狼陛下の崇拝者




「夕鈴はお茶を淹れるのが上手だよね。」
 食後に差し出されたお茶を一口飲んで、彼はホッと息を吐く。
「ここの茶葉が良いんですよ。うちのじゃこんなに良い色は出ませんし。」
「でも他の人が淹れてもこんな美味しくはならないよ。やっぱり夕鈴が上手なんだよ。」
「そうですか? ありがとうございます。」

 数少ない特技を褒められるのは嬉しい。
 そして、彼がこんな風に寛いでくれていることも。

 他に誰もいないこの時間だけが、彼が演技無しでいられる場所だから。
 私はその時間を守りたいと思う。


「おかわりはいかがですか?」
「そうだね――――」
 夕鈴の申し出に答えようとして、突然会長の目が鋭くなる。
 その視線は扉の向こうへ投げられ、同時にノックの音がした。

「よろしいですか?」

 聞いたことがある声だ。でも李順さんじゃない。
 少しだけ疲れたように息を吐いて、会長は椅子に座り直した。

「―――入れ。」


「失礼します。」
 間を置かず扉を開けて入ってきたその男性の手には分厚い紙の束。
 タイの色から2年生だと分かる。でもそれ以上は分からない。

「予算案の修正を持ってきました。」
 大きなクリップで留められたそれを手渡されて、会長は外向きの表情で苦笑った。
「仕事熱心だな、方淵。放課後でも構わなかったのだが。」
「皆が来る前に目を通してくださればと思いまして。」
 真面目な性格なのだろう。彼は表情も変えずに淡々と述べる。
 会長もそれは分かっているのか、それ以上は何も言わなかった。
「分かった。後で李順と一緒に見ておく。」
「お願いします。」
 頭を下げて、彼は用が済んだと部屋を出て行こうとする。

 その間際に夕鈴と目が合い、じろりと睨むと挨拶もなく出て行った。


(何なの今の…!)
 睨まれた方の夕鈴は当然あまり良い気分ではない。

 …いや、私の方が年下だからそれでも良いんだけど。
 声をかけようとした私のこの中途半端な手はどうすれば良いのよ。


「あの人誰ですか? 今思いっきり睨まれたんですけど…」
「ああ、彼は会計の柳方淵。次期会長、つまり僕の後継者だね。」
 彼の足音が遠ざかってすぐ小犬に戻った会長は少し困った顔をしていた。
「誰に対してもあんな感じだから気にしなくて良いよ。…優秀だが真面目すぎるんだ。」

 見た目通りの性格なのだと教えられて、その場はそれで終わった。














 ―――気にするなとは言われたけれど。

(こうも毎回睨まれたら気にするなってことの方が無理よ…)

 後継者というのは本当らしく、会長の傍にいると遭遇する確率が高い。
 その度に睨まれるので、こちらも睨み返すことにはしていた。
 売られた喧嘩は買う主義だ。




 その日も夕鈴は自分の弁当を入れたバッグを持って生徒会室に向かっていた。
 そうしたら運悪くあの男が反対からやって来て、目を合わせざるを得なくなってしまった
 のだ。

 立ち止まるとろくな目に遭わない気がしたので黙って脇を通り過ぎる。

「…どこへ行く気だ?」
「……」
 その背中に声をかけられ、仕方なく夕鈴は足を止めた。
 無視するという手もあったが、それはそれで後がめんどくさいと思ったのだ。
 というか、いちいち癇に障る言い方をする人だ。
「他にどこがあるというのです?」
 この先にあるのは1つしかなく、毎日一緒だというのはこの男だって知っているはず。
 すると相手は元々不機嫌そうに寄せられていた眉をさらに寄せて、じっと夕鈴を睨んでき
 た。
「会長の迷惑になるようなことは慎んだ方が良い。」

 ブツッ

 今までのことも相まって、我慢の糸はあっさり切れた。
「誰がいつ、会長の迷惑になるようなことをしたのよ!?」

 むしろ反対に少しでもリラックスしてもらおうと努力している。
 偽物の恋人らしく、必要以上は近づかず秘密も守って。

「貴重な昼休みに押しかけているだろう。」
 けれど彼からの認識はそんなものだった。
 その言葉はどうしたって納得いかない。
「あれは会長に誘われたからよ!」

 婚約者候補達と一緒にしないでもらいたい。
 彼の負担になるようなことはしていないと断言できる。

 というか、何でこの人にそんなことを言われなくてはならないんだろう。
 何も知らないくせに!

「私の恋人はあの人よ! 私はあの人の声しか聞かないし、何も知らない貴方にとやかく言
 われる筋合いはないわ!!」



「―――ずいぶんと熱い告白だな。」
 涼やかな声と共に夕鈴は彼の腕に囲われた。
 こんなことができるのは――― この学校に1人しかいない。
「ッ会長!?」

(今の、思いっきり聞かれた!!)
 途端夕鈴は真っ赤になる。
 今自分が何を言ったのか、遅れて理解した。

「そういうことは2人きりの時に私に言ってもらいたいものだ。」
「な、何を言って…ッ」
 相手は演技中、それは分かっているのだけど。
 うろたえる私を見て、会長は内心で笑っているんだろうなと思う。


「…方淵。」
 すっと冷えた声に方淵の背筋が伸びた。
「はい…」
「私は心が狭いんだ… 特に夕鈴に関しては。」
 大きな手が夕鈴の視界を覆う。
「彼女の瞳に映るのは私だけで良い。喜びも悲しみも怒りも全て私のものだ。」
 恥ずかしげもなく言われて夕鈴の方が居たたまれない。
 どこでこういうセリフを覚えてくるんだろう この人は。
「―――これはお前にも渡さん。」

 声もなく足音は遠ざかる。
 会長が手を離したときにはもう方淵の姿は消えていた。




「…これでしばらくは大人しいかな?」
 小さく笑って耳元で囁く彼はとても楽しそうだ。
 こっちは恥ずかしくて仕方がないというのに。
「ゆーりん?」
 お昼食べに行こうよと誘う様子はすっかり小犬。
 この切り替えには今だ付いていけない。

「さっきの告白、とっても嬉しかったよ。」
 にこにこと笑顔で言われる。
 思い出してまた顔から湯気が出るほど赤くなった。
「もう言いませんっ」
「えー」

 そんな残念そうに言ったってダメですからねっ
 あんな恥ずかしいセリフ、勢いでだって2度と言わないわよ!!




2011.4.5. UP (2012.2.10.修正)



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2人の口喧嘩は止まりそうにないので陛下に登場していただきました。
このシリーズでは陛下を会長と呼ばせているので違和感がありますね(笑)
つか陛下、恥ずかしいですよ。セリフが。
方淵相手にもこれくらい言っても良いんじゃないかなーと思って。



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