当たり前の幸せ
      ※ 170000Hitリクエストです。キリ番ゲッターはるる様に捧げます。
      ※ ちなみに2人は結婚してる前提の未来話です。




「あれ、老師お帰りなさい。」
 久方ぶりに目にしたこの国の后は、いつも通りににこやかに笑んで自分を出迎える。
 …本当に何事もないかのように。だ。

「半年ぶりですね。ぎっくり腰はもう大丈夫なんですか?」
 のほほんとしてそんなことを聞いてくるこの娘は、事の重大さを全く理解していない。
 何故、わしがこんなに急いで戻ってきたのかも分かっていないのだ。
 これは言い聞かせてやらねばと、目をつり上げ、びしりと后の鼻先を指差した。

「そんなこと言っておれんじゃろうが! お主が懐妊したと聞いて急いで戻ってきたんじゃ
 ぞ!?」

 療養先でそれを聞いた時は驚きと喜びで思わず飛び上がってしまった。
 そのおかげで治りかけていた腰をまた痛めたのだが、そんなことはどうでも良いとすぐに
 戻ってきたのだ。
 腰の痛みなど、気合いでどうにかなる。

「何故もっと早く言わんかったんじゃ!?」
「…あ、はい、すみません。」
 こちらの雰囲気に気圧されつつ、彼女は素直に謝る。

 療養中だからと気を遣って、一月ほど連絡を遅らせたのだという。
 そんなところが優しい娘だとは思うが、今はそのような気遣いは要らない。
 これは自分の腰の具合いよりも重要なことだ。

「ついに! ついに念願の世継ぎが…!」

 散々2人をけしかけて策を弄して。
 時には陛下に睨まれながら、それでもめげずに頑張った。
 それがようやく実を結んだのだ。これが喜ばずにいられようか。

「あの、老師? まだ男か女かは分かりませんけど…」
 産まれるまでそういうのは分からないのではと彼女は言う。
「いや。男じゃよ。」
「どうして分かるんですか?」
 確信を持って答えると、彼女はさらに不思議そうに首を傾げた。
「お主の顔を見れば分かる。わしを誰だと思っとるんじゃ。」
「さすがは後宮管理人ってことですか。」
「あと一月もすればもっとはっきり分かるがの。」

 よくやったと思う。
 周りはすでに静かになっているが、それでもこれで完全に黙らせることができる。
 産まれる子が男子なら、陛下に「世継ぎが産まれぬなら側妃を」などという馬鹿も消える
 だろう。
 非常に喜ばしいことだった。




「―――それはそうと。わしがおらん間にいろいろあったそうじゃの。」
「う…」
 じとりと睨めば、彼女は唸って言葉を詰まらせる。
 自分はそれを浩大に詳しく聞いた。

 ―――子が産まれぬからと后自身が側妃を薦め、陛下がそれを拒否して夫婦喧嘩。その結
 果、実はすでに懐妊していたという… それは何とも言えない騒動だったらしい。
 全く嘆かわしい。陛下のお気持ちを無視するとはなんたること。
 愛する后に他の女を薦められ、陛下はどう思われたか。


「何故誰も懐妊に気づかんかったんじゃ。特にお主は自分の身体じゃろうが。」
 妊娠すれば大なり小なり、それなりの兆候が現れるはず。
 それに何ヶ月も気づかないとは。
 その指摘に、娘はバツの悪そうな顔をしてそろりと目を逸らす。
「―――ちょうど時期的に忙しくて過労と睡眠不足だと思ってたんですよ。…それに、私
 の身体のことは老師もご存知でしょう?」
「ああ…そうじゃったの。まだ1年と少ししか経っておらんのか。」

 そっちの方をすっかり失念していた。
 ならば彼女が気づかなくても無理はない。


 …毒殺未遂の際に飲んだ解毒薬の副作用で、彼女は月のものが乱れてしまい 今も定まら
 ない。
 それに、あの頃の症状は全て毒のせいだったと彼女は思い込んだままだった。
 それを決めたのは陛下で、自分もそれを承諾したのだ。



「…もう話しても良い頃かの。」
 そう言って、足場にしていた卓に腰を下ろす。
「陛下からは口止めされとったんじゃが…お主は王后、しかも並び立つ覚悟もある。これ
 からのことを思えば、これは知っておくべきことじゃな。」

 彼女はただ龍床に侍るだけの娘ではない。
 並び立つのなら、何も知らないではいられない。

 それをこの娘はちゃんと知っていて、だから表情を改めて前の椅子に座った。
 そして話してくれと目で訴える。
 それに頷くことで答え、いつもの軽さを引っ込めて、真顔で娘と対峙した。


「―――あの事件の頃、お主は妊娠しておった。」
「……え、」
 その戸惑いに気づいていて、それでも構わず続ける。
「解毒薬は副作用が強く、子が産まれにくい身体になる。…だがそれだけではない。腹の
 子も…まだ小さい命だったからの、耐えきれんという話じゃった。」

 それを知ったときの、陛下の心痛はいかばかりか。
 こそりと盗み見た横顔は常と変わらず読めなかったが、それは陛下がそう努めただけのこ
 と。そこまで気づいたのは自分を含めて何人かしかいないだろう。

「飲ませねば母子共々、飲めば子が…量を減らせば子は助かるかもしれんが、産まれるま
 でお主の体力が持つか分からんかった。しかしどれにしても腹の子が産まれる可能性は低
 い。…そして陛下はお主を選んだ。」

 人知れぬ場所にその子の墓があることも、知っている。
 1人でその罪を背負うと誓い、后に知らせず何もなかったかのように振る舞い…
 陛下は隠すことで守ろうとした。

 …自分のこの行為は陛下を裏切ることになる。
 しかし、それでも彼女は后だ。知らないでは済まされないこともある。
 そして、彼女はそれを乗り越えられると確信もしていた。



「―――私は知らないことにしておいて下さい。」
 少しの間を置いた後で、彼女はそう告げた。

 言わなくとも、知らされなかった理由に彼女は気づいている。
 そして、知らないふりをするのは、陛下のため。その優しさをくんだからだ。

「…もう2度と失わせませんから。」
 静かに、しかしはっきりとそう言った娘の瞳には、王の后としてふさわしいほどの強い意
 志が宿っていた。



(わしの見込んだ通りの娘だの…)
 陛下が選んだのがこの娘で本当に良かったと思う。
 他の女では、陛下は望むものを一つとして手に入れられなかった。

 陛下はずっと幸せを諦めておられた。だが今はこの娘がいる。
 それを叶えられる娘が傍にいてくれることが、何よりも嬉しいことだった。






「―――さて、暗い話はここまで。」
 今の件については、これ以上心配は要らないだろう。
 声の調子を一気に変えて、ぴょこんと飛び上がる。
 うむ、腰の具合いくらいはやはり気合いでどうにかなるものだ。

「ここからはわしの本領発揮じゃ! 妊婦に良い食事の手配と…冷やさぬように寝具も調整
 せねばの。」
 さっき確認したところ、一応配慮はしてあったようだがまだまだ足りない。
 長年の経験が今こそ、ついに役立つ時がきたのだ。
「乳母も探さねばならんな。最低でも4人は欲しいところじゃが。」
「そんなにですか?」
「当たり前じゃろうが。」
 何せ世継ぎ御子の乳母だ。そこらの貴族と一緒にしてもらっても困る。
 厳選に厳選を重ねて選ばねばならない。


「1人で良いです。」
「は?」
 突然妙なことを言い出した后に目が点になる。
「できれば子育て経験が豊富な方が良いです。いろいろ教えてもらいたいし。」

 何を言っとるんじゃこの娘は。
 まるで自分で育てるかのような言い方に心底呆れた。

「誰が乳をやると思っとるんじゃ?」
「もちろん自分でやりますよ。ちゃんと抱いて育てるって決めてたんですから。」

 …まるで、ではなく本気だったらしい。

「后が何をゆーとるかlぁ! そういうのは乳母に任せて、お主は次の御子のことを考えん
 かッ!!」
 乳をやればその分次の御子の懐妊時期が遅れる。
 そのことも考えての乳母だ。
 けれど目の前の娘は首を振る。
「嫌ですよ。私の子は私が育てます。」
 前から決めていたことだと、彼女は譲らない。
 しかしこちらも後宮管理人としてそこを譲るわけにはいかない。

「お主は何を考えとるんじゃ!」
「子どものことです。」


 意見はいつまで経っても平行線。
 どちらも譲らないので決着がつかない。

 ―――そして最終的には陛下が后の味方をして、結局は老師が折れざるを得なくなった。
 非常に不本意だったが、さすがに陛下に逆らうことはできなかった。

















*





















 後宮の散歩中に、陛下と后の姿を見かけた。
 2人は庭園の散策中らしい。
 仲良く並んでゆっくりとした足取りで歩き、花を眺めて楽しんでいる様子だった。


「―――ずいぶん大きくなったな。」
 膨らんだお腹を眺め下ろして陛下が言うと后が頷いて微笑む。
「もう少しですよ。私、早く会いたくて仕方ないです。」
「私もだ。―――夕鈴、」
 何かに気づいて陛下が手を出したのを見て、彼女はすぐにその手を取った。
 小さな段差が彼女の足下にあったらしい。

 段差があると自然と手を添えて、時には腰を引き寄せて。
 さりげないフォローはさすがと言えようか。


「歩くのはつらくないか?」
「いえ平気です。それに少しは動いた方が良いと言われてますし。」
 会話に混じる気遣いにも、彼女は微笑んで返す。
 それは頼らないのではなく、その言葉だけで十分だからと。
 そう言って彼女が笑えば陛下も優しく笑みを返した。



 ―――いつからあの方は、あんなに柔らかい笑みができるようになったのか。


 誰も信じず心を開かず。
 安息も知らず笑顔を忘れた孤独な王。

 それを救ったのが后。
 初めて彼に癒しをもたらし、何も奪わず彼に与えた。
 そんな彼女を陛下が求めるのは必然で、最後の最後で覚悟を決めた彼女はそれを受け入れ
 た。

 ―――だからか。
 唯一無二の彼女を得て独りではなくなったあの方は、心からの笑顔を手に入れた。






「…ふむ、仲良きことは良いことじゃな。」
 しばらく眺めていたが、満足したからそこから離れた。
 あの2人がああしていると、こちらも嬉しくなる。


 演技ではない、あの2人の間にあるものは本物の愛情。
 それが分かって嬉しかったのだ。

 歯がゆいほどにすれ違って、何度も涙と悲しみに暮れた顔を見てきた。
 それが今は互いに笑顔で、そのことがとても嬉しいことに思えて。


 幸せとはきっと、あのようなことを言うのだろうと思った。


















*





















 それから数ヶ月、陣痛が始まってから産まれるまでは実に半日以上。
 初産なら有り得ないことでもないし、あの娘の体力なら大丈夫だろうと思っていた。
 陛下は心配して落ち着かなかったのだが、それも夫としては当然のことだったので、ただ
 黙って見守っていた。





 そして后の元へ見舞いへ訪れたのは、無事出産したと知らせが届いて陛下が真っ先に会い
 に行かれて…少し経ってから。
 2人の邪魔をするような野暮なことはしないと思ったからだ。


「陛下は落ち着かれましたかの?」
 部屋を訪れて最初に案じたのが后ではなく陛下だということに娘は笑い、陛下はバツが悪
 そうな顔をして枕元に座る。
 しかし全てを見ていた老師には何も言い返せなかったらしく、じとりと睨まれただけだっ
 た。

 后の腕の中には白いおくるみに巻かれた新しい命。

 念願の、お世継ぎ。
 喜ばしいことだ。

 けれど、それだけではない気がして――――


「老師、どうぞ。」
 そう言って、突然彼女が御子を差し出す。
 それが予想外のことだったから驚いてしまった。今まで、そんなことを言う妃はいなかっ
 たから。
「…わしが抱いても良いのかの?」
「はい。老師待望の世継ぎ御子ですから。」
 くすくすと、いつものお返しのようにからかうような笑い声と一緒に言われる。
 少し躊躇ってから、おそるおそる子を受け取って腕に抱いた。

 まだ目も開かない、産まれたばかりの命は、けれど重い。
 それはこの子がいずれ背負うもののせいではなく、ただ人の命としての重さ。


 ―――待望の、陛下の御子だ。

 陛下と、陛下が愛した娘との……



「ろ、老師!?」
 突然娘がおろおろと慌てだす。
 自分が泣いていることに驚いているようだった。

「嬉しかったんじゃ…」
 涙と一緒にぽつりと零す。
「こんな、幸せが… 陛下に、訪れたことが……」
「……え?」

 腕の中の御子は大人しい。
 今は白い色しか見えなかった。それが眩しかった。


「ただ、嬉しかっただけじゃよ…」















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「あの時はいつ死んでも良いと思ったもんじゃの。」
 しみじみと当時を思い起こしながら温かい茶をすする。
「でもまだまだ元気だよね。」
 前に座る浩大が煎餅をばりんと歯で割った。

「当たり前じゃ。公主が嫁ぐまではくたばらんぞ。」
「あー じーちゃんなら大丈夫だよ。」
 そうじゃろうと得意顔で頷く。
 今も時々腰は痛いがその他は至って元気だ。

「あの頃の張のじーちゃんて、孫を待ちわびるほんとのおじーちゃんみたいだった。」
「孫みたいなもんじゃ。」
 泣いたあの後、その答えに至って納得したのだ。
 ずっと見守ってきた2人の子だ、そう思っても当然だと。
「まあ、わしからすれば陛下も孫みたいなもんじゃがの。」

 産まれた頃から陛下を知っている。
 ここを出られた日のことも、戻ってこられた日のことも。

 全てを見て知っているから、幸せを願ったのだ。



「老師!」
 ぱたぱたと足音がして、ひょっこりと少女が顔を出す。
 陛下によく似た容姿の美しい姫君―――鈴花公主。
 陛下と后の2人目の御子だ。

「お、公主ちゃんのお勉強の時間か。じゃあオレはそろそろ退散しよっかな。」
 もう一枚煎餅を頬張って、浩大が席を立つ。
 彼女は自ら卓を片付けだし、その間に老師は今日の講義の資料となる本を棚から引っ張り
 だした。
 彼女は「浩大も手伝ってよ」とお茶菓子とお茶が乗った盆を持たせ、台拭きを持ってきて
 と指示までして。
 基本的に自分のことは自分でするようにと躾られている彼女の手際は、一国の姫君とは思
 えないほど良い。


「…兄妹のあの真面目さは后似かの。」
「演技の上手さは陛下似だよ。」
 台拭きを彼女に投げて寄越し、退散するために窓に乗った浩大が笑う。
「外じゃ穏やかな公主様。実際は負けず嫌いの暴れん坊だからねー」
「浩大!」
「んじゃねー」
 公主の怒声を背に受けながら、ひらりと手を振った浩大はすぐに姿を消した。




「幸せなことじゃの。」
 2人の御子は立派に育ち、夫婦仲も相変わらず。

 陛下は長い間こんな当たり前の幸せが当たり前ではなかった。
 だからこそ、嬉しいのだ。



 ――――当たり前の幸せが、嬉しいのだ。




2012.1.27. UP



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お題:老師視点のお話(特にお世継ぎ誕生の時を老師視点で語って欲しい)

「私を動かす〜」の少し後くらいですね。
ついでなので、妊娠に気づかなかった理由とかの疑問も回収してみました。

夕鈴と老師の話にしようかと思ってたんですけど、途中から陛下の話になってましたー
老師は何だかんだで陛下の幸せを願ってそうだなとか。
辺境にやられた理由とか事情も詳しく知ってるだろうし。
だから夕鈴を後宮に留めようと頑張ってたんだと思うのです。
老師が突然泣いたのには自分もびっくりしましたけどね…

はるる様、遅くなりまして誠に申し訳ありませんでした(土下座)
老師視点の未来夫婦というのは結構新鮮でした☆
老師にはまだまだ長生きしてもらいたいものですねvv
それでは、返品、苦情、その他諸々は、常に受け付けておりますので〜
 


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