心の在処 2




「勿体ないわよね〜 ちょっと着飾って化粧すればかなりの美人なのに。いつも地味な色の
 服ばかりだし化粧っ気もないし。」
 夕鈴の髪を結い上げながら、鏡を覗き込んだ明玉はさっきからずっと同じ言葉を繰り返し
 ている。
 借りた衣装は思った以上に夕鈴に似合っていて、貸した本人も明玉も感嘆の息を漏らして
 しまったほどだった。
 けれど夕鈴はそれを軽く笑って否定する。
「見慣れないから目を引くだけよ。それにそんな贅沢なんかできないわ。父さんはあんな
 だし、青慎の学費も考えるとそんな余裕無いもの。」
「ほんと、勿体ないことしてるわ…」

 自覚がないのもどうかと思う。
 几鍔さんの刷り込みのせいもあるんだろうけれど、夕鈴は自分の容姿に自信を持っていな
 い。
 着飾って歩けばそれなりに声をかけてもらえそうな気もするけど。
 …いや、下町の場合は几鍔さんの存在があるからダメかもしれない。
 あと、あの見た目の割にガサツな性格もなおす必要がある。

 ―――そんなことを考えていて、やっぱり無理かもとちらりと思ってしまったのは胸の
 に秘めることにして。


「…ま、良いわ。今日はその見合い相手を魅了してきなさい!」
 結い上げた髪に昨日買った銀の簪を挿す。
 我ながら上手くできたと自画自賛しつつ夕鈴を椅子から立ち上がらせた。



「姉さん、迎えの馬車が…」
 その時、タイミング良く部屋を覗き込んだ青慎が、夕鈴と目が合うとそのままぽかんと立
 ち尽くす。
「びっくりしたでしょ。」
 得意げに明玉が言うと、青慎はうんと頷いて「綺麗…」とぽつりと呟いた。


 桃色の重ねに赤い帯、差し色は萌葱。
 髪はいつもより高く結って、銀の簪と花をあしらった夕陽色の簪が揺れている。
 化粧は薄めに、けれど口紅は鮮やかな紅。

 素材が良いのを着飾るのはけっこう楽しくて、お洒落は人並みの明玉にとってもかなりの
 自信作だった。


「―――几鍔さんも、どうかしら?」
 後ろの彼にもからかうように問う。
 気づいた夕鈴はあからさまに嫌な顔をした。

「げっ 何しにきたのよ!?」
「……馬子にも衣装か。」
「何なのよ、それ。」
 ぼそりと言われた憎まれ口に夕鈴はムッとする。
「口開かなきゃ良いんだがな。」
 どんなに着飾っても中身はいつもの夕鈴だ。
 彼の溜め息の意味にはきっと気づいていない。
「ほんとにアンタ、何しにきたのよ。」
「別に。」

(心配って素直に言えば良いのに。)
 明玉にしてみれば、夕鈴も几鍔も素直じゃなくて焦れったい。


「あの、だから馬車が…」
 青慎が困った顔で再度促す。
 聞き流しそうになって、それに気が付いた。

「てゆーか、馬車?」
 どうして見合いに行くのに馬車が必要なのか。
 歩いていくんじゃないの?と夕鈴は首を傾げた。















 想像以上に大きな馬車に、今度は夕鈴が唖然となる。
 その馬車の前には、やたらと身なりの良い青年が立って待っていた。

「すみません。屋敷で待つつもりだったのですが、待ちきれなくて来てしまいました。」
 彼は夕鈴を見ると待ちこがれたように笑顔を向ける。
 この人物が今日の見合いの相手だと知って夕鈴は目を丸くした。

「ちょっ 貴族だなんて聞いてないわよ!?」
 青慎に小声で耳打ちすると、きょとんとした顔を返される。
「あれ、言ってなかった?」
「父さんも何も言ってなかったわよっ」
 相手が貴族だなんて今初めて知った。それまでは父親の仕事関係だと思っていたのだ。

 相手が貴族ならそりゃ断れないわと思う。
 同時に、何故自分だったのかと疑問を持った。
 どう見たってかなりの金持ちだろう貴族の青年が、何故庶民の娘である夕鈴と見合いをし
 たいと言ったのか。

「夕鈴さん?」
「は、はい!」
 呼ばれてハッと我に返る。
 慌てて誤魔化し笑いを向けると、彼は疑いも持たずににこりと笑って返してくれた。
「どうぞ。」
 手を差し出されて、皆より一歩前に出た夕鈴は少し躊躇いつつ自分の手を重ねる。
 それに嬉しそうな顔をする彼に促されて、馬車の前まで連れて行かれた。

 歩く度に挿した簪がしゃらんと鳴る。
 普段の服よりは若干歩きにくいが、お妃衣装よりは軽く絡まって転ぶようなヘマはせずに
 済みそうだ。
 こんなところでバイトが役に立つなんてと思いながら、上手に裾をさばいて馬車に足をか
 けた。



「夕鈴…」

 その時小さく聞こえた耳慣れた声は一瞬聞き間違いだと思ったけれど、夕鈴は反射的に振
 り返ってしまう。
 声の主を追って視線を巡らすと、道の端に外套を纏ったメガネの青年が立っていた。
 見間違えるはずもないその姿に夕鈴はぎょっとなる。

(げ、陛下がどうしてここに!?)
 忙しくて抜け出す暇なんかないはずだ。
 でも、陛下は確かにそこにいた。

(見られた…!)
 見合い相手の手前、叫ぶこともできず内心で大いに焦る。
 内緒にしていたのに、これで全部バレてしまった。
 李順さんに許可は得てるし、話をするだけのつもりだから疚しいことなんか一つもないは
 ずなんだけど。
 そもそも臨時花嫁なのだから、浮気でも何でもないんだけど。
 でもどうしても罪悪感を感じてしまうのは何故だろう。

「どうされました?」
「いえ…」
 あれこれと考えたけれど、それらをまとめる時間はない。
「では、参りましょう。」
 視線だけを交わして、夕鈴は見合い相手と一緒に馬車の中に入った。








「…ねえ、几鍔くん。」
 夕鈴を乗せた馬車が角に消えてから、背後からかけられた声に几鍔は少しだけびくりとし
 た。
「!? …なんだ、テメーかよ。」
 気配がなかった気がするが…と思いつつも言わない。
 それを認めるのはなんだか癪だった。

「これは、どういうことかな?」
 柔らかい口調なのに威圧感が半端ない。
 お前本当に文官なのかよと言いたくなる。

「夕鈴がお見合いなんて、聞いてないんだけど…」
 説明しろと目が言っていた。

































「まあ、素敵な庭園ですね。」
 四阿に案内されて、見事に手入れされた庭に夕鈴は素直に感嘆する。

 さすがに後宮と比べると小さいが、それでも池に架けられた橋や植えられた木々と花の配
 置も絶妙で、その趣味の良さが伺えた。

「はい。自慢の庭です。」
 隣に並んで座り、はにかむように答える青年は穏和で好感が持てる。
 これだけの財力を持つ貴族であり、本人も人の良さそうな好青年。
 だからこそ、浮かんだ疑問は消えなかった。

「―――どうして私なんですか?」

 さっき飲み込んだ疑問を直接本人にぶつける。
 だってどう考えても夕鈴が選ばれる理由が見つからない。
 この人ならもっと良い家柄の女性でも良いだろうに。


「…貴女はやはり覚えていませんよね。」
 少し寂しげに微笑まれて胸が痛くなる。
 どこかで会ったことがあるというのはその言葉で分かったけれど。
「す、すみません…」
 謝りながらそれでも彼のことは思い出せなかった。
 下級役人の娘である夕鈴を選んだのだから、下町で会ったのは当然だ。
 けれど、この青年には会った記憶がなかった。
 会ったなら、良い印象を持っているはずなのだけど。

「いえ。私もあの頃の自分は恥ずべきものだと思っていますので。」
「恥ずべきもの…?」
 忘れてくださった方が良いのかもしれないと言われて、夕鈴はますます意味が分からなく
 なる。
「あの頃の自分は財力と権力を笠に着て、やりたい放題の馬鹿息子でした。」
「はあ…」
 そんな貴族はごまんといるし、下町でも散々見てきた。
 でも今のこの人からは想像がつかない。
「それを変えてくださったのが貴女です。」
「私が?」
「はい。身分など関係なく私を叱り飛ばしてくださって。おかげで目が覚めました。」
 …確かに、身分関係なく迷惑な輩は怒鳴ったりもしていたけど。
 何人かいたその中に、目の前の彼もいたらしい。
「それから貴女に見合う男になるために必死で努力を重ねました。」
 夕鈴のために相当な努力をした結果が今の彼というなら、怒鳴った甲斐もあるというもの。
 まさか好意を持たれたとはさすがに予想外だったけれど。
「貴族としての身分は低いですが、貴女に苦労はさせません。」

 彼が良い人なのはよく分かる。
 そしてとても優しい人。
 この人はきっと幸せにしてくれる。

 でも…

「私は下級役人の娘です。貴方にならもっとふさわしい方がおられるのでは?」
「貴女が身分を気にされるのですか?」
 身分に関係なく彼を怒鳴ったのは夕鈴だ。その夕鈴が言うのだから意外だと思われても仕
 方がない。


 私だって身分や立場で差を付けたくはない。
 でも今は好きなだけじゃダメなこともあるのだと知っている。

 …だって、あの人は本来姿を見ることさえ叶わない。


「…あの、その……」
「―――返事は今すぐでなくても構いません。」
 夕鈴の戸惑いを感じ取り、彼は腫れ物に触れるかのようにそっと夕鈴の手を取る。
 優しい態度に不快感は覚えない。
「何年でも待ちます。貴女が良いと言ってくださるまで。」

 …いっそ強引ならば拒否することもできるのに。
 傷つけたくないと思ってしまって、何を言ったら良いのか分からない。
 彼ならきっと、夕鈴を待たなくてももっと良い人が見つかるはずなのに。

「夕鈴さん、私は」


「―――勝手に話を進めないでもらいたいな。」


「「!?」」
 突然会話に割り込んできた声に2人同時に顔を上げる。
 目が合った声の主は不機嫌な顔をさらに歪めて、夕鈴の腕を引いて立ち上がらせた。

「へ…李翔さん!?」
 引き寄せられて近すぎる距離で見た彼は、見た目は"李翔さん"なのにメガネの奥の瞳は狼
 陛下。
 鋭い眼差しでじっと見つめられてどきりとしてしまう。

「悪ぃな。勝手に入らせてもらった。」
「!? 几鍔までっ」
 さらに彼らのその後ろには几鍔の子分達もいた。

「なっ 何だ君達は!?」
 さすがに彼も驚きを隠せない。
 そしてそれはもちろん夕鈴も同じだった。
「ちょ、何してんですか!?」
「もちろん、見合いをぶち壊しに来たんだ。」
「はぃ!?」
 あっさりと答える陛下は"素"だ。
 聞き捨てならないセリフの後に、彼はまだ座ったままだった男を見下ろし不敵に笑う。

「僕の夕鈴に許可無く手を出さないで欲しいな。」
「ッ!?」
「どさくさに紛れて何言ってんだコラ!」
 咄嗟に言葉が出なかった夕鈴の代わりに几鍔が横からツッコミを入れる。
「きゃ!?」
 けれどそれを軽く聞かないふりで、彼はいつものように軽々と夕鈴を抱き上げた。

「夕鈴は渡さないよ。」


 ―――自分のものだと、その言葉の通りに。
 大事に大事にその腕の中に囲う。


「って、さっきから何言ってんですか!?」
 何かがおかしい。陛下が変だ。
 ぶち壊しに来たとか渡さないとか、そんなのおかしいじゃない。…私は偽物なのに。
 自分より視線が低い陛下を見下ろせば、彼は思いの外真剣な顔をしていた。
「それはこちらのセリフ。僕に内緒でお見合いなんて、何考えてるの?」
「何も…というか、話をするだけのつもりで…」
 その瞳に呑まれそうになって、しどろもどろに声を絞り出す。
 自分がとても悪いことをしているように思えた。
「でも流されてなかった?」
 どこから見てたんだろう、この人。
 さすがに話は聞こえてなかったと思うけれど。

「てゆーか、どうやってここに!?」
 よく考えたら、夕鈴さえも今日まで相手を知らなかったここにどうやって来たのか。
「几鍔くんの子分くん達に手伝ってもらった。」
「え…」


「人の子分を勝手に使いやがるし…」
 几鍔はぼそっと呟く。
 貴族だからかもしれないが、こいつは人を使うことに慣れている。

『夕鈴はどこに行ったの?』
 絶対ただの役人じゃない。―――あれは支配者の瞳だ。

「こいつはいけ好かないが、夕鈴を兄貴以外の男と結婚させるよりは…!」
 1人の子分が言うと、周りもそうだそうだと同意する。
 相変わらずの勘違い共に几鍔はブツッと切れた。
「だからどうしてそういう話になるんだテメーらは!」
 振り返って噛みつくとビクリと震える。
 黙り込んだ奴らを一瞥すると、几鍔は苛立った様子のまま再び背中を向けた。


「―――帰ろう、夕鈴。」
「待ちなさい! 彼女は」
 立ち上がりかけた男を射抜いて黙らせる。
「今言ったよね、夕鈴は渡さないって。夕鈴が欲しかったら僕らを納得させてからね。」
「俺を入れるな! つーか俺はテメーも認めてねぇ!」
「えー」

 夕鈴を抱えた男が背を向け、隣の男もそれに続く。
 追いかけようとすればその間に男達がずらりと並んで行く手を阻んだ。

 守られた彼女を見て、今は分が悪いと判断する。


「…手強そうな方々ですね。まあ、簡単に手に入るとは思っていませんでしたし。」
 今回はただその存在を知ってもらえればと思っていた。
 急いでも彼女は手に入らない。待つと言ったのは自分なのだし。

「仕方ない。今日はここまでにしましょう。ではまた会いましょう、夕鈴さん。」
「2度と会わせないから安心してよ。」
 背を向けたメガネの青年が振り返ってそれだけ返す。
「それは困ります。」
 苦笑いで返事をすると、青年は笑って再び背を向けた。




 夕鈴を囲った男達がぞろぞろと庭から出ていく。
 追いかけることもせずにそれを見送り、彼は庭園に1人残された。

 その心中に焦りはない。
 むしろ面白いと、その顔には笑みさえ浮かぶ。

「―――相手に不足なし、ですね。」

 声は誰にも聞かれることなく、風の中に消えた。


























「…あの、そろそろ下ろしてくれませんか?」
 抱き上げられたままが居たたまれなくて小さな声で頼む。
 几鍔と子分達とは門までで別れたけれど、この状態は結構目立つ。
 けれど、彼はそれを許してくれなかった。
「僕まだ納得してないんだけど。」
 少しだけ身体をずらして彼女を腕に乗せ、真正面で見上げてくる。
 まだ不機嫌そうなその顔にまた心臓が波打った。
「すっごく可愛い格好してるし。本気なのかと思って。」
「…借金も返し終わってないのに辞められませんよ。」

 "借金"、それが夕鈴が後宮に留まる理由。
 けれど本当はそれは口実だ。


 ―――隠した想いがある。
 だから私は下町には帰れない。


「…帰ろうか。」
 言葉に隠した真実に、彼は気づかない。
 痛みに耐えるような微妙な顔でそれだけ言うと目を逸らした。

「あ、ちょっと待ってください。借りた服だし着替えないと…」
 自分の格好に気がついて、本当にそのまま帰ろうとしている彼を留める。
 けれど彼はその足を緩める気配もない。
「後で届ければいいよ。」
「あの、でも…っ」
「早く帰ろう。」

 言葉も態度も有無を言わせない雰囲気だった。
 何かに焦っているようにも見える。


(まさか、ね…)

 都合のいい夢想はすぐに有り得ないと打ち消した。






2011.7.18. UP



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お題:夕鈴に実家でお見合い話が持ち上がって、お見合いしに帰ってきてと言われたら…

至る所に旦那候補を作っているうちの夕鈴さん(笑)
何故だか諦めませんでしたよ。あれ?
陛下に几鍔に…さらに絽望さんにこの人まで。
これに方淵が入ってしまうとさらにややこしくなってしまうかしら…?
この人の名前を出さなかったのは、絽望さんみたく出張りそうだったからです。
名前がなければこれ以上の出番もないかと…

夕鈴は恋心を自覚してますね。
してないとなんか話が進まなくって。
『…だって、あの人は本来姿を見ることさえ叶わない。』を言わせたかっただけなんですが。
こういうの両片想いってゆーんですか? 良い響きだなぁと思います(鬼か)

てゆーか、長い!(汗)
最後をかなり削りました。几鍔と陛下のやりとりとかあったんですけどね。
これ以上長くなるのは…と思って、先に帰ってもらいました。
途中で切るのも何だか難しい感じだったし。
陛下が事前に知ってて引き留めちゃえばこんなに長くならなかったんですけどー
下町が書きたかったんです。なんかわいわいした感じのドタバタも。
今回は明玉が活躍しましたね。キャラは若干捏造気味ですが。

JUMP様、3つ目のリクエストありがとうございましたー
遅くなってしまって本当に申し訳ありません(土下座)
視点入り乱れたり人がわやわやしてたり煩い感じになってますが…
お気に召されなかったら返品苦情等受け付けております。
では、4つ目もお待ちしてますね(笑)
あ、思い浮かばないなら無理はされなくても良いですよ〜 リクに期限はありませんので☆
 


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