狼陛下の婚約者 (後)




 夕鈴からすれば、可愛い友達ができた程度のこと。
 けれど、彼女が高等部にいるということはそれだけでは済まなかった。



「また来てるわ。」
「…ほら、氾家の。」
「―――ホント厚かましいわね。」

 それは以前から時折耳に入ってきていた。

 …他の婚約者候補達からの、数々の悪意ある言葉。

 彼女が高等部に来ると夕鈴と会う確率も高いので、その度に話していたのだけど。
 その声はわざと聞かせるような大きさで聞こえてきた。

 ふり返っても誰とも視線は合わなくて、その度にもやもやしてしまって。
 その声が彼女に聞こえていないことだけを祈っていた。















「弁えなさい。」
 突然女性の甲高い声が聞こえてきて、なんだろうと夕鈴は3階への階段を上った。
 本当は2階の生徒会室に行く気だったのだけれど、どうにも放っておけなかったのだ。

「私、そんなつもりじゃ…」
 驚いたことに、それに答えた声は紅珠だった。
 上ってみると彼女の細い後ろ姿が見える。
 もっと予想外だったのは、その彼女の周りを何人もの女性が囲んでいたこと。


「恋人から取り入って、あわよくばお近づきになろうと考えたのでしょう?」
「狡猾な氾家がやりそうな事だわ。」
「違…ッ ですから、私はただ兄に会いに…」
 冷たい攻撃にすぐに紅珠は反論する。ただ、声は震えていた。

 ―――彼女は嘘など言っていない。だってそのことは夕鈴も知っていたから。
 彼女がよく高等部に来るのは1番上の兄に会うため。
 学校を休みがちな兄の様子を見にと、優しい彼女は目立つのを承知で来ていた。


「それこそ口実でしょう?」
「違います…!」
 紅珠の声は今にも泣きそうだった。
 腹の底から怒りが沸く。

 …どうやらこれが例の婚約者候補達らしい。
 派手で高慢そうで、いかにも会長が嫌いそうな人種だ。
 溜め息をついて、彼女達と紅珠の間に割り込んだ。




「―――そのくらいにしてはいかがですか?」
「夕鈴様っ」
 紅珠の言葉に彼女達の顔色が変わる。
 "狼陛下の恋人"の名前は彼女達も当然知っているらしい。
「年下相手に寄ってたかって… 恥ずかしくないんですか?」
 大人気ないと呆れると、彼女達の顔が今度は真っ赤になった。
 その中の1人が後ろの紅珠を指さす。
「な、なによっ 貴女この娘に踏み台にされてるのよ? 何とも思わないの!?」

 とんだ言いがかりだと思った。
 こんないい子をつかまえて、踏み台だとかなんだとか。

「…紅珠がそんなことするわけないじゃないですか。何でも自分達の物差しで見るのは止
 めてください。」
 怒りのままに相手を睨みつける。
 その反抗的な態度が、彼女達には癪に障ったらしかった。

「生意気…っ」
 ドンと突き飛ばされる。
「…きゃっ!?」
「ッ!!」
 後ろにいた紅珠ごと、ぐらりと身体が傾いた。

 後ろにあるのは―――階段だ。


(ヤバ…っ 紅珠だけでも…!)

 とっさに彼女の手を引いて、互いの体を入れ替える。
 そのおかげで紅珠は上に残され、夕鈴だけが階段に投げ出された。


「夕鈴様!」
 紅珠の悲痛な叫びが聞こえる。
 夕鈴も衝撃を覚悟して目を瞑った。


「っっ」
 けれど、夕鈴の身体はふわりと何かに抱きとめられる。
 それは決して踊り場の床などではなくて、痛みも全くなかった。

「……?」
 おそるおそる目を開けると、すぐ傍に見知った顔があって驚く。
「会長…!?」
 どうしてここに!?と聞こうとしたが、それは彼の冷たい空気のせいで叶わなかった。
 しっかりと夕鈴を抱きしめた彼は、階段の上へと鋭い視線を向ける。
「氾紅珠! これはどういうことだ!?」
「ッ」
 元々青い顔をしていた彼女の肩が恐怖にびくりと震えた。

 狼陛下に睨まれて平気でいられる人なんかいない。
 今にも泣きそうな彼女を見て、誤解を解かなくてはと体を逸らして彼と対峙した。

「違います! 紅珠じゃありません!!」
 叫んでから夕鈴も階段上に視線を巡らせる。
 彼女達の姿は消えていた。
「紅珠、さっきの人達は?」
「あ、あちらに…」
 紅珠が震えながら奥を指さす。
 ここまでしておいて逃げるなんて許せない。

「会長っ 下ろしてください! 追いかけますから!!」
 腕の中でじたばたと暴れる夕鈴をものともせず、彼はくるりと背を向ける。
「…その必要はない。顔は覚えているな?」
「え? はい。」
「ならば追いかけなくてもすぐに分かる。」
 彼が向かうのはどうやら生徒会室らしい。
 階段を下りながら、彼は視線だけを段上へと向けた。

「氾紅珠。お前も一緒に来い。…夕鈴がこんな目に遭わされた理由を説明してもらう。」



















「…どうして夕鈴が間に入るんだ。」
 不機嫌そうに彼は顔を顰める。
 紅珠を背に庇ってすべての質問に答えているのは夕鈴だ。
「会長が彼女を睨むからです。」

 制服とタイの色から高等部の3年女子というのは分かっていたので、該当する写真を机上
 に並べて確認していた。
 その間に彼は紅珠に事情の説明を求めたが、それに答えたのも夕鈴だった。

「あとは―――この人と、この人。紅珠、これで全員よね?」
「…はい。」
 夕鈴の腕をぎゅっと握っているその行為に夕鈴はまたきゅんとくる。


(私が男だったら絶対彼女にしたわ…)
 こんな可愛い子に頼られて、ぐらりとこない男がいたら見てみたい。

「彼女達にはキッツイお灸を据えておくから。もう大丈夫よ。」
 …まあ、据えるのは会長だけど。
 内心は押し隠してにこりと笑うと、震えていた彼女がやっと顔を上げた。

「…お姉様。」

「……へ?」
 夕鈴を見つめる彼女は可愛らしく頬を赤らめ、目はキラキラしている。
 それは恋する乙女のごとく。…けれどその視線の先にいるのは他の誰でもなく夕鈴だ。


「…懐かれたな、夕鈴。」
 隣からは呆れ混じりの溜息が聞こえた。

「ええ!?」

 私には弟だけだったはずが、どうやら義妹ができた…らしい。





2011.4.4. UP (2012.2.10.修正)



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最初考えていたのが長くなりそうだったので止め、2つ目は気に入らなくて全消し。
意外に難産でした。…というか、ネタがありすぎて困るというか。
全部書くとさらに長くなる予感がしたので真ん中端折りました。(それでも長いけど)
紅珠可愛いです。夕鈴じゃなくてもきゅんとしますvv
そのあまりの可愛さに、想いを自覚する機会を逃しました〜 陛下残念ッ(笑)

2/10追記)
エピソード追加したら青慎が登場しました。
婚約者候補達とのバトルの辺りもちょっと修正追加しました〜



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