何度でも君に… 2




 しかし期待した翌日の朝も事態は変わらず、夕鈴と李順と老師の3人は黎翔の部屋の前
 に集まって考え込んでいた。
「3日です。それ以上は誤魔化せません。」
 そう言いながら李順は難しい顔をしている。
 つまり明日までしか時間はないのだ。
 しかし、全く変化のない今の状況を見るとかなり難しいかもしれない。
「同じ状況を作れば思い出すとか聞いたことがあるのぅ。」
 ぱっと閃いたように老師が案を出すが、それは夕鈴が即座に却下した。
「無茶ですよ! 私にまた命を狙われろと!?」

 陛下が怪我をしたのは夕鈴を庇ったからだ。
 あの時夕鈴は命を狙われていた。そして忠告も聞かずに外に飛び出して、あんなことに
 なった。

「しかも今の陛下が私を助けてくれるとは限らないじゃないですか!」

 警戒心は解けたが、それは敵じゃないと思ってくれただけ。
 以前の彼は「ちゃんと守るつもり」で雇ってくれたけれど、今の彼に夕鈴を守る義務は
 ない。


「…分かっとらんのか お主。」
 夕鈴の叫びを受けた老師は呆れ顔で言う。
「何をですか?」
 老師の言わんとすることが夕鈴には分からない。
 彼女のそんな様子を見て、老師はゆるゆると首を振った。
「……お主自身で気づかねばならぬことじゃ。今は何も言わん。」
 そんな風に言われたけれど、やっぱり夕鈴には分からない。
 それでも老師はそれ以上言わなかった。










「夕鈴。」
 いつもとは逆で夕鈴を出迎えた甘い方の狼陛下の微笑みに心臓が跳ねる。
 寝室から出るなと言っているので、彼は素直に長椅子に座り書物を手に寛いでいたよう
 だった。
「どこに行っていたんだ?」
 その口調から、彼は遅かったことを暗に責めているようだ。
 少し拗ねているようにも見える顔に可笑しくなって小さく笑った。
「老師と話していたんです。それで、老師にお願いして陛下に新しい本を… ん?」
 伸びてきた手に手首を掴まれて、さらに腕を引かれた弾みで手に持っていた本が音を立
 てて落ちる。
 それを見やる間もなく、夕鈴の身体は彼に乗りかかるようにして長椅子の上に上がって
 いた。
「私の相手をするのは君だろう?」
「そ、そうですけどっ 私と話ばかりじゃ退屈じゃないかなと…」
 …この体勢はかなり落ち着かない。陛下の顔が近すぎるし。
「退屈などしない。君が傍にいるだけで私は楽しい。」
 夕鈴の居心地悪さなどお構いなしに、彼は臆面もなく言ってのける。

(お、置いてけぼりにしたことでまだ拗ねてるのかしら…)

 それでからかっているのだろう。きっと。
 だからといって、それをあしらうだけの度量は夕鈴にはないのだけど。

「…本当に可愛いな。」
「な、何を言ってるんですかっ」
 いたたまれないほどに恥ずかしい。
 陛下の腕だけで支えられている今の体勢では不安定で突き放すこともできないし。

「―――君の陛下は君にどんな風に触れる?」
 不安定な体勢のまま器用に彼の手が夕鈴の頬に触れた。
「惜しいな。どうして私に君の記憶がないのか。」
 ぼふっと爆発しそうなくらい赤面してしまう。
「触れるとか…っ な、何もないですよ!」
「そんなはずはない。こんなに愛らしい兎を目の前にして何もしていないなどと。」
「本当ですから!」

(…あれ? そういえば、臨時花嫁のこと言ってない?)

 陛下の口振りから、とんでもない誤解を受けていることに思い至った。
 夕鈴はそのことを彼に伝えた記憶がない。
 これはまずいと思う。

「違うんです!」
 色気とはほど遠い必死な叫びに、彼の顔がきょとんとなった。







「臨時花嫁?」
 長椅子に改めて座り直した夕鈴から説明を受け、黎翔はその奇抜さに目を瞬かせた。
「縁談を断りやすくするために雇われたんです。本当は一月の予定でしたが、諸事情が
 あって今も続けています。」
 その"諸事情"も気になるところだが、知らされた事実の方が衝撃的だ。

 ――――彼女は雇われバイトの妃。
 2人を繋いでいるものは愛ではない。

 すっと心の奥が冷える感覚がした。
 彼女の態度から、本当に形だけの関係ではないというのは分かるけど。
「てっきり老師か李順さんが話されているものだと思っていました。」

 そんな風に無邪気に言わないで欲しい。
 気づいてしまったことに今打ち拉がれているというのに。

 彼女の居場所はここではないどこか。
 彼女は手に入らない。

『手に入らないのなら、いっそ出会わなければ―――』

「…?」
 ズキリと痛む頭を押さえる。
「陛下?」
「今、何か…」

『待って夕鈴!』
『ついて来ないで!』

 何かの場面が思い浮かんだと同時に、再び頭が痛んで抱え込む。

「老師を呼んできます!」
 さっと表情を変えて、慌てて夕鈴は部屋を出て行く。

「ゆうりん…っ」
 出て行く背中がいつかの場面とダブって見えて、黎翔も同じように彼女の後を追った。




 *





『夕鈴、しばらく部屋から出ないでね。』
 その日、彼女を狙う刺客の存在を突き止めた。
 だから捕まえるまで彼女の身の安全を確保する必要があったのだ。
『どれくらいですか?』
『明日の朝までくらいかな。』
『ほぼ1日じゃないですか! ああ、今日はあそことあそこの掃除をしたかったのに… 
 また埃が溜まる……』
 大好きな掃除ができないと落胆する彼女を慰める。
『1日くらい大丈夫だよ。』
『1日でどれだけの給料が稼げると思ってるんですか!?』
『その分長くここにいられるね。』
 嬉しそうに言うと夕鈴は怒る。
『何言ってるんですか―――っ』

 君は無意識に僕を傷つける。
 …留まらずに去っていこうとする。

 それを知る度に狼の本性が引き出されそうになる。
 渦巻く黒い感情が君を傷つけそうになる。

『…夕鈴は早くここを出ていきたいんだ?』
 その感情をギリギリで抑え込みつつも、少しムッとして言うと彼女は違うと首を振る。
『借金を返したいだけです。』
『でも、借金が無くなったら出ていくんでしょう?』
 同じことだと言うと、今度は彼女も否定しなかった。
『……そうですね。前にも言いましたけど。』

 やっぱり彼女は留まる気がない。
 彼女がここを出て行けば2度と会えないのに。
 君はそれで構わないのか。

 抑え込んだ黒い感情がまたじわじわと心を蝕んでいく。
 今度はそれに抗わず、腕を掴んだ。

『―――だったらこのまま閉じ込めてしまおうか…』
 彼女を囲って壁に追いつめる。
 戸惑い青くなる夕鈴にさらに迫った。
『昼も夜もわからない場所で、逃げないように鎖で繋いで… 私だけのために―――』

 バシッ

 音がするほど激しく彼女は黎翔の手を振り払う。
『私は貴方のおもちゃではありませんっ』
 泣く寸前の表情で、彼女はぎっとこちらを睨み付けた。
『演技で怖がらせてからかって、何が楽しいんですか!?』

 違う。からかってるわけじゃない。
 けれどそれは彼女まで届かない。彼女にとって狼陛下はどこまでも演技だ。


『陛下なんてもう知りません!』
 彼女が背を向けたことに気づいてハッとした。
(外には刺客が…!)
 そもそもどうして彼女に外に出るなと言いに来たのか。
『待って夕鈴!』
『ついて来ないで!』
 けれど黎翔の制止を振り切って彼女は出て行く。
 連れ戻さないとと思って、急いで背中を追いかけた。



『夕鈴!』
 背後から彼女に迫る兇刃を前に、剣を抜く暇は与えられなかった。
 寸でのところで彼女の身体を包んで庇い、彼女を抱えたまま2人の身体は手すりを越え
 た。


『……ッ』
 背中と肩と頭が痛い。
 受け身を取り損ねて何かにぶつけたらしい。
 ぐらぐらと視界が揺れて吐き気がする。
 狼陛下がとんだ失態だ。後で李順に怒られるだろう。
 でも夕鈴は無事だったから、それでも良いかと思った。

『陛下!? 誰か、誰かっ!!』
 夕鈴の声が遠くなる。
 霞む視界の端では刺客が逃げる姿が見えた。


 手放せない、逃がしたくない。
 でも彼女は留まる気がない。
 いつか彼女はいなくなる。そして僕は1人になる。

『手に入らないのなら、いっそ出会わなければ良かった…』

 それは心の奥底の本音。
 君を知らなければ、こんな感情に気づかずに済んだのに。

 だから忘れてしまえと思った。
 だけど、けれど、、




 *





 刺客はあの時逃げた。つまりまだどこかにいる。
 どこかで機会を伺っていてもおかしくはない。

 彼女の姿を探して視線を巡らすと、回廊を駆ける背中を見つけ――― 同時に迫る影も
 目に入った。
 腰に佩いた剣に手をかけ地を蹴る。

「夕鈴!」
 引き寄せて背に庇い、刺客の兇刃を鞘で受け止める。
「陛下!?」
 ちらりと夕鈴を伺って大丈夫だと笑みを見せると刺客と対峙した。
 刺客は黎翔の姿を見ると分が悪いと思ったのか後ろに引こうとする。
「…逃がしはしない。」
 静かに呟き、一度だけ彼女の手を握って離す。

 間合いを詰めるのは一瞬、刀身を抜かないままに男の体は地に叩き伏せられた。




 静かになった刺客を転がしたまま、黎翔は夕鈴の元へ戻る。
 男は放っておいても騒ぎを聞きつけた兵達が来て片付けてくれるだろう。
 今の黎翔にとって重要なのは彼女の存在のみだ。

「あ、ありがとうございます…」
 腰を抜かしたらしく、へたりと座り込んでいる彼女を抱き上げる。
 華奢なその身を抱き寄せて腕の中に囲い込んだ。

「ダメなんだ…」
「陛下?」
「君の存在ごと記憶から消えてしまえばと思った。…でも無理なんだ。」
 今の僕はどんな顔をしているのだろう。
 男の矜持としてそれを見せたくなくて、腕に力をこめた。
「たとえまた記憶を失くしても、僕は何度でも君に惹かれるから。」
「どういう…意味ですか?」
 躊躇いがちに夕鈴が尋ねる。
 何のことを言っているのかすら夕鈴には分かっていない。
 それで良いと思った。
「今は言えない。」

 嫌われたくなくて演技ではないことを言う勇気すらない今は。

「いつか教えるね。」

 もっと強くなってから。
 その時は、君に気持ちごと全てを伝えるから。





2011.3.26. UP



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お題:記憶喪失になっちゃった陛下に、戸惑う夕鈴

戸惑う箇所を間違ってます。
書きあがって最初にそこにツッコミ入れました。

一番悩んだのは記憶をなくす原因でした。(根本!)
それで2つネタができて、考えた末にこちらを採用。
もう片方はお蔵入りですかね。
そちらは陛下と夕鈴の触れ合いが少なかったのでつまらなくなってしまったのです。

またも書きたいことを詰め込んでいたらこんなに長くなってしまいました…
おかげで時間がかかってしまいましたすみません。
さらにネタを2つほど削ってます。どれだけ長くする気だったんですかね私(^_^;)
ちなみにそのネタとは、誤解から怒って押し倒す陛下と壷を持って陛下を襲おうとする夕鈴です。

秩父様に捧げます。
楽しいお題をありがとうございました!
いつも通り返品は受け付けてます(笑)
 


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