花の笑顔 2




 景絽望は優秀だ。
 たった一つの困った点を除けば。


「―――… 以上です。」
 完璧な報告をしてみせた彼に周りは感心する。
 しかし黎翔だけは、彼が一瞬だけ視線を向けたその先を見逃さなかった。

「…妃なら後宮に返した。探しても今日は会えぬ。」
「それは…私のせいでしょうか?」
 顔を上げた絽望が苦笑いをしてみせる。心当たりがあったらしい。
「お前がそう思うのならそうなのだろう。」
「否定は致しません。しかし、周りが言うような軽い気持ちではございませんので、そ
 こは誤解無きようお願いします。」
 挑戦的とも取れる言葉に場がざわりとする。
 方淵が止めようとしたのを手を上げて制すると、黎翔は目の前にいる男を真っ直ぐに射
 抜いた。
「それを"私"に言うとは…良い度胸だ。」
 周りはさらに青くなるが、言った本人だけは至って涼しげな顔をしている。

「正妃ならともかく、妃を臣下に下げ渡すことは珍しくもないでしょう。」
 確かに例がないわけではない。
 優秀な臣下に王の命で妃を下げ渡すことはたまにある。
 しかし、それが夕鈴に当てはまるかといえば、もちろん有り得ない話だ。
「…お前は私が妃を手放すというのか?」
「ないとは限りません。振り回されて泣くのは常に女性です。」
「散々泣かせたお前がそれを言うとはな。」
 彼の噂は黎翔でさえも知っている。
 盛大な嫌みに対して、彼は真摯な態度を示す。
「天女を悲しませる真似など致しません。今の私は初めて愛を知った愚かな男です。」
 軽い気持ちではないと言った、さっきの言葉は本当らしい。
 そこにいつものような軽い雰囲気がなかった。
「本気か。」
「冗談だと思われますか?」
「…いや。この私相手にそこまで言い張るのなら真実なのだろう。」


「―――陛下。今はそのような話をする時間ではありません。」
 2人の言葉の応酬に終止符を打ったのは李順だった。
「景絽望、貴方も。今は政務の時間です、慎みなさい。」
「申し訳ありません。」
 絽望の謝罪により張り詰めていた空気がふっと和らぎ、李順が次の議題を提案しだすと
 再び緊張感が戻る。

 全ての議題が終わるまで、黎翔の機嫌は戻らなかった。








「下げ渡すだと? 誰が。」
 イライラと不機嫌に顔を歪めながら、黎翔はさっきの絽望の言葉を一言で切り捨てる。
 官吏達を全員帰し、今政務室に残るのは李順と黎翔だけだった。

「物好きがいたものですね。」
 相変わらず失礼なことを言う李順をじろりと睨む。

 景絽望はいつも飄々として掴み所のない男だった。
 恋愛を遊びと割り切って、風のようだと誰かが言ったとか。
 その彼が、あんなに真剣な表情で本気だと言った、その相手が何故夕鈴なのか。

 彼女の魅力は自分だけが知っていれば良かった。
 気づいた彼の眼が確かだというのは褒めるべき点だが、非常に面白くないのも確か。


「…切るか。」
「止めてください。あれほどの優秀な官吏は貴重な存在です。」
 今の気持ちを素直に出せば、李順が呆れて却下する。
「私の妃に手を出そうとする不届き者だ。」
「彼女は仮の妃です。バイトの妃と優秀な官吏ではどちらが大事か分かりますよね?」
「夕鈴。」
 即答してみせると李順はがくりと肩を落とす。
「…陛下。」
 李順が求める答えは違うと分かっていてそう言っている。
 だからといって、冗談だなどとは絶対に言いたくなかった。
「分かっている。私もそこまで馬鹿ではない。…あの男もな。」

 けれどあの男が、愚かにも夕鈴に手を出したなら、自分は何をするか分からない。
 暗にそれを込めた言葉に李順は深い溜め息を零した。








 *








 誰から見てもいつも仲睦まじく、誰もが羨ましいと笑顔で零す陛下とお妃様。
 その仲を疑う者などいないと思われた中で、とある噂を聞いた。

『―――お妃様は狼陛下を怖がっている。』
 陛下の寵愛を無碍にすると何をされるか分からないから従っているのだと。
 それを言ったのは親しい友人である後宮女官だったか。

 それが事実なら、私が彼女を助けたい。
 …そして、あの笑顔を自分のものに、と。







「お妃様。」
 政務室を訪れると、また彼女は1人で部屋にいた。
 しかし今回は偶然ではなく意図したものだ。
 彼女はいつも誰より早くここを訪れて部屋の整理などをしていることを絽望は知ってい
 た。
「あ… えっと、景絽望様。お早いですね。」
 その時だけ手を休めて、彼女はふわりと微笑む。
 名前を覚えられていたことがこんなに嬉しいものだと感じたのは初めてで、その動揺を
 抑え込むのに少し時間がかかった。

「…綺麗な花ですね。」
 どうにか話題を変えようと、彼女が今手にしている花に目をやる。
 その手には花弁が幾重にも重なる白い花が一輪。それを陛下の机上の一輪挿しに挿して
 いるところだった。
「お忙しい陛下の慰めになれば、と思いまして。」
「目の前にこんな美しい花があるのに?」


 狼陛下の一輪花

 今はまだ咲き始めた小さな花に見えるが、離宮に咲いた大輪の花を自分は知っている。
 甘い香りは手にした花からなのか、彼女からなのか。


「お上手な方ですね。」
 本気にされていないのか、くすくすと笑われてしまう。
 でも自分はこの笑顔をいつも傍で見たいのだ。

(私なら、いつも笑わせて差し上げるのに…)

「……お妃様は、陛下が恐ろしくはありませんか?」
「え?」
 花を持つ手に触れると、ビクリと反応する。
 小さく細い手をすくい取ると花は机上にぽとりと落ちた。
「あの…」
「貴女の笑顔が偽りではないかと心配しているのです。」

 あの噂が本当なら、あの笑顔も偽りだったのだろうか。
 ならば私が、本当の花の笑顔を引き出したい。

「ちょ、」
 振り解こうとする手を、さらに力を込めて留める。
 言葉も行動も止まらなくなっていた。

「お妃様… 貴女は私が、」
「…ッ」


 彼女が必死で誰かを呼ぶ、小さな小さな叫び声が聞こえた気がした。


「夕鈴!」

 鋭い声と共に、後ろの襟を掴まれて後ろへ引き倒される。
 床に叩きつけられ息が詰まった。

 自分の手から解放された彼女を誰かが腕の中に囲っている。
「陛下…?」
 彼女の小さな呟きで、それが誰かようやく認識した。

「…何をしている?」
 彼女を優しく抱きしめながら、陛下は足下の自分を睨み付ける。
「愛していれば何をしても良いのか?」
 彼の厳しい言葉は絽望の胸に刺さる。
 自分を見つめる彼女の怯えた瞳を見て、自分が今何をしていたか気がついた。

「覚悟はできているな?」
 冷たい声音で告げられた言葉を絽望は黙って受け止める。
 何を言われるかは分からないが、その時命の終わりすら覚悟した。

「あ…っ 待ってください。」
 陛下が続きの言葉を発する前にお妃様がそれを止める。
 僅かに震える手で陛下の腕を握り締めて、彼女は絽望の方を見た。

「―――景絽望様。私がここにいるのは自分の意志です。貴方様が何を聞かれたか存じ
 ませんが、そのようなことは一切ありません。」

 言い換えればつまり、彼女も陛下を想って後宮にいるのだということ。
 あの噂は事実と違っていたことになる。
 やっぱり陛下とお妃様は本当に仲睦まじいのだ。

「入り込む余地はなさそうだなぁ。」
 苦笑いで肩を竦める。
 失恋の痛みに立ち上がる気力もないまま、絽望は力なく並ぶ2人を見上げた。

「お妃様が望んで陛下の傍にいるのなら、私に勝ち目はありませんね。」

 お似合いですよとはまだ言えないけれど。
 寄り添って並ぶ2人を見て、花の笑顔はやっぱり彼だけのものなのだと理解した。















「お妃様、先ほど見つけた花です。」
 いつもの空気の政務室、入ってすぐこちらへと向かってきた絽望から白く可愛らしい花
 を差し出されて夕鈴は戸惑う。
 にこにこと笑顔を向けられてしばらく悩んだけれど、花には罪もないしと思って遠慮が
 ちに受け取った。
「あ…ありがとうございます…」
「いえいえ。貴女の美しい笑顔のためならば毎日でも届けたいと思います。」
 砂糖を食べた気分になりそうな甘い言葉に、夕鈴はあれ?と首を傾げる。
 少し体を引いて2人の間を扇で隔ててから、その隙間からちらりと相手の姿を覗いた。
「あの、諦めたのでは…?」
「誰がそんなことを言いました? 今のところは入る余地がないと言っただけです。」
 すごくすっきりした笑顔で言われた。
「…え?」
「陛下が嫌になったらいつでもお待ちしていますよ。」

 
「それって… 何にも変わってないじゃないですかっ!!」





「…切って良いか?」
「ダメです。」
 腰に佩いた剣に手を伸ばそうとした黎翔を李順が止める。
 しかしその間にも彼女の手を取ろうとする絽望の姿が見えて。

「―――――」
 ガタンと音を立てて椅子から立ち上がったのはさすがに止めず、李順は2人の方へ向か
 う背中を呆れて見送った。



 今日も王宮は平和に少し騒がしく、日々は何事もなく過ぎていく―――






2011.4.13. UP



---------------------------------------------------------------------


お題:離宮での綺麗な夕鈴を見てベタぼれした官吏の話

考えているうちにキャラがやたらに立ってしまい、名前まで出てきてしまいました。
いえ、単に方淵に呼ばせるときに必要だったからなんですが。
名前ついたらすっごい動き出しました。勝手に動いてくれるので楽しかったです。
まあこんな感じですが次の出番はないと思います。
出したら次こそきっと切られちゃいますから(笑)

またも長くなってしまいましたが… ニコニコ様へ捧げます。
遅くなってしまいました。スミマセン。
また、10000という(私の中で)記念すべき数字にリクエストくださり、ありがとうございました。
返品はいつでもお受けしておりますので、遠慮しないでください(笑)
 


BACK