「李順さん!」
 回廊の先に目的の人物を見つけてとっさに呼び止める。
 彼が立ち止まるのを見て、夕鈴は急いで駆け寄った。


「夕鈴殿、どうされました?」
「あの、後でで良いので、少しお話があるんですけど…」
 このお願いは上司である彼にしか叶えられない。
 まずは約束を取り付けるところから。
 下から伺うように見て、彼からの返事を待つ。
「午後からなら構いませんが。」
 その返事にホッと胸を撫で下ろした。
 ここでダメだと言われてしまっては元も子もない。

「あ、ありがとうござ―――ッ!?」
 お礼を言おうとして、何故か反対方向へ引き寄せられる。
 そしてあっという間に誰かの腕の中。…いや、他にいないけれども。

「夫である私よりも先に側近に話しかけるとはどういう事だ?」
 不機嫌そうに眉を寄せる陛下に至近距離から覗き込まれ、夕鈴は首まで真っ赤になった。

(ぎゃー!? 近すぎます陛下!)
 いきなりのアップは耐えきれないのだ。
 まず、心の準備ができてない。

「へ、陛下! いついらしたんですか!?」
「――――…」
 ぴしりと空気が割れる音。

(あ、あれ? 私今何かまずいこと言った?)


「最初からいたが? …私など目にも入っていなかったのか。」
「え…」
 遠慮なく不機嫌なオーラをまき散らす彼に青くなる。
 どうやら火に油を注いでしまったらしい。

 急いでいたとはいえ、陛下に気づかないなんて 何という失態。
 李順さんより前に大きな壁が立ち塞がってしまった。


「私がいてはできない話か?」
「え、あー…その……」
 ここで"うん"と頷いたらどうなるか。…いろいろと怖い。


 そこで夕鈴は、仕方なく目的の一つを諦めた。










下町お散歩日和(3位:内緒の恋人)
「夕鈴とデートだなんて嬉しいなー」 (やっぱりこうなるわけよね…) にこにこと上機嫌で前を行くメガネの彼を見ながら、夕鈴はこっそり溜め息をつく。 青慎に渡すものがあったから、休暇をもらって実家に行こうと思っていたのだ。 それで、陛下に見つかるとこうなると分かっていたから内緒にしようと思っていたのだけ ど。 見事にバレて、当然のごとく付いてこられてしまった。 さすがに今回は日帰りだけれど。 「てゆーか、デートって何ですか。」 「えー 恋人同士が2人で出かけたらデートでしょう?」 「う…」 笑顔を絶やさないまま言われてしまえば夕鈴に反論の余地はない。 (何でそんなに嬉しそうに言うんだろう…) はっきり言って恥ずかしい。 "恋人同士"という単語も含めて。…だって、事実だし。 事実…ということは、デートというのも当てはまるというわけで。 ……やっぱり恥ずかしい。 「青慎に会って渡したらすぐ帰りますよ?」 早く戻ってくるようにと、李順さんには釘を刺されている。 1人だったらもっとゆっくりできたのだろうけど。一緒にいるのが陛下なのだから仕方な い。 「だったらその後たくさんデートできるね♪」 「しません。」 隣で陛下も言われていたはずなのに、こっちは全く言うことを聞く気がないらしい。 「えー」 そんなに不満そうに言われても、遅くなったら仕事が溜まるし、それで困るのは陛下だ。 「せめてご飯だけでも食べようよ。」 (陛下って、ほんと下町の料理好きよね。) 夕鈴にもたまに作ってと強請るし、初めて休暇をもらった時はすっごく嬉しそうに肉まん とか焼きギョーザとかを次々食べてたし。 普段食べているのが豪華過ぎて重かったり冷めてたりなものばかりだからかもしれないけ れど。 夕鈴にしてみれば贅沢で美味しい物も、小さい頃から食べ慣れている陛下にすれば飽きて しまうものかもしれない。 (次はいつ来れるか分からないし…) 「……じゃあ、お昼ご飯だけ」 「うんっ」 その返事が余りに嬉しそうだったから。 夕鈴もまあ良いかと思ってしまった。 歩き慣れた家までの道のりはあっという間だ。 気がつけばもう我が家は目の前。 その戸口に手をかけ―――たところで、何故か戸口が反対から開いた。 「何だお前か。」 確かに夕鈴は自分の家の戸口を開けたつもりだったのだが。 何故か出迎えたのは、…眼帯をした男。 端から見れば幼馴染、自分からすれば金貸し外道の腐れ縁。 「几鍔!? …って、だからどうしてアンタがうちから出てくるのよ!?」 いっつもいっつも、どうしてこの男は私の前に現れるのか。 というか、私より多く青慎に会ってるなんてムカつくわ。 「細かいことは気にすんな。」 「するわよっ」 「はい、そこまで。」 前のめりに近かった体勢が、後ろから抱きしめられることで引き離された。 驚いて首だけ振り返れば、にこにこ笑顔の小犬な彼。 「あんまり仲良くすると妬いちゃうよ。」 「だからっ 仲良くないですってば!」 心外だと腕の中で暴れてみるけれど彼はびくともしない。 それどころかますます拘束は強くなって、ともすれば外套の中に隠されてしまいそうだっ た。 彼が"妬く"というのは本当のようだけれど、だって相手は几鍔なのに。 どう誤解されたってそれは有り得ないのに。 「…何しに来たんだ?」 几鍔が見るのは夕鈴より上、聞いているのも彼の方にだ。 「何って、お忍びデート?」 「違うッ」 軽い調子で陛下が答えたのを真っ向から否定する。 (てゆーか、これ内緒じゃなかったんですか!?) 「―――ついに隠さなくなったか。」 「特に君にはね。」 けれど夕鈴の否定は聞いてないようで、2人とも頭上で話を進める。 互いに睨み合っているように見えなくもなかった。 …陛下の雰囲気は、いつものようにふんわり穏やかにも見えたんだけど。 「几鍔さん、どうしたんで―――あれ、姉さん?」 「青慎!」 話し声が聞こえたからか、奥からパタパタと足音をさせて弟が顔を出してきた。 今回は手紙で知らせていたわけでもなかったから、青慎は夕鈴がここにいることに驚いて いて。 「……えーと、」 何か聞かれる前に、何故か青慎の視線が気まずそうに僅かに逸れる。 どうしたのかと思ったのだけど、すぐに自分が今どういう状況だったかを思い出した。 ―――陛下から、抱きしめられたままだということを。 「ち、違うのよっ 違うからね!?」 慌てて埋もれてしまいそうだった腕の中から逃げ出す。 陛下は今度はあっさり解放してくれた。 「あの、あのね、これは…」 几鍔も追い越して、青慎の手を取りながら一生懸命弁解の言葉を探し出す。 けれど最初の時から誤解されたままだったのに、どう誤魔化したものだろうか。 「違うとか言われてるぞ。」 「えー 酷いなぁ夕鈴。また僕を弄んだの?」 後ろで几鍔と陛下が並んでごちゃごちゃ言っている。煩い。 「またって何ですか、またって!」 弄んだつもりは毛頭ない。 むしろ振り回しているのは陛下の方でしょうが! 「…父さんには言わないから。」 優しい弟は、いつだって本当に優しい。 「青慎ッ」 ああもうなんて良い子なのと 勢い余ってぎゅっと抱きつく。 そんな夕鈴に、青慎は宥めるように肩を叩いてくれた。 「―――あれは良いのか。」 「可愛い姉弟愛だよね。」 「言っとくが、あいつの頭ん中は8割方青慎だからな。」 「それは手強いなぁ。」 * 「こんにちは。―――貴方が李翔さん?」 食事処の席に1人で座っていると、1人の女性が話しかけてきた。 年は夕鈴と同じくらいだろうか。少しつり目気味の気が強そうな女性だった。 「…君は?」 知らない顔に、警戒心も露わに眉を寄せて問う。 黎翔を"李翔"と呼んだのだから、王宮の関係者とは無縁なのだろうが。 「私は明玉、夕鈴の友人です。」 そんな"李翔"の態度を気にした風でもなく、彼女はあっさりと名を名乗る。 ああ、そういえば、そんな名前を聞いたことがあった。 騙っているわけでもないだろう。彼女がそうするメリットがない。 そこまで考えてから、黎翔はゆっくりと警戒を解いた。 「ところで夕鈴は?」 一緒にいるはずの姿がないことを不思議がって、彼女はきょろきょろと辺りを見渡す。 けれど探してもどこにも夕鈴の姿はない。 何故なら、―――彼女は店の外にいるから。 「弟くんに買いたい物があるんだって。」 何か買い忘れた物があるとかで、先に店に入っていて欲しいと言われたのだ。 そんな遠い店でもないと言っていたから、注文を待っている間には戻ってくるだろう。 「相変わらずブラコンね。」 呆れた風に言いながら、それでも肩を竦める明玉と名乗った女性の表情は優しい。 友人の中でも、特に仲が良いのだろうというのはすぐに分かった。 「ここ、座っても?」 尋ねながら彼女は前の席を指さす。 話があるのは夕鈴にではなく自分の方だったらしい。 断る理由も特にないし、何か夕鈴のことが聞けるかもしれないし。 「どうぞ。」 「ありがとうございます。」 了承を得るとすぐに彼女はそこに座る。 何か頼むかを尋ねると、すぐに帰るから良いと返された。 「貴方に会ったら絶対聞いてみたいことがあったんです。」 どこから切り出されるかと思ったら、意外に彼女は直球できた。 これが下町の気質なのか、単に夕鈴の周りがそういう人達ばっかりなだけか。 「ん?なに?」 いろいろ巡った思いをおくびにも出さずに、黎翔は笑顔で答えて先を促す。 夕鈴の友人が自分に何を聞くのか、そこにとても興味があった。 「夕鈴のどこを気に入ったんですか?」 質問もどこまでも直球。さすが夕鈴の友人だ。 「え、全部」 「うわ、バカップル。」 こちらも迷わずさらっと言ったら、呆れた顔で返された。 「んー… 考え方が全然違うからかな。」 今度は真面目に答えてみる。 さっきのももちろん嘘じゃないんだけど。 彼女が聞きたいのはそういうことではないだろうから。 「彼女の言葉や行動全てが新鮮で面白い。」 「ふぅん。だったら、下町の娘なら誰でも同じじゃないですか?」 そんな風に言いながら、こちらをじっと見つめるのは 試しているような瞳。 表情も口調も軽い。でも瞳だけは違っていたから。 「―――夕鈴じゃなかったらこんなに惹かれなかったよ。」 友達思いのそんな意地悪な質問にも、黎翔は笑顔で返してみせた。 夕鈴だから、側にいてほしいと思った。 人のために怒って泣いて、素直に笑って喜んで。 頼ることも甘えることもなく、それどころか助けたいと心から願うような彼女。 奪われるだけの地位にいる自分に、何かを与えてくれたのは彼女だけだった。 そんな夕鈴だから、全部守りたいと思った。 手放したくないと思ったんだ。 「…夕鈴って可愛いでしょう?」 「うん、そうだね。」 彼女が言うのにあっさり頷く。 一見話題が変わったように見えるけれど、根本は変わってない。 「あんなに真っ直ぐで純粋な子は下町でも珍しいんですよ。」 夕鈴は人を疑うことを知らない。いや、疑おうという気持ちを持たないの正解か。 全てを疑うことから始める自分と正反対に、彼女は信じることから始める。 苦労をしている割に彼女は純粋で、それは下町でも特殊なのだと目の前の友人は言う。 「王宮に行ったら変わるかなって思ったけど、全く変わってなくて。」 そんな夕鈴に安心したという感じだった。 「うん、変えたくなかったから。―――彼女らしさが好きなんだ。」 王宮で生きて行くには彼女らしさは枷になるかもしれなかった。 でも、それでも、彼女らしさが愛しかったから。 「…色恋には疎い子だと思ってたのに、意外すぎる相手だったわ。」 信じられないと彼女は天を仰ぎ見る。 「しかも相手、めちゃくちゃゾッコンじゃない。」 「うん、ありがとう。」 「……それも惚気ですか?」 返答がおかしかったからか、視線を戻した彼女から胡乱な目を向けられた。 「どうかな。」 それに今度はしらばっくれると、彼女からまた「バカップル」と言われて。 否定する気もなかったから笑っておいた。 「…どうして、李翔さんと明玉が?」 小さな包みを持った夕鈴が戻ってきた時には、ちょうど夕鈴の小さい頃の話で盛り上がっ ているところだった。 幼い頃から夕鈴は夕鈴で、やっぱり可愛かったんだなと再認識したところ。 「あ、夕鈴 おかえり〜」 にこにこと笑って手を振ったけれど、彼女はちょっと眉を寄せただけ。 どこか不機嫌そうにしていた。 「…楽しそうですね。」 怒っているようにも見えるし、拗ねているようにも見える。 包みを持つ手に力が入ってカサリと音がした。 「―――だったら、私はもう少し買い物してきま」 背を向けそうになったのを、立ち上がり腕を引いて止める。 ここは絶対止めるところだろうと思った。 「妬いてくれてるの?」 そんなの滅多に見せてくれない。いつも妬くのは自分ばかり。 頬が緩んでしまうのを止められない。 「なっ 誰が…!」 「可愛いな〜」 必死で否定しようとするところなんかもすごく可愛くて愛しい。 その衝動のままにぎゅうと正面から抱きしめた。 「ぎゃあ!」 途端に彼女は叫ぶけれど、腕の中に閉じ込めてしまえば声はもごもごと胸元に吸い込まれ ていく。 離せと暴れるのも押さえ込んでしまえば彼女は逃げられない。 「…本気なのね。」 1人座ったままだった明玉にまたじっと見られる。 今度は返事の代わりに満面の笑みを向けた。 「―――安心しなさいな。」 クスクスと笑って明玉が立ち上がる。 「私達が話してたのはあんたのことよ。たっぷり惚気を聞かせてもらったわ。」 「!? な、何言ったんですか!?」 それを聞いて彼女ががばりと顔を上げる。 あ、キスしたいなとか頬に噛み付きたいなとか思ったけれど、今はちょっとだけ我慢。 「え、いろいろ。」 「ええ、いろいろとね。」 「!?」 2人の言葉に夕鈴は目を白黒させる。その顔は真っ赤だ。 「とにかく夕鈴、初カレなんだから大事にしなさいね。」 「夕鈴を大事にするのは僕だよ。」 「それは失礼しました。」 また惚気られたと明玉は笑う。 最後に「"お邪魔"しました。」と彼女は言って、固まったままの夕鈴に手を振り店を出て 行った。 2012.1.20. UP
--------------------------------------------------------------------- どんどん長くなって自分でどうしようかと思いました。 小ネタじゃなかったんかいと自分にツッコミ入れつつ結局最後まで書いちゃいました。 今回のリクは前半だけだったんですが、以前の感想で「李翔&明玉で夕鈴愛で隊」というのがあったので。 ちょうど良いかと一緒に書いちゃいました。 今回は珍しくエロがない内緒の恋人ですー(笑) 下町なので健全でいきました。代わりに抱擁祭りですが。 普段と変わらないようでいて、ちょこっとずつ違う感じです。恋人前提ですからね。 陛下と兄貴が並んで仲良く掛け合いしてる辺りが好きです。 兄貴的には一時的なものだろうな感じなので、特に何も思ってないようです。 想いが通じて良かったなとも、やりやがったなあの野郎とも言わない。 夕鈴が自分で決めて、泣いてないなら今はそれで良いみたいな。 …って、また兄貴を語っている(汗) てゆーか陛下、このシリーズ「内緒の恋人」なんですけど。 まあ正式タイトルは「明けない夜、覚めない夢」ですが。内緒なのは変わりないわけで。 隠す気ないだろう 絶対。…頑張れ夕鈴。


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