月の夜には、 2




「ちょっと、離して下さい!」
 絡まる裾に足をもたつかせながら、夕鈴は自分の腕を引っ張る相手に抗議の声を上げる。

 さっき風が吹いた時、一瞬視界を奪われた。
 すると突然現れたこの男に腕を掴まれて陛下と引き離されたのだ。

「急ごう。」
 前を行く男は足早に回廊を進む。
 足音もさせないので、聞こえるのは引きずられるように歩く夕鈴の音だけだ。
「だからっ どこに行く気ですか!?」
 早く戻らないと陛下が心配する。
 でも男の力はものすごく強くて夕鈴には振り解けなかった。

「やっと逢えた… ずっと待っていたのに、君がなかなか来ないから迎えに来たんだ。」
「え?」

 この人は何を言っているんだろう。
 夕鈴にはこの人物が誰か分からないし、会う約束もしていない。

「さあ、約束の場所に行こう。玉蘭。」
「…?」
 知らない名前。
 どうやら誰かと勘違いされているらしい。
「あの、」
 訂正しなければと思うけれど、さっきから彼は夕鈴の言葉を聞かない。
 わけが分からないままに夕鈴は外に連れ出された。















「夕鈴? どこだ!?」
 何度も名前を呼び辺りを見渡すが、どこにも彼女の姿はなかった。
 目を離したのは一瞬だし、そんなに遠くに行ったはずはないと思う。
 だけど下手に動けばすれ違う可能性もあって、そこから離れることは躊躇われた。

 黙っていなくなるとは考えにくいが、いつも予想外の行動をやってのける彼女だから。
 今度は何に気を取られたのだろうか。


「――――」
 不意に声が聞こえた気がして顔を上げると、通路の先にぼんやりと女性の影が見えた。
「…?」
 服は高貴な女性のものだが、風に靡く長い黒髪は夕鈴ではない。
 今の後宮には夕鈴以外の妃はいないのに。

「誰だ…?」
 用心深くその女性を探る。
 一歩一歩近づくと、その姿が僅かに透けていることに気がつく。


 顔が分かるか分からないかのところで彼女は外の方を指さして消えた。
 そのすぐ傍には外へと向かう階段。

 何故か従わなければならない気がして、黎翔は彼女が示した方へと足を向けた。





 降りてすぐ、また彼女はそこに立っていた。
 一方の方向を指差し、そちらに向かえとでも言っているようだ。

(あれ…?)

 近づきながら気づいていた。
 その女性に自分は見覚えがあるのだと。


 長く艶やかな黒い髪、儚げな印象の白い肌。
 いつも悲しげに黎翔を見つめていた黒い瞳の、、

(まさか……)

「あ――――…」
 手を伸ばそうとしたところで彼女はスッとその姿を消す。


 その目線の先に夕鈴の姿が見えた。
 アーチ状の橋の上の後ろ姿は遠くても一発で分かる。

 途端に意識の全てはそちらに移った。

「夕鈴!」















「来世で幸せになろう。」
「や…ッ」
 引き寄せられそうになって必死で抵抗する。
 橋の上で不安定な体勢は心許ないが、この男に近づくよりはまだマシだった。
「どうして逃げようとするんだ。玉蘭…」
 拒絶されて男の目が悲しげに揺らぐ。
 でも、そんな顔をされても揺らがない。というか、揺らいでいる場合ではない。
「私は夕鈴よ! 玉蘭さんとやらじゃないわ!!」
「嘘だ。君は玉蘭だろう?」
「違うって言ってるじゃない!」

 風が流し雲が晴れた空で、月は天頂に差しかかっている。
 顔もはっきり分かりきっているこの状態で何故間違うのか。

 何度見ても、どんなに近くで見てもこの男には見覚えがない。
 そもそも玉蘭という女性が何者なのかすら、夕鈴には分からなかった。


「玉蘭、この世で一緒になれないのなら次の世でと、そう言ったのは君だ。」
 見つめてくる真剣な瞳が怖い。この目は本気だ。
「…ッ」
 腕を強く引かれてぐらりと2人の身体が傾く。
 落ちる、と思わず目を瞑った。


「夕鈴!!」
 聞き慣れた声がすぐ傍で聞こえて、その瞬間に身体ごと逆に引っ張られた。
 そのまま温かく広い腕の中に抱き寄せられる。

(ああ、陛下だ…)
 見知った香り… その中にいることに安堵して、強ばっていた全身の力が抜けた。

「陛下…」
 夕鈴が体重を預けても鍛え上げられた逞しい身体は揺らがない。
 けれどこちらを見下ろす瞳は少し揺らいで見えた。
「大丈夫か?」
「は、はい…」
 貴方が来てくれたから… 後半の言葉は飲み込む。

 言ってはいけない気がした。
 それを言ったら、"私"の中の何かが変わってしまう気がして。





「玉蘭ッ その男は誰だ!?」
 突然現れた第三者に男は声を荒らげる。
 横から浚われる形になったのだから当たり前かもしれないが。
「だから私は―――ッ」
 さっきから何度目になるか分からない反論をしようとした夕鈴の口を黎翔が塞いだ。
 男を見据える瞳は完全に"狼陛下"。
 怒りに満ちたそれを見た夕鈴はそれ以上何も言えなくなって黙り込んだ。


「お前こそ何者だ。我が妃に何の用がある。」
 男は黎翔の氷の視線にも怯まずにぎっと睨み返す。
「我が妃だと? 玉蘭は私の恋人だ。一方的に奪ったのはそちらだろう。彼女は返してもら
 う。」
「玉蘭? 人違いだ。彼女は元々私のもの、お前の恋人ではない。」
「人違いなものか! 玉蘭を返せ!!」
 掴みかかろうとする男から逃れ、夕鈴を腕に納めたまま後ろへ下がる。
 このまま中に戻ってもこの男は絶対に追いかけてくるだろう。
 諦めてもらうにはどうすれば良いのか。
 相手は全く聞く耳を持たない上に、黎翔の睨みも利かない。

(それに… どうも様子がおかしい……)

 彼女が読んで聞かせた七不思議の話が頭を過ぎる。
 まさかとは思うが…


「……龍、」
「夕鈴?」
 何か言ったかと 腕の中の彼女を覗き込む。
「私の、龍季…」
 そしてそれを見た黎翔はぎょっとなった。
「どうした?」
 ぽろぽろと涙を流す夕鈴に驚く。
「ち、違… これは私じゃなくて…」
 自分の袖でそれを乱暴に拭い、彼女は懐から簪を取り出した。
 夕鈴の手の中で赤い玉飾りの簪が淡い光を放つ。


 この前掃除中に拾った、昔そこにいたのだろう妃の簪。
 そういえば持ったままだった。


「行かせて下さい、陛下。」
 行かなきゃと、彼女は黎翔の腕を掴んで見つめる。
 その強い瞳に射貫かれると、たとえ離したくなくても認めないわけにはいかなかった。
 身を預けていた夕鈴が自分の足できちんと立つのを見届けて、黎翔は彼女を自分の腕から
 解放する。
「ありがとうございます。」
 夕鈴はふり返って微笑むと、それを持って男のところへと静かに近づいた。




「玉蘭!」
 手を差しだそうとした男から一歩離れて、夕鈴は簪を男の前にかざす。
 銀の飾りがしゃらんと音を立て、赤い玉飾りは月光で輝きを増した。

「私は玉蘭さんじゃありません。…玉蘭さんは、こちらです。」
 月の光が簪に注がれて、淡い光が彼女の姿を形作る。

「龍季、やっと逢えた…」

 美しい黒髪を飾る赤い玉飾りの簪、赤い紅を引いた女性は泣きながら龍季と呼んだ男に微
 笑んだ。




 夕鈴はそっとその場から離れ、その背中を黎翔が受け止めて抱きしめる。
 見上げた彼女は大丈夫だとふんわりと笑ってから、やっと逢瀬が叶った恋人同士へと視線
 を戻した。




「ごめんなさい、龍季… 貴方に会いに来るのが遅くなってしまって…」
「良いんだ、玉蘭。君はちゃんと約束を守ってくれた。」
 男が引き寄せると彼女は腕の中へと飛び込むように縋りつく。

「今度こそ幸せになろう。」
「ええ。来世で、今度こそ…」

 2人は抱き合ったまま、夕鈴と黎翔の目の前で月明かりの中に消えた。




















「―――七不思議の一つは本物でしたね。」
 夕鈴も気づいていたらしく、黎翔に渡された本を大事に抱え込んでぽつりと言った。

 時の王に引き裂かれた恋人同士。
 何故今まで会えずにいたのか聞くことはできなかった。
 けれど確かに分かるのは、2人は今夜ようやく出会うことができて、天へと共に還ったの
 だということ。

 もうあの2人は現れない。




「何だか今夜は眠れそうにありません。」
 いろいろありすぎて、と言う彼女の頬はわずかに紅潮している。
 どうやら気が高ぶっているらしい。

「怖いなら添い寝してあげようか?」
「違いますし遠慮します!」
 冗談めかして茶化すと即座に否定の言葉が返ってきた。
 少しくらい躊躇ってくれても良いのに、相変わらずつれない。
「えぇー」
 不満げに声をあげると、真っ赤な顔で彼女は逃げるように数歩前に出た。


「部屋に戻ってお茶にしましょうッ」

 誤魔化すように彼女は早口でまくし立てる。
 それって余計に眠れなくならないかなーと思いながらも、彼女と少しでも長く過ごしたい
 から「うん」と元気に頷いておいた。



 



2011.6.11. UP



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お題:後宮七不思議(怪談話?)を聞いた夕鈴が・・・
      @怖くなって陛下に添い寝をお願いする
      A好奇心から、陛下を巻き込んで後宮探検に行く(原文)

どちらか選んで良いとのことでしたので。
私の中の夕鈴はこっちかなぁと思ってAにしました。
でも怖がる夕鈴も可愛いな☆
添い寝の場合は陛下は霊ではなく理性と戦わなければならないですけど。
陛下 頑張れ〜(鬼)

夕鈴のところに陛下を導いた女性は――― まあ、その、…ですね。
陛下に縁の深い女性… 実は母親か姉のつもりで書いてました。
七不思議とは無関係なんですが導く人を出したかったので。

玉蘭さんと龍季さんは、来世で幸せになると良いなと思いつつ。
約束を果たせないまま死んでしまった経緯もあるんですが、オリキャラなので割愛しました。


ももぱんだ様、2回目のリクエストありがとうございました〜(笑)
今回もまた萌え萌えしながら書かせていただきました!
ももぱんだ様のリクはどうもネタが出まくる傾向にあるようです。
…またも長くなりすぎました。スミマセン…ッ
クーリングオフは随時受付中です。
 


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