私を動かすのは貴方。 2




 窓の傍に椅子を置いて座り、美しい月明かりをぼんやりと眺める。
 今夜はきっと眠れない。そしてこれからも、そういう日が幾度となく続くのだろう。

 これはあの人のため。
 あの人の願いを叶えるため。

(泣かないわ。決めたのは私だもの。)



「……?」
 不意に部屋の外、廊下から足音が聞こえて意識を向ける。
 存在を誇示するかのように大きかったその音は夕鈴の部屋の前で一旦止まった。

(え…?)
 驚いて、視線を月から室内に戻す。

 女官も侍女も全員部屋から下がらせたはず。
 今夜は一人きりになりたいとワガママを言った夕鈴の心情を察した彼女達はそれを聞き入
 れてくれた。
 だから今夜は誰もこの部屋には近づかないはずなのだ。

 …いや、本当は誰かくらい分かっていた。分かっていて考えようとしなかっただけだ。
 この沓音を私が聞き間違えるはずないのだから。




 待つ間もないうちに足音はさらに近づいて、いつもより乱暴に開かれた帳がしゃらんと音
 を立てる。
 そうして夕鈴が見据えた先に、予想通りの人物が現れた。


「陛下……」
 何故、という問いは言葉にならない。
 彼を呼ぶ声は幾分咎めるような感じになったが、それを気にするような相手でもない。
 夕鈴が動かないので彼の方から近づいてきた。
「君が呼んでも来ないから。だから私がこちらへ来た。」

 口調も声も表情も、完璧に怒っている。
 彼の二面性を知った今は、それが演技ではなく本気だというのも分かっている。
 でも夕鈴も引けなかった。


 伸ばされた彼の手を拒む。
「…早く、部屋にお戻り下さい。」
 ふいと顔を背けると視界の端に月が見えた。

 俯いてはダメ、決めたのも行動したのも私。
 背を向けてもダメ、それは逃げてしまうことになる。

 だから横を向いて、拒絶している演技をすることにした。
 いつも失敗しているけれど、今回はちゃんと隠し通してみせる。
 彼がこちらに来てしまったのは想定外だったけど、今から戻ってもらえば良いと思った。


「―――あの時引き合わせたのもこのためか。」
 彼は拒まれた手をぐっと握りしめる。見えてしまったそれは見えないフリをした。

 彼が夕鈴の様子を伺いに来るのを知っていた。
 だからあの日あの場所で彼女と話をしていたのだ。


「美しい方でしょう? そして聡明な方。お話になればきっと陛下もお気に召されると思い
 ます。」
「夕鈴。」

 彼の声は聞かない。
 心に蓋をして、静かな声で続ける。

「家柄も低くなく、斉大臣は良い方です。理想的だと思いませんか。」
「夕鈴、」

 さあ、早く戻って。
 こんな私は放っておいて。

 ねえ、お願い。何も聞かずに早く行って。
 貴方をこれ以上傷つけたくないの。

「私が自ら選んだんです。文句は言わせません。」
「夕鈴!!」
 これ以上は聞きたくないとでもいうように。
 殊更大きな声で遮った彼に肩を掴まれ振り向かされる。
「君はそれで良いのか!?」
 真正面から見てしまった、彼の辛そうに歪む顔。
 そんな顔、見たくなかった。


(良いわけないじゃない!)
 心で叫ぶ。

 私は貴方を愛しているの。
 なのに他の人をだなんて、そんなの嫌に決まってるわ。
 でもそれが貴方のためになるのならって。我慢するって決めたのよ。
 全ては貴方のためだけに。

 なのにどうして分かってくれないの。


「仕方ないじゃないですか! 私じゃダメなんですから!!」
 抑えていた感情が溢れ出す。また失敗してしまった。
 涙で顔がよく見えない。
「部屋に戻ってください! 放っておいて!!」
 彼の腕を振り切って彼の傍から逃げ出す。
 立ち上がった勢いで椅子が倒れたけれど、そんなもの気にしていられなかった。


 見ないで欲しかった、こんな私。
 泣かないって決めたのに。


「どうして… 夕鈴、何が"ダメ"なんだ?」
 絞り出すような声は彼の感情の揺らぎを伝える。
 拒絶して傷つけた。でも謝ることはできない。

「私は貴方に子どもをあげられない…っ だから私じゃダメなんです!」
「世継ぎのことをまた誰かに言われたのか?」
「違います。他の誰かの言葉なんて気にしません。私は、貴方の願いを叶えられないこと
 が悲しいんです。」

 私は貴方のためにここにいる。
 他の誰かの言葉なんて気にしない。

 私を動かすのは貴方。貴方の言葉だけ。

「私は…子どもが欲しいと言った貴方の願いを叶えられません… だからっ」
 言ってしまって悲しくなった。

 私にはこの人にあげられるものがない。
 貴方の力になりたいのに、何も残してあげられない。
 そんな自分が嫌だった。


「―――見縊るな。」
 腹の底から響くような低い声に肩がビクリと震える。
 無遠慮に腕を捕まれ、引かれて気がつけば腕の中。
 薄い夜着は腰に回った腕の熱をそのまま伝えて、心音がどくりと大きく波打った。

「何を勘違いしているのか分からないが、私は夕鈴との子どもなら欲しいと言ったんだ。
 他の女との子など誰が望むか。」
「え……」
 きっぱりと言い切った彼の言葉に夕鈴は思いっきり呆けてしまう。
 瞬きをすると雫が弾けて、真剣な彼の顔が一瞬だけはっきり見えた。
「そもそも夕鈴が欲しいと言ったから承諾しただけで、子がいないなら君を独り占めでき
 るし何の問題もない。」

「そ、れじゃあ、私……」
 安心したのか脱力したのか、今度はぼろぼろと涙が溢れ出てくる。
 それを指の腹で優しく拭われた。

「情緒不安定だな。やはり診てもらった方が良い。食欲も落ちているのだろう?」
 これは隠していたわけではなく単に聞かれなかったから言わなかっただけだ。
 それにここのところ一緒に食べていなかったから知られていないつもりだったけれど、誰
 かから聞いて知っていたらしい。
「…食べ物を見ただけで吐き気がするので食べられないんです。」
 正直に言えば顔を顰められた。
「そんなになるまで放っておくな。」
「だって…」
 溜め息付きで怒られてしょげる。
 倒れなければ大丈夫だと思っていたから。…なんて言うとまた怒られそうだから止めてお
 いた。



「―――今日はもう寝ようか。」
「!?」
 ひょいと抱き上げて寝台まで運ぼうとする。
 落ちそうになって思わず首に抱きついてしまったが、この状況はまずいんじゃないだろう
 か。

「え、あの、待っ」
(まさか一緒に寝る気!?)
 焦る夕鈴に彼は安心してと言って苦笑った。
「体調悪いのに何もしないよ。一緒に寝るだけ。」

 壊れ物を扱うかのようにそっと寝台に下ろされる。
 彼は夕鈴が解いた腕を追いかけて、背中を抱くと腕の中に抱き込んだ。

「お休み、夕鈴。明日診てもらおうね。」
「…はい。」
 胸に擦り寄ると抱きしめる手に力がこもる。
 彼は微かに笑ったようだった。



 どうしてこの手を手放せるなんて思ったんだろう。
 愛されることの幸せを知って、知らない時に戻れるはずがないのに。


 あたたかい腕の中で、夕鈴は自分の行動の愚かさを反省した。













































「おめでとうございます。」
「は?」
 体調不良を診てもらって、お祝いの言葉を言われるとはどういうことだろう。
 訳が分からず夕鈴は変な顔のまま何度も目を瞬かせる。

「ですから、ご懐妊されています。」
 伝わっていないのが分かったのか、侍医は今度はゆっくりと噛み砕くように言った。
「え……」

 い、今なんて言った?
 解任? …じゃなくて。懐妊って、それってつまり…

「えぇーっ!?」
 一拍遅れて叫んだ夕鈴に侍医は驚いたようで少し体を引く。
 けれどすぐに持ち直して咳払いをすると、肯定の意味でこくりと頷いた。
「…吐き気の正体は悪阻ですし、全て妊娠初期の典型的な症状です。」
 それから侍医は安定するまでは無茶はしないようにとか、注意事項をつらつらと並べ立て
 る。
 説明されるうちに夕鈴の頭もだんだん冷えてきて思考が戻ってきた。


(散々悩んだ私は何だったの…)

 ああもう恥ずかしい。

 斉家には諸々含めて謝罪をしなければいけないだろう。
 それよりまず陛下になんて言えば良いのか。


 侍医の説明はまだ続いている。
 けれど、夕鈴の頭の中はとにかく陛下に伝える最初の言葉を何にすれば良いのかでいっぱ
 いだった。














「夕鈴、どうだった?」
 外で待っていてくれた陛下に尋ねられる。
 うっと赤い顔で唸って、何と答えたものかとぐるぐる考えた。

「……えーと、ですね。驚かないでくださいね?」
「ん?」
「赤ちゃん、できちゃいました。」
 昨日の今日なのでちょっと…かなり恥ずかしい。
 どんな反応が返って来るかとそろりと陛下の方を窺うと、彼はぽかんとしたまま固まって
 いた。
 びっくりするのは当然だ。夕鈴だってびっくりしたのだから。

「ご心配おかけしま…っきゃ!?」
 ちょっと油断したところでがばりと抱きつかれた。
 ぎゅうぎゅうに抱きしめられて息が苦しくなる。
「へ、陛下…!?」
 苦しいと声を上げると、ごめんと謝られて力が緩んだ。

「―――夕鈴は嬉しい?」
 額をこつんと合わせた陛下が吐息のように小さく尋ねる。
「…はい。貴方との子なら。」

 ずっと欲しかった。貴方との絆。
 貴方を愛したから生まれる命、そう誇ることができる。


 夕鈴の返事を聞いて、彼はにこりと笑った。
「じゃあ僕も嬉しい。君が嬉しいなら、僕は嬉しいよ。」









 ―――夕鈴に関して極端に狭量な黎翔が、子どもが産まれたことを後悔するのはまた後の
 お話。



 



2011.9.21. UP



---------------------------------------------------------------------


お題:未来の夫婦設定で子供を授かるまでの話。
そろそろ子供をと願っても、なかなかできない事に悩む夕鈴は、もう一人妃を…と、決断して陛下と大喧嘩!!!
その後、子供ができていたと知り喜ぶ二人。お互いに相手を思う、愛のある大喧嘩(?)

詳しく流れをいただいていたので、その通りに流してみました。
単語ごとにバラバラにして組み立てた感じになりましたが。

まさかここまでシリーズ化すると思ってなかったのでちょっとびっくりです。
時系列順にまとめてみたら面白いかもしれません。
未来夫婦は緩く設定してるのでわりかしどうにでもなるものですね。(まだそこまでの矛盾はない、はず…)
そろそろ時間軸が原作と離れてきた気がしなくもないですが…
未来だからまあ良いか。←適当

そして何故か最後にオチが付いた(笑)
てなわけで、「愛情不足の解消法」に続きます。

1年前の事件については… 書く気は今のところないですネ。
要は、夕鈴が毒を飲まされて、解毒薬を飲めば治るが子が産めなくなるかもしれないってことになって。
それを陛下は躊躇いなく使います。
その時一つの命も消えてるんですけど、それは夕鈴には教えずに。
漠然としか考えてないので、何かあったんだなくらいにしておいてください。
妊娠に気づかなかった理由もその辺に起因してるんですけど。まあそこも曖昧に。


ムーミンママ様、連続ですがリクエストありがとうございます!
なるべく間を開けずにと頑張ってみましたが、そしたら似通った話になってしまった気がしなくもなく…
夕鈴がイタタにならないように、今回は陛下を苛めてますので。←
次のキリリクはちょっと先になりますが気長にお待ちください(汗) 
では、ご意見、ツッコミ、その他(?)は年中無休で受付中です!!
 


BACK