狼陛下の危機




「なんかうさんくせーんだよな。」
 几鍔からそんな言葉が飛び出したのは、お弁当を渡す時のこと。

 ―――最近おばさんの仕事が忙しくなったらしくて、几鍔の分のお弁当も頼まれたのだ。
 自分と父親と青慎と…今は会長の分も作っているし、今更1人増えたところであまり変わ
 らないから引き受けた。
 …会長はそれにあまりいい顔はしないんだけど。事情が事情だから仕方がない。

「って、何が?」
 お弁当とは何も関係なさそうな言葉に首を傾げると、几鍔は眉を寄せて隣のクラスを顎で
 指す。
「お前とアイツ。そもそもどうやったらお前らが付き合うことになるんだ?」
「そ、それは…」
 咄嗟に何も言えず、夕鈴は思わず口ごもってしまった。


 だって私は仮の恋人だし、はっきり言えることは何もない。
 しかも、几鍔を納得させるような理由だなんて……



「―――私が惚れ抜いて口説き落とした。」

「ッ会長!?」
 その声にふり返る前に、肩を抱かれて引き寄せられる。
 突然のことにあたふたしてしまうけれど、それは自然な動作で押さえ込まれてしまった。

「…そういえば前に言ってたな。」
 こちらを見る几鍔は苦い顔。
 対する会長は演技用の甘い笑顔を夕鈴に向ける。

「これは私の我が儘だ。…一目で恋に落ち、知るほどに溺れていく。もう手放せない。」
「……」

(は、恥ずかしい…!)
 見れば几鍔の顔が微妙というか、呆れ混じりの変な顔になっていた。

(居たたまれない……!!)
 目眩がしそうな程に熱くて、顔は絶対真っ赤だ。
 この腕の中から逃げ出したいのを我慢しているのに精一杯で、我慢しすぎて涙目になって
 しまっていて。


「……お前さ、」
「な、何っ?」
 そんな中で突然言われて、声がちょっと裏返ってしまった。
「何で会長って呼ぶんだ?」

(……ひょっとして話題を変えてくれたのかしら?)
 几鍔のどこか気まずそうな表情にちらりと思う。
 …というか、これは哀れみにも近い気がするけど。

「え、だって会長は会長だし…」
「お前ら恋人じゃねーのかよ。それなりの呼び方ってもんがあるだろうが。」
 よく考えれば几鍔の疑問ももっともだ。
 会長も何も言わないから気がつかなかったけれど。
 そっと見上げると、すぐ近くに会長の顔。

 彼は夕鈴を大切にする演技がとても上手い。
 …時に心臓が痛くなる程。勘違いしてしまいそうになる程。

 でも、それは彼の秘密を守るため。
 ならば、夕鈴もそれに応えるべきだろう。

(―――恋人、なら…)
 ん?と見つめ返してくる彼の瞳を見て、ゴクンと唾を飲み込む。

 大丈夫。演技だもの、できるはず。


「え……と、れ…黎翔、さま?」
「――――」
 ぴたりと彼が止まった気がした。
 それから何故かひどく遅れて、でもはっきり自分の声が耳にも届いて、、

 ボムッ

 ―――限界はすぐに来た。

「む、無理! 恥ずかしすぎる!!」
 再び顔を真っ赤にしてぶんぶんと首を振る。
 言って思った。これは自分の心臓に悪すぎる。

 名前を呼んだだけなのに。
 違う。…几鍔や他の誰かを呼ぶ時とは、全然違う。


「分かった… 俺が悪かった。」
 几鍔に謝られるなんて、私は一体どんな顔をしているのか。
 今すぐここから走り去りたい衝動に駆られながら、でもそれはできなくて。

「―――焦らなくて良い。私はいつまでも待つから。」
 長い指が顎を捕らえて彼の方を向かされる。
「気にしなくて良い。その純粋ささえ、私は愛しいのだから。」

「〜〜〜!!?」
 甘い甘い言葉と表情に、ドカンと頭から湯気が飛び出したのは言うまでもない。




























「―――おい、」
 後ろにいた子分を呼べば「はい」とすぐに返事が返ってくる。
 何かと聞かれたその答えに、几鍔は目で昼食に向かう2人を指した。

「あいつら、ちょっと見とけ。」


(…騙されてんなら厄介だ。)






























 その視線にはすぐに気づいた。
 夕鈴と2人でいると感じる視線。ものすごく分かりやすい。

(…疑われたかな。)
 それが誰の指示かもすぐに分かった。

 他はともかく彼は夕鈴のことをよく知っている。
 今まで接点もなかった男といきなり付き合いだしたら疑問にも思うだろう。


(ちょうど良い。利用させてもらおう―――)



「――――夕鈴。」
 前触れなく隣を歩く腰を引き寄せて腕の中に閉じ込める。
 …ちなみにここは廊下の真ん中だ。
「ッッか、かいちょ」
「…見られてる。」
 反射的に暴れだそうとした彼女に耳元で囁くと、途端に大人しくなった。

 今の言葉だけで彼女は状況を察してくれたようだ。本当に真面目で良い子だと思う。
 …そしてその優しさに付け込む自分は、彼に知られたら即座に排除対象にされて引き離さ
 れてしまうだろうか。

(…それでも手放す気はないが。)
 彼に言った言葉は真実だ。…演技に隠れた真実に彼女は気づかないけれど。


「ちょうど良いからアピールしとこう。」
「…?」
 視線には気づかないふりで角に彼女を引っ張り込む。
 そこは階段下の死角、見えなくなった自分達を追いかけてくるのを見越して彼女を壁に押
 しつけた。

「… かい、」
 声を上げようとした彼女を人差し指で唇に触れて黙らせる。
「大丈夫だから、言う通りにしてね。」
 赤く色付く耳に唇を寄せて囁くと、彼女は小さく頷いて背中に手を回してきた。
「――――…」
 少しだけ震える指先で上着をきゅっと握られて、その可愛らしさに頬が緩んでしまう。
 彼女は目を瞑っていたから、それを見られることはなかったけれど。

 本当は瞳を見ていたいけれど、恥ずかしがり屋の彼女にそれは難しいから。
 その代わり、ギリギリまで近づいて彼女に覆い被さった。



「ッ!」
 急ぎ足で近づいた音が止まって、躊躇うような気配がして。
 黎翔はわざとゆっくりと顔を上げてそちらを見る。

 タイの色は1年、間違いなく"彼"の周りにいる子分の1人だった。


「―――何だ?」
 邪魔をするなと言わんばかりに睨みつけると、相手は怯んで1歩下がる。
 腕に隠れて彼女の顔は男には見えない。

 …彼に見えるのは、キスの後でもあるかのような 甘さが残る雰囲気。
 そして、それを邪魔されて不機嫌な狼陛下だ。


「す、すみません!!」
 顔を真っ赤にして、彼はそこから走り去った。















「俺には耐えられないッス!」
 次々に目に入る甘過ぎる雰囲気に、子分が涙目で几鍔に訴えたのは僅か半日後のこと。




2012.2.3. UP (2012.2.11.修正)



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前半夕鈴、中に几鍔を挟んで、後半を陛下視点で。

てか、危機でも何でもないという(笑) むしろ危機なのは夕鈴の方。←
彼がギブアップするまで、会長はいろんな場所でいちゃいちゃ演技をしていたと見える。
会長はとっても楽しんでいます。頑張れ夕鈴。

というか、この学校の風紀はどうなってんでしょうかね。
会長自らふじゅんいせいこうゆうですよ!(笑)



・オマケ・
「つ、疲れた…」
「ご苦労様 ゆーりん。」
 ぱっと離れてにこにこと小犬の笑顔を浮かべる。
 そうすると彼女はホッと力を抜いた。
「もういないから大丈夫だよ。」

「ところで、一体何だったんですか?」
「んー どうやら疑われたみたいだ。」
「え!?」
 目を丸くする彼女に、黎翔は大丈夫だとにこりと笑う。
「でももう来ないと思う。―――思いっきりいちゃついたからね♪」
「ッッ」

 彼女が真っ赤になるのを知っていて、わざと言っている自分は本当に意地悪だと思った。



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