花は誰がために咲く 2




「孟洵殿!」

 その姿を認めて夕鈴は思わず声を上げて駆け出す。
 呼び止められた方の彼は声にゆっくりとふり返り、夕鈴が来るのを待って優雅に礼の形を
 とった。


「お后様 どうなさいました?」
 言葉も仕草もゆったりとして柔らかく、にこりと微笑まれるとこちらも笑みが浮かぶ。
 空気が和やかになりひとしきり穏やかな空気が流れたところで、夕鈴は用件を思い出して
 口を開いた。
「今からお帰りですか?」
「はい。春姫が待っていますから。」

 彼は本当に春姫を大切にしていて、彼女との約束があるのならそちらを優先するのだ。
 それでもきっちり仕事を終わらせているところはさすがだと思う。

「ちょうど良かった。これを春姫に渡していただきたくて。」
 彼の返事に胸を撫で下ろし、藤の枝に手紙を添えて彼に手渡す。
「良い色が咲いたので、あの子に見せたかったんです。」

 後宮に遊びに来たときも、必ず花を見に庭に降りているほど花が大好きなあの娘へ。
 そんな彼女に今一番見頃の花を見せたかったのだ。

「喜んでくれると良いんですけど。」
 可愛い友達の姿を思い出し、ふふっと小さく笑う。
「―――…ッ」
「孟洵殿?」
「いえ… ありがとうございます。きっと喜ぶでしょう。」
 一瞬何かに驚いたように目を見張った彼は、すぐに何事もなかったかのように柔らかい微
 笑みに戻して礼を言った。


「―――それでは。」
 深く頭を下げ、挨拶をして去っていく彼はすっかり元通り。
 さっきのは気のせいだったのかと思ってしまうくらいだ。


「…何だったのかしら?」


 ―――夕鈴の疑問に答える者はいない。























「―――夕鈴は、孟洵をどう思う?」
「? 素晴らしい方だと思いますけど。」
 唐突な質問に夕鈴は手にしていた焼き菓子から顔を上げ、意味は分からないながらも陛下
 の疑問に素直に答える。
 今の話の流れでどうして彼が出てくるのかは分からないけれど、陛下の中では何か繋がっ
 ているのだろうと勝手に解釈した。
「人間ができてる人ですし、優しくて気配りもできる方ですよね。」
 仕事ぶりは時々目にする程度だけれど、春姫という共通の話題があるためか会えばよく話
 をする。
 いつ会ってもどんなときでも、彼は変わりない。
「本当に良いお父さんのお手本みたいです。」

 我が父親も見習ってもらいたいくらいだ。
 賭けに関してはさすがに自粛しているようだけれど、あののらりくらりな性格はなかなか
 改善しないらしい。
 孟洵殿が父親だったら要らない苦労や心配もないんだろうなと思うと、何だか春姫が羨ま
 しかった。


「……褒めすぎじゃない?」
 陛下は少し不機嫌そうに眉を寄せている。
 でも、本当に褒めるところしかないし。
「そうですか? あ、もちろん仕事もできる方で ッッ」

 またあの時のように途中で塞がれる。
 いつの間にか手を取られ、引かれて彼の腕の中に収まっていた。


「―――それ以上言うな。」
 "狼陛下"の低い声が胸の奥まで痺れさせるように響く。
 腰が砕けそうになりながらも、気力で持ちこたえてぎっと睨み付けた。
「っっ自分から聞いておいて何なんですか!」
「予想以上に面白くない。」
「は??」
 拗ねたような言い方に思わず呆けた顔になってしまう。
 狼なのに小犬のように拗ねるとか器用すぎだ。


「君が見るのは私だけで良い。」
 髪に触れるその仕草は甘い。

「他の誰も、その瞳に映さないで。」
 近い瞳は不安に揺れる。


 ―――狼と小犬と、両方からの懇願。
 そして何より不思議なのは、どうしてそんなに不安そうなのか。


「私は、陛下しか見ていませんよ?」
 何を言っているのだろうと思う。何も不安に思うことなんてないのに。
 自分が映るほどに近い 紅い瞳を見つめ返す。

「うん…」
 小さな呟きと共に視線が外れて、次に見えたのは白い壁と飾り窓。
 ぎゅうと身体を包み込む温かさに安心するのと同時に、垣間見えた横顔が苦しそうだった
 ことに目を見張る。
「陛下…?」
 それをもう一度確かめようと離れようとしたら、もっと強い力で抱き込まれた。


 …そんな顔をしないで。
 私はいつでも貴方の味方ですよ。

 それを言葉にはせずに、代わりにそっと背中に腕を回して抱きしめ返した。

 ―――彼は、しばらくの間そのままだった。














*












 時折、ふと気づく。

 それは、彼が私を見る視線の意味。



「孟洵殿。…私に"誰"を見ておられるのですか?」
 春姫からの手紙を受け取った際、思い切って聞いてみた。
「お気づきでしたか…」
「はい。」
 苦笑いする彼に夕鈴はコクリと頷く。

 本当に時々だけれど、彼は夕鈴を見て―――その先を見ていた。
 夕鈴の向こうに誰かの姿を探しているように見えたのだ。


「…お后様を見ていると思い出すのです。」
 少しだけ苦しそうな表情で、彼は常のような静かな声で答える。
「亡くしてしまった妻と貴女がよく似ていたので、つい重ねてしまいました。…私はまだ
 そこで止まったままなのです。」

 彼と春姫を残していなくなってしまった彼の奥方。
 彼女のことを知らないから、どこが似ているのかは分からないけれど。
 ただ、夕鈴に分かることは、

「愛しておられたんですね。」
「ええ。彼女に出会えて私は本当に幸せでした。」
 はっきりとした答えから 彼が心からそう思っているのが伝わってきた。
 愛しげに、でも悲しそうに。彼は彼女の元へ思いを馳せる。
「周囲に反対されていたのを押し切って結婚して… 私は幸せでしたが、彼女には苦労ばか
 りかけたような気がします。」

 実力主義の狼陛下には重用されているが、彼は元々の身分は低い。
 そして彼女の家柄は周りが反対するほどには高かった。

 私達とは逆だなと思う。
 それでも私達は幸せだし、…ここにも幸せだった家庭がもう一つ。


「でも、奥様は笑っておられたのでしょう?」
 固まった表情の彼に対して夕鈴はふんわりと微笑む。
「ありがとうと仰られたのでしょう?」
「何故、それを…」

 彼が驚くのも無理はない。
 それは、彼女が最期に彼に残した言葉だった。

「…貴方のことを心配されている方から聞きました。本当に優しく可愛らしい方ですわ。」
「まさか、春姫が…?」
 再度驚く彼に はいと頷く。
「自分には父がいるから大丈夫だけれど、その父が元気がないのだと。それが悲しいのだ
 と。」

 彼が春姫を大切にするように、春姫もまた父のことを大事に思い、そして案じていた。
 彼女の口から出るのは父親のことばかり。本当に大好きなのだと分かるくらいに。

「話を聞いてあげて欲しいと、彼女は言いました。―――もし私でよろしいならお聞きし
 ますわ。」

 何故あの子がそれを私に頼んだのか、今分かった。
 可愛い友人のためにその願いを叶えようと思う。

「…ありがとうございます。」


 そうして2人連れ立って、四阿へ向かう階段を下りた。








 彼が話してくれたのは、奥方との楽しい思い出だった。
 
亡くした哀しみではなく、幸せだった記憶。
 今なお彼の中で鮮やかに残る 愛しい人との軌跡を。



 2人の間に穏やかな時が流れる。


 ―――しかし、突如その時間は終わりを告げた。







「―――それ以上我が后に近づくな。」
「陛下!?」

 振り返るとほぼ同時にふわりと身体が浮いて彼と引き離される。
 孟洵は浩大に捕らえられ、夕鈴は陛下の腕の中へ。


「な、何事ですか!?」
 状況が全く飲み込めず、戸惑いながら陛下を見上げる。
 彼は殺意さえ込めた瞳で孟洵を見ていた。

「―――親切な者が教えてくれた。娘を口実に我が后に取り入ろうとしてる男がいると。」
 一瞬、聞き間違えたのかと思った。

「何をっ この方はそんな方ではありません!」
 一体何を言い出すのかと正面から反論する。


 彼が私に取り入る? そんな馬鹿なこと有り得ない。
 彼が話してくれたのは奥方との思い出だ。


「…では、君とこの男が密通しているという方が事実か?」
 さらに鋭くなった瞳が今度は夕鈴を射抜く。
「!!?」
 それこそ有り得ない。
 あまりのことに絶句していると、彼の手が夕鈴から離れた。


「……いずれにせよ、この男の罪は重い。」
 黒い外套を翻し、彼は夕鈴に背を向ける。
「連れていけ。」
「! 待ってください 陛下!!」
 冷徹な声で命じる彼にハッと我に返り、夕鈴はその腕に縋りついた。
 どちらも誤解だ。事実は全く別の場所にある。

 なのに、

「―――君の言葉は聞かない。聞けない。」
「…ッ」
 向けられた冷たい瞳に一瞬怯む。

「今は、何を聞いても信じられない。」

 夕鈴の手を振り払い、彼は再び背を向ける。
 それは夕鈴に対する明らかな拒絶。―――初めてだった。


「浩大、」
 彼がすいと手を挙げ、浩大がそれに頷く。

 ―――瞬間にブチッと切れた。



「〜〜〜っ だったら私を連れていってください!」
 陛下の前に回り込み、彼らの間に立ち塞がる。

「夕、」
「陛下が怒りをぶつけるべきなのは私でしょう!?」

 取り入る? 密通? 冗談じゃない。
 こんな優しい人を捕まえて何を言うの。

「何を誤解してるのか分かりませんけど、孟洵殿が愛しておられるのは亡くなられた奥様
 です! 私はそれを尊敬しているんです!!」

 怒りに任せ、勢いづいた言葉は止まらない。
 感情が高ぶって涙が溢れたけれど、それでも気にせずに。

「それを…ッ ワケの分からない嫉妬で孟洵殿にあたらないでください!!」



「ブッ さすがお后ちゃん! 的確すぎ!!」
 堪えきれないといった風に、後ろで浩大が突然大爆笑する。
 そして彼はぱっと孟洵から手を離した。


「陛下の負けだよ。」
 軽く謝りながら孟洵を立ち上がらせて、浩大は呆然としている陛下に向かってニヤリと笑
 う。
「ここまで怒らせちゃったんだから、許してもらうには相当覚悟がいるねー」

「……」
 ばちりと陛下と目が合う。
 思いっきりそっぽを向いてやると、ガンと落ち込んだのが視界の端に見えた。


 人を信じなかった罰よ。ちょっとは反省しなさい。



「孟洵殿、すみません。」
 陛下の代わりに深々と頭を下げる。
 非は確実にこちらにあるし、彼はただ巻き込まれただけだ。

「続きはまた今度お話してくださいね。」
「はい。―――今度は春姫も一緒に。」
 そう言って穏やかに微笑む彼は、やっぱり人ができてるなぁと感心した。


「夕鈴」
 消え入りそうな小さな声が聞こえる。
 だけど振り向いてなんかやらない。

「浩大、孟洵殿を見送ってくるから後はよろしくね。」
 さっきのお返しに、陛下のことは無視してやる。
 浩大は涙が出るほど笑ったまま、はいはいと言って手を振った。

























「…ごめんなさい。」
 小犬が正座で反省中、夕鈴はその前で仁王立ち。
 こんなの李順さんが見たら卒倒してしまうだろうけれど、別に正座は彼が自主的にやって
 るだけで夕鈴が言ったわけではない。

「全くもう。孟洵殿が良い人だから良かったものの… 一体何考えてるんですか。」
 孟洵殿の対応はさすがといおうか大人だった。
 あんな目に遭わされながら笑顔で許したのだから。

「だって… 夕鈴を取られちゃうと思ったから……」
「はい?」
 ぼそぼそと小犬陛下が言うのに夕鈴は耳を疑った。
 一体何の話だと、怪訝な顔で彼を見下ろす。

「孟洵は君の言う通り人間ができてるし、優しくて気配りもできて仕事もできるし……」

 あれ、それ 私が前に言ったやつ。
 何気なく言ったあれを本気で気にしてたとは思わなかった。

「―――まあそうですね。あの方なら変に勘ぐって嫉妬したりもしないでしょうね。」
「…う……」
 ちょっと意地悪していってやると、目に見えてしゅんとする。
 さすがにこれ以上は可哀想になってきた。反省しているようだし、この辺で止めてあげる
 ことにする。


「でも、私が好きなのは陛下なんです。半端な覚悟で陛下の手を取ったわけじゃないんで
 すよ。」
 庶民の私が陛下の后になること、それがどれほど大変なことか。
 でも、それもひっくるめての覚悟で、最後の最後で彼の手を取った。
「もっと信じてほしかったです。」
「ごめん…」
 小犬はさらにずーんと落ち込む。
 ちょっとやり過ぎたか。

「もう良いです。陛下に誤解させるほど近付きすぎた私も悪いですし。」
 春姫の父親ということもあって、つい安心して距離感を忘れていた。
 まさか陛下が彼に妬くなんて思いもしなかったけれど、ちゃんと言っていなかった夕鈴も
 悪いのだ。

「ほら、もう立ってください。お茶にしましょう。」
「―――…うん。」
 手を伸ばすと握り返される。
 そうして立ち上がった彼にその手を引かれ、そのまま抱きしめられた。



「…夕鈴、好きだよ。」


「―――私も好きですよ。」


 クスリと笑って見上げると、陛下はようやく笑顔を見せてくれた。




2012.6.24. UP 



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感想リクエストよりvv
内容は「陛下が嫉妬に狂って夕鈴を傷つけるけど、夕鈴の優しさに触れて、正気を取り戻す」でした。
うん、微妙に違う気がする。…えーと、すみません。未来夫婦ではこれが限界でしたー(^_^;)

子ども達が生まれる前ですね。おそらく新婚の頃。
もう一つこのもう少し後のエピソードで暴走陛下がいるのですが、それは完全黒でヘタレてないのでまた今度。
↑ヘタレ陛下をご所望でしたので
こっちはヘタレなので最後はコミカルな感じです。
狼陛下を正座させられるのは夕鈴だけですね。最強ww

リク主様、遅くなってすみませんでした。
ご本人も覚えてらっしゃるか微妙なところですが、私は楽しませていただきましたv
おかげで今度 暴走黒陛下も書けます(笑)
 


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