秘書のお仕事(8位:パラレル)



「社長。本日のスケジュール確認です。」
「ああ。」
 部屋に入るなり告げた夕鈴の言葉に、重厚でいて座り心地の良さそうな椅子に座っていた
 彼が椅子ごとふり返る。


 ―――我が社の若き社長、珀黎翔。
 その手腕と容赦なさに、社内だけでなく他社の人々からも"狼陛下"と恐れられているとい
 う。

 鋭利な美貌と他者を従わせてしまう雰囲気。
 濃紺のスーツの着こなしも見事で、その風格には王族のような威厳さえ伺えた。


 対して夕鈴は秘書らしく髪は後ろで纏め、身に纏うのは灰色のスーツ。スカートは膝より
 も少し上、かなり短い。
 …夕鈴としてはもっと長いのが良いのだけれど。
 秘書課のお姉様方が「若いんだから、これぐらい着なさい!」と押し切られて全部こんな
 丈だ。

 …いや、今は仕事中。そんな私情はこの辺りで止めることにする。



「本日は9時より重役会議、定時で終わった場合は開発部の視察が入ります。午後は13
 時と15時に来客、夜は18時半より蒼玉の社長と会食になります。」
 よし、今日も噛まずに言えた。
「分かった。」
 社長が短く答えて、そこで沈黙が落ちる。
 それはいつものこと。

「…あの、社長。」
 そして夕鈴はいつもならここで一礼して下がるのだが、今日はそこに留まった。
 今日こそどうしても聞きたいことがあったのだ。
「ん?」
「……いつも思うんですけど、これって室長…李順さんのお仕事では?」


 夕鈴は入社2年目、今年度の異動で何の間違いか秘書課に配属された。
 当然立場は下っ端で、本来の業務は電話応対のはず…なのだけど。

 何故か毎朝李順さんにこのスケジュールメモを渡され、早く行けとばかりに社長室に放り
 込まれている。
 その表情には渋々といった様子が露骨に表れているのだけれど、もはや定着ともいえるほ
 ど習慣化していた。


「どうして私なんでしょう?」
 さっぱり理由が分からない。
 秘書課には他にもベテランのお姉様方がたくさんいるのに。

「夕鈴に言ってもらった方がやる気出るんだー」
 ころっと態度を変えた彼がそう言ってにっこりと笑った。
「やっぱりこういうのは可愛い子が良いよね−」
「はぁ…そうですか。」
 そんな彼に夕鈴は他にどう言えば良いのか分からず、曖昧に答えるしかない。

 さっきまでの威厳はどこに行ったという感じだが、アレは演技でこっちがこの人の素だ。
 それを知っているのは社内で李順と夕鈴だけ。
 夕鈴の場合は偶然というか事故というか、たまたま知ってしまったのだが。

 …傍に置かれてこんな事をさせられたりするのはそれが原因だというのもあったりする。


「今夜の会食も夕鈴が来るよね?」
「はい。李順さんに言われていたので父と弟の夕飯は温めるだけにしてきました。」
 何故だかこういう外向きの仕事も最近は夕鈴が同伴している。
 お客様にお茶出したりくらいなら分かるのだけど。大事な商談に付いて行っても夕鈴は何
 の役にも立たないのに不思議だ。

「お姉さん達じゃダメなんですか?」
「…ゆーりん、嫌なの?」
 途端に彼は目に見えてしゅんと落ち込んでしまう。
 ぎょっとなって夕鈴は慌てた。

(ああっ 項垂れた耳と尻尾の幻覚がッッ)

「そうではなくて! 私、下っ端なのに良いのかなって!」
 まだ入社2年目だ。特別何かに秀でているわけでもない。
 何故秘書課に入れられたのも分からないくらい、自分は普通だ。
 なのにどうしてと、それはいつも自分の中にある疑問だ。

「―――何か言われたとか?」
「いえ。お姉さん達は可愛がってくれてますけど。」
 僅かにトーンが下がった声に、夕鈴は即答で否定した。

 秘書課のお姉様方には苛められるどころか妹のように可愛がられている。
 スーツの件だって、わざわざ休日に一緒に買いに行ってくれたのだ。
 朝一で送り出されるこの仕事だって、毎朝笑顔で「頑張って」と送り出されている。
 そんな彼女達が何か言うはずもない。

「じゃあ問題ないよね。」
「はあ…そうですね。」

 何だろう… 納得いかないけれど納得しなきゃいけないような、そんな雰囲気だ。
 ひょっとして丸め込まれたんだろうか。

 でも、もうそれ以上の反論はできなかった。







「―――ねぇ、夕鈴。ちょっとこっち来て。」
 彼は笑顔で軽く手招いて、夕鈴を傍に呼ぶ。
「? はい?」
 首を傾げながら寄ると、途端に腕を引かれた。
 バランスを崩してしまった身体は彼の方に倒れ込んでしまった。

「しゃ、社長ッ!」
 なんとか腕を突っ張って、彼の肩を押す。
 それでも足の間に入り込んでしまった身体は、さらに彼に腰を抱かれてしまえば逃げ場が
 なくなってしまった。
「何するんですか!?」
 こういう戯れは今に始まったことではない。
 たまにこうしてからかわれるのだ。
「セクハラです!」
 その度に夕鈴もそう叫ぶ。…全く効果はないのだけど。

「…だって、君の格好が誘うから。」
「は!?」
 夕鈴を見上げる瞳が光ったように見えたのは気のせいだろうか。

「こんなに惜しげもなく白い足を見せて、喉元を開いて美味しそうな肌晒して… 誘惑して
 いるつもりか?」
「こ、これはお姉さん達が…!」
 誘惑しているつもりは断じてない。全くもって身に覚えがない。
 そんなつもりは全くないと、ぶんぶんと首を振る。
「―――私は十分誘惑されているが?」
「勝手に誘惑されないで下さい!」

 てゆーか、いい加減に腰に回るその手を離して欲しい。
 外そうと試みるけれどやっぱり今日もぴくりとも動かなかった。

「仕方ない。君の全てが私を誘うのだから。」
「だから…ッ」
「ただ… 髪は下ろした方が好きだな。」
 項を掠めた手に髪留めを外され、あっさり解けた髪が腰まで落ちる。
 長いそれを彼は指でゆっくり梳いて、一房を指に絡め取った。

「……これでは秘書らしくありません。」
 李順さんにもなんてお小言言われるか。
 秘書は人目に触れる仕事、ある意味会社の顔。身だしなみを整えるのは基本だ。

「見せるのは私の前だけで良い。」
 指に絡めた髪に口付け、そのまま上目遣いに見つめられる。


 低くて、甘くて、響く声。
 その色と同じように熱く感じる瞳。

 心臓が、痛いほど大きな音を鳴らす。


 互いに黙って見つめ合い、少しずつ距離が縮まっていく。
 彼の瞳に自分の姿が映るほど。でも目は逸らせない。

 2人の距離がゼロに近づいて――――



 ピリリリリリッ


「「!!」」
 突然脇の内線が鳴り響き、ビックリした夕鈴は反射的に彼から距離を取った。
 …腰を抱かれたままだったから、完全に離れることはできなかったけれど。

 一方彼は不機嫌そうに鳴り止まないそれを睨みつけ、しばらくして渋々受話器を取る。

「―――何だ?」
【営業部から会議前にお話があるとのことですが。】
 漏れ聞こえる声は秘書課のお姉様方の1人だ。
 彼女の言葉に1度眉を寄せ、彼は小さく溜め息をついた。
「…5分待たせろ。」

 それだけ言って電話を切ると、彼はようやく夕鈴を解放する。
 そうして夕鈴を見上げるその瞳はどこか複雑な色を含んでいた。


「……夕鈴、お茶を淹れてきて。」
「あ、はい。じゃあ李順さんも呼びますね。」
 半ば呆然としていた夕鈴も、そこで意識を入れ替える。

 今は仕事中だ。忘れてはいけない。

「絶対夕鈴が淹れてね。」
「へ? はい。分かりました。」
 そこで念を押される理由も分からないけれど、元々そのつもりだったので頷いた。
 お茶汲みだって新人の大切な仕事だ。
「夕鈴は淹れてくれるお茶が1番好きなんだー」
「ありがとうございます。」
 褒められるのは単純に嬉しい。
 にこにこ顔の彼にお礼を言えば、彼はますます笑みを深めた。






(…でも、さっきのは何だったのかしら?)
 秘書室に戻りながら、夕鈴は自分の胸にそっと手を当てる。


 雰囲気に呑まれて何かしてしまいそうな感じだった。
 今はもう、分からないけれど。




 ―――心の奥に宿る甘く苦い熱を、私はまだ知らない。




2012.1.17. UP



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社長と秘書の恋、なんてハーレクイン!(笑)
始まってもいませんけどこの人達(死)

秘書って響きがえろいよね!という話になったので、ぎりぎりで入れてみました。
えろというか甘ですが。
このパラレルの場合、原作ほど身分差とかないのでわりと壁は低そうです。

オフィス外編というのもありましたが、あまりの長さにそっちはお蔵入り〜
私好みのナイスミドルが出来上がってしまいました(笑)
兄貴を出したかっただけだったんですけどね。
まあ、黎夕ならこれだけで十分でしょう〜と思って。





・おまけの秘書室・

「社長は夕鈴が1番お気に入りよねー」
 お姉様方に囲まれて、今日もおやつタイムが始まる。
 室長は社長と打ち合わせ中なのでここにはいなかった。
「接客の時はいつも呼ばれるしね。」
「それ以外でも。この前の食事にも同席したでしょ。」
「わ、私は好きで呼ばれているわけでは…」
「贅沢者ね。」
 そんな風に言われて額をつつかれる。
 普通はそうなのかもしれない。でも夕鈴はちょっと違った。

「だ、だって、気後れしちゃうんですよ! 高級料亭の作法なんて知りません!!」
 途端に3人ともきょとんとして夕鈴を見つめる。
「な、何でしょう…?」
 私 今、何か変なことを言いましたか?

「…可愛いわねぇ。」
 お姉様方の1人にぎゅっと抱きしめられ頭を撫でられる。
 それを見守る他の2人も似たような顔。

 可愛い可愛い妹みたいな夕鈴に、お姉様方の愛は惜しみない。



可愛がられてるというか愛されてます。お姉様方は3人ほどいらっしゃるようです。
陛下のセクハラは…知らないかな?知ってたら全力で引き離しそう(笑)
たとえ狼陛下でもその辺容赦なさそうな方々です。



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