9)最後のダンスが終わったら、




「―――綺麗だよ。」
 支度を終えて部屋を出ると、そこで先輩は待っていてくれた。
 そうして緩く巻いた髪を救い取りながら蕩けるような甘い言葉をくれる。

 先輩が選んでくれたドレスは少しオレンジがかった紅色。
 それも目が痛くなるようなどぎつい色ではなくて、柔らかく可愛らしい色合いだ。
 スカート部分には薄い色合いの透かしレースが二重にかけられていて、裾の先をそれぞれ
 ずらしてあるので歩く度にヒラヒラと踊る。
 首には同型色のリボンを結び、ハーフアップに纏めた髪にも同じリボンが編み込まれてい
 た。


(…先輩は、とてもかっこいいです。)
 面と向かっては恥ずかしくて言えない言葉を胸の奥でそっと呟く。

 いつもは自然にまかせた黒髪を後ろに軽く撫で付け、黒のタキシードをスマートに着こな
 す姿は文句無しにかっこいい。

 本当に、どんな姿でも何を着ていても、誰よりも輝いて見える人。
 そんな人を好きになって、その隣で過ごせたことはきっととても幸せなこと。


 今夜が恋人としての最後の日。
 彼の全てを心に焼き付けて、最後の夜を楽しもう。



「先輩。」
「ん?」
 差し出された腕に手を添えながら、決心した面持ちで顔を上げる。
 いつもと少し違う先輩に胸を高鳴らせ、もうすぐこの手を離さなければならないことに胸
 を痛め、それでも決めてしまったことを今更変える気はない。
「後夜祭が終わったら、一つだけ話を聞いてくれませんか?」

 これが終わったら、告白をしてふられる。
 優しい先輩を困らせてしまうだろうけれど、これが最後の我が儘だから。

「…私からも話がある。」
「そうですか。」
「ああ。」

 先輩からってどんな話だろう。
 ご苦労様とか、そういう言葉だったらいいな。

「じゃあ終わった後に、また。」
「―――終わったら、ゆっくり話をしよう。」
「はい。」

 そうして二人は会場へと足を踏み入れた。







 体育館よりも広いホールに、頭上にはきらきらと輝く大きなシャンデリア。
 壁や柱に飾られた花々からは甘い香りが漂う。
 本格的なオーケストラの生演奏で曲が奏でられ、会場の中央では色とりどりのドレスが舞
 う。

 壁側にはずらりと食事が並べられ、シェフが目の前で肉を切り分けてくれたり、その場で
 焼いてくれたりする。
 色の洪水のようなテーブルの上には、カクテルのような綺麗な色のジュースに宝石みたい
 に輝くデザート。

 目でも耳でも楽しませてくれるこの場で、生徒達はそれぞれ楽しい時を過ごしていた。



「はい、夕鈴。」
「あ、ありがとうございます…」
 給仕係が持っていたトレイからシャンパンゴールド色をした飲み物を受け取った先輩が、
 その一つを夕鈴に渡してくれる。
 喉が渇いていたから助かったとありがたく受け取って飲んでみれば、炭酸が程良く喉を刺
 激してくれる甘い飲み物だった。

「疲れた?」
「ちょっとだけです。…先輩は本当に何でもできますね。」
 羨ましいと正直に言えば、少し困った顔で「そんなことないよ」と返された。
 それが謙遜だというのは分かっているけれど。

 シェフのパフォーマンスに感激し、興味を引かれたものをいくつか食べて。
 それから今まで、二人で二、三曲ほど踊ってきたところだ。
 何故か体育の授業にダンスが入ってるので夕鈴も一応一通り踊れることは踊れるけれど、
 今日はほぼ先輩のリードのおかげ。

 こんなとき、やっぱり違うんだなと思う。
 先輩はこういうことに慣れていて、こんな世界が普通なのだと再認識してしまった。


 ちらりと柱時計に目をやると、終わる時間が近づいていることに気づく。

 "仮の恋人"としての最後のお仕事は、ホールの真ん中で最後のダンスを踊ること。
 みんなの前で踊るのは、前会長としての決まり事なのだそうだ。

 ―――そして、それを最後に後夜祭は幕を閉じ、私と先輩の関係も終わりを迎える。




「…そろそろ時間だね。」
 夕鈴の視線の先に気がついた彼も、そちらに一度目を向けてから夕鈴の方へと向き直った。
「行こうか。」
「はい。」
 差し出された手を取る。これも最後なんだと思いながら。


 泣いてはダメ。
 最後は一番良い笑顔を残したい。

 今が一番綺麗な私。
 時々で良いから、思い出してくださいね。





 ホールの中央で足を止め、一度二人の手が離れる。

 向かい合わせで挨拶を交わして、再び伸ばされた手に自分の手を重ねた。

 そして重ねた手はそのままに、もう片方の腕がが夕鈴の腰に回る。
 二人の準備が整うとオーケストラの演奏が流れ出し、一度目を合わせてからステップを踏
 み出した。



 注目を浴びていることは分かっている。
 でも今は恥ずかしいと思う気持ちはなかった。

 先輩との最後の時間をただ大切にしたいと思っただけで。


 ねえ、先輩。
 貴方には何気ない日々だったかもしれないけれど、私にはとても幸せな日々でした。





(―――これで、最後…)

 永遠に続いて欲しかったのに、時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。
 最後のステップが終わり、音楽も同時に止む。
 痛いほどの静寂が訪れ、その一瞬後に割れんばかりの大きな拍手が沸き起こった。


(終わっちゃった…)
 張り裂けそうな胸の痛みを感じながらそっと彼を見上げる。
 そこには柔らかに微笑む顔があると思っていたのに、思いの外真剣な表情で見つめられて
 いて。
 大きく跳ねた心臓は息苦しささえ覚えた。

「夕鈴…」
 さらりと頬を撫でられる。
 耳に心地よい声にまた心臓を掴まれた心地になる。

 大好きな大好きな人。

 泣き出してしまう前に、そっと彼から離れようとして、

「夕鈴」
 逆にぐっと腰を引き寄せられた。


「せん…っ」
 驚きの声は途中で吸い込まれてしまう。

 ―――唇が、柔らかいもので塞がれてしまったから。


(え―――…?)
 長いようで短いような… きっと一瞬だったんだろうけれど。

 わっと沸き上がる場内。
 すぐそばには先輩の端正な顔。

 そして、たった今触れ合った場所が目に入って、途端に顔から火が出た。
「な…ッ、いいい今…!?」
 身動きがとれないから手で隠すこともできず。
 馬鹿みたいに口をパクパクさせるしかない。


「私はこれで終わりにはしたくない。」
 狼陛下の鋭い視線が今は熱い。
 燃えるような色をした瞳が真っ直ぐに夕鈴を射抜く。

「夕鈴、君が好きだ。手放す気などないから覚悟しろ。」
「ッッ!?」
 それは告白というより宣言だった。


 これが最後の夜だったはずなのに、終わりじゃないと彼は言う。
 どういうことなのか分からない。

 告白してふられて終わるはずだったのに。
 キスされて覚悟を迫られて。

「〜〜〜〜!?」
 明らかにキャパオーバーだった。
 目の前がぐるぐるする。

 ―――そして、ぐるぐるしたまま目の前が真っ白になった。



「夕鈴!?」
 霞む視界の向こうで焦った彼の声が聞こえる。
 でも、全身から力が抜けていく感覚の中では何も答えられなかった。

















 ふわふわ

 白い光の中で温かい何かに包まれてとてもいい気分だった。
 紅珠の誕生日の時のような、ほんのり幸せなふわふわした気持ち。

 あの時も、あの人のそばでいい夢を見た気がする。


 ふわふわ ふわふわ

 誰かが―――大好きなあの人が呼んでいる声がした。




「……?」
 ゆっくりと目を開けて、眩しさに何度か目をパチパチさせる。

「夕鈴」
 ぼやけた視界がはっきりすると、そこでは心配そうな顔をした先輩が見下ろしていた。


「あれ? 私、どうして…」
 先輩の後ろには天井が見える。どうやら私は横になっているらしい。
 でも、どうしてなのかが思い出せない。

「夕鈴 あの場で倒れちゃったんだ。」
 しょんぼりした小犬にごめんと謝られた。
「僕が突然あんなことしたからだよね。」
「っ」

 あんなこと―――で、さっきの出来事を思い出して頬が熱くなる。
 みんなの前で言われたこと、唇に触れた感触も。全てを思い出して。

「……嫌だった?」
 どこか怯えているようにも見える小犬に夕鈴は慌てた。
「ち、違います! ビックリしただけです!」
 がばりと起き上がると、そこはソファで頭を乗せていたのは彼の足だと気づいたけれど。
 でも今は、怯えた小犬を安心させなきゃとただそれだけを思った。

 だって、嫌だなんて誰が思ったりするだろう。
 好きな人に好きと言われたのに。

「その、叶うなんて思ってなかったから。私の、片想いで終わると思ってて……」
「え?」

 期限が決まった日から、ずっと別れの日を覚悟してきた。
 そばにいたいと願いながら、今日という日に毎日怯えていた。

「諦めなきゃって、ずっと…」
「諦めないで。僕は、君が好きだよ。」
 頬に添えられた手が夕鈴の顔を上げさせる。
 そうしてもう一度はっきりと思いを伝えられた。

 ああ、さっきの言葉は本当に夢なんかじゃなかったのね。

「あの時―――初めて会った時から、君だけだった。他は見えなくなってた。」

 嬉しすぎても涙は流れるものらしい。
 ポロポロとこぼれ落ちるそれは彼の手も濡らしてしまう。
 困った顔で私を呼ぶ彼の手に、自分の手を重ねた。

「私も…好きです。貴方が、ずっと好きでした。」

 元から告白する気だった。
 でも、それは、こんな幸せな気分で言うつもりのなかったもので。

「夕鈴…」
 甘い囁きに自然と目を閉じる。
 二回目のキスはちょっとだけ涙の味がした。




「…ね。名前で呼んで。」
 幾度目かのキスの後。抱きしめられた腕の中、吐息がかかる距離でお願いされる。
 前にも似たようなやりとりをしたけれど、今回は意味合いが違う。
 だってもう、本物の恋人同士なのだ。

「…………れ、黎 翔、、さま……ッ」
「うん。もう一回。」
 それさえ一大決心で言ったのに、もう一度なんて言われてしまう。
「う…」
「えー 一回だけ?」
 何だかとっても不満そう。
 でも、仕方ないじゃないですか。
「だって、恥ずかしいんです…!」

 大好きな人の名前だもの。特別なんだもの。
 口にするだけで心臓が飛び出そうになる。

「…仕方ない。今はまだそれで我慢する。」
 今回は渋々ながらもあちらが引いてくれた。
「だけど、いずれは普通に呼べるようになって欲しいな。」

 はい、私もそうなりたいと思います。

「が、頑張りますっ!」
「うん、待ってる。」





 問題は山積みで、まだ何も解決していないけれど。
 これからも悩むことや苦しいことがあるだろうけれど。


 二人ならどうにかなると思う。
 一つずつ乗り越えていきましょうね。





 ―――こうして私は、狼陛下の本物の恋人になりました。



= E N D =




2012.6.23. UP



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終わりましたー 長かった…!
ここまでお付き合いありがとうございました。本当に。

ネタだけは学パロ考え始めた当初からあったのに、書くのにこんなに時間がかかるとは…
文化祭当日も3人以外は出さない方向で書いていたはず… 明玉は別として。
だから紅珠と水月さんはプロットではいなかったはずなんですけど。
コスプレ夕鈴なんてレアイベントを紅珠が見逃すはずがなかったですねww
何だか水月さんがイイ性格してますよw

で、本編に入りきらなかった裏小ネタは間に合わなかったので、またいつか… 
どれもたいしたものではないのですけどね。
ああ、でも兄貴と黎翔さんの話は書かないとですね。
下にも一応 兄貴の意図を晒しておきます。


・オマケ・
「良かったの?」
「何が」

 全校生徒の前であんなことやってのけた二人がいなくなった後。
 パートナー役のクラスメイトから突然そんな風に聞かれて何のことだと問い返す。
 すると相手は意味ありげに笑った。
「"俺がもらう"んじゃなかった?」
「聞いてたのかよ。…あれはけしかけただけだ。」

 あの男の本気を試したかった。
 それだけの覚悟があるのかどうか。

「見ていてあまりに焦れったかったからな。」
「へー お人好しね。」

 遠慮がない物言いに睨みつけても相手は動じない。
 気心知れた相手はこういう時面倒だ。

「…アイツが泣いてないなら良いんだよ。」

 それが正直な気持ちだ。
 馬鹿幸せそうに笑っていればそれで良い。

「泣かせたらぶっ飛ばすけどな。」
「―――お父さんみたいね。結婚式には泣くんじゃない?」
「お前はちょっと黙ってろ。」

 さっきからの失礼すぎる言動には、軽くゲンコツをお見舞いしてやった。


*
アニキはどこまでもアニキです。夕鈴のことは妹のようなものです。
几鍔の相手の女生徒は、バレンタイン編にも出てたクラスメイト。
イメージは『鈴蘭(※秘密部屋の話)』に出てくるオリキャラの蘭姉さんだったりします。
お気に入りなので登場させちゃいました。今のところ、几鍔とは気の合う友達です。





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