白い花 2




「!? ―――おっと。」
 角で何かにぶつかり、倒れそうになったそれを受け止める。
 鮮やかな紅の衣に誰であるかに気付き、顔を上げた彼女を見て、―――そのまま絽望は固
 まった。

「お妃様…?」
 泣き腫らした目に憔悴しきった表情。
 ほんの数刻前に笑顔で別れたはずの彼女の変貌ぶりに驚いたのだ。

「……ッごめんなさい!」
 ハッとした彼女に顔を隠されてしまう。
 そうして急いで脇を通り過ぎようとしたのを咄嗟に腕を掴んで止めた。
「っあの、」
「――――…」
 遅れて今度は自分の行為に驚くが、それでも手は離せない。


 だって、お妃様が泣いている。
 笑顔を願う方が、とても哀しそうな顔をされているから。


「そのままでは皆に驚かれてしまいますよ。」
「っ」
 自身がどんな顔をしているのか、本人も分かっているらしい。
 抵抗を止めて力を抜いたお妃様に絽望も安心して、涙を拭くようにと真新しい手拭いを渡
 した。

「―――涙が止まるまでは付き合います。」



 望むのは花の笑顔、願うのは貴女の幸せ。

 その彼女が憂い顔を見せているのに――― 放っておくことなど、できはしない。








『………』
 顔を埋めたままのお妃様は無言。
 いつもなら軽口で笑わせる絽望も何も言わない。壁に背を凭れさせ、腕を組んでただ黙っ
 て待っていた。

 2人で並んで立ったまま、静かに時だけが流れていく。


「……何も、聞かないんですか?」
 沈黙が気まずかったのか、だいぶ落ち着いたのもあるのだろうか。
 ちらりと布から顔を上げたお妃様が先に沈黙を破った。

「…聞いて欲しいですか?」
「!」
 目を合わせて問いで返せば、強く首を横に振られる。

「聞きませんよ。…聞けば、私がどうなるか分かりませんから。」
「え?」
「私は、貴女から笑顔を奪ったものを許しません。…それが誰であっても。」
 答える声は平坦で、その表情は無に近い。


 ―――怒りなどという感情は自分には不似合いだと思っていた。
 日々を飄々と気ままに過ごし、笑顔で繕ってのらりくらりとやり過ごす。
 それが自分のスタイルだった。

 だが今はどうだろう。
 今は作った笑みさえ浮かべられずにいる。


「絽望、さん…?」
 いつもと違う様子にお妃様は戸惑った顔をしていた。

「あの、」


「―――夕鈴。」

「!!」
 気配なく突然割り入った声に、お妃様の肩が大きく震える。
 誰かなど愚問。お妃様を名前で呼ぶのは他にいない。

「へい、か…」
 目に見えて青くなる彼女の視線を追って絽望もそちらへと振り返った。


 誰かが言った『冬の王』という名を思い出す。
 空が晴れ渡っているのを忘れてしまうくらいに、冷たく凍えそうなその視線に。


「…ここにいたのか。」
 ちょうど2人の間にいる絽望に陛下はちらりと目をやる。
 しかしそれはすぐに外され、氷の視線は再びお妃様へと向けられた。

「まだ動けるとは思わなかったな。」
「ッ」
 陛下が1歩近づく度に彼女の震えが大きくなる。


(―――成程。)
 予測が確信に変わる。
 絽望の次の行動はもう決まっていた。



「――――…」
 無言でお妃様を背に隠すように陛下の前に立つ。
 陛下の足もそこで止まった。

「……景絽望。何の真似だ?」
「お分かりにならないとでも?」
 視線を逸らすことなく、相手を正面から見据える。
 相手が誰であろうと今の絽望には関係なかった。


「―――お前の本気は知っている。裏で何をしているのかもな。」

 己の気持ちが本物であることを陛下には伝えてある。
 そして裏でのことも、気づかれていないとは思っていなかった。
 隠していたつもりもない。黙認されているのだと気づいてもいた。

「全ては夕鈴のため… だから私は何も言わず放っていた。」

 それを驕っていたわけではない。
 ただ、目的が同じだと知っていただけ。

「ええ。お妃様を害するものは全て私の敵。お妃様を傷つけるものを近づけさせたりはし
 ません。」

 ―――全ては、花の笑顔を守るために。


「それが、たとえ私の力が敵わぬ者だとしても…」
 そうして再び陛下に視線を合わせる。
 その意味を知り、陛下の眉が微かにはねた。


「…それは、つまり私が彼女を害する者だと?」

 それを肯定すればどうなるか、分からないわけでもない。
 しかし今の自分は確かに―――怒りを感じていたから。

「違うのですか?」
 …今の自分はどんな顔をしているのだろう。

「景絽望ッ」

 目の前を風が抜ける。
 その動きは見えなかったが、瞬きの後には首元に銀の輝きが突き付けられていた。


「…私を切りますか?」

 死を前にしても絽望は揺らがない。
 陛下が少しでも動けば、この身が闇に落ちると分かっていても。

「お前がそう望むのならな。」

 陛下はおそらく躊躇わない。
 それも知っていてなお。



「〜〜〜止めてください!」
 その時、悲痛な声がその場に響いた。

「お妃様…」
「夕鈴」
 2人同時に違う音で同じ人を呼ぶ。

「この方は、泣いていた私を放っておけなかっただけです。」
 せっかく泣き止んだのに、また大きな瞳に涙を溢れさせて。
 それでも強い意志を持って彼女は前に進み出る。

「どうして泣いていたかも聞かないで… ―――剣を収めて下さい 陛下。」
 瞬きもせずに、流れる涙を拭いもせずに。
 ただ陛下だけを見るお妃様に、陛下が最後は折れた。

 剣先が絽望から離れ、銀の刀身は鞘に収まる。
 そして絶対零度の怒りのままで、陛下はお妃様の方に向き直った。


「―――何故逃げた?」
「……陛下を見たらまた泣いてしまうと思ったからです。泣いたら、貴方はまた傷つくで
 しょう?」
 予想外の答えに陛下が言葉を失う。

「泣くのは…… 私は貴方のものなのに、貴方はそれを信じてくれないから。」
「それは、」
「…私も悪いんですけど。」
 陛下の言葉を遮って、お妃様は言葉を続ける。
 そうして今度は視線をこちらに向けられた。

「…その意味も知らずに気軽に花を受け取って、……ごめんなさい。」

 向けられた言葉の意味を絽望は正しく知る。
 気持ちを知って、それは受け取れないと言われたのだと。

「―――分かりました。」
 分かりきっていたことでも、胸の奥が痛いのは仕方ない。


 …入り込む余地などないと、ずっと前から知っていた。

 本当は、とうに身を引いているべきだったのに。


「ですが、貴女の幸せを願うことはこれからも許して下さい。」
「……ありがとうございます。」
 少しだけ無理矢理に、けれど絽望が元気が出るという笑顔を向けて下さった。

(それだけで十分だ……)

 ちゃんと笑い返したつもりだった。
 上手く笑えたか自信はなかったけれど。


「―――来世でも、お二人が結ばれることを願っております。」
 1つ礼をして、絽望はそこから立ち去った。





















「……引き際を探していたんだ。」

 1人呟いた声は風に流れる。
 それを聞く者はいない。

「不毛な恋はこれで終われる。」


 でも後悔はしていない。
 たった1度の本気の恋が、あの方で良かったと思う。

 想う日々は幸せだったから。
 きっとこれからも、白い花が似合うあの方は特別なまま。


「これからはただ、その笑顔が続くことを祈ろう。」



 明るい景色に視線をやれば、彼女に贈った白い花が風に揺れていた。




2012.2.28. UP



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お題:景絽望さんが出てくる話で、内緒の恋人設定

あと、「本気の陛下が見たい!」とのことでしたので。
本気の陛下→絽望さんも本気→この人の本気って引き際だよな…
というわけで、こんな話になりました。
シリアスってか一部黒陛下になってしまいましたけど…
内緒の恋人では今回で絽望さんは諦めるのかな?って感じですね。
他の話ではこれからも普通に出ますけど。もちろん。

内緒の恋人設定だと陛下も余裕かなと思われるんですが。
私の中では実は逆で、手に入れたからこその不安定さというか。そんな感じがします。
この2人って矛盾だらけなんですよね〜
何も解決していない状態で繋がってしまった、みたいな。
その矛盾から派生した長い話は…いつか書くつもりはあります。
でもこれ書くと、それ以降この設定の話が書けなくなりそうなので手が出せないんですよね…

あと、前半ラストに入った微妙に怪しいシーンは、いつか見たどえろい夢のあれです。
(日記見てる人には分かるネタ)
全然進まなくて放置中なんですが、盛り込んどけばいつか書くかなぁと…
黒陛下視点なので全然甘くはないですけど。しかも短い。
いつか、秘密部屋の方にあげます。…たぶん……

葵様、絽望へのリクエストをありがとうございました(笑)
でも絽望さんの軽さが少なく、かつシリアスになってしまってすみませんでした…
オリキャラなのにこんなに愛されて…幸せ者ですね!
感想・苦情・返品・その他、随時受け付けております〜
 


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