日向のような




「いい子ねー」


 お昼の休憩中に一緒にお茶でもしたいなと彼女の部屋を訪れた。
 入ってまず聞こえたのはくすくすと笑う声。
 居間に彼女の姿は見えない。となると、寝室の方かとそちらに足を向けた。


「夕鈴?」
「あ、陛下。」
 呼びかけに、寝台に腰かけていた彼女が顔を上げる。
「すみません。気がつかなくて…」
「良いよ。突然来たのは僕の方だし。」
 侍女達も入る前に下がらせてしまった。
 そういえば彼女達は何か言いたげにしていたなと思ったが、聞かなかったのは自分だ。
 だから謝る必要はないよと言えば、彼女は浮かせていた腰を戻して再び座り直した。

「夕鈴。それより、それ―――」
 目にした時から気になっていた。
 先程から彼女が大事そうに抱えている、白い布に包まれた"何か"。
 本当に分からない、というわけではないけれど… つい聞いてしまう。

「え? ああ… ほーら、お父さんですよ〜」
 笑われながら、夕鈴からその布の中にいた――――"赤ん坊"を向けられる。
 途端に空気がピシリと固まった。

「……陛下、冗談ですよ?」
 怪訝を通り越して、夕鈴から呆れた顔をされる。
「普段はさらりと流すのに突然何なんですか。」
「いや、さすがにちょっとビックリして…」

 責任とかいろいろ考えてしまった。
 よく考えなくてもそういう事実すらないと分かっているのに。

「? 変な人ですねー」
 きゃっきゃと声を上げる赤ん坊の頬をつついて夕鈴が笑う。
 赤ちゃんなんて久しぶりだと 彼女は嬉しそうにしていた。

 柔らかな頬にキスをして、少しだけ覗く小さな手に自分の指を握らせて。
 慣れた手つきで赤ん坊をあやす。


 その子に向けるのは 普段元気に走り回る彼女とは違う顔。

 春の日向のような、
 凪いだ日の海のような、
 身を任せてしまいたくなるような、

 思わず手を伸ばしたくなるような―――


「ゆ…」
「お妃様!」
 黎翔の声を掻き消して、慌てた様子で女性が部屋に飛び込んできた。

「っ陛下!? も、申し訳ありません!」
 彼がいるとは思っていなかったのだろう。
 その姿を認めた途端に青くなってさっと跪く。

 …今自分が何をしようとしていたか。
 彼女の登場はむしろホッとしてしまったくらいなのだが。

「挨拶は済みましたか?」
 緊張を和らげるように、優しい声で夕鈴が女性に声をかけた。
「は、はい。ありがとうございました。」
 それに幾分安心したのか 彼女の肩の力も少し抜ける。
 それでもまだ顔を上げられないでいる様子を見て、夕鈴はちらりと"狼陛下"の方を見る
 と苦笑った。

「じゃあ、この子はお返ししますね。」
 夕鈴は寝台から腰を上げると彼女の傍まで行って膝をつく。
 そうして顔を上げさせて赤ん坊を彼女の腕の中に返した。
「時間があったらまた見せに来てくださいね。」
「は、はい!」
 基本的に後宮で働く者達は夕鈴に好意を持っている。
 彼女もその1人だったようで、夕鈴の笑顔に目を輝かせて応えて。

 何度も頭を下げながら、彼女は退出していった。






「―――彼女の子どもだったんだ。」
 彼女の背中を見送ってから、いつものように話をしようと2人は長椅子に並んで座る。
 話題はやっぱりさっきのことで、黎翔が話を振れば夕鈴は心底呆れた顔をした。
「当たり前です。1日2日で子どもができるわけないじゃないですか。」
 …いや、分かってはいたんだけどね。
 焦るのは男の心理というかなんというか。
 口篭もる黎翔に、夕鈴はしばらく怪訝な目を向けていたけれど、「まあ良いか」と言っ
 て追求はしなかった。


「赤ちゃんって可愛いですよね…」
 重みが消えてしまった腕が寂しく感じるらしく、名残惜しそうに彼女は自分の手を見つ
 める。
「……欲しいな…」
 その呟きは無意識だったのかもしれないけれど。
「え!?」
「って、どうして陛下が動揺するんですか?」
 よく分からないと首を傾げられる。
「え… だって、僕の前でそれを言うって…」
 そこまで聞いて、夕鈴も意味が分かったようで真っ赤になった。
「! いえ、あの、そういうつもりじゃ…!」
 わたわたと夕鈴が焦って言えば言うほど、黎翔の機嫌は目に見えて急降下する。
「…僕が相手じゃ嫌なの?」
「嫌ってゆーか、ニセモノなんですけどッ」
 そんなの関係ないよ。と言ってもどうせ彼女は本気にしてくれない。
 これ以上何か言うと聞きたくない言葉が積み重ねられそうだからと、会話はそこで打ち
 切った。



「―――夕鈴だったら良いお母さんになるよね。」
 さっきの赤ん坊への接し方だけでも分かる。
 それは母親同然に育てた弟の青慎を見ていても同じ。
「愛して、叱って、抱きしめて。君の子は愛情いっぱいに育つんだろうな。…それが普
 通なんだろうけど。」
 それは当たり前であるはずの、けれど"珀 黎翔"という人間には無縁だったもの。
「陛下って"普通"にこだわりますよね。」
 以前手料理を作ってもらったときのことを言っているのか。
 それとも実家に戻ったときの挨拶の話か。
 どちらにしても彼女の呟きを否定するつもりはない。
「僕は王様だからね。普通が望めないから憧れるのかな。」

 王族は生まれたときから王族だ。
 その身は国のもので、国のために生きて死ぬことが義務付けられている。
 もちろん親に愛されたという記憶はない。
 庇護されるべき子どもの頃からいつも命を狙われ続け、安らぐことすらなく…


「陛下」
 突然夕鈴の手が伸びてきて、頭を抱きこまれた。
「いい子ですねー」
 そうしてぽんぽんと頭を優しく撫でられる。
 彼女の柔らかな腕に抱かれて、微かに笑われながらそれは繰り返された。
「夕鈴??」
 経験のない仕草には反応しづらくて戸惑いの声を上げる。
 艶めいたものではないことだけは分かるのだけど。

「私が愛情いっぱい注いであげます。」
 そうか、と気づく。
 彼女の声はさっき赤ん坊に向けられたものと同じだ。
「陛下が知らないなら教えますから。…母から子への愛情を。」

 それは、惜しみなく与えられる無償の愛。
 海のように広く、春の日向のように暖かい。

 彼女が見せた"母親"の姿に身を委ねたくなったのは確か。

 けれど――――


 彼女の腰へ手を回し、くるりと体勢を入れ替えた。
 軽い彼女と自分の位置を変えるくらいは簡単なことだ。
「え? あれ??」
 状況が上手く飲み込めていないようで、夕鈴が目をぱちくりさせて見上げてくる。
 押し倒されたのだと彼女が気づく前に細い手首を掴んで長椅子に縫い止めた。
「夕鈴が母ならきっと幸せだった。―――だが、君は私の妃だ。」
 がらりと変わった黎翔の雰囲気から、ようやく事態を理解した夕鈴が顔を真っ赤に染め
 る。
「母親としての愛情より、君からならこちらの方が良い。」
「陛下ッ 今、演技は要りませんから!!」
 必死で抵抗されたところで黎翔には全く通用しない。
「てゆーか、この体勢は何なんですか!?」
「…あの赤ん坊に取られてしまっていたからな。今からその分を取り返そうかと。」
「何ですか それは――!?」

 動揺しまくった夕鈴の叫び声は、大音量で後宮に響き渡った。







2011.2.9. UP



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ありがちネタかもしれませんが… 例の副産物のひとつです。
事実もないのになぜ焦る(笑)
これが夕鈴以外だったら一笑に付して終わりするんでしょうけど。
陛下は"母親"をあまり知らないんじゃないかなー
夕鈴が見せたのは母性だったんだけど、陛下はそれが最初は分かんなかったみたい。
まあこれは私の印象なので、公式で過去が出てきたら矛盾するかもしれません。
そしてオチはあんな感じです。
押し倒される側はよく書くのですが、押し倒す側視点というのはなんか新鮮でした(笑)

最近考えること。
陛下は夕鈴を逃がしたくない、でも子を産ませる気はない…そんな風に考えてるんじゃないかなと思います。
…なんだか矛盾してますよね。
だから、自分の気持ちだけ押し付けて 男の人って勝手だ。と、夕鈴に怒ってもらいたいな。
 


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