狼陛下とお返しの日 -放課後編-




「お姉様、今日はどちらのお店に行かれますの?」
 教室まで迎えに来てくれた紅珠と一緒に校門まで帰るのも日課。
 興味を持って聞かれたそれに、夕鈴は困って首を傾げる。
「それが私もよく分からなくて…」

 今日のことは全部彼に任せていた。
 バレンタインのお返しだったし、「楽しみにしててね!」と言われていたから。
 だから本当に何も聞いてなくて。

「期待はしてて良いんだろうけど―――」


「―――夕鈴。」
「!」
 どんなに騒がしい場所でも、夕鈴の耳は彼の声をとらえる。
 自分を呼ぶそれにぱっと顔を上げて、校門前に立つ人物に駆け寄った。

「黎翔さまっ」
 夕鈴が呼べば、彼はにこりと微笑んでくれる。
 それが嬉しくて夕鈴も笑み返した。

 お昼にも会ったはずなのに、どうしてこんなに胸が高鳴るのかしら。
 いつ会ってもいつ見ても、この人にときめいてしまう。



「…本当にお迎えに来られたのですね。」
 後ろから鈴のような可愛らしい声がかけられるが、途端に辺りの空気が冷たくなった。

「―――やはりいたな。」
「虫除けですから。」
 笑顔の紅珠を彼は苦々しく睨む。
 ワケが分かっていない夕鈴を間に挟んで、2人は静かな火花を散らしていた。


「…ですが、今日はお姉様のためですもの。お邪魔はいたしませんわ。」
 珍しく紅珠はあっさりとその場を引く。
 そうして夕鈴の方へと本物の微笑みを向けた。

「お姉様、今日はクッキーをありがとうございました。」
 それに黎翔がぴくりと反応したが夕鈴は気づかず、紅珠はあえて無視する。

「どういたしまして。って、私ももらってしまったけど。」
 2人の会話の一言ごとに空気の温度が下がり、周りから人が引いて行く。
「明日はカフェテリアで食べましょうね。」
 それでも紅珠は構わず話を続けた。

 だって、わざとなのだから。
 分かっていて、相手に追い打ちをかける。
 今日は引いてやるのだから、これくらいの意趣返しはさせてもらいたい。

「ええ。新作のガトーショコラよね。」
「はいっ」
 夕鈴的にはいつもの会話だ。可愛い紅珠と明日の約束。
 その会話の本当の意味に気づいているのは本人と、その敵意を向けられている彼のみ。



「――――――」
 誰の目にも明らかな程にまで黎翔の機嫌は急降下。
 それに気づいた夕鈴がふり返って彼の顔を覗き込んできた。
「黎翔さま?」

 …夕鈴は躊躇いなく自分の傍に来てくれる。誰よりも優先してくれる。
 単純だが、それだけで幾分機嫌は持ち直った。

 それに今日はホワイトデー、彼女のためのデートだ。
 自分の気持ちで彼女を心配させてはいけない。


「―――行こう。」
 紳士らしく手を差し出して彼女を車へと促す。
 絶対零度の空気は完全に消して、彼女専用の笑顔を向けた。
「…は、はいっ」
 エスコートにまだあまり慣れていない彼女は、ちょっとだけ身を縮こまらせながら中へ乗
 り込む。

 行ってらっしゃいませと紅珠が手を振って、他の生徒も見ている中で車は今日の目的地へ
 と進み出した。










 車内は2人で座っても十分な広さなのだが、離れるのは嫌だから腰を抱いて自分の横に引
 き寄せる。
 最近ようやくそれに抵抗を示されなくなったのは努力の成果だ。
 …慣れるのは、まだ時間がかかりそうだけど。

「…あの、」
「ん?」
 恥ずかしさは隠せないようで、顔を真っ赤にしている姿は可愛い。
 そんな風に思いながら彼女に言葉の続きを促す。

「私 制服なんですけど……」
 校門でそのまま連れ去ったから当然だ。
 対して黎翔は私服。彼女が何を言いたいのか分かる。
 一度彼女の家に寄って…という方法もあるが、今日は別の方法をとることにしていた。
「大丈夫。任せといて。」
「?」
 笑顔で言うと、当然意味が分からない彼女は首を傾げていた。

















*

















「珀様、お待ちしておりました。」
 彼に連れられて高級そうなブティックに入ると、笑顔で女性店員が出迎えてくれた。
 スーツの着こなしも見事な妙齢の美女にぽぅっと夕鈴は見惚れてしまう。

 ―――そしてその店員さんもだけど、店の中もどぎまぎしてしまうような空間だった。

 広い店内は鮮やかな色彩が埋め尽くすのに、不思議と煩い感じはしない。
 上品で精錬。まるで前に立つ女性のようだと思う。


「彼女だ。後は頼む。」
 慣れた様子でその出迎えを受けて、彼はその女性の前に夕鈴を押し出す。
「かしこまりました。」
 笑顔のままで頷いて、彼女は夕鈴の手を引いた。
「こちらへどうぞ。」
「へっ?」
 戸惑いながら後ろを向くと、彼は行ってらっしゃいの合図。
「え、ええ??」

 事情を飲み込めないまま、夕鈴は女性に奥に連れて行かれた。










「……えーと、」
 奥で美女に楽しそうに遊ばれて、ようやく戻ってこれたのはずいぶん経ってから。
 彼は店内のソファにゆったりと腰掛け、夕鈴を待っていたようだった。

「黎翔、さま?」
 そっと声をかけると気づいたように彼がふり返る。
 そして、夕鈴の姿を見ると満足そうに微笑んだ。


 夕鈴が着せられたのはピンクのふわふわのワンピース。
 合わせた靴はヒールが低めの白。

 緩やかに巻いた髪には蝶をかたどった髪飾りを付けられている。
 ついでにとばかりに薄く化粧までされてしまった。

 紅珠の誕生日の時もドレスは着たけど。
 自分が自分じゃないみたいで、やっぱりちょっと戸惑う。


「最初に見たときから夕鈴に似合うと思ってたんだ。」
 立ち上がった彼を見て、あれ と気がつく。

 彼もさっきの服とは違っていて、黒のシャツに紺のスラックス、合わせ色のジャケットを
 着こなしていた。
 それが似合いすぎて、見惚れてしまったのは仕方ないと思う。

 夕鈴が固まっている間に、彼の方がこちらに来てくれた。


「可愛い。」
「っ!?」
 下ろした髪を指に絡めて、彼はそんなセリフをさらりと吐く。
 さらに絡めた髪に口付けて、赤い瞳を至近距離で覗かせた。
「気に入ってくれた?」
 声はいつもの彼なのに、その瞳は狼陛下そのもの。
 それに心臓を鷲掴みにされてしまう。

(ずるい…!)
 そうやって、彼はいつも夕鈴を振り回すのだ。

「…気に入らない?」
 いつまでも返事がないことで勘違いされたのか、彼の瞳が少しだけ曇る。
「ち、違います! すっごい可愛いです!」
 それに慌てて夕鈴は否定の声を上げた。

 似合うとかどうかはともかくとして、服も靴も全部がすごく可愛い。
 着心地も触り心地も良いし、気に入らないはずがない。

「すっごい気に入りましたっ!」
「―――それなら良かった。」
 弁解が通じて、彼は再び笑顔になった。



「でもっ あの、これは一体…っ!?」
 制服で困ると思ったのは確かだ。
 でもこれは予想外。
「今日のデート服だよ。それからこれもね。」
 まだ寒い時期だからと、彼が手にしていた白いコートを羽織らせられる。
 これまたこの服に合うすごく可愛いデザインだった。

「僕からのプレゼント。」
 そういう彼は何故だか嬉しそうだ。
 しかし夕鈴の方は、その言葉を理解するのに数秒を要した。

 プレゼント…?
 まさか、ホワイトデーだから?

「ええ!?」
 驚く夕鈴に「もう支払いも済んでるから」と笑顔の返事。
 断る間もないままに、美人の店員に見送られてその店を後にした。

















*

















「このお店は…!」
 今度こそ目的地に辿り着いて、その入口で夕鈴は再び驚く羽目になった。

 そこは最近テレビで話題の人気スイーツ店。
 ちょっと高級なので学生には手が出ないようなところだ。
 明玉達と「一度くらい行ってみたいわねぇ」なんて、この前話してたばかりなのに。

「予約してたんだ。」
 夕鈴の反応に彼は満足そうにしている。
 立ち尽くしている夕鈴をエスコートして彼は中へと誘った。




「わぁ! 可愛い!! 宝石みたいにキラキラしてる!」
 ショーケースを前にして夕鈴は目を輝かせる。
 入るときの緊張感はすでに跡形もなく吹き飛んでいた。

 だってテレビで見たそのままの、見た目も美味しそうなケーキ達が目の前に並んでいるの
 だ。
 この中から選べと言われても選べない。

「どれでも好きなのをどうぞ。何なら全部でも。」
 隣の彼がくすりと笑って、魅力的な提案をしてくれる。
 全部、なんて幸せな。
「って、いえいえ。そんなに食べられませんから。」
 はたと冷静に返って首を振る。
 さすがに全部は食べられないし、残したら非常に勿体ない。
「そうだね。また来れば良いし。」

(それは来年のホワイトデーの話かしら?)
 でも、また来れるなら良いかと思って、たくさんの中から4つを選んだ。






「おいしーですね。」
「そうだね。」
 口の中で溶けるクリームに幸せな気分になる。
 彼も別のケーキを口にして、相槌を打ってくれた。

 黎翔さまは甘い物が好きな方なので、この甘ったるい空気にも抵抗はないらしい。
 男の人の中には苦手だという人もいるけれど、彼の場合は同じくらいの量を普通に食べて
 いる。
 だからその辺りに気を使わなくて良いので安心できた。


「―――あ、それも美味しそうですね。」
 彼が今食べているのはブルーベリーやクランベリー、ラズベリーがぎっしり並んだベリー
 タルト。
 艶やかな表面がキラリと光って美味しそうだ。

 ケーキは一つ一つが小さいので数は結構食べられる。
 だから次はそれを取りに行こうかななんて考えていた。

「じゃあ、はい。」
「え…」
 おもむろに一口に切ったケーキを差し出されて固まる。

 食べろ、ということだろうか。
 …他にもお客さんはたくさんいるのに?

「え、いや…」
 戸惑うけれど、彼は手を引く気がないらしい。
 どうぞと目でもう一度言われる。
「……じゃあ、」
 おそるおそる口を持っていくと、上手に中に放り込まれた。
 前の彼はにこにこ顔だ。
「美味しい?」
「………はい。」
 味なんて分かりません。
 とは言えなくて、もごもごと口を動かし飲み込んだ。


「夕鈴のもちょーだい。」
 それ、と彼が指さしたのはフランボワーズ。
 もらってしまったらあげないわけにはいかない。
 皿ごと渡すわけにはいかないだろうなぁと、彼がしたのと同じようにフォークに掬って差
 し出す。
 手が震えて落ちそうになるけれど、その前に彼がぱくりと食べてくれた。

「美味しいね。」
 小犬な彼がにこにこと嬉しそうにしている。
「…そうですね。」

 黎翔さまは恥ずかしくないんだろうか。…私は恥ずかしい。
 まあ、周りのカップルも似たような感じだけど。

 この雰囲気に飲まれて順応できるほど夕鈴は恋愛スキルは高くない。
 不用意なことは言わないようにしようと、とりあえず心に誓った。




 チーズケーキ、モンブラン、定番のショートケーキにカラフルなマカロン。
 フロマージュ、ショコラムース、生トルテ、etc...

 今日だけで食べきるなんて出来るわけない。
 でも、幸せな気分だった。

 可愛い服を着て美味しいケーキを好きな人と一緒に。
 こんなの、なんて贅沢なことかしら。

 幸せすぎて後が怖いと思ってしまうくらい。


「夕鈴、クリーム付いてる。」
「え、どこですか?」
 自分の口元で教えてくれて慌てて押さえる。
「あ、違う。もうちょっと―――」
 ひょいと身を乗り出した彼の指が唇の端に触れた。
「え、」
 ぱちくりと目を瞬かせている間に、彼は自分の席に戻る。
 その手の―――親指の腹には白いクリームが乗っかっていた。

「―――甘いね。」
 ぺろりとそれを舐めとって、彼がにんまりと笑みを見せる。
「〜〜っっ!?」
 …今のは夕鈴にも分かった。その紅い瞳が雄弁に物語っている。
 どかんと真っ赤になる夕鈴に、彼はまた笑った。
「夕鈴は可愛いね。」
「だっ な…っ」

 誰のせいだと思ってるんですか!!?

 ―――とは、さすがに叫べない。
 空になった皿を乱暴に掴んで、ケーキの方に逃げた。


 後ろで、彼はまだ笑っているようだった。













「…黎翔さま?」
「ん? 何?」
 高級ケーキをたっぷり楽しんで、食後の紅茶を楽しんでいるとき。
 ふと、意識が現実に戻った。
「…私、こんなにもらって良いんでしょうか?」

 服に靴にエトセトラ。今日のデート用にと全身コーディネートされたものは本当に全部が
 プレゼントらしい。
 さらに高級ケーキまで食べさせてもらって。

 バレンタインのお返しにしては割に合わない気がする。


「だって、ホワイトデーは3倍返しが定石でしょう?」
 夕鈴の問いに、彼からはにっこり笑顔でさらっと返事が返ってきた。
 それは確かにそう言われているけれど。
「3倍どころじゃないような…」

 夕鈴のバレンタインチョコは手作りだった。
 つまりそんなにお金はかけていない。…愛情はかけたつもりだけど。

 すると値段じゃないんだよと彼は答えた。
「僕にはまだまだ足りないくらいだよ。」
 そう言って、彼は飲み干したカップをソーサーに戻す。

「夕鈴はね、たくさんのものを僕にくれたんだ。こんなんじゃ全然返したうちに入らない
 よ。」

 夕鈴にはそれが何か分からなかった。
 これまでたくさんと呼べるほどの何かをあげたつもりはない。

「僕にはこんな形でしか返せない。」

 返さなくても良いのにと思う。
 何のお返しかもこっちは分かっていないのに。



「ね、夕鈴。」
 そういえば、今日の彼は2人になってからずっと笑っているなと思う。

 黎翔さまも楽しいと思ってくれたのかしら。
 だったら、私はそれだけで十分。


「僕を好きになってくれてありがとう。」

 ―――それは、私のセリフです。



「―――――」
 さっきの彼みたいにテーブルに身を乗り出して、頬にキスを贈ったのは、言葉の代わりの
 感謝のしるし。




2012.3.26. UP



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オマケ、か…? こっちの方が長いですね(笑)
放課後スイーツデート編。
1人でも感想でいただいたら書こうと思ってたので書きました〜

2人の服はまあ気にしないでください。センスないんです、すみません。

あ、この2人は健全なお付き合いですよ! 高校生ですから!!
キスくらいはしてますけどね!←
これも安定した(バ)カップルだなぁ。

ふぅ。これで学パロはしばらく満足かな。
文化祭は長いのでのんびり書きます。のんびりお待ちくださいませ。



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