父の背中 2




「―――――…!?」
 途端に今度は男の身体が吹き飛ばされる。


「…えっ?」
 何が起きたのか分からなくて数度瞬いた。
 今までそこにいた男の代わりに誰かが立っている。
 …その、凛翔の前に降り立った広い背中はよく見知ったもの。

「ちち、うえ…?」
「よく守った。」
 ふり返った父は柔らかく微笑み、優しい声が降ってくる。
 それを見た瞬間に身体の力が抜けたが、誰かに受け止められて倒れることはなかった。

「危ないから下がって。」
 後ろから肩を支えたのは浩大。
 彼にひょいと抱え上げられて、凛翔は母のところへ連れて行かれた。









「…狼陛下か。」
 すでに立ち上がり体勢を立て直していた男は、目の前に現れたのが誰かを知って思いきり
 舌打つ。

 かの王の強さを知らぬ者はいない。
 逃げるのが1番だと思うが、逃がしてもらえるのかも分からなかった。

「お前に遠慮は要らないな。」
 狼陛下がすらりと腰の剣を抜く。
 その動きにすら一切の無駄がない。

 絶対零度の空気が辺りを包み、王は男に向かって酷薄に笑んだ。
「―――今すぐに地獄を見せてやろう。」








「…………」
 凛翔はそこから目が離せなかった。

 あの刺客はかなりの手練れだ。
 それは凛翔自身がさっき身をもって知った。

 …けれど、父の強さはそれ以上。
 確実に相手を追い詰めていく圧倒的な強さに魅入ってしまった。


「思いかけず見れて良かったね〜 アレが冷酷非情の狼陛下だよ。」
 傍にいた浩大がニヤリと笑って教えてくる。
「あれが…」

 初めて見た"狼陛下"。
 一分の隙もない剣捌きは早く鋭い。

 相手を追い詰めながら、一切の感情を感じられない冷たい横顔。
 鋭い瞳は獲物を狙う狼のようだ。
 その色は、刺客の肩から流れ出る血の色とも違う。もっと鮮やかな紅―――

「っっ!」
 そこでハッと気づいた。

 "冷酷非情"の狼陛下は敵を相手に容赦しない。
 そして男に血を流させているのは、自分には優しい顔しか見せなかった父。

「父上…?」
 普段の父と目の前の父が上手く繋がらなくなっていた。
 ―――でも、それでも目は離せない。


「〜〜〜ッ」
 今度は足を切りつけられて、がくりと男の膝が地についた。
 その傷はおそらく深く、これ以上は失血で死ぬ。
「もう終わりか? …もっと楽しませてくれ。そうでなければ私の怒りは収まらない。」
 静かで、低い、冷たい声。
 見ているだけで背筋が冷えるような。
「私の息子と后に手を出そうとしたのだ。罪はその血を以て贖え。」



「―――陛下!」
 剣先が男の元へ辿り着く直前、凛とした声が響いて父の手がぴたりと止んだ。
「そこまでです。」
 父を止めたのは、凛翔よりも浩大よりも前に出た母だった。
 毅然とした態度でピンと背筋を張ったその姿は、まさに王の隣に並び立つ者。

「その男を殺してはなりません。」
「……私の敵が減らない、か。」
「そうです。」
 じっと母を見る紅の瞳はまだ鋭い。
 大の男でも怯みそうなそれを前にしても母は動かない。

「―――分かった。」
 そして、最終的に引いたのは父の方だった。
 己の愛剣を引き 鞘に収める。
「浩大。この男を地下牢に放り込んでおけ。」
「りょーかい。」
 浩大が自分達の傍を離れ、父と入れ替わった。
 ようやく兵達が走ってくる足音が聞こえ出した頃だった。






「凛翔、大丈夫?」
 しゃがんだ母が土で汚れた頬を袖で拭ってくれる。
「頑張ったな。」
 父はそう言って優しく頭を撫でてくれた。
 その手を追って顔を上げると、そこにあったのはいつもの優しげな父の顔。


 父も母もいつも穏やかだった。

 あまりの仲の良さに呆れつつ、そういうものだと割り切ったのも随分前。
 それが凛翔の日常だった。

 優しさと温かさと、それだけに囲まれて凛翔は育ってきた。

 それが当たり前だと思っていた。
 …けれど、父と母は違っていたのだ。

 今やっと、教師達の言葉の意味を実感できた。



「―――父上、」
 お願いがありますと、きょとんとした顔をする父に向かってその場で凛翔は請うた。















*















「―――右が空いている。」
「はいっ」
 父からの静かな指摘に元気よく返事をする。
 正直息は痛いほどに切れていたが、まだ膝をつくには早かった。


 あの日から本格的に剣の稽古を付けてもらうようになった。
 あの場で凛翔が頼んだのだ。

 その時、父はちょっとだけ困った顔をして母と顔を見合わせて。
 …そして了承してくれた。



「やる気だな。」
「はい。父上のように強くなりたいんです。」
 からかうような父の言葉に躊躇いなく答える。
 それは偽りのない本心からの言葉だった。


 父のようになりたい。
 大切な人達を守れる力が欲しい。

 自分の無力さを知ったと同時、父の姿を見てそう強く願った。


「………」
 何故か父からの返事はなかった。
 凛翔を見下ろしたまま黙っている。
「父上?」

「―――陛下、何照れてるんですか。」
 後ろの四阿で2人の様子を眺めていた母がくすくすと笑って言った。

「―――――…」
 言葉はなく、代わりに頭をポンと叩かれる。
 でもそれだけで十分だ。嬉しくて凛翔は笑み崩れた。

















「息子は父の背中を見て大きくなるんだねぇ。」
 屋根の上に立って男がしみじみと呟く。

 穏やかな風が頬を撫でていく。今日も良い天気だなと思った。


「…陛下も酔狂だよね。命を狙った奴を公子の護衛にするなんてさ。」
 男の隣に腰を下ろしている浩大は少し呆れた様子。
 それに男はカラカラと笑って手を振った。
「もうしませんよ〜 俺は公子様に忠誠を誓いましたんで。」


 これは狼陛下との契約だ。
 どうせ死ぬ身なら、あの方のために生きて死ぬ。
 そちらの方が余程有意義だと思ったから、王の提案を受け入れた。

 今度はあの方のためだけに生きようと決めた。


「本人知らないけどネ。」
「ま、しばらくしたら挨拶に行きますよ。」

 その時どういう反応をされるかが楽しみだ。
 全ての罵倒の言葉も受け入れて、それから再び忠誠を誓おう。




 今日も後宮は穏やかだ。
 眼下の親子は楽しげに笑い合っていた。




2012.5.5. UP



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お題:未来夫婦で、息子が父親である陛下を尊敬する話

凛翔は10歳くらい?
陛下と凛翔の"秘密"は夫婦部屋のページ用書き下ろし「祈りの日」のあれです。
夫婦のいちゃいちゃは呆れて見てるんですが、凛翔はわりと早い段階から尊敬してます。
というわけで、今回はそのきっかけの話でしたv

今回の隠しリクは、
『政務室とかでの狼陛下もかっこいいけど、やっぱり「家族を守る強い父親」がいいな〜♪』
とのことで、カッコ良い父親になるように頑張りました〜
…ちょっと狼陛下を前面に出しすぎた感もありますが。せめて流血シーンはソフトな感じで。
そして陛下を止められるのは夕鈴だけという個人的萌えも入れてみました(笑)
ついでに刺客さんも個人的萌えで命拾いww
陛下との契約云々のやりとりは下(↓)にオマケで書きました〜

ルシーラ様、遅くなってスミマセンでしたーっ(土下座)
一月内の目標が完全に超えてしまいまして… 反省しております…
でも、凛翔視点という貴重萌えありがとうございました☆
鈴花視点は李鈴で結構書いてたので、兄メインは珍しくて楽しかったですv
返品その他は常に受け付けておりますので、遠慮なくどうぞ!





・オマケ・
捕らわれた刺客と陛下の話

「―――随分あっさり口を割ったな。プライドはないのか?」
「プライドじゃ飯は食えませんからね。」
 狼陛下の呆れた声に男は肩を竦めて答える。

 正直、今の主がどうなろうと知ったことではなかった。
 金で雇われた相手には特に忠誠心もない。

「それに俺、あの公子様が気に入ったんですよ。あの方になら自分の意志で膝を折って頭を下げて良いと思ったんで。」

 あの方は良い王になる。
 だから惜しいと思ったのだ。

 この王が止めてくれて、良かったと思った。
 死を前にしても心から安堵するほど。


「…ではそうするか?」
「はい?」
 突然そう言われても、何のことだか分からなかった。
「アレのために生き、アレのために死んでみるか?」
 その言葉に王の真意を疑う。公子の命を狙った男に何を言っているのかと。
 だが、冗談で言っているわけではないのはその目を見れば分かった。


 公子に命を預け、公子のためにこの身を捧げる。
 ―――死が目の前に迫っていても、その矜持を失わなかった彼の人のために生きる。

 それはなんて、甘美な響きだろうと思った。


「…このままでもどうせ死ぬ身なら。だったらあの方のために生きて死ぬ方が良いです。」
 男の答えを聞き、あの公子と同じ顔をした鋭利な美貌が笑んだ。

「ならば誓え。今、この場で。」
「ええ、誓います。―――この命にかけて、あの方をお守りしますよ。」



刺客への愛が芽生えてしまいました(笑)
 


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