雪に消える




「まだ降ってるのね。」

 日が落ちた頃から降り続く雪は、今だ止む気配すら見せていなかった。
 窓を隔てた向こうで、室内の光を反射して瞬きながら落ちていくのが見える。

「この分だと、明日は一面雪景色が見られそうですね。」
 髪を梳く侍女も夕鈴と同じ方を見ながら微笑って言った。
「後宮から眺めですもの、きっと美しいのでしょうね。」
「ええ、それはもう。」
 自身たっぷりに答える彼女に夕鈴も笑う。
「それは楽しみね。」




 音もなく雪は降り続ける。

 気づかないうちに積もる何かと同じように。





 侍女を早めに下がらせて、1人で窓辺に座る。
 もし見つかれば風邪を引くと心配されそうだけれど、降り続くこの雪をどうしても眺め
 ていたかった。

 明日はきっと全てが雪に埋もれて真っ白になっているのだろう。


(―――何もかも埋め尽くすなら、私のこの気持ちも埋めてしまえたら良いのに。)
 そんな思いがふと過ぎる。
(そして、解ける雪と一緒に消えてしまえば……)
 そこまで思い至って、自嘲気味に笑った。
 感傷に浸るなんてらしくない。



 陛下が狼陛下のままで、隙を見せない人だったなら。
 …私はこんなに長くここに留まることはなかったと思う。
 一月の間をビクビクと暮らして、バイトが終わったらすぐにでも家に帰って忘れてしま
 おうと思ったかもしれない。
 でも陛下は陛下で、優しいところも可愛いところも意地悪なところも知ってしまって。

 …好きになっても仕方がないのに。
 後戻りできないほど気持ちが膨らむ前に、この気持ちごと全部消してしまえたら良いの
 に。


「――――…」
 しばらく見つめていた夕鈴は、何を思ったか、椅子から立つと近くに掛けていた上着を
 羽織った。







******







「…あれ?」
 いつもと同じ時間に彼女の部屋を訪れたはずなのに、そこには誰もいなかった。
「寝室かな?」
 そう思ってそちらも覗いてみたけれど、そこにも人の気配はない。

「…夕鈴……?」
 けれどやはり応える声はない。


 一人きりの部屋、まるで夢でも見ているようだ。
 どれが夢でどれが現実か、見失いそうになる。

 いつもあの笑顔に救われた。
 表裏のない彼女だから安心できた。
 そんな彼女だから 傍にいてほしいと願った。

 彼女に出会えたことこそ奇跡
 闇しか知らないような こんな自分にもたらされた光

 けれどもし、彼女の存在が幻なら―――


「夕鈴!」
 声に混じるのは焦燥か… 恐怖か。

 その時、黎翔の元へ風が舞い込む。
 刺すような冷たさに振り向くと、庭へと続く扉が開いていた。

「…まさか、外に?」









 はらはらと舞い落ちる雪。
 止むことを知らずに降り積もる。


 そして、その中に探し人の姿を見つけた。
 天を見つめて手のひらの雪を握りしめるかのように閉じてはまた開く。
 何を想ってそんなに切ない顔をしているのか。

 彼女は僕に気づかない。
 まるで、世界に1人きりでいるかのよう。

 ―――僕…私は、ここにいる。


「夕鈴!」
「―――はい?」
 応えた夕鈴がいつもの顔でふり返った。
 1人きりの横顔を一瞬で隠して。
「…何、してるの?」
 内心の動揺を抑え込み、努めて冷静な声で尋ねる。
「雪を見ています。」
「雪なら、部屋からも見れるよ。」
「ここが良いんです。」
 そう言って 彼女の視線は再び天上へと戻った。
 黎翔の存在を彼女の中から弾き出すように。

「…これが雨なら、全部流してくれるのかしら?」

 何を?とは、応えを求めない独り言に聞くことはできなくて。
 ただ彼女の横顔を見つめるしかない。

 2人を隔てているものは、降り続く雪か合わない視線か。

「――――――」
 それ以上は耐え切れなくて、階を降りた黎翔は消えかけた足跡を踏みあっという間に彼
 女の元へと辿り着く。
 そして彼女の手を掴んで引いた。
「戻ろう。」
「へっ?」
 氷のように冷たい手に眉を顰める。そして頭や肩に積もった雪にも。
 一体いつからここにいたのか。
「あの、」
 戸惑いの声を上げる彼女を無視して問答無用で引っ張っていく。
 僅かばかり抵抗を見せた彼女も、何かを感じたのかしばらくすると静かになった。







*******







「…陛下……?」
 雪に濡れた上着を脱がされ、代わりに陛下の上着を着せられた。
 そしてさらに今は火鉢の真ん前に座らされている。

 陛下はさっきから黙ったまま何も話さない。
 夕鈴が座る椅子の背に腰かけて、背を向けたままだ。

(何か怒ってる?)
 その理由が夕鈴には分からない。

「…あの、私、このくらい大丈夫ですよ?」
「ダメ。風邪引くからちゃんとあたたまって。」
「……はい。」
 怒っているのは私のためか。
 何となくそれは分かってしまった。

(…あんまり優しくしないで欲しいな。)
 彼が優しいのは知っている。そこに惹かれたのも確か。
 でも今はその優しさが少し苦しい。
 想いは埋もれてしまうどころか、降り積もって大きくなりそうで。

「侍女は?」
「え? ああ、今夜は冷えるから早めに帰ってもらいました。火は自分で消すから大丈夫
 よって。」
 特に何か考えていたわけではないから正直に話す。
「…それで君は1人で外へ?」
 帰したのは1人になりたかったわけでもなく、ただ本当に彼女達に寒い思いをさせたく
 ないと思ったからだなのだが。
 これは相当心配させてしまったのだと思った。

「ええと、すみません…」
「何に謝るの?」
 うう、けっこう手強い。
 言葉にも棘があってちょっと怯んでしまう。
「ご心配をおかけした、から…?」
「―――――」
(あら? 違ったのかしら?)
 何か言われると思ったのに、突然の沈黙で夕鈴は戸惑った。
 見上げた陛下の背中では彼の表情は読み取れない。

「…良いけどね。」
 何が良いのか夕鈴には分からなかったけれど、溜め息一つで彼の硬い空気が和らいだ。






 窓の外には今だ止まない雪
 全てを白く埋め尽くして降り積もる

 消えることもなく、流されることもなく
 音もなく大きくなっていくもの


 傷つきたくない
 だから その前に消してしまいたいのに

 貴方を知るたびに
 一つ、また一つと積もっていく


 ねえ 誰か教えてちょうだい
 どうしたら消してしまえるの 傷つかずに済むの

 ねえ 誰か―――








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・オマケ・
「明日雪が積もったら何をしようか。」
「…忙しいんじゃないんですか?」
「この状況じゃあまり仕事にならないと思うし。」
「でも、後宮でできそうなのは雪うさぎくらいですよね。子どもの頃に一通りの遊びは
 やりましたけど。」
「へえー 他にはどんな遊びをしてたの?」
「雪合戦とか多かったですね。近所の子どもが皆集まってぎゃあぎゃあ騒いで。」
「几鍔くん、とか?」
「ええもう! アイツとはしょっちゅうやりあってました。サシで勝負することも何度も
 あったりして。」
「…僕もやりたいなぁ。」
「は? 何言ってんですか!? 狼陛下が雪合戦とか李順さんが卒倒しますよ!!」
「残念。」
「……何なんですか、いきなり雪合戦なんて。」
「君が見てきたもの、してきたことは何でも知っておきたいと思って。」
「? 子どもの頃の話ですよ?」
「僕は君が子どもの頃を知らない。でも几鍔くんは知ってる。ずるい。」
「いや、ずるいとか言われても…」











2011.2.6. UP



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本格的に暖かくなる前に急いでUP。立春過ぎたし慌てました。
自分から1人になるのは平気なくせに、1人にされるのはダメとかどんだけ我儘なんですか陛下!
という話です。(え、そうなの!?)
…犬って逃げると追いかけますよね。そういう心理なのかしら?
てか うちの陛下は夕鈴の名前を呼びすぎだと思います。

夕鈴は、実は自覚してるんじゃないのかなぁとふと思うことがあります。
それであえて気づかないフリをしているみたいな。
深読みしすぎかなー

最後のオマケは、思ったより話が暗くなったので、なんかほのぼの会話を入れたかっただけです。
 


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