恋はうらはら? 2




 後宮に戻ると夕鈴はさめざめと泣いていた。
 袖が濡れるのも構わずに、真珠の涙をこぼし続けている。
 それを見る周囲はおろおろしているばかりで、誰にもどうしようもないのだと困り果てた
 顔で陛下に訴えた。

「話は私が聞く。お前達は下がれ。」
 一つ息を吐いて答える。彼女達は明らかにホッとした様子で下がっていった。



「夕鈴。どうして泣いているの?」
 隣に座って優しく宥める。
 涙を流す彼女の背を撫でて、白い手拭いを差し出して。
 そうしてしばらく待っていると、夕鈴はようやく口を開いた。

「李順さんに、会いたいです…」

 ぴしりと自分の表情が固まったのが分かった。
 よりによって…そうくるか。

「君は私の妃だろう?」
「はい。でも…胸が苦しいんです。会いたくて、会えないと分かると涙が止まらなくなっ
 て…」

 恐ろしいほどの効き目だ。
 普段は鬼上司だ何だと言っている李順にここまで。

「会って、どうする?」
(…苦しいのは私も同じだ。)
 見えない位置で拳を握りしめ、彼女に触れる手はどこまでも優しく。
 心の闇に気づかれないように。

「いえ、ただ見ていたいだけです。」
 彼女が瞬きをすると長い睫から玉露がぽとりと落ちる。
 この涙が自分のためなら、どんなに良いか。
「李順が会いたくないと言っても?」
「そうなんですか!?」
 八つ当たりに近い意地悪を素直に受け取ってしまった彼女は目に見えて落ち込んだ。
 非常に面白くない。

「そんなに李順が好き?」
「〜〜〜っ ……は、はい…」
 嘘がつけないのもどうかと思う。
 今の夕鈴は黎翔には完全に脈なしというのがはっきり分かったからだ。

(ああもう、本気でどうしてくれようか…)


「―――陛下。」
 取り次ぎの女官が外から控えめに声をかける。
「李順様より、早急に政務にお戻り下さいと言伝がありました。」
 李順という言葉に夕鈴は瞳を輝かせている。
 非常に面白くないのだが。
「夕方には戻るから、大人しく待って、」
「やっぱり行ってはダメですか…」
 肩を落とした彼女からまた一雫。
 ズキリと胸が痛んだのは嫉妬からか罪悪感なのか。


 他の男を想って泣くのを見るのは想像以上の痛さだった。

 このまま無理矢理私のものにしてしまおうか。
 私以外は見えないように、光さえ届かない場所に閉じこめてしまおうか――――…
 そんな黒い感情が吹き出してくる。

 ただ、今は薬のせいだと分かっているからギリギリ抑えられるだけで。


「……李順を不自然に見つめたりしないなら良いよ。」
「本当ですか!?」
 こんなに嬉しそうに見つめられたのは初めてだ。
 とっても可愛いと思う。…内容に目を瞑れば。

 何をしても、夕鈴には勝てないんだと思った。











「どうして連れてこられたんですか!?」
 政務室の定位置に腰掛ける彼女を横目で見つつ、李順が小声で訴えかける。
 どうやら視線が痛かったらしい。
「お前に会いたいと泣くんだ。仕方ないだろう。」
「鳥肌が…」
 李順は本気でぶるりと肩を震わせる。
 失礼極まりないその態度に些かむっとした。
「夫である私を差し置いて我が妃に想われるんだ。贅沢だとは思わんか。」
「思うわけないでしょう!」

 相手が李順で良かったと本気で思う。
 これがもし他の男… たとえばあの官吏のように、夕鈴に想いを寄せる男だったとしたら。
 "私"がどうなるか分からない。

「とにかく、この件は早急にどうにかしなければ…」
「同感だ。」
 互いの心の均衡のために。
 頷き合った後で、黎翔はかたりと自分の席を立った。




「…夕鈴、目が追っている。」
 突然耳元で囁かれた夕鈴は、ハッとして黎翔の顔を見る。
 李順が眉を寄せてこちらを見ているのを知って、彼女はガクリと項垂れた。
「…す、すみません……」
「しばらくは書庫の方にいると良い。」
 そうすれば頭も冷えるだろうと。
「はい…」
 失敗したといった顔で、彼女はコクリと頷いた。

















 基本的にじっとしていることができない夕鈴は、書庫に入るなり棚の整理を始めた。
 何かに集中していれば、余計なことも考えなくて済む。


「―――夕鈴。」
 声をかけられて振り返る。
 追いかけてきたのか、そこには陛下が立っていた。

「どうされたんですか?」
 陛下が自ら資料を取りに来るとは思えない。
 首を傾げる夕鈴に彼は苦い顔をする。
 そんな顔をされるほど、変な顔をした覚えはないけれど。

「夕鈴。」
 瞬く間に距離を詰めた彼に腕を引かれて、夕鈴は逞しい腕の中に囲われた。

「―――今日は、狼陛下を怖がらないな。」
 顔を上向かせて見つめてくる彼は何故か複雑そうだ。
 痛みに耐えているようにも見えるのは気のせいだろうか。
「…そうですね。李順さんばかり追いかけていたからでしょうか。」
「……今は?」
「どうしてでしょう?」

 不思議と心臓が飛び跳ねたりはしない。
 いつもより顔は近いのに。

「って、近いですよ陛下!!」
 はっとして、彼の胸をぐいぐいと押しやる。
 ここで方淵でも入ってきたなら、また後で嫌味を言われてしまう。
 さらにそれが李順さんだったら絶対泣く。
「うん、これが夕鈴だよね。」
「何を言ってるんですか。」
 途端に嬉しそうに言う彼を、気持ち悪いと切り捨てた。


「…あのさ、もう限界なんだ。」
 心外だと答えた後で、陛下が表情を変えた。
 口調は素のはずなのに、見つめる瞳は狼に近い。
「何がですか?」
 わけが分からず聞き返すと、肩を押されて傍の卓に押し倒された。

「―――君は私の妃だ。他の男を目で追うなど、これ以上は許しがたい。」
「だって、仕方がないじゃないですか!」

 そう、薬のせいだから仕方がない。
 目が追うのもときめくのも全部薬のせいだ。

「限界だと言っただろう?」
 怪しく光る狼の瞳。それが夕鈴を絡めとる。

「夕鈴?」
 耳に直接注ぎ込まれる低い声。
 どんな女性だって一瞬で虜にしてしまいそうな――――

 ドクンッ

「〜〜〜ッッ」
 心臓が波打ったとともに、全身の熱が上がって真っ赤になった。

「陛下ッッ は、離れてください!」
「あ、戻った?」
 ころっと子犬に戻った陛下がにっこり笑う。
「まだ李順に会いたくて胸が痛んだりする?」
「し、しません!」
 したら次は何をするつもりだったのか。
 陛下が本気で怖いと思った。いろいろな意味で。

「ショック療法、成功〜」
 無邪気に言って離れる陛下を涙目で追う。
(絶対タラシだこの人!!)
 心の中で夕鈴は彼への認識を改めた。
















「ご迷惑をおかけしました。」
 3人残った政務室で夕鈴は深々と頭を下げる。
 その相手である李順は、本当にと言って深く溜息をついた。
「心臓に悪いので2度とごめんですよ、あんなのは。」
「夕鈴のせいじゃないだろう?」
 その脇で黎翔がさりげなくフォローをする。
「それはそうですが。」

「…あ、でももし私が本当に李順さんを好きになったらどうします?」
 ぴしりとその場が固まったが、無邪気に聞く夕鈴は気づかない。
「冗談でも止めて下さい。鳥肌が立ちます。」
「ちょ、それって酷くないですか!?」
 返す李順は完全に呆れ顔で、聞き捨てならない返答に夕鈴は憤慨する。

「…夕鈴?」
 3人目の声にぞくりと2人の背筋が冷えた。
「この私の前で堂々と浮気宣言か?」
「違いますよ! って、何でいきなり狼陛下なんですか!?」
 即否定が返ってきたことで僅かばかり空気が和らぐが、それでも纏う雰囲気は狼のまま。
「もう一度、君が誰のものか分からせようか?」
「結構です!」

 真っ赤にして夕鈴が叫び、李順はからかうのは程々にと呆れ、陛下は子犬に戻って盛大に
 笑った。






2011.5.28. UP



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キリリクからの派生品です。こちらは軽い感じでギャグっぽく。
本当はこちらをリクにして、あれは秘密の部屋に入れるつもりでした。
でも、リク内容に「紅珠からもらった薬」とあったので、外れるかなと思って入れ替え。
でもついでなのでこれも同時にアップします。
みなさんをお待たせしてしまったお詫びも兼ねて…

どこかの貴族の馬鹿息子の横恋慕的な。…と、思いきや、お相手は李順さんですが(笑)
他の誰かだと陛下がその人殺しそうだったので…
オリキャラの不運な官吏さんは後半フェードアウトさせました。

某景絽望にしなかったのは、彼は駆け引きを楽しむタイプでそんなもんは不要だからです。



そんな景絽望さんのオマケ
「―――馬鹿な男だ。こんなものに踊らされ、自ら身を滅ぼすとは。」
 花の模様が描かれた小瓶を弄んでいると、方淵が手元を覗き込んできた。
「何だ、それは?」
「今回の騒動の元だよ。薬の力で心を繋ごうなんて馬鹿な行為だと思わないか?」
「…商人にあの男を薦めたのはお前じゃなかったか?」
「おや、知ってたのか。」
 絽望は否定するでもなく悪びれなく笑う。
「実力もないのにお妃様に近づこうとするからだよ。身の程を知らせただけさ。」
 お妃様が止められたために首は繋がったが、当然政務室へは出入り禁止になった。
 今後はお妃様の視界に入ることさえ許されない。
「まあ、政務室にふさわしい男だとは思っていなかったが… 下手をすればあの男は死んでいた。」
「別に死んだって構わないさ。」
 さらっと答える絽望に方淵は眉根を寄せる。
「…私にはお前が分からない。何故そこまであの女に固執する?」
「あの方の価値は私だけが知れば良い。君にも教えたくはないよ。君があの方に惚れたら厄介だからね。」
「安心しろ。有り得ない話だ。」
「―――だから私は君が好きなんだ。」
 そう言って絽望は方淵の背筋も凍らせるほどに黒く笑った。

ブラック景絽望。実は黒幕でした説。
説なので、事実ではないかもしれません。ただ書きたかっただけです。

 


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