを楽しみにしていたの。
 本当よ。

「…私の可愛い子。大好きよ。」
 ありったけの愛を込めて囁き、冷たい頬に口付けた。










「……華南、起きているか?」
「―――ええ。」
 真ん丸の月が天頂に差しかかった頃、夫が華南の部屋に顔を出した。
 赤子を抱いたまま、華南はゆっくりと振り返る。
 蝋燭の明かりに照らされた彼の顔は、目が合うと安堵の色に変わった。
 僅かな足音を立てて、華南が座る寝台までやって来る。
「何をしているんだ?」
「…お乳をね、あげていたの。」
「っ」
 私の頬へ伸びかけていた彼の手が目の前で止まる。
 一瞬で表情が固まったのが分かった。

 壊れてしまったのかと思ったと、後に夫は語った。
 死んだ赤子にお乳は飲ませられないのに、と。

 けれど、この時 涙腺は壊れてしまっていたかもしれないけれど、心の方は思ったよりも
 しっかりしていた。
 私は一人ではなかったし、夫は優しかったから。
 彼らの愛が私の心を繋ぎ止めてくれた。


「…溢れてくるのよ。この子にあげたいって。」
 飲んでくれる赤子はいないのに。
 なのに、お乳は止まらずに溢れ続ける。
 次第にこれはこの子が飲みたいと言っているのだと思って、溢れる乳を指に掬っては口に
 運び始めた。

「今夜だけなの。だから、思う存分飲ませてあげたい。」
「……そうか。」
 静かに呟いて、夫は隣に座った。
 そうして、広く大きな手のひらで赤子の頭を撫でる。
「良かったな。」


 ―――次第に蝋燭も尽き、月明かりだけが差し込む部屋で、静かな静かな夜は過ぎていっ
 た。










********











 戻ってきた日常は慌ただしく過ぎていく。
 どんなに悲しくても、朝は来るし、いつまでも浸っていられるほどの暇もない。
 華南には他に元気盛りの三人の息子がいたし、夫には仕事がある。


 そして、夫の前以外ではいつも通り振る舞える程になった頃、


「―――華南。王宮で仕事をしてみないか?」
「え…?」
 夫が突然華南に仕事を持ってきた。

「お后様が乳母を探しているんだ。」
 お后様―――狼陛下の唯一の花嫁。
 かの御方が懐妊されたことは誰もが知るところ。
 乳母を探しているというのも当然の流れだ。
「私が…?」
 けれど、何故夫がそれを私に勧めるのかが分からない。
「忙しい方が君も気が紛れるだろう?」

 ……ああ、なんて優しい人。

 笑顔が漏れた私を見て、彼も柔らかく笑う。
「すぐに決めなくても良い。話だけでも聞きに行っておいで。」











「子育ては私がします。」
 王宮に話を聞きに行った時、最初にお后様が出された条件に目が点になった。
「私は自分で自分の子を育てたいと思っています。だから、そのアドバイスをしてくれる
 人が欲しいんです。」

 迷いなく、真っ直ぐに見つめてくる瞳はどこまでも澄んで、誰よりも輝いていて。
 思い描いていたお后様像とあまりに違っていて驚いた。

 そもそも、お后様自らが面接をしていることが一番最初の驚きだったのだけれど。


「―――どうしてですか?」
 面接としてはやってはいけないことだったのかもしれない。
 けれど、気がついたらその問いが口から出ていた。
「子育てはそう簡単なものではありませんわ。お后様には公務もおありでしょうに。」

 両立ができるのだろうかと。
 厳しいことを言っている気もしたが、子どものことを考えるとつい言いたくなってしまっ
 た。
 言ってすぐ、ああこれは落ちたなと思ったけれど。

「……そんな反応を返してくれたのは貴女だけだわ。」
 叱責どころか、お后様は目を丸くした後に感心したように呟かれた。
「貴女なら子どものことも大切にしてくれそうです。」

 何故、そのように嬉しそうな顔をされるのだろう。
 お后様の言動の何もかもが、華南の予想を裏切った。

「老師。私は彼女が良いです。」
 隣の小さな老人にお后様が弾んだ声で言い、老師と呼ばれたご老人はあごひげをなぞりな
 がらふむと頷く。
「陛下はお主の好きなようにと仰っておられた。お主が決めたのなら間違いはなかろう。」

 あれ、と思っているうちに話はどんどんと進んでいく。
 気がつけば、自分達の息子も一緒に連れて出勤して良いというところまで決まっていた。


「では、碧 華南様。よろしくお願いします。」
 やけに腰の低い もうすぐこの国の国母と成る御方は、少女みたいに可愛らしく微笑んで
 華南の手を取る。

「…はい、お后様。」
 全く予想がつかない行動をなさるお后様に驚きながらも、そっと握り返すとますます嬉し
 そうにされた。




 こうして私は後宮で乳母をすることになった。

 この後、国王夫妻に度々驚かされることになるなど、全く思いもせずに。




2014.3.1. UP



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突然ですが華南さんが夕鈴のところに来る前のお話です。
星風と香月の間が不自然に開いているのでどうしてかな、と。
それと、乳母ってことは年同じくらいじゃないと本来ダメだよねって。
ベースにあるのは、一つは昔読んだ少年誌の話。
たぶんジャンプかなーと思うんですが、すっごい印象に残ってるんです。
もう一つは先日の性教育講演会。
それが混じってこんなオリキャラメインのシリアスになりました。

亡くなった子どものことは夕鈴は知ってそうです。
夕鈴も凛翔より前に子どもを亡くしているので、その意味でも二人は似てますね。
このことは凛鈴兄妹は知らないかもです。
雪陽は当然覚えてますが星風は覚えてません。春空は微妙。
 


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