月光の妃 2




「ご正妃様に嫌われていたのは知っていたの。毒入りの食事やお茶、蛇… 刺客も何度か遭
 ったわ。」
 彼女の隣に座り込んで、夕鈴は彼女の話に耳を傾ける。
 ぽつりぽつりと語り出した彼女の話は、さらりと言うわりにかなりのものだった。

 これが老師の言う後宮の"歴史"とやらで、本来の姿でもあるのだろう。
 陛下が辺境で育ったのもこんな環境故のこと。

「陛下は私を守ってくださったけれど、あの方を諫めることはできても止めることはでき
 ないと仰って…」
 話を聞きながらそんなものなのかと夕鈴は思う。でも、何となく納得もできた。

 正妃ならそれなりの家柄の姫なのだろう。
 どうして紅珠が"正妃の第一候補"であるのかは夕鈴も知っている。
 つまりはそういうことで、その王様も辛い判断だったんじゃないかと思う。

「あの子を身籠もった時も、心配された王は私への警護を厚くされたわ。そのおかげで無
 事に産まれて、陛下も喜んでくださって…」
 その時だけ嬉しそうに綻んだ顔は、けれどすぐに曇ってしまう。
「でも浚われてしまったの… それからずっと探しているのに見つからないのよ。」
 何と言えば良いのか分からず夕鈴は口を噤んだ。

 浚うように命じたのが正妃なら、おそらくその子は生きてはいない。
 それでも母親は霊魂になっても探し続けている。

(…あれ? 今何かが引っかかったような…)



「―――ところで、貴女の後ろの人は誰?」
 話している間に余裕が出てきたのだろうか、ふと彼女が黎翔に気がつく。
 その顔をじっと見上げて、彼女は花のように微笑んだ。
「貴方、あの人に似ているわ。私の愛しい陛下…」
 けれど、こんな美人に微笑まれても陛下は顔色一つ変えずに冷めた目で彼女を見下ろす。
「当たり前だ。私はお前の愛する王の血を引く者だからな。」
 静かに響いた声に微笑みが凍り付いて、彼女の表情は戸惑いの色に変わる。
「え… でもあの方に息子はいなかったわ。」
「息子ではない。…ここにはもうお前の愛する王もお前を殺そうとする正妃もいない。こ
 こにいるのは私と私の妃の夕鈴だけだ。」

 彼が告げるのはただ事実。
 彼女が生きたのは遠い過去。今ここに、彼女が探すものはない。


「だめっ 思い出させないで…ッ!」

「!?」
 彼女の感情に呼応するように、突如彼女の周りに風が吹き荒れる。
「きゃ!?」
 その風に飛ばされそうになる前に、黎翔は夕鈴の腕を引いて彼女をその背に庇った。


「…夕鈴、あの話の続きは?」
 風圧が増す中で、少し下がりつつ黎翔が尋ねる。
 何のことかと聞き返そうとして、それが"彼女"のことであることに夕鈴は気がついた。
「……産まれた子は男の子で、焦った王妃は浚って殺すように命じます。そして赤ん坊を
 浚った刺客を追いかけた妃は… その刺客に殺され、て……」
 自分の言葉にハッとして夕鈴は青ざめる。
「死んだ自覚がないまま彷徨っていたわけか。」

「ねえ、あの子はどこ!?」
 彼女の声で空気が震える。
 風に圧されて扉や窓がガタガタと音をたて、柱がミシリと鳴った。

「パニックを起こしたか。」
「どうしてそんなに冷静なんですかー!?」
 非常にまずい事態だと思うのは夕鈴だけなのだろうか。
 何故だか涼しい顔をしている彼に疑問さえ湧いた。

「あの子はどこ!? 返して!!」
 解けた髪が風で乱れ、彼女の涙は血の色に変わる。
 息ができないほど苦しくて、夕鈴は彼の腕にぎゅっとしがみついた。


「――――…息子は先に天に還ったというのに、ここで探しても見つかるはずがないだろ
 う。」
「…陛、下?」
 突然何を言うのだろうと夕鈴はそっと顔を上げる。
 かろうじて目を少しだけ開いて見えたその彼の視線は、ぴたりと彼女に向けられていた。

「5代前の王は産まれてすぐに何者かに浚われ、王都の外に捨てられたそうだ。そこで運
 命を終えるはずだったのだが、彼は運良く農民の夫婦に拾われ、何も知らずにそこで育っ
 た。」
 5代前の王? 農民の夫婦に育てられた?
 夕鈴は知らない話だ。
 しかし目を開けていられないほどだった風が少しだけ大人しくなる。
「そしてある時、王の密命を受けた側近が彼を探し出して迎えにきた。王には他に子がな
 く、世継ぎ争いが起きそうになったからだ。彼は王宮に戻り跡を継ぎ、よく国を治めたそ
 うだ。」

 ―――最後まで話し終えたときには、すでに風は止んでいた。

「じゃあ、あの子は…」
「無事に天寿を全うして、なかなか来ない母親を、父と一緒に待っているのではないか?」
 狼陛下が不敵に笑う。
 その視線に送られて、彼女はゆっくり外へ出た。


 今宵もあの日と同じで月が明るい。
 庭を照らす月明かりが夜の闇を白く浄化する。


「ああ、ごめんなさい… 気づかなくて……」
 彼女には何かが見えたのか。
 天に微笑みかけた彼女もまた、あの日の2人のように月の光に溶けて消えた。











「会えたでしょうか?」
「さあ?」
 月を見上げて呟く夕鈴の隣で黎翔はトボケた声を出す。
「陛下…?」
 怪訝な顔で横を見る彼女に向かって、黎翔は悪戯が成功した少年のような笑顔を見せた。
「5代前の王が農民の子として育てられたのは本当だよ。でも、彼女の息子かどうかまで
 は分からないし。」

 …確かにそうだ。どうして気づかなかったんだろう。
 というか、見事にまたこの人に騙された。いつもこんなことばっかり。

 でも、まあ、

「……ちゃんと天に還れたから、まあ良いか。」




「老師に少しは聞いてましたけど、後宮って大変なんですね。」

 1人の王にたくさんの妃。
 "皆が王を奪い合う" ―――美しさの裏の闇の部分。
 正妃と寵妃の物語は、実際聞いた現実の方が恐ろしかった。

「私は… 少しだけ正妃様の気持ちも分かります。好きな人が振り向いてくれなかったら悲
 しいと思うんです。もちろんそれで人を傷つけるなんていけないと思いますけど。」
「夕鈴は…」
「え?」
「何でもない。」

 そういう男がいるのかと聞いてはいけない気がした。
 聞いてもし、誰かの名前が出てきたら、何をしてしまうか自分でも分からない。

(…ああ、そういうことか。)

「…僕も分かるかも。」
「へ?」
「でも僕には王の気持ちも分かるよ。誰を一番に愛するべきか理解していても、その人を
 好きになってしまったどうしようもないから。」
「陛、下…?」

 彼が何のことを言っているのか。
 知りたいようで知りたくない。



 聞いてはいけないような、聞きたくないような。
 それを口に出してしまえば、何かが変わってしまうような。


 だから、互いに、その後の言葉を全て飲み込んだ。










*










「―――それで、その女性は天に還れたのですね。」
 今回は夕鈴が話して聞かせる側だ。
 絽望に請われた夕鈴は、天に還った女性の話をできる限り詳細に話した。これで女官達も
 安心することだろうと。

「お妃様は本当にお優しいですね。」
 聞き終えた絽望に賞賛されたが、それを夕鈴は首を振って否定する。
「優しいのは私ではなく陛下ですわ。私は何もしていませんから。」
 謙遜でも何でもなくその通りなのだ。
 彼女を天に還したのは陛下の言葉で、夕鈴はただ彼の後ろにいただけだ。
「…さりげなく惚気られた気がします。」
 小さく笑われて、恥ずかしくなってしまった夕鈴の頬が赤く染まった。それにまた彼は笑
 う。


「―――仕事を2倍に増やしてもまだ妃と話す余裕があるのか。」

 運悪くそのタイミングで陛下が戻ってきた。
 不機嫌さを隠しもしない彼に顔色を赤から青に変えて冷や汗を流す夕鈴とは正反対に、礼
 をとる絽望はいたって平気そうにしている。
「時間がなくても作るのが私の主義ですから。」
「憎らしい男だ。その優秀さがなければ即刻遠くへ飛ばしてやるものを。」
「お褒めいただき光栄です。」
 苦々しい呟きさえも笑顔で切り返す余裕さえある。

「…本当に憎らしい男だな。」
 ヒヤヒヤする夕鈴を余所に、意外にも陛下はそれだけ言って李順を連れて席に戻った。









「何気に気に入ってるんですか?」
 方淵とは違うけれど、絽望もまた黎翔を恐れない。
 周りはいつもヒヤヒヤしているけれど。
「どんなに嫌いでも役に立つなら使う。」
「え、嫌いなんですか? おもしろい人なのに…」
 夕鈴の彼への評価に、黎翔は目に見えてムッとする。
「…君に手を出そうとしている男をどうやったら好きになれるんだ?」
「でもあれ、冗談なんでしょう?」
「え?」
 夕鈴の言葉が意外過ぎて、狼を引っ込めた黎翔の目が丸くなる。

「え、って… あの人女好きなんでしょう? 女であれば誰でも口説くって柳方淵に言われ
 てましたよ。」
「……」

 冗談で、あそこまで狼陛下に喧嘩を売る者がいるはずがないのに。
 あんなにストレートなのに全く通じていないのか。

 ちょっとだけ同情しつつも、黎翔は思わず吹き出した。

「どうしてそこで笑うんですか??」
「うん、なんか安心した。」
「は?」


 思い込みってやっぱり大事らしい。

 絶対教えてなんかやらないと思って、絽望への誤解はそのまま放置することにした。


 



2011.6.16. UP (2011.6.16夜 一部修正)



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お題:「夜な夜な後宮で女の泣き声が聞こえるという。女官達の不安を取り除きたいと、
        夕鈴が立ち上がった!!」(原文)

ちょうど「月の夜には、」のネタ出しが終わった頃にこっちのリクをいただきまして。
あまりに良いタイミングだったのでリンクさせてみました。
話自体は独立してますが、続きのような感じで。蒼様にも許可をいただきました。
タイトルも月で関連させてます☆

景絽望は最初と最後に登場です。(景絽望は『花の笑顔』登場のオリキャラです)
これも蒼様のリクエストにあったので〜
このサイトで彼が生存権を得ているのは蒼様のおかげです。
私は大好きですが、オリキャラなのであんまり出してはいけないかなーと。
だんだん良い性格になってきました。ヒヤヒヤしているのは私です(笑)
でも夕鈴には気持ちが通じていない不憫。


蒼様、景絽望へのリクエストありがとうございました(違)
お題のアオリ文句のような言葉に蒼様のセンスを感じます。思わずそのまま載せました。
私にはこういったセンスがないので羨ましいです。
少しでもご期待に沿えることができたでしょうか?
返品受付は随時行っております!






☆さらにどうでも良いけど、景絽望についての話☆
実は同期だけど方淵より一つ上のつもりです。理由は一年遊んでたから。
ウェーブかかった前髪のトーン頭、というイメージがあります。
あと垂れ目もそういうキャラのイメージですよね。何故か。
あくまでイメージですが。
 


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