甘えた子猫 2




「―――夕鈴」
 静かな低い―――甘い方の狼陛下の声が夕鈴を呼ぶ。

 これが夕鈴なら、すぐにふり返って「はい」と応えるところ。
 何故ならここは政務室で、お妃演技は必須の場所だ。
 …それでなくても彼は夕鈴の想い人。好きな人にそんな風に呼ばれて振り向かないはずが
 ない。

 けれど今の"夕鈴"は何を思ったか―――…逃げた。


「お妃様…?」
 たたっと駆けた"夕鈴"が李順の後ろに隠れる。
 さらに彼の背中から、近寄るなと言わんばかりに威嚇した。

(ちょ、陛下相手に何してんのよ!?)
 中で夕鈴は青くなる。
 狼陛下に楯突くなんて、何を考えているのか。
 …猫だからそんなの分からないと思うけれど。きっとただの本能だ。

「ほぉ。この私に牙を剥くとは勇気のある猫だな。」
 再びひんやりとした空気が辺り一面に広がった。
 びくりと居合わせた官吏達の顔も青くなる。

(ああ、なんか陛下の機嫌が悪くなってるし…っ)
 どうにかしたいと思うのだけど、如何せん身体は全く自由にならない。
 お願いだから身体を返してと、さっきと同じように…より切実に祈りを捧げるしかなかっ
 た。




 陛下が一歩近づくと、"夕鈴"は李順ごと後ろに下がる。
 意外に強い力で引っ張られた李順は転ばないようにするのがやっと。
「お妃様、お離しください。」
「夕鈴」
 けれど、言葉を解しない者は、ただ李順の後ろに隠れて逃げるだけだ。


 手も出せず口も出せない周りは黙って成り行きを見守るしかない。
「…けど、どうして陛下だけ?」
 何故か陛下にだけ懐かないことに周りは首を傾げた。
 自ら近づいた3人はともかく、絽望にも嬉しそうに撫でられたのに。

「……狼は犬の仲間だからではないでしょうか?」
「ああ、成る程。猫に犬は天敵だ。」
 水月の呟きに絽望がのんびりと賛同し、周りもそうかと納得する。
 嫌われた当事者である陛下だけが不満顔だ。


「……」
 ぎゅうと李順の服を掴んで背中にくっついているその姿をじっと見て、
「李順でも駄目だな… 私の理性が持たない。」
 彼は不穏な空気を隠しもせずに呟いた。

 今の言葉を理解していないのは、"夕鈴"と…そういうことに疎い夕鈴だけ。
 うわ、と呟いたのは絽望。水月と李順はため息を零し、方淵は不機嫌に眉を寄せている。
 そして他の官吏達は気まずそうに目を逸らす者や逆に目を離せなくなった者もいて。

「…李順、動くなよ。」
「は?」
 李順が応えるより早く、彼の腕が李順の背後に伸びた。



「――――!?」
 逃げる間もなく"夕鈴"の身体は抱き上げられて李順から引き剥がされる。
 暴れるのも簡単に抑えつけて、陛下は自分が普段使う執務用の椅子を自ら引いて座った。


「―――君が甘えて良いのは私だけだ。」
 連れ去られたのは陛下の膝の上。
 周囲の視線の中、肩と腰を抱いて耳元で甘い声を囁く。
「視線の先もその手が触れるのも、それが許されるのは私だけだ。」

(ぎゃわ――!?)
 至近距離でのいきなりの甘演技に夕鈴はパニック寸前だ。
 だがその慌てっぷりは残念だが周りには分からない。

「にゃ、みゃう!」
 "夕鈴"はといえば、拘束された腕の中でさらに抵抗を示していた。
 もちろんその程度で彼から逃れることはできない。

「猫の抵抗など可愛いものだ。」
 両手首を片手でいとも簡単に抑え込み、肩から滑らせたもう一方で頬を優しく撫でる。
 次いで本当の猫にするように喉元を擽り、額には羽のようなキスを落とした。

「…なぅ」
 次第に大人しくなっていった"夕鈴"が彼の肩口に頬を擦り付ける。
 その様子にくすりと笑った陛下は、さらさらと流れる髪に手を差し入れて優しく梳いた。


(い、今までで1番恥ずかしい……!!)
 傍目にはいつものように陛下と妃が睦み合う姿にしか見えないと分かっていてもだ。
 陛下は平気そうだけれど、夕鈴にはこの視線は耐えられそうもない。
(ッ 早く終わって〜!!)
 この身が自由にならないだけで、受けるものは同じ。
 つまりすべてを夕鈴は感じてしまっている。
 恥ずかしくて居た堪れない。過剰な甘演技に頭の中はもういっぱいいっぱいで。



『……ここが良い』

 意識も我慢も限界に近づいた時、不意に夕鈴の頭の中で声が聞こえた。
 知らない声、幼い子どものような。

(え…?)

 その瞬間にあの猫に触れた時と同じ感覚がして、一瞬視界が真っ白に染まった。






「…あれ?」
 ぱちりと意識がはっきりして、身体が自由になる。
 陛下の膝の上という状況は変わっていないが、確かに夕鈴の意志ですぐ傍にある陛下を見
 た。
「夕鈴?」
「はい。」
 ようやく陛下に応えることができてホッとする。
 戻ってきた夕鈴に彼は狼陛下の顔で微笑した。


 ―――そして、夕鈴の膝の上には白い子猫が丸くなって眠っていた。

















































「…結局何だったのかしら?」
 膝の上の子猫を撫でつつ夕鈴は呟く。
 この子猫は後宮に連れ帰って、夕鈴が世話をすることになった。

「思いっきり甘えたかったんじゃない? 夕鈴なら叶えてくれそうだったとか。」
 すっかり寛いだ様子の陛下は昼間とうって変わって上機嫌だ。


「ところで陛下…」
「ん?」
「そろそろ下ろしてくださいませんか?」
 何故か今夕鈴は昼と同様に陛下の膝の上にいる。
 彼が後宮を訪れて人払いをしてから、気がつけばこんな体勢になっていた。

「どうして?」
 きょとんとして聞き返す陛下は今のこれに疑問がないらしい。
 …乗せた張本人だから当たり前なのだけど。
「…いえ、私もう猫じゃないですから。」
 膝に乗せるならこの子猫の方にしてください。

「えーヤダ。夕鈴が良い。」
 夕鈴の訴えを即否定で返した彼は、こちらを見つめてにっこりと笑う。
「夕鈴も甘えて良いんだよ?」
「嫌ですッ!!」
 今度は夕鈴の方が即否定即却下。
「えー」
 不満気な陛下を見ても絶対に首を縦には振らない。

「とにかく下ろしてください!」
「じゃあ僕も嫌だ。」
「"じゃあ"に繋がる意味が分かりません!!」



 膝の上の子猫は、そんなやり取りの中でも安心した様子でぐっすり眠っていた。





2011.12.19. UP



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お題:子猫に憑依される夕鈴☆
無事に戻るためには思う存分遊んで可愛がられることでお願いします☆(原文)

ほのぼののつもりが間違って一部甘々になった感じ(笑)
不思議系っていうんでしょうか? 軽いノリで読んでもらえると助かります。

気まぐれ猫にゃんのせいで陛下は気が気ではないですね。
最後はちゃっかりですが。
陛下、何してんの?と連れ去っていきなり甘演技を始めた彼にツッコミ入れました(笑)
てか話に久しぶりに絽望さんが出ましたね。←最近オマケとかばっかりだったから
※絽望さんはオリキャラです。詳しくは過去ログのカテゴリへ。

いつもポメラに入れるときは仮タイトルを付けるんですけど、今回のは「ねこぱに」でした。
タイトルに横文字使わないので没りましたけど。そのまんまで実は気に入ってます☆
どうでも良いですが、甘えたは動詞の過去形ではなくて、甘えたちゃんって意味の名詞的使い方です。

そういえば今回浩大出てませんね。まあ政務室だし。
きっと木の上から眺めてて大笑いしていたんでしょう。


ちょこちょこ様、遅くなってしまい申し訳ありませんでしたー(土下座)
一月にプラス1週間… いやほんとにすみません…orz
とっても可愛いリクをありがとうございました!
いつものように返品その他は随時受け付けておりますので〜!



・オマケ・

 ここは寒い。

 誰もいない。



『寂しい?』
 鈴の鳴るようなキレイな声がした。

 寂しい。

『あたたかい場所に行きたい?』
 応えると、今度は違う質問が返る。

 行きたい。

『じゃあ、チャンスをあげる。』
 頷いたら、星が瞬くような笑い声。

『貴方に最初に触れた人の中に入れてあげる。そして動き回って、そこが気に入ったら、そこにいると良いわ。』
 ぱらぱらと光が降ってくる。
 少しだけあたたかくなった気がした。

『ただしチャンスは一度きり。良い人だと良いわね。』
 それだけ言って、鈴の声は消えた。


 ―――触れてくれたのは、とても良い人だった。愛された人だった。
 だからそこはとても優しい場所だった。

 あたたかい場所、見つけた。
 もう寂しくないよ。


 ありがとう、女神様。


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つーわけで、白い猫視点でした。
入らなかった紅珠との後日談は日記の方に書こうかな… 別に書かなくても支障ないし。

 


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