「今、王都の女性達の間で流行っていますの。」
 そのことについては、最初に紅珠がにこにこと話してくれた。
 流行に敏感なお嬢様はこういうことにとても詳しい。
 そしてそれが恋愛に関することであれば、尚更年頃の少女が興味を惹かれないはずがな
 かった。
「お妃様もやってみては如何ですか?」
「…え?」
 瞳をキラキラさせて、さらにふわふわと花を飛ばしながら言われる。
 こんな可愛い子の言うことを誰が否定できるだろう。
 彼女の表情を曇らせたくはなくて、その場は「考えてみます」と曖昧な言葉で濁して逃
 げた。






    愛しい貴方へ送る恋文






「ええ、存じておりますわ。」
「私共の間でも流行っておりますもの。」
 紅珠が帰った後で、付き従っていた侍女達に尋ねてみると、彼女達も楽しげに話してく
 れた。
「陛下に書かれますか?」

(…やっぱりそうくるわよね。)
 他の名前が出てきたら、それはそれで問題なのだけど。

「いえ。ただ どんなものか知りたかっただけですから。」
 実際やらなくても話を聞いておけば、紅珠に何か言われても誤魔化せると思ったのだ。
 それを聞いた彼女達は顔を見合わせる。
 そして振り返った2人は同時ににこりと微笑んだ。
「それならやはり、お話をお聞きになるより―――…」
「実際やってみられた方が良く分かりますわ。」
「へっ?」
(ああ なんだか前にもこんなことがあったような…)
 意外にもパワフルな彼女達に、今回も夕鈴は為す術なくされるがままになってしまう予
 感がした。





「まずは陛下に手紙を書かれてください。」
 机に座らされ、小さめに切られた長四角の紙を目の前に置かれる。
「…どんなことを書けば良いのかしら?」
 抵抗はすでに諦めて筆をとったは良いものの、何を書けば良いのやら。
 困った顔で尋ねると、一方の侍女がもちろん決まっていると言わんばかりの顔をした。
「恋文ですもの。気持ちを素直にお書きになれば良いのですわ。」
「こ…っ」
 知っていたのに今更照れる。
 真っ赤になってしまう、その初々しい反応に侍女達は優しく微笑った。
 そこがまた愛しいのだと、陛下が言っていたのを思い出したのだ。
「あっ、あの、貴女達は普段誰にどういうことを書きます?」
 苦し紛れにもう一つ聞く。
 だって本当に何を書けば良いのか分からない。
「…一般的には想いを寄せる相手への告白や、なかなか会えない恋人に書くことが多いで
 しょうか。」
 これには元になる物語があって、それが人気になって広まっていったものだ。
 様々な困難を乗り越えて結ばれた2人にあやかろうと、誰かが真似をしてみたのが始ま
 りだとか。

「好きです、は基本かしら?」
 1人の侍女が隣の侍女に問う。

「貴方に会えなくて寂しい、もよく使うわ。」

「貴方の夢を見たら会いたくなった、と誰かが書いたとか。」

「貴方の印をまた付けに来て、もなかったかしら?」

 止まることを知らない愛の言葉の数々。
 真っ赤になって固まってしまった本当に初々しすぎる妃に、侍女が笑顔でアドバイスを
 送った。
「こんなに小さい紙ですから、あまり長くは書けません。ですから、本当に伝えたいこと
 だけを書くのですわ。」
「本当に… 伝えたいこと…」

 偽の妃が愛の言葉を書くのは何だか気が引ける。
 でも、伝えたいことなら何とかなるかもしれない。

「…み、見ないでくださいね。」
「はい。」
 くすくすと笑いながら彼女達は一歩引く。
 夕鈴は少し迷って、短い一言をしたためた。




「―――お妃様はどの香りがお好きですか?」
 次にと、今度は数種類の香を並べられる。
「…ええと、これ、かしら。」
 そのよく使う香の中から1つを指差すと早速焚いてくれた。
「これに手紙を燻らせて香りを移すのですわ。」
 自分からだと伝えるためによく使う香りを選ぶのだとか。
 彼女達に倣って夕鈴は煙に手紙を軽く通す。
「こうすると文を開いたときに微かに香るのです。」
「香油を端に付ける方法もありますけれど、こちらの方がほのかに香るのでオススメです
 わ。」
 こんな短い手紙一つにかける手間の多さと細かさに夕鈴は心から感心した。
 色恋に敏感な女性達はこういうことに労力を惜しまないらしい。

「あとは、この梅の花が付いた枝に結びつければ完成です。」
「え、梅の花??」
 有り得ない単語を聞いて思わず聞き返す。
 今は冬だ。梅の花どころか蕾にもまだ早い。
 すると彼女達は白い花が付いた枝を夕鈴に手渡した。
「まぁ。紙でできているのね。綺麗…」
「物語で女性が送った花が梅なのですわ。」
 本当に細かいと思う。
 元になる話すら知らない夕鈴には驚きの連続だ。

「ではこれを陛下の元へ届けましょう。」
「今から!?」
 陛下は今執務の真っ最中。つまり政務室に届けると言うのだ。
 当然夕鈴は慌てた。
「せめて部屋ッ 陛下のお部屋に届けましょう!?」
 冗談ではない。
 あそこには柳方淵も李順さんもいる。
 手紙が届けば陛下は演技のために読もうとするだろうし、陛下の手が止まればあの2人
 が黙っていない。
 後で何を言われるか分かったもんじゃない。
 必死で止める夕鈴をどう解釈したのかは不明だが、彼女達は分かりましたと言って笑っ
 た。






『お仕事お疲れ様でした。
 お茶の準備をしてお待ちしていますね。』




「あんなので良かったのかしら…」
 当たり障りのない言葉を選んだつもりだったのだけど、あれではただの伝言のような気
 がする…
 恋文にする必要もないくらいのことで、色気の欠片もないと自分でも思う。

(でも、愛の告白だなんてっ)
 お妃演技のためであっても絶対に無理だ。
 自分がガラじゃないことは重々承知していた。











「お妃様。」
「? 何ですかこれ??」
 日が暮れて、そろそろ陛下が来訪されるからと準備をお願いしていると、さっきの侍女
 から藍色の布を手渡される。
「陛下からのお返事ですわ。良かったですわね。」
 そう言う彼女の方が嬉しそうにしているが、夕鈴は意味が分からず首を傾げた。
「どういうことですか?」
「物語では男性は返事の代わりに自分の上着を彼女に掛けるのです。その上着が藍色だっ
 たので、肯定の返事には藍色の布を返すのです。」
 つまり願いが届いたと、夕鈴よりも侍女の方が本当に嬉しそうだ。

「我が妃の願いだ。私が否と言うはずがない。」

「へ、陛下! いつ、こちらに…」
 相変わらず心臓に悪い登場の仕方だ。気配なく背後に立たないで欲しい。
 何とか叫び声を上げなかった自分を褒めつつ、布を手にしたまま陛下を出迎えた。
「早く妃の顔を見たくてな。返事を持たせてすぐに私も部屋を出た。」
 手紙を手伝った侍女達は陛下の言葉に目を輝かせる。
 きっと可愛らしい愛の言葉だったのだろうと、誤解したまま納得した彼女達は礼をして
 下がっていった。





「ご存知だったんですか?」
 完璧な返事をしてみせた陛下に驚いて聞く。
 いつもあんなに忙しそうにしているのに、どこでそんな情報を仕入れたのか。
 すると彼は違うと首を振った。
「いや、人に聞いたんだ。普通の返事じゃ駄目なんだって。」
 それからすぐに頼んで準備をしたとのこと。
 こんな遊びみたいなものに付き合ってくれる陛下は優しいと思った。
「無理して付き合わなくても良かったんですけど…」
「だってすごく嬉しかったんだよ。夕鈴からの恋文なんて初めてで、僕ドキドキしちゃっ
 た。」
 小犬陛下が上機嫌でにこにこ笑う。
 その手には例の梅の枝。
「中身はあんなんですけど…」
 こんなに嬉しそうにされると罪悪感を感じてしまう。
 何が嬉しいのかはよく分からないけれど、流されて書いたなんて言えない雰囲気だ。
「恋文ってところが重要なんだよ。」
「う…いや…その……」
 陛下からもその言葉が出て真っ赤になる。
 何も言えなくなった夕鈴に彼は冗談だよと笑った。
「僕のことを心配してくれたんでしょう? 嬉しかった。」
 愛の言葉ではないけれど、優しさに溢れた手紙は彼女の本当の言葉。
 それが嬉しかったのだと彼は言う。
 遊びみたいなものでも言葉は彼女の本心だと分かったからと。
「ありがとう、夕鈴。」
 ご飯を作ってあげたときと同じ顔。
(だから私はこの顔に弱いんだってば。)

「で、では、陛下の返事にお応えしてお茶をお淹れしますね。」
 照れ隠しはバレバレで、背中で彼が笑う気配がした。






「"恋文"に返事したんだけどな… 伝わらなかったか。」
 残念と呟く声は夕鈴には届かなかった。






2011.2.17. UP



---------------------------------------------------------------------


もちろんそんなものは流行ってませんし、そんな物語もありません(笑)
うちの侍女達はやたらとパワフルというか、夕鈴を振り回しますね。
本編ではあまり目立ちませんが、桃香みたいな侍女がいても良いのになーと思います。

今回も夕鈴鈍いよ!なオチがついた話でした。
返事の仕方を教えたのは老師でも大ちゃんでも可。
コミックス派の人からしたら「大ちゃん誰?」になるのでまだ出さずにいようと思いました。
まだ全然キャラも掴めてませんしね…

ようやくネットが仮復旧したのでUPできました。
今回ちょっと間が開いてしまいました。
ただ種の方も連載してるので、今後ちょっとペース落ちるかもしれません。
ネタ自体はまだまだあるのですがー



BACK