紙に紡ぐ
      ※ 55000Hitリクエスト、キリ番ゲッター ちょこちょこ様へ捧げます。




 集中して机に向かう横顔は凛々しく、文字を追う瞳は狼の鋭さ。
 時折何かを書き留めるために流れるように筆が動く。
 それは直接書簡に書き込むときもあれば、机端の走り書き用の紙に書くときもあって。

 彼はただ印を押すのではなく、一つ一つの書類に目を通す。
 それはとても大変なことだけど、とても凄いことだと思った。


『ここだけ終わらせるからちょっと待って。』
 そう言った陛下はお茶の誘いに来た夕鈴を待たせて机に向かっていた。

 暇なので何か手伝おうとしても、いつも大丈夫だと断られてしまう。
 臨時が出しゃばるのもどうかと思って、せめて邪魔をしないように黙って見ていた。







「…夕鈴。」
 ふと手を止めた彼が顔を上げてこちらを見る。
 ちょっと困ったようにも見える顔。どうかしたんだろうか?
「? 何ですか?」
「…そんなにじっと見られると恥ずかしいんだけど。」
 ドキドキすると言われてハッとする。
 しまった、見つめすぎた。
「あ! す、すみません!」
 結局邪魔をしてしまったのだと気づいて慌てて謝る。
 それに「良いよ」と笑顔で返してくれる優しい陛下にもっと申し訳なくなった。


「何か珍しかった?」
「え、いえ… 陛下って流れるような字を書かれるなぁと…」
 さらさらと流れる筆は常に軽やかだ。ずっと見ていても不思議と飽きない。
 だからつい、じっと見つめてしまった。

「夕鈴は可愛い字を書くよね。女の子って感じの。」
 だから夕鈴は可愛いのだと言う彼の主張は聞き流すことにする。
 だって字が可愛いから本人も可愛いとか意味が分からないし。
「信じてないね。字にはその人が表れるんだよ。」
 むうと唸った彼がそう続けた。
 そうかしら?と、夕鈴は他の人はどうだか考える。

「…あ、李順さんはすっごい上手ですよね。字にも几帳面さが出てますし。」
 さらに彼には立ったままでも字がブレない器用さもあった。
 いつ見てもあれは凄いと思う。
 さすがというべきなのだろうか。それとも、「それくらい当たり前です。」と返ってくる
 だろうか。

「方淵は硬いよ。ほら。」
「見事に真っ直ぐですね…」
 彼が作った書類を覗き込んで、あまりの彼らしさに苦笑いする。
 一字一句が丁寧で、一寸たりともズレがない。字の大きさも形も均一で、まるで判子でも
 押していったかのようだ。
「僕は読みやすくて楽だけどね。」
 確かにそうかと思った。
 元々が簡潔に書いてある上に、一つ一つの文字がはっきりしているから分かりやすい。

「で、浩大は読めない。」
「は?」
 それはどういう意味だろう。
「報告書を解読するより話を聞いた方が早いんだ。」
「ああ…」
 それにはなんだか納得してしまった。
 隠密は元々証拠を残さないために、何かに書き留めるということをしないらしいから、そ
 れでも支障はないのだろう。

「弟君はいつも丁寧だよね。」
 彼がクスリと笑うと、夕鈴は途端に目を輝かせた。
「はい! 学問所のおかげです。それにあの子、真面目ですから。」
 弟を褒めるときだけは声の調子まで変わる。
 可愛くて優しい自慢の弟だから、褒める言葉はキリなく出てくるのだ。
「…羨ましいくらいの愛されっぷりだよねぇ。」
「何言ってるんですか。可愛いからに決まってます。」
 きっぱり断言すると、彼は何故だか少し複雑な顔をする。
 その理由は夕鈴には分からなかったけれど、すぐに彼はいつも通りに戻ったから夕鈴もす
 ぐに忘れた。


 あと…と考えて、陛下の手元を覗き込む。
「陛下の字は…伸びやかですよね。」

 大ざっぱとはまた違う。自由っていうのかな?
 上手か下手かって聞かれたら、もちろんものすごく上手と答えるところなんだけれど。
 上手さとかそういうのは関係なしに、その字に夕鈴は惹かれた。

「陛下の字って好きかも…」
「ほんと!?」
 ぱあっと表情を明るくした陛下は心底嬉しそうで、何気なく言っただけだった夕鈴はたじ
 ろぐ。
「夕鈴に好きって言われたの初めてかも。」
「す、すす…好きって、そういうつもりじゃ…!」
「分かってる。でも嬉しかったんだ。」
 キラキラと輝くその背にはパタパタ振られる尻尾の幻覚が見える気がした。

 ああもう恥ずかしい。
 どうしてこの人はこんなにあっさり言えるんだろう。




「…あれ、走り書きと文書の方では字が違いますね。」
「ああ、こっちの方が本来の僕の字。」
 走り書きの方を指さして彼が答える。
 公文書の方は"狼陛下"らしくちょっと硬めに書いたものとのこと。
「こっちが楽なんだけどねぇ。」

 手遊び感覚で彼がさらさらと書いたのは――― 夕鈴の名前。
 伸びやかで、でも整った、"汀夕鈴"という見慣れた文字の並び。

「うん、やっぱり名前も可愛い。」
 何故か1人で満足している陛下に恥ずかしくて赤くなる。
「…どうして私の名前なんですか。」
 表面上は呆れつつ、でも内心では嬉しさを隠すのに必死だった。
 彼は、夕鈴の姓までちゃんと覚えててくれたのだと。

 綺麗な字、惹かれる筆跡で書かれた自分の名前をじっと見る。


("陛下"が書いた、"私"の名前……)

 その時過ぎった1つの想いは形になる前に流れてしまったけれど。
 カケラだけぽつんと残った。

(欲しい、な…)

 ―――そう言ったら変に思われるだろうか。



「今度は夕鈴が僕の名前を書いて〜」
「え!?」
 突然の要望に夕鈴は目を丸くする。
「まさか、覚えてない?」
 夕鈴の態度をどう誤解したのか、陛下は弱々しく呟くと目に見えて落ち込んだ。

(ああっまた尻尾の幻がっ!)
 夕鈴はこれにとことん弱いのだ。
 このしゅんと垂れた尻尾と耳を見てしまうと、罪悪感でいっぱいになってしまう。

「そんなわけないじゃないですか! じゃなくて―――」
 力一杯否定しつつ、でもそのお願いを聞くにはまだ抵抗があった。

 国王の御名をそう簡単に口にしたり書いたりなんてできるはずが――――…

「僕が許すんだから。ね、お願い。」
「…はぁ。」
 そこまで言われたら何も言えない。
 促されるままに、渋々と彼から筆を受け取った。




 珀、黎、翔

 丁寧に一文字ずつ慎重に書く。
 間違えたら書き直せば良いんだろうけど、何だかそれは嫌だったから。

「よし。」
 できあがったそれはまずまず満足のいくものだった。
 我ながら今までで1番上手に書けたかもしれない。

「ありがとう。」
 無邪気に礼を言う彼の隣で、あることに気づいてドキリとした。


 並んだ名前が二つ。
 それに夢を見そうになる。
 私の願いは身の丈を越えた傲慢な夢だろうか。

「どうしたの?」
「え、何でもないです。」



 どうかお願い。貴方は気づかないで。
 私の愚かな願いに。

 並んだ名前に、私が何を願ったか――――





2011.7.23. UP



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お題:みんなどんな文字を書くのかな?

今回の隠しリクは、
「陛下に自分の名前書いてもらい密かに喜んでる夕鈴を…っ!!!」
とのことでした。残念ながら貰い損ねてますが。

イメージです、イメージ。
さらっと読んでやってください。なお話。
あんまり長くしたくないお話だったので、コンパクトにまとめました。
以前のネタとか使おうとも思ったんですけど。しっくり来なかったので没。
今回は勢いで書いたわりに没の量もわりと多いです。

前回がほぼ陛下目線だったので、今回は夕鈴目線で。
何やってんだこのバカップルとか思わなくもないんですけど(笑)
両片想いラブです。大好物です。
この後紙は夕鈴の手には渡らずに、陛下がこっそり切り取って机の奥に大事にしまったとか。
思ったこと、願ったことはきっと同じ。そんな感じです。
ちなみに夕鈴は無自覚設定です。

ちょこちょこ様、可愛いリクエストをありがとうございました☆
今回はほのぼのでーとのことだったので、できる限りほのぼのしてみました。
意見苦情返品は随時受付中ですのでお気軽(?)に〜



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