想いは伝わらないまま 2




 執務室に向かう回廊で、夕鈴はいつもと違うことに気が付いた。

 ―――今日は視線を感じない。


「…李順さんが手を打ってくれたのかしら?」
 でも報告がないのはおかしいし、早すぎるような気もする。
 あの鬼上司は夕鈴を囮にしようとしているのだ。
「何かの理由があって止めたとか…?」
 バレたことに気づいてマズイと思ったのかもしれない。

「……」
 少し考えて、夕鈴は侍女の1人に耳打ちする。
 彼女は頷いてその場を離れた。

 …これですぐに誰かが来てくれるはず。
 その時、外で何かが動いた音を夕鈴は聞き逃さなかった。

(まだダメ。気づかないふりをしなくては…)


『……、犯人が特定できるまでは1人にならないように』

 陛下の忠告を思い出す。
 あれが私のためだってことを本当は知っている。
 だから1人にはならない。


(でも、私は私の仕事をしますからねっ)





「少し、庭に降りても良いですか? 陛下に花を贈りたいの。」
「あ、はい。」
 残った侍女に尋ねると、彼女は戸惑いつつも了承してくれた。
 彼女を怖い目に遭わせてしまうかもしれないけど…と思いつつ、ごめんなさいと内心で
 謝る。

 そして夕鈴が先に降りたのを見て追いかけようとした彼女を止めた。
「そこの花を摘むだけですから。」
「でも」
「大丈夫です。」
 離れないと危険なのは彼女だから、夕鈴は笑顔で制する。
 基本的に彼女達は夕鈴に従うので階の途中でその侍女も足を止めた。



 音がした場所から少し離れて花に近づく。
 いくつも咲く中から選ぶフリをして、手折るためにわざと背を向けた。

 ガサッ

「ッお妃様!!」

 音と声が同時に聞こえて、夕鈴は身を翻す。
 花びらが散り、すぐ傍を刃が掠って袖の端がざっくり切れた。

「ようやく姿を見せたわね。」
 すばやく逃げて夕鈴は刺客から距離をとる。

 鮮やかな色彩に満ちた王宮には不似合いな黒い装束の男。
 その顔は布に隠れて目元しか分からない。

「ストレス溜まるから、ああいうのは止めて欲しいわ。」
 毎日毎日遠くから視線だけを送ることに文句を言うと、返答までに妙な間が開いた。
 まるで言葉の意味が分からないとでもいうかのように。
「? …ああ、あんな気配も消せない小者と一緒にしないでもらいたい。」
「え?」

 違う…?
 あの視線はこの男のものではない…?

「多少目障りだったからな。代わりに始末してやった。」
 男は笑ったのだろうか。細められた目にぞくりと背筋が冷えた。
 身の危険を感じてさらに逃げる。
 侍女を巻き込むわけにはいかないから壁際に、視線を男から外さないように。

 もうすぐ誰かが来るはず。それまで逃げきれれば良い。


「気丈な姫君だ。この場で泣きもせず命乞いもしないとは。」

 私を普通の貴族の姫君と一緒にしないでほしいと思う。
 このくらいで我を忘れては臨時花嫁なんて続けられない。

「あいにく場数はこなしてるのよ! 誰かさんたちのおかげでねっ」

 啖呵を切ると、相手はますます面白いと声を上げて笑った。
 

「―――しかし、それもいつまで持つかな。」
 刃を向けられて息を呑む。

 あと少し、あと少し時間を稼がなきゃ―――


 男が地を蹴ったのと同時、夕鈴の頭上に影が落ちた。

 ガキンッ

「!?」
 夕鈴の目前に迫っていた刃が折れて落ちる。
「何だ!?」
 驚いたのは夕鈴だけでなく、男も状況が分からず声を上げた。
 痺れた手を押さえて上から現れた人物を睨む。


 広い背中が夕鈴を庇うように刺客との間に立ち塞がった。
 抜身の剣を携えて前を見据える、よく見知った後ろ姿。

「陛下!?」

(うそ、どうして陛下がここに!?)

「私、李順さんを呼んでもらったはず…」
 侍女には李順さんに伝えるように言ったつもりだった。
 それなのに何故陛下が…
「李順が私に言わないとでも?」
 彼女の疑問に彼は前を向いたままで答える。
 それはそうだ、と思った。
 仕事に関しての情報は全て伝えられている。
 陛下が知らなかったのは、夕鈴が掃除婦バイトを始めた時くらいだ。
「夕鈴。」
「は、はい!?」
「すぐに済むから、君はじっとしていろ。」
「は… はい……」
 邪魔はできないから素直に頷いて壁に寄った。




「…狼陛下のご登場か。」
 じり、と少しずつ距離をとりながら男は懐に手を入れる。
 しかし刺客が折れた剣の代わりを出す前に、踏み出した陛下は相手にいきなり刃を切り
 つけた。

 ―――それが始まりの合図。

 相手が飛びのくと間髪入れずに攻撃を仕掛ける。
 武器を持たせる隙を与えず、彼は男を追い詰めていく。

「くっ」
 初めて男に焦りの色が見え始めた。
 反対に陛下の方は表情も変えずに剣を振るう。

 男が後ろに跳べば素早く間合いを詰め、休む間もなく攻撃は続いた。
 夕鈴には早過ぎて何が起こっているのか分からない。


「!」
 突然剣を投げつけられて、男はそれを紙一重で避ける。
 しかし次の瞬間には、軸足を取っての回し蹴りで吹き飛ばされていた。

「ぐ… っ」
 仰向けに倒れた男の肩を陛下が抑えつけるように踏む。

 喉元に剣先を突き付け、男を見下ろす 見たこともない冷たい横顔。
 知らない人を見ているようで、夕鈴は恐怖で足が震えた。



「―――殺れ。何も話す気はない。」
「…そのようだな。」
 そう言って剣を振り上げる。


 きっとあの人は躊躇わない。
 狼陛下は、自らの敵に容赦しない。


「っダメです! 陛下!!」
 気が付いたら叫んでいた。
 恐怖で足が竦んで動けないけれど、できる限りの大きな声で。
「夕鈴」
 声が届いて顔を上げた彼の眼は狼陛下のまま。
 邪魔をするなと言いたげだった。

「ダメです… 止めてください… お願い……」

 何を言えば良いのか分からなくて、ただ願う。

 私の知らない陛下がいて、私の知らない場所に行ってしまいそうで。
 顔を両手で覆って、泣きたい気持ちを堪えながら、ただそれだけを願う。

「おいて、いかないで……」

 知らない人にならないで。
 いつもの貴方に会いたい――――





 振り上げた手を留めて黎翔が見下ろすと、男は蔑みの目でこちらを見ていた。
「…躊躇うのか? 冷酷非情の狼陛下が。」
 可笑しいだろうと男は嗤う。
「今更だ。1人殺すも2人殺すも同じだろうに。」

 反乱を鎮め、刃向う者を粛清し、多くの血を浴びた。
 ああ確かに今更だ。

 けれど、彼女が泣くなら、


「フン… 狼陛下が聞いて呆れる…… ッ」
 鈍い音がして口の端から血が滴り落ちる。
 がくりと刺客の身体から力が抜けた。

「―――舌を噛み切ったか…」
 捕まえても何も吐かなさそうな男だったが、まさか自ら命を絶つとは思わなかった。
 プロの矜持といったところか。
「…まあ、どうでも良いか。」
 無感情に言い放ち、事切れた男から足を下ろして後ろを振り返る。
 そうして座り込んで俯いたままの彼女の元へ足を向けた。









「…夕鈴。」
 夕鈴の前に膝をついた彼が、何かに気づいて彼女の腕を持ち上げる。
 ざっくり切れた袖から腕が覗き、一筋線を引いたように切れた傷からは赤い血が滲んで
 いた。
「これは?」
 冷たい声にびくりと震える。
「…たぶん、逃げたときに掠ったの、かも………」
 言われるまで気づかなかった。
 怪我をしたのは最初に避けた時だと思うけれど。
 彼の周りの空気がまた一段と冷えた気がした。

「君はどうして大人しくしていない? 何もしなくて良いと言っただろう。」

 彼の言うとおりだ。
 いつも余計なことをしてばかり。

「ごめん、なさい…」
 呟くように言って、ぽろぽろと涙を流す。

 また迷惑をかけてしまった。
 狼陛下のままなのは、それだけ怒っているということなのだろう。

「ごめんなさい… ごめん…なさ…っ」

 今度こそ嫌われた?
 そう思うと胸が痛くて涙が止まらない。


「―――違う… 君に怒ったんじゃない。守れなかった自分に怒ってるんだ。」
 彼が手のひらで夕鈴の涙を拭う。
 大きな手が両頬を包み込んで優しく撫でた。
「ゆーりん、泣かないで。僕は君に泣かれるのが1番困る。」
「陛下…?」
 顔を上げると困った顔の陛下がいた。

 狼陛下じゃない。
 優しい方の"ほんとう"の陛下だ。

「怖がらないで。ごめんね。」
 涙を拭いた手が後ろに回って、肩を引き寄せられる。
 夕鈴の身体は腕の中に納まって、ぎゅっと優しく抱きしめられた。



 違う、という言葉は口の中で溶けて消えてしまう。
 言うタイミングを逃してしまったから、誤解されたまま言葉を飲み込んだ。



 違うの。怖かったんじゃない。
 涙が止まらなかったのは、痛かったから。
 貴方に嫌われたと思うと胸が苦しかったから。

 だけど、

 大事なことは言えないまま―――… 想いは伝わらないまま。







2011.3.17. UP



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お題:夕鈴の危機をカッコ良く救い、でも夕鈴が危険にさらした自分に腹が立つので
   ついブラック狼陛下で接してしまい夕鈴泣いて、最後は小犬陛下で宥める(原文)

私が書くとカッコ良くならないような気もするんですが、精一杯頑張ってみました。
戦いのシーンとか難しすぎます! あれを絵で描ける可歌先生を尊敬します。
今回書いてて、ブラック狼陛下面白いかもーvと、はまってしまいそうになって慌てました(笑)
対夕鈴仕様の極甘狼陛下はどこそこにいるんですけどねー うち。
夜の陛下は黒いというより暗いので… 

うり様に捧げます。
素敵なリクエストをありがとうございましたーv
長い上に遅くなってしまってすみません。
しかも何だかお題から微妙にずれている気がしないでもないです…
あ、返品可ですので(笑)
 


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