貴方に何度でも恋をする。 2




「ほんとに覚えてないんだなー」

 窓枠に腰掛けて苦笑いしている彼は浩大と名乗った。
 話を聞くと、囮として命を狙われる自分の護衛をしているらしい。
 そんなに危険なバイトだったのかと思ったが、バイト代を考えれば妥当なのかもと納得も
 した。
 しかも今まで続けているのだから、ちゃんと守ってくれているのだろうし。

「あ。そういやお妃ちゃん。」
「…何?」
 どうにもそう呼ばれるのは慣れない。
 根っから庶民の自分が"妃"として扱われるのはどうもむず痒いのだけど、周りがそう扱う
 ので慣れる努力をするしかないらしい。
 彼は比較的ラフに接してくれるので、まだ楽な方なのだけど。
「アンタらがくっつく経緯とか、知ってる?」
 彼は秘密のはずの2人の関係を唯一知っているらしかった。
 いつもそばにいるから隠し事はできないとのことだ。
「いえ。」
 その彼から尋ねられた質問に夕鈴は首を振る。
 陛下はそこまで話してくれなかった。それどころかその辺りはまるっと端折ってしまった
 から。

 どうして私達が恋人同士になれたのか。今もにわかに信じがたいその事実。
 知りたいと思ったから、「聞く?」と言われてすぐに頷いた。


「―――まあ よくある話なんだけど、どっかの貴族の姫君が妃の座を狙っててさ。」
 ほかほかの出来たて饅頭を口に頬張りながら浩大はゆっくり話し出す。

「後宮でのお茶会の約束を無理矢理取り付けて、そこでお妃ちゃんの仕業と見せかけて火
 傷を負ったと騒ぎ出したんだよ。」
 彼女の妹達も侍女も一緒になって妃を責め立てた。
 ちょうど自分の侍女達は席を外していて、夕鈴も余所見をしていたから弁解するほどの言
 葉は浮かばなかった。
「お姫サマは目論見通り後宮に居座ったよ。陛下はもちろんそんな浅はかな考えには気づ
 いてた。でも 証拠がなくて。」
 饅頭の最後の一かけを飲み込むと次のもう一つに手を伸ばす。
 そんなことをしながらも、声と表情は意外に真面目だ。
「しかもちょうど陛下は忙しい時期で、探るためにお姫サマのトコに行くと お妃ちゃんの
 ところに行く時間がなくなってさ。さらに悪いことに勘違いしたお姫サマは増長するし、
 事情を聞かされてないお妃ちゃんは苦しむし。」

 ああ、私は本当に彼が好きだったんだと気づく。
 だって、覚えていないはずなのに、話を聞いただけで胸がじくじく痛むから。

「で、溜め込んだお妃ちゃんが陛下に気持ちを言っちゃって。」
「え!?」
 途端に浩大の声が明るくなる。むしろ面白がる態勢だ。
「我慢しきれなくなった陛下とそのまま最後までやっちゃったってワケ。」
「は!?」
 楽しそうな浩大を前にして、夕鈴は目が点になっていた。

 彼が言うのは意味が分かるようで分からないような言葉だった。
 浩大も夕鈴の心情を読み取ったらしく、意地悪そうにニヤリと笑う。

「アンタら とっくに行くトコまで行ってるよ。」
「!!?」
 ボンッと瞬間的に湯が沸いた。

 本当は意味なんて分かりたくなかったけれど。こんな時に限って気づいてしまった。
 いくら夕鈴が鈍いといっても、周りの話を聞くことはあったのだ。
 本当に何も知らないわけじゃない。自分には関係ないと思っていただけで。

「な、ななななな」
「覚えてないお妃ちゃんに無理強いはしないだろうけどさー けっこう我慢してるっぽいか
 ら気をつけてねー!」
 口をぱくぱくさせている夕鈴にそう言って、浩大はケラケラと笑い出す。
「が、我慢って… 気をつけるって…」
 具体的にはさっぱりだけど、何となく分かる気はした。
 だからここで「何を」だなんて聞くことはできない。
「わ、私……」
 今まで全く縁の無かったことに頭がぐらぐらする。
 熱が頭まで回ってしまったように目眩までしてきた。



「―――陛下はずっと待ってた。」
 突然笑みを引っ込めて、浩大はさっきみたいに真面目な顔をする。
 赤銅色の瞳に真っ直ぐ射られて息を飲んだ。
「お妃ちゃんをそばに置いて、少しずつお妃ちゃんの気持ちが近づいてきてくれるのを、
 ずっと待ってたんだ。」
 何故だかすごく泣きたくなった。
 その気持ちのままに涙がこぼれ落ちるのを感じるけれど、拭うことはしない。
 悲しいわけじゃない。…これは、たぶん、嬉しかったから。

「陛下のこと、よろしくね。」
 涙で潤んだ視線の先で、浩大は目を細めて笑った。









 差し出したお茶を美味しいと飲んでくれる彼をそっと眺める。

 浩大は、陛下がずっと待っていたのだと言っていた。
 絶対私の片思いの方が長いと思っていたのに。

 この人は――― 陛下は本当に、私を、そんなに…?

「どうしたの?」
 視線に気づいた陛下が顔を上げてふんわりと笑う。
 途端に心臓がとくんと音を立て、頬に熱が集まった。

 こちらを見つめる紅い瞳の柔らかさ、その奥からも溢れ出るもの。
 いつもこんな風に見ていてくれていたのだと気づいて。

 ああ、私、本当にこの人のことが好きなんだ と思った。

 私はきっとこの人を何度でも好きになる。


「夕鈴?」
「私、陛下のことが好きです。」

 自然と口を付いて出ていた言葉。
 陛下はそれに驚いたように目を見開いて、その後で嬉しそうな笑みを見せた。

 伸ばされる手に自分の手を重ねる。
 そうして引かれた後には、彼の腕に捕らわれていて。


「夕鈴、愛してる。」
 甘く響く声の中、心からの幸せを感じていた。










*











「お茶菓子 もらっちゃった…」
 可愛らしい包みに入ったそれを見つめながら、夕鈴はどうしようかと考える。
 数は少ないけれど、一人で食べるのも味気ない。
「あ、そうだわ。」
 だったら陛下と一緒に食べようと思って、お茶に誘おうと彼の部屋に向かった。







「陛下、いつまでこの状態を続けるつもりですか。」
 李順からの溜め息付きの言葉に黎翔は書類から顔を上げた。
 目の前の側近の予想通りの渋面を見て ニヤリと笑ってみせる。
「特に今までと変わらないだろう?」
「ええ、仲良し夫婦のアピールは十分です。十分すぎて寒いくらいです。」
 政務室にこそ侍らせてはいないが、時間があるときは庭園の散歩に誘うなどして普段通り
 に仲の良さを見せつけていた。
 おかげで今も仲睦まじい王と妃を疑う者はいない。
 しかし、李順の懸念は別の場所にあり、黎翔ももちろんそこには気づいている。
「貴方のご機嫌の良さから察するに、夕鈴殿に何か変なことを吹き込んでいらっしゃるの
 では?」
 記憶がないのを良いことに、自分の都合の良い話をしているのではないかと李順は疑って
 いるらしい。
「心外だな。嘘を言って何の利になる。」

 嘘など言った覚えはない。彼女に伝える言葉はいつも真実だ。
 可愛くて愛しくて、失えば気が狂うほど大切な、たった1人の少女。

「…彼女の記憶がないからと遊ばないでください。」
 言っても聞かない黎翔に、李順はさっきより深い溜め息を零す。
 李順の言い分はいつも同じで変わらない。
「彼女は臨時の花嫁です。いずれは手放すおつもりなのでしょう? でしたら深入りさせる
 べきではありません。」
「手放す、か…」

 そんなことは考えてもいない。考えたくもない。
 だが、もし彼女の方から離れたいと言われてしまったら。
 その時自分は一体どうするのだろう。



「陛下、マズイ。」
 考え込んでいたところに、夕鈴の護衛をしていたはずの浩大が降りてきた。
 その表情は失敗したと言う時と同じ苦い顔だ。
「どうした?」
「…今の話、お妃ちゃんに聞かれた。」
「!?」
 立ち上がると椅子が大きな音を立てて倒れるが、そんなものに気を遣う余裕はない。
 今の李順との会話を彼女にどう解釈されたか、浩大の態度でも十分に分かってしまった。

「夕鈴はどこへ行った!?」
 今すぐ誤解を解かなくては、事態は最悪の方向に向かってしまうことは明白だ。
 詰め寄ると浩大はちらりと外に目線をやる。
「庭園の方に―――」
 浩大が言い終わる前に その脇を抜けた。

 後ろで李順が何かを言っているが、今は聞く気もない。
 夕鈴の元に行くのが一番大事だ。


『もし彼女の方から離れたいと言われてしまったら』
 さっきの 自分への問いの答え。

 ―――私は彼女を………だろう。











「夕鈴!」
 庭園に入り込んだところで陛下に追いつかれてしまった。
 腕を掴まれて振り向かされるけれど、今は彼の顔を見ることができない。
「離して!!」
 離れたくて無茶苦茶に腕を振って暴れる。
 それでも陛下の力には敵わなくて、どうしても離れないそれに苛立ちが増す。
「いや! 私を放っておいて!!」
 とにかく彼から離れたかった。
 頭の中がぐちゃぐちゃで、マトモに考えられなかったから。


『陛下はずっと待ってた。』
 本当だと思いたい。
 浩大が嘘を言ってるようには見えなかった。

『遊ばないでください。』
 でも、こっちの方が普通に考えて、当たり前だと思う。


 私は誰にも認められていない。だから秘密にしていた。

 ―――おかしいと思ってた。
 庶民の私が、陛下の隣になんかいられるはずがない。

 なのに夢を見た。
 好きな人のそばにいられる、そんな甘い夢を。


「貴方も浩大も! あんな嘘で私をからかってたんですね! 騙された私を見てさぞや愉快
 だったでしょう!?」
「夕鈴!」
 涙が次々溢れ出てくる。胸が痛くて痛くて、壊れそうで苦しくて。
 嬉しくて泣いたこともあったけれど、今は悲しいだけだ。

 …悲しいのは、もう好きになってしまった後だからだ。
 こんなことならもっと早く気がつきたかった。そうしたら傷つかずに済んだのに。

「私だって気づいてた……っ なのに、どうして…こんな…ッ!」
「違う!!」
 腕を強い力で引かれた。
 反論しかけた声は声にならずに吸い込まれていく。

「んっ ゃ……ッ」
 それがキスだなんて最初は分からなかった。
 塞がれて、一度離れてまた深く奪われる。

 言葉だけじゃなくて、呼吸も思考も全てを持って行かれそうになった。
 怒りも悲しみも吹き飛んで、次第に何も考えられなくなる。

「…ぁ……」
 膝から力が抜けても解放はされず、落ちかけた身体を腰に手が回され支えられて。
 中途半端に浮いたまま 戸惑いすらも飲み込まれた。



「―――違うんだ。僕と君は本当に恋人だ。」
 ようやく涙が止まった頃に息苦しさからは解放された。
 近くの四阿に移動して長椅子に下ろされた。とはいっても、やっぱり離してはくれなくて
 彼の膝の上にだけれど。

「…誰にも、認められていないのに?」
 そんなのが恋人と呼べるのかと。
 夕鈴の意地悪な質問に 彼は苦しげな表情で眉を寄せた。
「……それは、私の落ち度だ。君の言葉に甘えて、今まで通りで良いと思い込もうとして
 いた。」

(ほら、やっぱり。)
 落胆と諦めがない交ぜになって、表情をくしゃりと歪める。

「証拠なんてないじゃないですか。」
 自分で言いながらまた泣きそうになった。

 夢は夢でしかないと知る。
 昨日までの幸せな光景も、今は遠くにしか感じられない。


「君へと刻んだ痕はもう消えているか…」
 ぽつりと低い声が耳元に届いた。
 長い指先が夕鈴の白い喉元に触れてゆっくり下へ降りていく。
「へ、陛下…ッ?」
 何をされるのかと戸惑い慌てた。
 襟元にかかった人差し指で軽く引かれ、現れた肌に唇を寄せられる。
 かかる吐息がくすぐったくて、続いて生温かいものが触れると背筋がぞくりと泡立った。
「やっ …あ、あとって、なんの…!?」
「―――君の身体の余すところ無く、所有の証を刻んだ痕だ。」
 腰に響く重低音に指の先まで赤く染まった。


「私は、君のことなら何でも知っている。」
 肌から音が伝わる。その度に身体が跳ねる。

「…ッ やめ……っっ!」
 制止の声は言葉にならない。

「弱いところも、敏感なところも、」

 寒くもないのに身体が震える。
 逃げたいのに逃げられない。

「どうすればイイ反応を返してくれるのかも―――」


「―――――ッッ」
 そこまでで、夕鈴の思考がぷつんと切れた。





「……しまった、やりすぎたか。」
 かくりと力が抜けた夕鈴を見てみると、目を回して気を失っていた。
 彼女には刺激が大きすぎたらしい。

「…夕鈴、逃げようとしても無駄だ。」
 今はもう聞こえていない彼女の耳元で囁く。
「私は君を手放さない。」

 ―――手放せない。


「大切にしたい。君を壊したくない。」

 だから、離れようなんて考えないで。




















「ずっとお預けだったんだ。」
 あの時のショックなのか何なのか、目を覚ました夕鈴は記憶を取り戻していた。
 それを知った陛下の第一声がそれで。

「えっと、あの… 陛下……?」
 しかも寝台に乗り上げてくるし、夕鈴が後ずさると追いかけてくるし。
 あっという間に壁側に追い詰められて、顔の両脇に手を付かれて横への退路も断たれた。
「へ、へーか、落ち着い…っ!」
 だらだらと汗を流す夕鈴の前で、彼は取ってもイイ笑顔を見せる。

「覚悟してね。」
「〜〜〜!?」


 ―――その宣言通り、夕鈴は明け方近くまで食べ尽くされてしまった。




2012.12.4. UP



---------------------------------------------------------------------


お題:内緒の恋人設定で、夕鈴記憶喪失。ただし、王宮に来る前の記憶はある。

今回は記憶喪失ネタですねー しかも内緒の恋人設定なので少し複雑に。
勿忘草〜が夕鈴視点で始まったので、今回は陛下視点にしてみたんですけど…
陛下の惚気っぷりに私が仰け反りました。
さらに予想以上の長さになって私が一番ビックリしました。
陛下の愛のだだ漏れ具合がですね… あと、浩大との会話が予想外でした。
本当はなかったんですけど、間にエピソードがないとおかしいよなと思って。
そしたら何故か夕鈴が告白もしちゃったり。
あ、くっつくところの詳しいエピソードは、同カテゴリの『願い』を読まれて下さいませー

弥生様、リクエストありがとうございましたvv
「王宮に来る前の」が生かされないような気がしないでもないのが…
この設定はすぐえろに走りそうになるので気をつけます。
最後のオチもあんなんですが… 申し訳ないです。
苦情その他は随時受付中ですので、遠慮なくお申し付けくださいm(_ _)m
 


BACK