血溜まりの中(2位:シリアス)



 血溜まりの中に佇む背中
 銀の刀身は真っ赤に染まり、昏く鈍い光を放つ。

 賊をたった1人で血の海に沈めた鬼神


 彼の足下にはいくつもの骸
 一面に飛び散るおびただしい血


 視界だけでなく全ての感覚がここは異常だと伝えるのに。

 けれど今、夕鈴の目に他は映っていなかった。
 彼女の世界に映るのは、音が消えた世界で独り佇む王だけ。

 恐ろしくも美しい、獣の瞳の孤高の王

 ―――彼の背中だけだったから。










 それは刹那の出来事だった。











 視界が霞む。
 痛いとかそういう感覚はなくて、ただ全てが倒れて見えた。
 …倒れているのは自分だと分かってもいたけれど。

 さすがにまずいかな と、回らない思考で夕鈴は思う。

 今回のことは全てが想定外だった。
 刺客に攫われるまでは、まあ有り得ることだった。
 だけどその後、盗賊に襲われて二重に攫われるなんて誰が考えただろう。

 さすがにこれじゃ陛下でも見つけられない。
 そう、助けは来ないと分かっていたから足掻いてみた。
 ―――それで手荒に扱われたのだから自業自得と言えばそうだ。



「…おい。」
 胸倉を捕まれて、少しだけ身体が浮く。
「家を教える気になったか?」
「い、え…」
 どうして家を聞かれているんだったか。
 …ああそうだ、貴族のお姫様と間違われて、身代金をふっかけるとか何とか。

 ―――駄目だ、頭が働かない。

「どこだ?」
「……しょう、」


 ガンッ


「何だ!? ッッ」
 一陣の風が吹き込んだと思った直後に、戸口に1番近かった男の身体が崩れ落ちた。
「誰だ!?」と頭領が声を上げた時にはさらに2人。

 折り重なるように倒れ込んだ男達のその向こうに、1人の青年が佇んでいた。



「―――賊に名乗る名など持ち合わせてはいない。」
 氷よりも冷たい声は男達を怯ませるには十分なものだった。
 頭領の手から離れた夕鈴の身体はまた床へと落ちる。

(…あの人の紅い瞳は、あんなに鮮やかだった?)
 ぼやけた視界に、それだけははっきり見えた気がした。


「私は、私のものを奪い返しに来ただけだ。」
 男達は対峙しているのが彼の狼陛下だとは気づいていない。
「…た、たった1人で何ができる!?」
 

(1人で…?)
 男の声が耳に届いて、夕鈴は咄嗟にダメだと思った。
 陛下はここにいてはいけない、ただそれだけを思った。

「ダメ、です… 逃げ、て……」
 上手く話せない、口の中が切れて痛い。たぶんさっきぶたれた時に切ったんだろう。
 でも、そんなことはどうでも良い。
 私のことは構わないで、今すぐここを去って欲しかった。

「夕、鈴…」
 彼の視界に私の姿が映ったのだと思う。
 小さく息を飲む気配がした。


 掴まれて乱れた襟元
 赤く腫れた頬

 夕鈴自身には見えないそれに彼が何を思ったか。夕鈴には分からなかったけれど。



「…彼女を傷つけたのは誰だ?」
 静かな声には今度こそ明確な怒りが滲んでいた。

 靴音を響かせ、彼は数歩中へ進む。
 退路を阻むように男達が動いても気に留めず、部屋の真ん中まで歩を進めた。

「攫った時点で俺達のものだ。どうしようとこっちの勝手だろう。」
 部下達の動きを見ていた頭領が、陛下に答えて嘲笑う。
 それを合図に男達が彼を幾重にも取り囲んだ。


「―――彼女は最初から私だけのものだ。」
 陛下の右手は動かない。けれど、集中していくのが肌で分かる。
 その場に一気に緊張感が走った。

「彼女に触れるな。」
 彼がぴたりと見据えるのは頭領の男。
「それは―――私の女だ。」
「ッ 聞こえねぇな!」
 後ろにいた男が勝機とばかりに剣を振り上げる。

「待て!」
 制止する頭領の声は僅かばかり遅かった。

 声に被さるように一閃、光が走る。

「ぎゃあ!!?」
 男がそれを振り下ろす前に悲鳴を上げ、その場に倒れ込んだ。
 周囲の目の色が変わる。
 数が勝る余裕の表情など完全に消え失せ、剣先が一斉に陛下へと向けられた。


「…5秒待つ。命が惜しい者は出て行け。」
 この時、彼が狼陛下だと男達が知っていれば引いたのだろうか。

「誰がッ!」
 だけど、その場で誰1人として引かなかった。








 引いていれば、引いてくれれば。……けれどもう全てが遅い。







 ―――それは刹那の出来事


 夕鈴が何とか身を起こした時には、もう全てが終わっていた。

 何が起こったのかも分からない。
 止めることも、声を出すこともできなかった。

 夕鈴はただ、魅入られていただけ。



 …そして夕鈴は、それを後に深く後悔することになる。











「へい…か……?」
 ようやく頭が正常に動き出し、掠れた声で血溜まりの中の彼を呼ぶ。

 ゆっくりとふり返り私を見つめるのは、ここを染める色とは全く違う紅。

 目が合うと、冷たかったその紅に僅かばかりの熱が戻る。
 骸を乗り越えて大股で歩いてきた彼は、夕鈴の前まで来ると膝をついた。


「夕鈴――――」
 伸ばされた手が触れる直前で止まる。

 …夕鈴の肩が僅かに揺れたから。


「……痛くない?」
 たくさんの赤を浴びて、それでも彼は優しく笑む。
 夕鈴を安心させるために。
 夕鈴が安心する"彼"の声で。…夕鈴に触れることなく。

「ごめん、なさい…」
 謝罪の言葉を口にした途端に涙が零れる。
 それを隠すように袖で顔を覆った。
「…何か、されたのか?」
 謝るような"何か"を。
 低く問われて違うと首を振った。
「私のせいで、陛下が……」

 鈍い頭でも分かる。彼が私のために"何"をしたのか。
 そこらに転がる骸が動くことは2度とない。

 それでも、聞こえた彼が息を吐く音は、安堵を含むもの。
「―――そんなことか。君が無事ならそれで良い。」
 夕鈴に向けられる声は優しい。

 そっと顔を上げると、その場に不似合いなほどの穏やかな瞳が夕鈴を見つめ 微笑んでい
 た。



「……帰ろう。」
 腕を伸ばされそれを掴む。
 今度は腕が背中に回って、しっかりと抱き上げられた。

「陛下、血が…」
 頬や首にも散る赤色に手を伸ばしたら触れるなと制される。
「―――奴らの血だ。触れると君が汚れる。」
「〜〜〜〜ッ」

 どうして、貴方は "そう"なの……


 泣きたい気持ちをぐっと堪えて、彼の首に腕を回した。
 そして縋り付くように力を込める。

「ごめんなさい……」
「…何故謝る?」

 その問いには答えずに、もう一度心の中で謝罪の言葉を唱えた。







 ―――私のせいで、貴方の心を傷つけた。


 貴方の手を赤く染めたのは私。
 貴方を深く傷つけたのは私。

 なのに貴方は私を責めないの。
 貴方が私に見せるのは優しさだけ。


 それが苦しくて哀しい。

 私のせいなのに、貴方は私に何もさせない。
 許しを請うことすら許さない。


 ごめんなさい。

 貴方を傷つけたのに、謝ることもできないなんて。




2012.1.9. UP



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まずは2位。
シリアス→黒陛下=血、という連想から。
企画なので、一番残酷なシーンは端折りました。雰囲気だけ感じ取って下さい(…)

小ネタのはずが長くなりそうになって、やばいと思って前を削りました。
実はこれでも削ったんです。その分状況説明入れちゃってるのでまた長いですけど…(汗)
「刹那の出来事」で挟んだ中間の部分は最初書いてなくて。
でも書かないと全然状況が分からないよなぁと。陛下がブチ切れる理由とかも。

他にも諸々書いてない部分がありますが、とりあえず雰囲気小説ということで…



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