愛と感謝の日 2




 ―――最初は、官吏達の話し声。


「俺達でこれなら陛下はどうなるんだろうな。」

 数人の官吏達が雑談をしているようだった。
 角の向こうだから姿は互いに見えない。
 黎翔の存在に気づかない彼らは、心なしか弾んだ声で会話を続ける。

「もっと大きいとか。」
「俺達のを合わせたより多いとか。」

 ―――一体何が大きくて何が多いのか。
 何の話だかさっぱり分からない。
 自分が関わっているらしいのだが、特に身に覚えもない。

「豪華なのかも。」
「どれにしても羨ましいな。」


 そこまでで彼らの声は遠ざかっていってしまった。

 …結局、意味は分からないまま。













「夕鈴?」
 呼んだ名前に疑問符が付いたのは、彼女がここにいないはずの人間だったからだ。
 ここは後宮ではなく政務室とを繋ぐ途中の廊下だ。
 彼女たってのお願いで今日は政務室には呼んでいなかったはずなのだが。何をしに来たの
 だろう。

「陛下。……あの、今夜はこちらにいらっしゃいますか?」
 こちらが何かを聞く前に、下から覗き込むように上目遣いで見つめられてそう聞かれた。
 その仕草が男にはすごく可愛く映ることに彼女は気づいているのだろうか。

「…ああ。」
 そんな可愛い彼女からそう言われて行かない道理はない。
 むしろたとえ何があっても行こうという気にさせられてしまう。
「必ず行こう。」
 黎翔の答えを聞いた夕鈴はホッと胸を撫で下ろす。


「では、お待ちしていますね。」
 そしてそう笑顔で告げて、彼女は黎翔とは反対方向に消えていった。








 ―――彼女がここに来た意味も、さっきの官吏達の話の意味も。
 "それ"を見た時に全て分かってしまった。



 個々の持ち方に違いはあれど、彼らの手には同じ包みが乗っている。
 夕鈴が彼らに渡した物だと瞬時に理解した。

(…これか。)
 謎が解けてすっきりした。―――と、それだけで済めば良かったのだが。
 同時に沸き上がったのは、静かな怒りにも似た感情。


「……我が妃は優しいな。」
 呟いた声は一段と低く、そして冷たかった。



「―――…」
 黎翔の機嫌の悪さを1番最初に感じ取ったのは水月で、冷気に当てられ帰りたいと言い出
 す。
 それに方淵が「誰が許すか」と怒鳴り、周囲の他の官吏達の表情はますます硬くなって。
 …見かねた絽望が誰より前へと進み出た。

「これくらいは許して下さい。」
 苦笑いする絽望の手にも小さな包みがある。
「私達は皆同じ、特別な陛下とは違うのですから。」

 彼は"それ"を欠片も疑っていない。
 それは普通に考えれば当然のことなのだが。

「…特別、か。」
 言葉とともに冷気が増す。その言葉は今は全く効力を持たない。
「……」
 常とは違う様子に、さすがの絽望も言葉を継げなかった。



「…命が惜しい者は私にそれを見せるな。」
 不機嫌なままに、絶対零度の声音で告げる。
 彼女から他の男への贈り物などこれ以上見ていたくもなかった。


『今すぐ片付けてきます!!』
 即刻返事をしたその場にいた全員の声が重なり、まるで蜘蛛の子を散らすように皆急いで
 それを手に出て行く。

「私は別に嬉しくも…」
「はいはい。君の分は私が片付けておくよ。」
 方淵の分は絽望が一緒に持って行った。


 どうやら方淵も貰っていたらしい。
 本当に彼女は全員に平等に、それを渡しているようだ。



 ―――優しい彼女は、黎翔にだけ優しくない。



















 目に入れたくなくても、そういう時に限ってやたらと目に付く。
 黎翔が1人で政務をしているところに来た李順の書類の上にも、その小さな包みは乗って
 いた。

「ああ、これですか。」
 問えば李順は無造作にそれを手に取る。
「先程夕鈴殿が渡しに来ましたよ。厨房を貸して欲しいと言うから何かと思ったのですが、
 このことのためだったようですね。」


 李順も疑っていない。
 誰もそのことに気づいていない。


 ……苛立ちは増すばかりだ。









「…お前もか。」
 そろそろ誰か1人くらい殺してしまいそうだった。
 小さな包みを手に中身の物を頬張っている浩大を見る目は、完全に据わっていると思う。

「陛下はほんめー貰ってるんだから良いじゃん。」
 きょとんとしながら返す浩大もまた、当然のことのように言う。


 誰も疑っていない。それが当然だと思っている。
 …何故か誰も気づかない。


「貰ってない。」
「へ?」
 端的に告げれば、焼き菓子を持った浩大の手が止まった。
 もう一度と、その目が言っている。

「…私は何も言われていない。」
「えっ マジ!?」

 皆に平等に渡されている小さな包み。
 けれど、誰もが1番に手にしたと思われているはずの自分は、その存在すら知らされてい
 なかった。


「―――へーか、今度は何やらかしたの?」
 驚きで目を丸くしていた浩大は、珍しい程真面目な顔になってそう聞いてくる。
「…何故私の方なんだ。」

 今回は何も身に覚えがない。
 さっき会った時も彼女は相変わらず可愛かっただけで、機嫌が悪そうには見えなかった。

「だってさー、あのお役目大事!の真面目なお妃ちゃんが、この日にフリでも渡さないっ
 てそーとーじゃん?」
「……そもそも今日は何の日だ?」


 それすら知らなかった黎翔のために、浩大は今日が愛謝節という西国の風習の日だという
 ことを簡単に説明した。
 彼女が皆に配っているのは"謝"の方で、日頃のお礼だということも。

 誰もが妃から"愛"を受け取っていると思って疑わなかった。知っていると思われていた。
 だから誰も今日が何の日かすら教えなかった。


「おいしーのに。」
 そう言いながら、持っていた1つを口に放り込む。
 夕鈴の手作りお菓子、黎翔ですら滅多に食べれないのに。
 なんて憎らしいことだろう。

「―――それ以上私に見せるな。」
 切りたくなる、と正直に告げる。

「ほーい。」
 声から本気を感じ取った浩大は、包みを懐にしまい込んで窓から出て行った。

































「お妃ちゃん!」
 浩大の声が聞こえるのは、いつも普通は有り得ない方向―――つまり窓からだ。

「あら、どうしたの?」
 けれど慣れてしまった夕鈴はもう驚かない。
 顔を上げて椅子に座ったままでふり返ると、案の定彼は窓の枠に座っていた。


「どうして陛下には…って、それ」
「え、ああ、これ? もう少しなの。」
 手元を指差されて、針を持たない手でその表面を撫でる。
 今縫っているのが最後の色で、これが終われば完成だ。

「―――なぁんだ。」
 それが誰への贈り物か分かったらしく、安心したように言って浩大は力を抜いた。


「どうしてそれ陛下に言わなかったの?」
「? 夜会った時に渡せば良いと思ってて… 何かいけなかった?」
 首を傾げると、浩大は目の前でがくりと肩を落とす。

「……。ダメだよ、全然。」
「へ!?」
「自分だけ貰ってないってすっげー凹んでたんだから。」


 …ああ、そうかと、そこで初めて気がついた。

 政務室の全員が持っていたら陛下の目にも入ってしまう。
 それどころか、浩大にも李順さんにも老師にもあげているから、貰っていないのは陛下だ
 けだ。
 それを知ったら確かにあまりいい気はしないだろうと思う。


「だったらこっちだけでも先に渡しておけば良かったかしら。」
 夕鈴が見ている先―――卓の上には、他より少しだけ大きな包みが乗っていた。
 中は陛下に渡す分の焼き菓子だ。
「そーだね……」
 何故か浩大はすごく疲れた顔で、夕鈴は不思議に思う。
 彼の目にそういう意味じゃないと言われてる気がするのだけど、何が違うのかがよく分か
 らなくて。

「でも 本当にあとこれだけだから―――…できた!」
 会話中も手は休めずに続けていた。これでようやく完成だ。

 端の始末をしてから、広げて全体を眺め見る。
 わりと上手にできたと自画自賛しつつ浩大に見せれば、彼も良いんじゃないと言ってくれ
 た。


「今すぐそれ持って行きなよ。」
 丁寧に畳んで包みの隣に並べようとしたら、浩大からそう言われる。
 でも陛下は執務中で、その邪魔をしてはいけないんじゃないかと思うのだけど。

「今の状態じゃ陛下、仕事になんないからさ。」
 だから全然大丈夫だと彼は言って、陛下がいる場所を教えてくれた。






















「陛下、いらっしゃいますか?」
 室内を覗き込むように見ると、そこには陛下1人しかいなかった。

「―――何だ?」
 顔を上げてこちらを見た彼は、夕鈴しかいないのに狼陛下のまま。


(うわ、ピリピリしてる…)
 機嫌が悪いのは一目瞭然で、その原因の一端はこの手に持っている物のせいなのかもと思
 う。
 小犬でしょんぼりしているものだと思っていたから、想像との違いにちょっと戸惑いもし
 たけれど。

 中に入るように促され、おそるおそる足を踏み入れた。



「李順さんはいらっしゃらないんですか?」
 きょろきょろと見渡しても、やっぱりここには陛下しかいなかった。
「…書類を取りに行った。李順に用があったのか?」
 その名前を言った途端にさらに機嫌が悪くなったような気がしたけれど、それを聞けるよ
 うな雰囲気ではない。

「…いえ、用があるのは陛下になんですけど。」
 むしろ李順さんはいない方が好都合だ。
 ドキドキと高鳴る胸を誤魔化しつつ、それを背に隠して横に立った。


「―――はい、どうぞ。」
 まずは右手の包みを彼に差し出す。
「――――」
 他の人達よりも一回り程大きなそれを受け取って、彼はまじまじと見つめている。

「それから、これも。」
 左の手には刺繍された手拭い。
 色とりどりの糸で描いたのは桔梗の花だ。
「なかなか出来上がらなくて、遅くなってしまいました。」
 だから渡すのが遅くなったのだと謝った。

 3日しかなかったからどうしようか迷ったけれど、陛下だけは他の人達と同じというわけ
 にもいかなかったし。そもそも同じになんてしたくなかったし。
 刺繍はあまり経験がなかったから侍女さん達に教えてもらって。
 おかげで何とか完成させることができた。


「……これは"愛"?」
 わりと長い沈黙の後で、ゆるりと顔を上げた陛下が夕鈴を見る。

 さっき誰かからも同じことを聞かれたなと思う。
 でも、陛下にはさっきみたいにさらりとなんて返せない。

「りょ、両方です! お菓子は感謝ですし、私は、その… 陛下の妃ですから!」
 思わず飛び出そうになった本音を何とか抑え込んで、誤魔化すようにぐっと握り拳を作っ
 た。
 それでも言った後で恥ずかしくなって顔が熱くなったけれども。


「―――ありがとう、嬉しいよ。」
 ほんにゃりと小犬陛下が破顔して、割れ物を扱うようにそれらを卓の上に置く。
 そうして夕鈴の手を取ると近くに引き寄せた。



「……僕だけ貰えなかったらどうしようかと思った。」
 良かったと、心から安心したように陛下は言う。
 きゅっと指先を握る手に力が少しだけ込められて、見上げてくる瞳は少しだけ不安に揺れ
 ていた。

「そんなことあるわけないじゃないですか。」
 けれど、何を言っているのかと思って夕鈴は返す。
 妃は陛下の花嫁なのに。陛下にだけあげることはあってもその逆はあるはずない。


「……うん。疑ってごめんね。」
「私の方こそ、遅くなってしまってすみませんでした。」






 "愛"の贈り物は肌身離さず。

 "謝"の贈り物は、大切に少しずつ味わって。



 ―――苛立ちから一変。嬉しさだけが残った、今日は愛と感謝の日。




2012.2.14. UP



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お題:夕鈴にやきもちを妬きまくる陛下

可哀想に… 陛下だけもらえてない話。←

隠しリクが
「バレンタインネタで義理チョコをみんなにあげて、嫉妬..的な感じ」
だったのですが…
ネタ的には完全にバレンタインなんです。
でも夕鈴がいつまで片想いなのか分からないので時期を曖昧にしてみました。
中国では(西洋)情人節と言うそうですね。もう少し調べたら、中国本来の情人節は七夕のようです。
さらに「ベタ甘」指定もいただきましたが… 甘くなっているかはちょっと心配です。
本人は甘いつもりで書いたんですけど〜

今回またオリキャラ・絽望さんが普通にいます(笑)
柳氾子息組とのトリオは何だか書きやすくってつい。
本誌の子息組はあんなんですが、うちは絽望さんがいるのでこんなんです。
6巻が出たら絽望さん無しでも書けるかな?
ちなみに、周りで喜んでいたモブの官吏さん達は愛でる会の人達です(笑)


そんなこんなで、埼玉県の20歳様。キリリクありがとうございました〜v
時期ネタなので14日まで!を目標に頑張っていましたが、ホントにギリギリですみません。
感想・苦情・返品・その他、随時受け付けております〜
 


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