願い 4




 闇が薄れ始める夜明け前。
 静寂に満ちた室内は、まるで2人きりの世界のようで。

 幸せの余韻に浸りながら、黎翔は腕の中で眠る夕鈴の髪を撫でる。
 産まれたままの姿で抱かれる彼女の白い肌には無数の紅い花。昨夜ついに彼女を手に入れ
 た証だ。

 まさかあの場で好きだと言ってくれるとは思わなかった。
 嬉しい誤算だが、ずっと願っていたこと。
 君がこの手を取ってくれることをずっと願っていた。



 やっと手に入れた愛しい君。
 手放す気はない。



「…さて、そろそろ女狐を追い出す準備をするとするか。」
 弁えていれば何も変わらずにいられたものを。これから起こることを思い、狼の顔が愉悦
 に歪む。

 彼女を傷つけた代償はその身で払ってもらおう。


 寝台を出て手早く服を身につけてから、最後に上掛けに袖を通そうとして止めた。
 そしてその上掛けを何も着ていない彼女にそっと被せる。

 起きた彼女が夢だと思わないように。確かに彼女は自分のものになったのだと教えるため
 に。


 それでもまだ足りないなと思って、彼女の文机に置いてあった料紙の一部を切り取って、
 短い文をしたためた。
 それを自分が寝ていた場所に置く。


 深い眠りに落ちている彼女は全く起きる気配を見せず、彼女らしさに黎翔は静かに微笑っ
 た。
 変わらない彼女が愛しい。きっと何があっても彼女は変わらないのだろう。

 前髪をかき上げてこめかみに口づける。
 愛しい愛しい僕だけの花。全ての感情は君だけに。


「待ってて。君の憂いは僕が全て取り払ってあげる。」

 赤い瞳が闇を吸って昏く光る。

「―――君を苦しめるものは全て私が消し去ろう。」






















「こんなに朝早くどうされたのですか?」

 黎翔の突然の来訪に驚きつつ寝台から降りようとする泰家長姫を片手で制する。
 ついでに部屋付の女官達は命じて下がらせた。

 突然の来訪とはいっても事前に知らされるものなので、一応の仕度は済んでいる。
 寝台に座っていたのは病人のアピールだろう。


「怪我の具合はどうかと思ってな。」
「お優しいお心遣いありがとうございます。だいぶ良くなってきましたわ。」
 しおらしく答えるさまは貴族の姫なだけあってよく教育されている。
 演技が上手いことだなと内心嗤って、茶番に付き合うことにした。
 ここで簡単に暴いてしまってもつまらない。獲物を追いつめて甚振るのもまた愉しいもの
 だ。

「痕は残るのか?」
「…はい。陛下も、傷がある女はお嫌いですか?」
 熱を帯びた瞳で見上げられれば大抵の男は落ちるのだろうが、黎翔は一層心が冷えるのを
 感じるだけで彼女を冷やかに見下ろす。
「私は傷など気にしない。」
 演技に酔っている女はそれに気づかないようだった。
 彼女はあからさまにほっとした顔をする。

 なんて浅はかな女。この後この顔がどう変わるのかが見物だ。

「―――私が拘るのは夕鈴であるか否か。それだけだ。」
 これは本音だ。
「…まあ。」
 それを聞いた彼女は整えられた眉を寄せ、不快そうに顔を顰める。
「そんなにあの方がよろしいのですか? あの方なら何をしても許されると?」
「…そうだな。」
 肯定の意味で答え、不敵に笑った。

 これが夕鈴ならば、何をしても私は彼女を許すのだろう。
 私が賢王でいられるのは夕鈴が夕鈴だからだ。


「―――少なくとも、怪我をしたと偽るような女は論外だ。」
 言って、乱暴に彼女の腕を掴んで引く。
 そして巻いていた布を取り去った白い腕には傷1つ…赤い痕1つなかった。

「…この私を謀るとは良い度胸だ。」
 じろりと睨むと彼女の表情から余裕が消え去る。
 彼女が相手をしているのは狼陛下だ。ようやくそれに思い至ったらしかった。
「こ、これは…」
 青い顔をして視線を彷徨わせ、続く言葉に惑う。
「お前を診た侍医は話を聞いた後に解雇した。夕鈴の侍女達はあの時、泰家の姫に頼まれ
 て席を外していたという話も聞いている。」
「…っっ」
「それと、氾紅珠からも話を聞いた。彼女はあの日遅れたわけではないのだと言っていた
 ぞ。」
 さらに続けるとぎくりと彼女の肩が強張った。
「…まあ、今までも遅れたことなど一度もないから最初からおかしいと思っていたのだ。
 遅れたのに謝罪の1つもないのもな。彼女はあの氾大臣の娘だ、そこらの女と違ってきち
 んと礼節は弁えている。」
 だんだんと青を通り越して白くなる顔が面白い。額には脂汗が滲み、これをどう弁解する
 のかが楽しみだ。
 この女が潔く認めるとは思えない。

「た…しかに、多少誇張してしまった部分はあるかもしれませんけれど、それであの方の
 罪までなかったことになさるおつもりなら」
「まだ言うのか。往生際の悪い女だ。そんなに私を怒らせたいのか?」
 予想通りの反応に嘲笑を覚えつつ、最後まで言わせずに冷たく言い放つ。
「な、何のことです?」
「気づかないのか? いつもお前の傍にいる侍女の姿が今日は見えないだろう。」
「っ!?」
 彼女が今までで1番の動揺を見せた。
 女狐らしく察しは良いらしい。企みも何もかも知られてしまったのだと彼女も気づいたよ
 うだ。

「素晴らしい忠誠心だな。口を割らせるのは些か苦労した。」
「あの子は無事なのですか!?」
「生きてはいる。一応な。」
 冷たく言いながらも最初に無事を確認したところは感心した。
 それでも夕鈴を傷つけた代償には何の影響もないが。

 …全ての感情は彼女のために。
 黎翔を動かすものは常に彼女だけだ。

「我が妃は優しい。もし殺してしまえば私が嫌われてしまう。」
 全ては夕鈴のため。冷酷非情の狼陛下は夕鈴のためだけにその牙と爪を隠す。
 その他に向ける優しさなど微塵もない。


「彼女を傷つけるものは私が許さない。」
 感情も温度もない声を浴びせて、愕然とする女から手を離した。
「これが最後の温情だ。命が惜しければ即刻ここを立ち去れ。」
「わ、私は…っ 陛下!!」
 縋ろうと伸ばされた手を振り払う。
「2度は言わない。」
 愕然とした顔を見ようとも、心は少しも動かされない。
 憐みも同情も感じない。それだけの罪をこの女は犯したのだ。

「この私を敵に回したことを一生悔やむが良い。お前達一族の今後の出世と繁栄は望めな
 いものと思え。」



















*


















「へ、陛下…ッ」
 夕刻に夕鈴の部屋を訪れると、おかえりなさいも言えずに夕鈴は真っ赤になって固まって
 いた。
 あからさまに狼狽えて、けれど逃げることはできないようで、視線だけがさっきから右往
 左往している。

「身体の方は平気か?」
「は、はい…」
 直接的に"それ"を示す言葉に、夕鈴はさらに動揺を大きくする。
 昨夜のことは夢ではない。それを思い知らせるようにわざと言葉を選んで言ったのだから
 当然だ。


「あ、あの、、陛下… その……」
「何? 夕鈴。」
 必死で言葉を探す姿も上目遣いで窺うのも全部全部可愛い。
 見ていて飽きないので彼女の次の言葉を気長に待つ。

「昨夜の、あれは… 本当に、」
「夢じゃないのは夕鈴がよく分かってると思うけど?」
「…っ」
 咄嗟に襟元を掻き合わせる彼女はもうこれ以上はないというくらいに耳まで真っ赤だ。

 その服の下に隠れた紅い花も身体の痛みも、彼女に刻んだ痕は今も残っているはず。
 それともまだ何か足りないのだろうか。

「心外だな。信じるって手を取ったのは夕鈴でしょう?」
「だって… 陛下が私を、だなんて思ってもいなくて……」
 さすがは夕鈴だ。あれだけ言ってもまだ信じ切れていないらしい。
 そんなに意外だったかなぁと、全く気付かれていなかったことに少し凹んだ。

「ふぅん。まあ、信じないなら信じるまで抱けば良いだけの話だ。」
 焦れったくなって、夕鈴の身体を引き寄せる。
 顎を掴んで上向かせれば、途端に彼女は暴れだした。
「い、いきなり狼陛下で脅さないでくださいっ」
 腕の中でキーキー騒ぐ夕鈴に、あれ と思った。何かがおかしい。
「…まだ演技だと思ってるのか?」
「へ?」
 その反応に、推測が当たっていることを悟る。
 どうりで伝わらないはずだ。
 狼でも小犬でも彼女に向ける言葉は全部真実であるのに。

「―――まあ良いか。今夜たっぷり思い知らせてあげるから。覚悟してね。」
「っっ!!?」






 そうして始まる秘密の関係、


 誰も知らない2人の秘め事、、


 



2011.9.18. UP



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お題:二人の思いが通じるその時を掘り下げて欲しい

浩大にはばれてるけどね!(笑)と最後にまたセルフツッコミ。
5巻まだなので浩大の出番は全ボツしました。代わりに李順さん登場。

と、いうことで、実は漠然としか考えてなかったので今回じっくり考えてみました。
思った以上に長ッ これでも一部端折ってますけど。前半の面白くない部分とかすっ飛ばしたりしてますし。
泰家の姫君は小者なのであんまり詳しく書く気はなかったです。
そんな小細工が陛下に通用するはずがないってゆーね。
てゆーか、書きたいのはリクの場面で、前の方はあまり思い入れがないというか…
楽しかったのは3からです。前の方は最後に書き上がりました。
私は本当に夕鈴好きなので、陛下を虐めるのは特に何とも思わないのですが(酷)
夕鈴を辛い目に遭わせるのはとても苦しかったですね。
なので陛下には遠慮なく仕返しをしていただきました。あ、ここ好きです。黒陛下☆

50000企画オマケ話の「後朝」を読むともう少し深まるかもしれません?(曖昧だな)
この前後の話なので。
ついでにあっち書き直してきました。間違いに気づいててどうしようかと思ってたので…


ムーミンママ様、いくつも萌えなリクエストありがとうございまーす☆
+遅くなってしまってまことに申し訳ありません…orz
しかもまさかの最長記録です。こんなに長くなるとは自分でも思いませんでしたー
掘り下げようとして違う穴まで掘った気分ですが、こんなで良いでしょうか?
あと一つもできるだけ早く上げます!(次ですし…)
ご不満、ご意見、その他諸々は随時受付中です〜!(>_<)
 


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