嫁の浮気宣言 2




「…マジでお前だったのかよ。」
 当たり前のように寛いで茶を飲んでいる夕鈴に、家人から呼び出されて来た几鍔は呆れ顔
 で言いながら卓の反対側に座る。

 彼女が身に纏っているのは重苦しい后の衣装ではなく普通の下町での格好だ。
 もちろんここまでも自分の足で歩いてきている。
 最初は家中が騒ぎになりかけたが、お忍びだと夕鈴が告げると家人達はお茶だけ用意して
 いなくなった。

 そしてここに残ったのは几鍔と夕鈴の2人だけ。


「―――何でウチなんだよ。」
 王宮を抜け出して何で来るのがここなんだと。
 そんな風に聞かれたから簡単に事情を説明した。―――「浮気する」と言い捨てて飛び出
 してきたことを。
「だって、実家や紅珠の家じゃただの家出だし、李順さんじゃ逆に怒られるだけだし柳方
 淵は陛下の味方だから絶対入れてくれないし。他のところじゃほんとに浮気になっちゃう
 じゃない。」
「…今普通に別の男の名前が出なかったか。」
「気のせいよ。」
 しれっと返して温かいお茶をすする。
 下町の味はやっぱり落ち着く。久しぶりの茶葉の味にホッと息を吐いた。


「……それでアイツは、今度は何をやらかしたんだ?」
 察しの良いこの男はそれだけじゃないと分かっているらしい。
 長い付き合い故に、こういう時説明が少なくて済むところは楽だと思う。
「…あの舞姫が刺客だってことも分かってる。自分で囮になったのもちゃんと分かってる
 のよ。」


 あんな光景見てもそこは疑わなかった。
 先に浩大が教えてくれてなくても、疑わない自信もあった。

 ―――それだけの自信をくれたのはあの人だ。

 怒ったのはそこじゃない。
 …勝手に勘違いしたのはあの人だけど。


「どうして隠すの?って思ったのよ。正直に言えば良いじゃない。」

 もちろん心配はするわ。
 逆の立場なら彼がそうするように。

 だから怒ったのだ。
 そうまでして隠して、まだ私を勝手に守ろうとするあの人に。


「じゃあ浮気ってのは?」
「ただ言いたかっただけ。あの人は本来何人奥さんがいても良い人だもの。私は何も言え
 ないわ。」
 勘違いしてたからその通りに言ってやっただけだ。
 またそこを謝ってきたら、絶対に帰ってやらないけれど。




「―――迎えが来るまでゆっくりしてろ。どうせ仕事でしばらく来ないだろ。」
 最後まで聞いてくれた几鍔が立ち上がり、去り際に夕鈴の頭をポンと撫でる。
 それを振り払っていた時期はとうに過ぎて、今は素直にそれを受け止めることができるよ
 うになった。

「ありがとう。」

 夕鈴が何者であっても几鍔は変わらない。
 変わらないから夕鈴はここが心地良い。
 それを知ってから、たまに甘えてしまう自分がいる。

 けれど、今回はさすがに甘え過ぎだと思ったから、今夜の食事の手伝いくらいはさせても
 らおうと思った。



















「アニキ!」
 部屋を出たところで子分の1人が几鍔のところにやってくる。
 何やら焦った様子で、何かあったのかと目で問うと、言いにくそうにこそっと耳打ちされ
 た。
 当たり前といえば当たり前、意外といえば意外な。

「……分かった。」
 自分が行くと答えて、几鍔は玄関に向かった。








「意外に早かったな。」
 一応ちゃんと変装するくらいの理性はあったらしい。
 暗い色の外套を羽織りメガネをかけた男を几鍔は玄関先で出迎える。
 …というか、入り口を塞ぐといった方が正しいのだが。そう簡単に通す気はない。

「―――夕鈴は?」
 開口一番それかよ お前。
 繕う余裕はないということか。

「さぁな。」
 だがそこは言わずにしらばっくれる。

「…ここにいるんだろう?」
 すると声の調子ががらりと変わった。

 "狼陛下"と称される男の声は確かに人を従わせる威圧感がある。
 今のこれは脅しではなく単に余裕がないだけだろうが。

 ―――夕鈴の居場所はとっくにばれていたようだ。

 …当たり前か。
 今のあいつは王妃だ。しかも現国王の唯一にして最愛の正妃。
 誰にも知られず行動するなんてできない。
 ここは"安全"だと判断されているだけなんだろう。


「……どうして真っ先にここなんだ。」
「そんなん俺が聞きてーよ。」
 一応相手は国王だが敬語は面倒だから使わない。
 相手もそれを望んでいないだろうと思ったからだ。

 それにこの男は今、一人の男として自分の女を迎えに来ただけだ。

「ほんと羨ましい。」
「だから俺のせいじゃねーだろ。睨むな。」

 俺にその感情を向けるのは間違っているだろうが。
 どんだけ独占欲強いんだこの男は。



「…仕事より優先したのは評価しても良いが。2、3日頭冷やしてからが良いんじゃねー
 か?」
 こんなんに惚れられてアイツも苦労するなと几鍔は溜め息を零す。
「会って何言う気だよ。言っとくが理由は浮気じゃねーからな。下手なことを言えばます
 ます怒らせるだけだぜ。」
 何親切に教えてやってんだろうな、俺も。
 だがこれはこいつのためじゃなくて夕鈴のためだ。


「そんな、何日も…?」
 呟いて、表情を曇らせる彼に几鍔は怪訝な顔をする。
「何か不都合でもあんのか?」
 王宮のことはさっぱり分からない。
 夕鈴は何も言っていなかったが、アイツは後先考えずに行動するところがある。
 迎えがこんなに早いのも何か理由があるのかもしれないと。


 ―――だが、すぐ後にそれはただの杞憂だと知った。



「……私が耐えられない。」

「は? あ、こら! 勝手に入んな!」
 言うが早いか するりと几鍔の脇を抜けていく。
 制止の声も全く耳には入っていない様子で、勝手に奥へと進んでいった。


「ったく…」
 しかし追いかけることはせず、几鍔は頭を掻きつつただ見送る。
 後は勝手にするだろう。これ以上痴話喧嘩に付き合う気はなかった。

「お人好しだね〜」
「あん?」
 声にふり返ると、いつの間にかそこにもう1人男が立っていた。
 確か夕鈴の護衛だかいう奴だ。
 見た目以上に身が軽く、見た目に反して腕が立つ。
「オレなら言わないね。」
 そして言動に難有りなのも夕鈴を通して知っていた。

「…周りがお前みたいな捻くれた奴ばかりだからアイツも捻くれるんじゃないのか?」
「だったらあの娘が素直で人が好いのはアンタのおかげだ。」
「……あ?」
 睨みつけると、相手はニヤリと楽しげに笑う。
 そして几鍔が一歩を踏み出す前に、もうその姿は消えていた。




























 夕鈴は今回の滞在用に客間の一つを借りていた。
 陛下は多忙な人だからすぐには迎えに来ないだろう。早くて明日か。
 ちょっとした休暇のつもりで、明日は青慎の様子もちらりと見に行こうと思った。

 窓の向こうの、後宮とは違う景色と雰囲気。
 近くに聞こえる騒がしささえ落ち着く。

 この賑やかさが下町だと思う。
 だから、近づいてくる駆け足のような足音も特に気にしてはいなかった。


「夕鈴!」
 けれどそこに飛び込んできた、自分の名前。

「―――ッ!!?」
 有り得ない声を聞いて、反射的に振り向いて。それが現実と知ると、夕鈴は咄嗟に衝立の
 後ろに隠れた。


「ちょ、来るのが早過ぎませんか!?」
 夕鈴が王宮を飛び出してまだ数刻しか経っていない。
 仕事はどうしたのかと聞きたくなる。…聞くのも怖いけど。


「…ここじゃなかったら、もう少し様子見たけど。」
「?」
 衝立からちょっとだけ顔を出すと、距離を開けて立ち止まった彼が困った顔でこっちを見
 ていた。
 だってここは几鍔の家だ。焦るような何かがあっただろうか。
「どうして1番ダメージ大きいところを選ぶのさ…」
「はい?」
「仲良すぎて、ほんと困るよ。」


 …一体何の心配をしているのか この人は。
 浮気すると言ったのを本気で信じてるのかしら。
 わざわざ有り得ないところを選んだのに。

 でも、それを信じてるなら、分かってないなら。…私は帰らない。


「―――何に怒ったか分かったんですか?」
 まだ帰るとは決めてない。
 だから聞く。帰るかはこの人の返答次第。

「…浮気のせいじゃないって。」
「そうですよ。」
 彼は正解を言ってくれるだろうか。
「……刺客のことを言わなくて、心配させてごめんね。」

「―――…」
 正解を答えてくれたから、夕鈴は衝立から出てきた。
 ホッとする陛下とはまだ一歩分の距離を開けて、夕鈴はじとっと彼を睨む。

「本当ですよ。陛下は強いけど、それでも私は心配するんです。」


 少しは分かってくれたかしら。私の気持ち。


 私の大切な人。

 刺客から守る力はないけれど、心配くらいはさせて頂戴。




「戻ろう。―――…戻ってきて。」
 差し出される手。それを取って欲しいと彼は懇願する。

 …そんな顔しなくても、私が帰る場所はそこしかないのに。


「ちゃんと謝ったから許してあげます。」
 笑って夕鈴が手を重ねると、待ちかねたように引かれて腕の中に捕らわれた。


















「全く、人騒がせな奴らだ。」
 お礼と謝罪を残して帰って行く2人の後ろ姿を見送る。
 相変わらず騒がしい奴らだった。

 まあ、夕鈴の元気な姿を見れたから良いかとも思うが。
 …ただ一つだけ、思うことがある。


「痴話喧嘩に俺を巻き込むなよな…」
 めんどくさいと呟いて、几鍔は大きく溜め息をついた。




2011.12.22. UP



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お題:「未来夫婦で浮気?編(ほのぼの)」
時間軸的には新婚に近い頃ですね。
日記で書きたいなぁと呟いていた未来夫婦のほのぼのです。
今回それをリクしていただいたので完成させましたーv

今回几鍔と夕鈴が仲良しに見えるのは、「覚悟と約束」で和解した設定だからです。
…まあ和解というか、夕鈴が素直になっただけですが。
夕鈴の中で几鍔は安全なんだけど、陛下にしたら一番焦ってしまう場所的な。
そんなすれ違いっぷりが楽しいなぁと。
几鍔はいつまでも兄貴です☆
奥さんはいるのかな? まあ、いたらさすがに夕鈴も行かないか。

って、違う。兄貴のことばかり語ってどうする私。
今回陛下がちょっとヘタレ気味に見えますね(汗)
刺客を追い詰めたところまで格好良かったのになー(笑)
陛下は何度でも間違えば良い。それでも改善しない陛下がらしくて良い。
大切すぎて見えないそんな盲目の愛も有りなんじゃないかなとか。
知らせずに守ることなんてできないのに、そうしかできないってゆーか。
でも何度間違えても夕鈴は陛下から離れないから。
それに早く気づいてね、っていう思いも込めての話です。

ムーミンママ様、こんな話だったんですが良かったですか?
あれだけじゃ想像しにくかったんじゃないかと思うんで心配ですが…
いろいろいつものあれは受付しておりますので。
新たなリクもお待ちしております☆



・オマケ・

「本当に浮気だったらどうしたの?」
「陛下は本来なら何百人奥さんがいてもおかしくないので、私は何も言える立場じゃないです。」
 あっさり言われて地味に凹む。
「っていうのは建前で。実際目の当たりにしたら、踏み込んで殴ってから実家に帰ります。」
「……」
 この時彼は、絶対に浮気はできないと思った(する気もないけど)

強いよ。てか怖いよ夕鈴(笑)
どこまで男らしいんだ!

 


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