愛情不足の解消法 2




 普通国王の御子―――しかも世継ぎとなれば、乳母は数人つくのが当たり前らしい。

 しかし今の御子には1人しかいない。
 それは子育てを任せっきりにはしたくないという夕鈴の意志を汲んでのことだ。

 夕鈴の条件は2、3人の子育て経験のある人。
 子育ての相談に乗ってもらいたいからというもので、それに見合った女性の中から夕鈴と
 気が合いそうな者が選ばれた。




「…普通は全て乳母に任せてしまうものですけど。」
 自分で何でもやりたがる夕鈴に乳母―――碧華南は苦笑いを隠せない。
 本来は、早く次の子を産むために母乳を与えることもないのだが、夕鈴はそれも自分でと
 言って譲らなかった。
「陛下は親の愛情をあまり知らずに育ったんです。だったらこの子には同じ思いはさせた
 くないと思って。」

 ずっと子どもを産まなかったのもそのため。
 愛情いっぱいに育てたいから、国が完全に安定するまで産まないと決めた。
 それははっきり決まっていたから、何も知らない周りからどんな嫌みを言われようともそ
 の意志は曲げなかった。

 今も夕鈴の中に世継ぎを産んだという意識はない。
 夕鈴は愛する人との子どもを産んだ。
 この子がいずれ王になるとしても、それは結果の話。夕鈴には大して意味のないことだ。


「―――それならば、たまには陛下のお相手もして差し上げた方が良いかと。」
「え?」
「愛情不足の陛下の寂しさを埋められるのも貴女様だけですもの。」
 からからと、美人ながら豪快に華南は笑う。
 3人も男の子を産んだとは思えないすらりとした体型の女性は、けれどさすが3人を産ん
 だと言える潔い性格をしていた。
 そしてこの性格故に夕鈴とも姉妹のように気が合っている。

「日に日に機嫌が悪くなられて、周りは困っておられるそうですわ。」
「…どこからそれを?」
 後宮の外のことは夕鈴ほど知らないはずの華南から言われて怪訝に思う。
 尋ねると彼女はまた明るく笑った。
「貴女様の周囲をうろちょろされている護衛の方からですわ。」

(つまり浩大か…)
 彼のことだから、またベラベラと余計なことまで邪気なく話したのだろう。
 言うことは嘘ではないのだけど、いつも一言も二言も多いのが難点だ。
 彼女相手にも変なことを言っていないか心配する。

「お后様は頑張りすぎです。たまには母親もお休みください。」
 たまに夫に言われることと似たようなことを、華南は姉のような顔で微笑って言った。



























「あれ? 我が子は?」
 今日もまたお昼の休憩に後宮を訪れた陛下が、いつもと違い1人でいる夕鈴を不思議がっ
 て尋ねる。
 普段なら必ず子どもを抱いているのに、今日は1人でのんびり裁縫をしていたからだ。

「華南さんと子ども好きの女官数名と一緒にお散歩です。」
 彼が入ってくると同時に手を止めて席を立った夕鈴は、彼にいつもの肘掛け椅子を勧めて
 座らせる。
 そして自然と伸ばされた彼の手を取って傍らに立つと、その存在を確かめるように強めに
 握り込まれた。

「珍しいね。」
 その手の強さとは対照的に交わされる会話はその強さを感じさせない柔らかなもので、夕
 鈴も特には気にはならない。
 だから彼の心の内側には気づかなかった。
「たまには母親もお休みしなさいって言われて。」
「へぇ。」

(…浩大が言っていたことは本当なのかしら?)
 今も、来て最初に出たのは子どものことだったのに。
 洪大の話と彼の態度との違いに内心で首を傾げた。

「じゃあ…」
「?」
 突然腕を引いて、彼は夕鈴の体を腕の中に引っ張り込む。
 2人分の重さで椅子がぎしりと鳴った。
「今は僕が独り占めしても良いんだね。」
「は?」
 弾んだ声はとても楽しそうで、夕鈴は何事かと思う。
「ずっと我が子にとられていたから夕鈴不足なんだ。」
「赤ん坊相手に何を言ってるんですか。」
 赤ん坊と張り合ってどうするのか。どちらが優先かくらいすぐ分かると思うんだけど。
「僕はヤキモチ焼きだから。」
 呆れて言っても彼は全く堪えていないらしく、にこにこと嬉しそうだ。

 確かに最初の頃は不機嫌になって我が子を押し退けて抱きしめたりしていたけれど。一度
 本気で怒鳴ったらなくなった。
 すっかり忘れていたことを思い出して、ひょっとしてあの時と何も変わってないのかもと
 勘ぐってしまいそうになる。

「…あの、陛下ッ苦しいです!!」
 ぎゅうぎゅうと抱きしめられて上手く息ができない。
 1人用の椅子は小さいわけではないけれど、やっぱり2人でいるには狭すぎた。

「お、お茶を淹れますから、ちょっと離して…」
「今は要らない。それより夕鈴が良い。」
 少しだけ力を緩ませて、彼は器用に椅子の上で夕鈴を抱き直す。
 彼の膝の上に乗っかる形で腰を抱かれて、少し視線が下になった彼を見ると、さっきの言
 葉のままににこにこと子犬の顔で笑っていた。

「ふふ。久しぶりだね。」
 それは2人きりのことを言っているのか、触れ合うことの方なのか。

『愛情不足の陛下の寂しさを埋められるのも貴女様だけですもの。』

 何となく華南の言葉を思い出す。そういえば、最近2人で話した記憶もない気がして。


「って! 昼間からどこ触って…ッ」
 腰の辺りを撫でる手にぞわりと肌が泡立つ。
 明確な意志を持つその行動の意味に気づかないほど、この人と肌を合わせた数は少なくな
 い。
 彼が今何を求めているのか分かる。…けれど。

「…ッ みんなが戻ってきたら、どう…!」

 散歩に出かけたのはそんなに前ではないけれど。
 でも、いつ戻ってくるかも分からないのに。

「皆心得ているさ。」
 やっぱり狭かったのか、ひょいっと夕鈴を抱き上げた。
 昔から思うんだけど、見た目の割に力があるこの人は、夕鈴も軽々と持ち運ぶ。
 そうすると夕鈴は何もできずにされるがまま、彼の思う場所に連れて行かれてしまう。
「え…」
「夕鈴不足だと言っただろう。たまには私の相手もしてもらう。」
 いつの間にか狼の方に切り替わっていた。
 そうして向かうのは奥の寝室。
 その意味が分からないわけでもない。
「ちょ、え、今ですか!?」
「夜がダメなら昼間しかない。」
「なななな…!?」
 顔を真っ赤にして今更抵抗を始めても、彼がそう言ったなら絶対だ。夕鈴に逃げる術は残
 されていない。

 そしてこの後夕鈴は、華南の言葉を本当の意味で理解することになる――――















「あの、戻らなくてよろしいのですか?」
 女官の1人が気を利かせて聞いてくるのに、華南は朗らかに笑う。

「せっかくの2人きりですもの。邪魔をしてはいけないわ。」
 戻るのは遅ければ遅いほど良いだろう。
 あの夫婦が2人きりになって、どうなるかぐらい予想がついた。

「公子様、ちょっとだけ我慢して下さいね。」
 頬をつついて笑いかけると、何も知らない赤ん坊は無邪気にきゃっきゃと笑った。


 ―――そして彼女達が戻ったのは、日暮れ間近の夕焼けの頃。




2011.7.9. UP



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お題:禁断の未来ネタ。お世継ぎが生まれ、うれしいけど、超やきもちを妬いてしまう陛下

いつまで経っても新婚だといい。
臨時から正妃になるまでも時間があって、それから子が産まれるまでも何年かあるイメージ。
私自身が憂い事が無くなってから結婚するよりも、2人で安定させていく方が好みなので。
前回の「たまには甘えて」と軸は同じ未来話です。

てゆーか大人げないよ陛下。赤ん坊と張り合うなんて…
「ものすごく怒られた」後、たぶん一週間くらいは来室禁止を言い渡されたんじゃないかと思います。
そんで子どもが優先で夜も別とか不憫な陛下。
最後はいい思いしてますけどね! 寝室でのことはご想像にお任せします。
だって完全指定入りますから!(笑) さらにその後のことは下のオマケに。

乳母の華南さんはオリキャラで、名前は出さない予定だったんですが。乳母って呼び続けるのもなぁと。
乳母っていうより姉御って感じですけどね。よく笑う人です。
複数の乳母がいたというのは本当は平安の話なんですけど。まあ良いかって思って。←

前回の水月兄上に引き続き、今回は浩大が名前だけ登場しました。
彼のキャラは使いやすいんですけど、コミックス出るまで出せないのがつらいなぁ。


ムーミンママ様、リクエストありがとうございました☆
遅くなってしまって本当に申し訳ありません(>_<)
ご期待に沿えるものになったか分かりませんが、楽しかったです。
李順さんに愚痴る陛下が1番書きたかっただなんて言いませんが(笑)
苦情・返品はいつでも受け付けております〜




で、オマケの後日談↓
※意味が分からない人はスルーで。

「すみません、華南さん…」
寝台に突っ伏したままで、夕鈴は弱々しい声で謝る。
まさか腰が立たなくなるとは思わなかった。
「今度からは、母親もほどほどにします……」
子育てに集中していたからとはいえ、さすがに放っておきすぎたらしい。
陛下の愛情不足の弊害を身を持って知った。後半の記憶はあまりない。
だいたい起きあがれないなんて初めての夜以来だ。

そして、時間の許す限り手加減なく抱いてくれたその本人は、夕鈴を気遣いながらももの
すごく上機嫌で仕事に戻っていった。
こっちは起きあがれないのに何であんなに元気なのか。
単純に体力の差なんだろうけれど、今はあの小犬の笑顔すら憎たらしく思える。

「夫婦仲が良いのは良いことですわ。御子のことは私にお任せください。」
全て心得たという風に、頼もしい乳母はそう言って明るく笑った。
 


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